3人が行く!

まさぼん

ほな、行ってきぃ!

 ふうたんと、ふうたんの旦那さんのてっちゃんと、てっちゃんのおかあさん、つまりふうたんのお義母さんの合計3人で、韓国旅行に行くことにした。てっちゃんの会社の勤続年数が20年経ち、JTBの旅行券20万円分と5日間の有給がもらえたので、3人で韓国旅行に行くことにしたのだ。

 

 お義母さんは、京都に住んでいて、ふうたんとてっちゃんの夫婦は、名古屋に住んでいるので、旅行の前日に、お義母さんがふうたんと、てっちゃんの家にスーツケースをえっこらえっこら担いで京都からやってきた。


 ふうたんも、お義母さんも、旅行に備えて雑誌を買ってあれこれ見たりして、大体の予定は立てていた。けれど、韓国語まで一生懸命覚えようとしていたふうたんは、『ソウル』という雑誌におまけの付録でついていた、韓国語講座サンプルCDをプレステを使って聞いて、覚えていたため、

 「私は、20歳の公務員です。」

 これを韓国語にすると、

 「ちょぬん、すむさる こうむわん いむにだ」

 となった。これはテキストのカタカナ書きを見て覚えたのではなく、CDを聞き取って覚えた文章だ。さてはて、韓国語として正しいのかどうか、言語として成立しているのか…それはさておき。


 ふうたんは、37歳の専業主婦だ。公務員を韓国語にすると、『こうむわん』になるのは可笑しくて気に入ったけれど、37歳が20歳というのはちょっと無理がある。けれど、韓国語講座サンプルCDには、20歳という年齢しか入ってなかったので、これを覚えた。

 いち、にい、さん、『よん』さまー、

 に、もし会えたら、きっと聞かれるであろう。


 「あなたはおいくつですか?お仕事は何をされていますか?」


 その時が来たら、黙っているのは失礼だ。だから、ふうたんは覚えた。そう思ってふうたんは覚えた。


 ふうたんとてっちゃんの夫婦は、名古屋といっても郊外ぎりぎりの名古屋という地に住んでいたので、朝9時発の大韓航空、中部セントレア発 仁川空港行きに乗るためには、朝7時までに空港に行って手続きを済ませたり、なんやらかんやらしないといけないので、2時間前に空港に到着していなければいけなかった。

 飛行機という乗り物は、時間にルーズなのか?正確なのか?どうもよくわからない乗り物であるから仕方がないけれど、何しろ出発時刻の2時間前には空港に着いていなければいけなかったので、9時発が7時入り、更に逆算して、5時には家を出発しなければならなかった。

 今回の旅行日程は、てっちゃんの誕生日を挟んでいる。今後はあるかもしれないけど、前回はまだ無い ”今回” の韓国旅行は、

 ●1日目は、お義母さんとふうたんの2人でエステ。

 ●2日目はてっちゃんの誕生日会で焼肉パーティー!

 ●そして、3日目は買い物ザンマイ。

 といったゆる~い計画で挑もうと飛行機の中で思い浮かべていた。


 飛行機のエコノミーの窮屈なシートの上で真ん中にてっちゃんを挟んだお義母さんが、てっちゃん越しにしきりにふうたんの雑誌を

 「ちょっと、よう見せてえや。おかしいで。」

 と、自分の雑誌とふうたんの雑誌を見比べて、

 「こんなん載ってへんで。お義母さんの雑誌に。ふうたん、ずるいわあ。」

 と、ムギュムギュてっちゃんの膝の上に肘をつくは、飲み物こぼして汚れたページをてっちゃんの服の裾で拭くわ、やりたい放題で雑誌を隅から隅まで眺めていた。

 ふうたんが、

 「お義母さん、でもこれもおいしそうじゃないですか。これ、私の雑誌には載ってませんよ。」

 と、お義母さんの雑誌を褒めたら、

 「ほんまかぁ。なんや、ややこしな。統一せえっちゅうねん。」

 と、小言はもらしたが、それ以上雑誌にはこだわらなくなった。



 お義母さんは、京都と言っても、北部に位置する田舎町に住んでいるので、バリバリ関西人ではない。ショルダーバックの中には飴ちゃんでは無くて、ポッキーを入れて持ち歩いている。ちょっと高級な1箱に4袋入っていて、更にその1袋の中に3本か4本しか入っていない苺やらアーモンドやらの高級ポッキー。あれを持ち歩いている。

 「ちょっと、電車乗った時に、飴ちゃんもらうよりポッキーもろたほうが嬉しいやろ。そう思わへんか?ふうたん、ポッキー食べる?」


 飛行機に搭乗したら、窓際にふうたん、真ん中にてっちゃん、通路側にお義母さんが座った。お義母さんは、飛行機に乗るのは、今回が2回目だそうだ。窓際をお義母さんに譲ってあげるべきなのに、ふうたん…。

 搭乗して数十分もしないうちに運ばれてきた朝ごはんだか、昼ごはんだかの中途半端な食べものが出てきたと思ったら、食べて直ぐ寝ちゃったふうたん。

 窓際の席は、お義母さんに譲ってあげるべきだったと思う。



 それはさておき、

 ソウルまでの飛行時間は、気流の流れのせいで、行きは割と早く、帰りは割と飛行時間がかかるそうで、行きの飛行機は、ふうたんがさっき寝たところなのに、もう仁川空港に到着しようとしていた。

 ふうたん、てっちゃん、お義母さんの3人は、朝早くに名古屋の家を出発して、セントレア空港の何もない椅子がかすかに置いてあるフリースペース、けれど、ベンチ席3人掛けくらいを1人で占領してベッドとして利用してる観光客の待ち人くらいしかいない空港のロビーで待たされた。酷く疲れていたので、機内食を食べ終えたらスヤスヤおやすみした。それが無情にも、大変お美しい、美しすぎる、お顔立ちが大変整った客室乗務員さんに、

 「シートベルトをつけてください。」

 と、起こされ、シートベルトをつけるまで目の前に立ちはだかられた。ふうたんは、客室乗務員さんに肩を触って少し揺すられながらの声かけをされたので、直ぐに起きたけれど、お義母さんが通路側で1番起こしやすいのに、何故だか、客室乗務員さんはお義母さんを起こさず、ふうたんとてっちゃんにお義母さんを起こすのを任せた。様だった。


 無事、

 仁川空港に到着した。

 旅行代理店の担当の人が、

 「ご家族様貸し切りの車で、宿泊先のロッテホテルのあるソウル市内まで送迎致します。」

 と言っていたのは、真っ赤なウソだった。


 空港で3人を待っていたのは、沢山のガイドさん達。その中の、どのガイドさんが、3人の貸し切り車に同乗してくれるガイドさんかわからなかったので、ふうたんは、大きな声で言った。

 「ちょぬん、ふうたんさらんちゅせよ。」

 直訳すると、

 「私はふうたん人ください。」

 酷すぎる韓国語だ。中途半端な勉強なぞしない方が良いのだ。わからないならわからない。わかるならわかる。その方がいい。


 そんな滅茶苦茶な韓国語に対して、1人の中肉中背の女性ガイドさんが、

 「こちらです、来てください。」

 と、ふうたん1家を呼びよせた。

 そして、

 さあ、ソウル市内へレッツゴーと思ったら、

 「他のお客様もみえますので、お待ちください。」

 とのお言葉を頂いた。ふうたんと、てっちゃんは、空港の外の喫煙所でタバコを吸おうと目と鼻の先のすぐそこの外に、一旦出た。


 喫煙所だと思われる喫煙している人たちがたむろしているところに行き、シュボっとライターでラークマイルドロングに火をつけて一服した。

 その空港の外に設置されていた灰皿は、本当に灰の皿だった。丸い皿の上にお線香の燃えカスみたいな灰がやはり丸くあったのだ。


 「これは凄い。韓国来たねえ!」

 ふうたんと、てっちゃんが、灰の皿の記念写真を撮ろうとしていたら、空港内でガイドさんにぴったりくっつき、はぐれない様に自分で自分の身を守っているのであろうお義母さんが、

 「みんな、あんたら待っとるでー。はよ戻ってきぃー。」

 と、大声で2人の事を呼んでいた。

 ふうたんと、てっちゃんの2人は慌てて火を消し、ロビーに戻った。


 ガイドさん1人に付き、10名前後の日本人観光客が引率された。軽のワゴン車よりは広い、ハイエースよりも広い、ボルボよりは、ボルボはわからない。市バスよりは愕然と狭い。その車の中にゾロゾロと、10人くらい乗せられた。

 観光客からの荷物、スーツケースをガイドさんが受け取り、車の運転手さんに渡す。バケツリレーの様に、次々左ハンドルの車の助手席側、つまり右側に皆のスーツケースを放り込み、バッタンと車のドアを閉めると、いざ車はソウル市内へと出発した。

 ガイドさんが、レストランで繰り広げられるショーの案内やエステショップのお勧め店の情報を話しているのにも関わらず、観光客たちは、


 「わし、釜山に行く。どこから行けるか教えて。」

 とか、

 

 「新幹線の駅はどこだ。」

 だとか、

 

 「ちゃんぐんそくさんには、どこに行けば会えますか?」

 だなんていうのまで、皆言いたい事聞きたい事話しまくるまくる。

 

 それに対し、ガイドさんは、

 「おとうさま。私がソウル駅でチケットを予約してさしあげます。」

 「私も日本にいるときキムタクに会おうと思ってフジテレビに行ったけれど会えませんでした。」

 と、慣れたそぶりで答えていた。


 ホテルは、ロッテホテルを予約していた。ホテルの2階入り口部分まで送迎バスで入ってもらって着いた、早々。

 お義母さんが、

 「あんな、お義母さん、石焼きビビンバと冷麺が食べたい。」

 と、言い出した。

 OK。

 それは良しとしよう。

 でも、両替をしない事には、お腹を膨らまそうにも何か買うにしろどうにもならない。石焼きビビンバの為に、両替へ。日本円を韓国ウォンに両替しに行こう。

 ロッテホテルの前に、扉で覆われたKIOSKくらいの大きさのガレージっぽい建物がいっぱい並んであったのが、両替をやっている看板をかかげていたけれど、何やら怪しい雰囲気が漂っていたのと、しっかりガイドさんの話しを聞いていたお義母さんが、

 「ホテルの前の両替屋は、ぼったくられるで。ガイドさん、そう言うてはったで。」

 と、自慢げに言うので、腹は減っているが明洞まで歩いて両替屋を探した。



 ロッテホテルから明洞の中心部までは目と鼻の先の距離だった。近い近い。

 しかし、両替屋はいっぱいある。ロッテホテルの前の両替屋の様なKIOSKガレージ小屋みたいなところから、銀行みたいなところまで、一体どこで両替したらいいのであろうか?

 ぐるりと辺りを見回すと、交番らしき建物があって、その前にPOLICEと背中に書かれた制服を着た警察官が何人かたっていたのを見てとらえる事が出来た。


 ふうたんが英語で、

 「優良な両替屋さんはどこですか?」

 と、尋ねた。ふうたんは、一応帰国子女だ。


 警察官は親切に両替屋さんを案内してくれて道の地図もふうたんのノートに書いてくれた。まっすぐ行って左。単純な地図。そこまでの両替屋さんに行く道中に、1件、気になる両替屋さんを見つけた。


 そのガラス戸のシールには、

 

 「りょうーがえ いたします」

 

 「はっしゃーおらい」

 その両替屋さんが日本の電車の車掌さんになったら、そう言うのかもな?

 微笑ましく、りょうーがえ、と書かれていた。


 その、珍しい日本語の写真をふうたんが撮っていたら、韓国人のおじさんが近くにやってきて、

 「スーパーコピーあるよ。スーパーコピーあるよ。」

 と言いながら、ビビり立ち去ろうとしているふうたんの後をしつこく着いてきて言い続けた。

 「スーパーコピー。」

 ふうたんは、開き直った。


 

 「イヴ・サンローランの座布団ありますか?」


 おじさんに聞いた。お義母さんが、そんなふうたんを見て、おじさんの存在に気付き、


 「ほっときーなんやねん、いらへんいらへん。」

 と、おじさんに対しても、ふうたんに対しても言った。


 中部セントレア空港のロビーで、ふうたんはコツコツ貯めた500円玉貯金の10万円の中から、5万円をお義母さんにお小遣いとしてあげていた。

 しかし、両替屋に着いたのに、お義母さんは頑なに両替を拒み、ふうたんと、てっちゃんの2人だけが、5万円くらいずつ両替をしてそこを後にした。



 さあ、お金が手に入った。やっと腹ごしらえができる。

 商店街のメインストリートの様な道の横を通る道に入ると、狭い道沿いに食堂がポツンとあった。何がどう気に入ってその店に入ったとかではないけれど、その店に3人は入り、冷麺と石焼きビビンバと、あまがらいたれの冷麺を頼んで、少しずつ3人で分け合って食べた。

 お腹も膨れ、1~2時間の空旅だとは言えども、長い待ち時間を強いられた疲れもでてきたので、3人は一旦ホテルに戻った。


 この旅行の主役のてっちゃんを1人置いて、お義母さんとふうたんの2人だけでエステに行くのは、ふうたん的には少し気が引けるものがあったけれど、お義母さんはルンルンしていた。3人はエステの予約時間が近づいてからホテルの外に出て、てっちゃんと、嫁&義母の2組に別れた。

 そして、ふうたんとお義母さんの2人で、エステにいざ出陣した。


 調べて調べて、調べつくした明洞中のエステ店。その中から、

 「ここだあっ!」

 と、決めてネット予約したエステ店に向かった。お義母さんにとっては、人生初のエステ体験となる。

 ふうたんと、お義母さんの2人で歩いている道中、

 「なんで同じ顔してんのに、日本人てわかるんやろか?」

 と、大声で言い続けるお義母さん。そのお義母さんに向かって、

 「300円だよー。」

 などと声をかけ続けるおじさん。声を掛けられ続けてる事に気が付いていないお義母さん。そんなお義母さんをふうたんは連れて、明洞の中心部の中心部にあるビルの9階にあるエステ店に入った。


 ふうたんは、てっちゃんと温泉旅行に行く時、ちょこちょこ温泉宿隣接エステみたいな看板を掲げたエステを利用させてもらっている。


 「おかあさん、外国くるなんてはじめてやぁ、エステいうんも、してもらうんはじめてやぁ、うわ~どないなことされるんやろか~。」

 半分ビビッて半分ウキウキしている様にふうたんの目にはお義母さんの姿が映っていたけれど、お義母さんはエステが始まる以前にベッドの上に横になったらすぐに、寝た。

 お義母さんの寝息が、

 「スース―」

 と聞こえる。その寝息と同調して、

 「ぶっぶひっっ」

 と寝屁(ねべえ)が聞こえる。



 想い出した。

 「おかあさん、おとうさんの前でおならした事2度しかないで。」

 あのセリフは、起きている記憶のある中の事であって、本当は…。これ以上、言ってはいけない。


 お義母さんが、寝ながらフェイスオイルを次々と塗られては拭かれ塗られてはとしているその間、ふうたんもフェイシャルエステをしてもらいながら、店の人に生で使える韓国語たるものを教わっていた。


 買い物をするとき、

 「いくらですか?」

 と、最初に値段を聞くと、必ず高い値段を言われるから、聞く必要はない。

 「まけてください。」

 この言葉の前に、


 「愛しています。」

 をつければ、まけてくれる。と教わった。



 「さらんへよ、かっかちゅせよ」(愛しています、まけてください。

 エステ店を出て、外気にさらされながら、屋台で買い物をしてみた時そう言ってみたふうたんは、1人で屋台のフランクフルト?の様なものなどを買っていた。  てっちゃんとお義母さんの2人も屋台で適当に夕食として済ませられる食べ物を物色して買ってまわっていた。視界に入る範疇の中での分担作業だ。効率よく買い物を済ませた。


 お義母さんは、エステ店から出る時、

 「全然お腹すいてへん。」

 と言っていたのに、屋台のトッポギを食べている人のお皿からトッポギをつまみ食おうとして、お姉さんたちから、屋台の店主から、わーわーぎゃーぎゃー韓国語で怒鳴られ、

 「おかあさん、トッポギは食べさせてもらえへんのや。」

 と、トボトボとホテルまで戻ったのであった。初海外旅行で初エステも経験したんだから、機嫌よくいてほしかった。

 まあ仕方ない。女心は秋の空。ふうたんだって似たようなものだ。


 ふうたんとお義母さんのエステが終わるのをビルの外で待っていたてっちゃんが、フラフラと街を探索していた時。屋台がいっぱい出初めて、

 ―「細い道なのに、よく並べるなあ。」

 と、ほげー?と見ていたそうだ。そうしたら、てっちゃんのすぐそばで車が思いっきり人をはねて、はねられた人がボンネットの上で怒り狂っていて、それを上回る勢いで車を運転していた人が怒っていたそうだ。そんな光景を1人で見ていた明日誕生日を迎えるてっちゃん。彼もまた、トッポギを食べれなかったお義母さんを励まして、機嫌よくいてもらえるように頑張ってなだめていた。


 1泊目の夕食。ホテルの部屋での屋台料理。これらは結局、ふうたんが1人で調達したイカ唐辛子とフランクフルトの衣がジャガイモになっているのをおかずに、てっちゃんがゲットした海苔巻きを主食として食べて済ませた質素な食事となった。


 本当は、日本でいう所のデパ地下で、現地の人が食べている現地の人がちょっと贅沢する時に食べるものが食べたかった3人だったが、デパ地下は明洞近辺には存在していなかったようで、警官に聞いても、ショップの店員さんに聞いても、道行く人に聞いても、

 「スーパーマーケットはどこですか?」

 と、英語で聞くと、コンビニを指さして、ここでいいんじゃない?と返されてしまったので4人目に尋ねた人から同じ答えが返ってきた時点でスーパーやデパ地下は諦めたのだった。


 でも、せっかく4人の人がコンビニを進めてくれたのだから、コンビニで飲みものでも買おう!と入った。


 『17茶』

 何か1つ多い味がした。


 『HOLLYS COFFEE』

 てっちゃんが、タリーズコーヒーが好きなので、どうかなと、ふうたんが買ったほりーずこーひー。てっちゃんは、それを飲んでる間中げらげらげらげら笑っていた。

 「んまっんまっ。けっけっけっけきゃっきゃっかゃ。」

 お義母さんが、


 「てっちゃん、おっさんあんたうるさいで。」

 と言っていたが、てっちゃんの笑いが止まることは無かった。

  


  ―

 2日目。

 ふうたんは、朝、お義母さんとてっちゃんに起こされたけれど起きれなかった。 仕方なく、ふうたんを残して。てっちゃん親子は朝粥を食べに行った。

 てっちゃんは、エビが嫌いだ。ついでに言うと、カニも嫌いだ。アレルギーではない。嫌い、だ。

 お義母さんは、すぐその事を忘れる。

 自分の分にエビ粥を頼んで、

 「ふうたんが起きてから一緒にご飯食べるから今は何も食べない。」

 と、何も注文しなかったてっちゃんに、お義母さんは、

 「一口食べえ。美味しいで。一口だけ食べてみいや。」

 「エビ嫌いやっっちゅうとるがや!」

 と、中の良い親子喧嘩をして、仏頂面して起きたてほやほやの、ふうたんのいるホテルの部屋に戻って来た。

 お義母さんは、

 「疲れたさかいに、ここでテレビでも見てくつろいでるわあ。ふうたん、てっちゃんとどっか行ってきぃ。せっかく来てるんやから勿体ないさかいに。ほな、いってらっしゃーい。はいよー。ばいばーい。」

 部屋を、半ば強引に追い出されたふうたんとてっちゃんは、ふうたん念願だったソルロンタンという牛コツスープ(?)を食べにソルロンタン専門店を探しに出かけた。


 これまた初日に入った食堂と同様、メインストリートから一本横に入った細い道の更に奥の曲がりくねった細い道。その突き当りでソルロンタン店を見つけた。間口の狭い店だったし、突き当りにある店なのに、中は広々としていた。小さめの古い木製の長四角のテーブルの下に、丸いビニール椅子が4つ置いてある。その机と椅子の羅列がズラーっと並ぶ店内に、日本人は皆無だった。

 偏食のてっちゃんは、獣臭いものが苦手なのに、ソルロンタンに関しては、空前の大ヒットだったようで、ちょっと苦手で食べ残してしまったふうたんの分まで平らげる程美味しく頂いていた。


 ソルロンタン店を出た後、ふうたんの化粧品と、お義母さんがお金を両替していなかったので、お義母さんの分の化粧品も買ってと、てっちゃんにお願いした。

 てっちゃんは、終始ご機嫌で、

 「いいよぉ。いいよぉ、好きなもの食べんせえ。好きなもの買いんせえ。」

 と、笑顔でこっくりこっくり頷いていた。


 お義母さんが、

 「あんな、カタツムリんクリームがな…、そいでな、カタツムリのクリームがな…、カタツムリのクリーム!カタツムリやで…」

 ひたすらカタツムリ、カタツムリと夜言っていたので、化粧はしないけれど、基礎化粧だけはばっちりするお義母さんのことだから、美容クリームか何かだとふうたんは思い、テレビで見たことのある看板のコスメ店に入った。


 あった。カタツムリのクリーム。

 よく考えると、気持ち悪いクリームだけれど、お義母さんは、あんなに夜興奮してカタツムリカタツムリと言っていた。

 買ってあげよう。

 いや、ちょっとお高い。

 よしっ、てっちゃんに買ってもらおう。2人分。

 ふうたんは、てっちゃんに、

 「これ2セット買って。お願い。」

 とせがんだ。

 「ええよぉ、ええよぉ、何でも好きなもの買うたげるよぉ。」

 ニコニコしながらこっくりこっくり頷き買ってくれると思っていたのに、


 「自分で買いんさい。」

 返って来たのは厳しい一言だった。ふうたんは、自分のお財布からウォン札を出して、カタツムリのクリームの3点セットを2つ。それからカタツムリのクリームのパック5枚セットを2つ買った。

 レジで、化粧品のおまけだと、タレントグッズをもらった。ふうたんは、一見イケメンの韓国人俳優には興味があまりなかった。ヨンさまだけは別だけど。そんななので、店員さんに聞いた。

 「カン・ホドンさんのグッズはないですか?」

 そう問いかけたふうたんに向けられた店員さんの眼差しは、初めてネコが吐くところを見た衝撃を捉えた時のような驚きの眼差しをしていた。



 カン・ホドンとは、ケーブルテレビで日曜の昼12時からやっているHAPPY SUNDAYの後半の1泊2日という韓国バラエティー番組に出ていた元力士のガタイの良いタレントさんで、今は汚職だかワイロだかで捕まってテレビ出演は日本ではまず見ることのできない人だ。

 ネス湖の地図上に、ネッシーの居場所を書いてくれるかのように、ふうたんのメモ帳にコスメ店の店員さんは地図を書いて、

 「ここにタレントショップある。」

 と、教えてくれた。カン・ホドンではないがイ・スンギという国民の弟と韓国中から愛されている俳優さんがHAPPY SUNDAYの1泊2日のプロデューサーのものまねをしているものまねを、ふうたんはコスメ店の店員さんが親切にしてくれたお礼としてやった。


 「しっぺい!」(意味:失敗!)

 店員さんが笑いをこらえきれなくなったタイミングで、ふうたんはサッとコスメ店を出た。てっちゃんは、

 「自分で買いんせえ。」

 と言った後、既に店をでており、外で待っていた。


 ふうたんが、てっちゃんに、

 「あのね、あのね。てっちゃんの好きなカン・ホドンのグッズあるかもしれない店教えてもらったよ!」

 と、てっちゃんに地図を見せた。てっちゃんは興奮気味になった。地図に従って2人でずんずん歩くと、道のど真ん中にポン菓子をつくる機械を乗せた頑丈なリヤカーみたいな感じの、ノスタルジックなカーショップが目に入った。ふうたんは、自分で車内の展示物を見ることもせず、

 「カン・ホドンさんのポスターありますか?」

 と尋ねた。他のものは一切受け入れない。望むものは、カン・ホドンの写真、これのみだ。と言った意気込みでタレントショップのバイトの兄ちゃんに聞いた。

 バイトの兄ちゃんが、

 「チェ・ホンマンは3回聞かれたことあるけど、カン・ホドンは初めて聞かれた。そんなものどこにもない。存在するわけない。僕ここで7年間アルバイトしてるけど、カン・ホドンは初めてだ。」

 と、言った。


 一喜一憂。

 ふうたんとてっちゃんは、

 「チェ・ホンマンのグッズ欲しい人3人はいるってことかぁ。せめてあと3人、カン・ホドンファン増えて欲しいねぇ。」

 「そやね。増えてくれ。」

 「グッズが販売されることは無くとも、チェ・ホンマンに勝ってくれたらぁ。」

 「そやね、嬉しいね。」

 と、ぽつぽつと会話を交わしながら、お義母さんがトッポギが食べれなかったように、ふうたんは、てっちゃんも、カン・ホドンのポスターを手に入れられなくてトボトボとホテルの部屋に戻った。


 部屋に戻ると、お義母さんが、

 「あんな、これ軽くて暖かいさかいに、旅行にぴったりのコートやいうて友達が貸してくれたんや。ちゃんと韓国で着たっていう証拠写真残さなあかんで、韓国らしいところ連れてってくれへんか?」

 と、いつも、黒か紺の色の服しか着ないお義母さんが、オレンジ色のコートを着て、お風呂の鏡の前に立ち、ポーズをとって鏡に映る自分の姿を眺めながらてっちゃんに言った。

 ふうたんは、今ソルロンタン食べて、カタツムリのクリームを買って、カン・ホドンのポスターを買えなくて、疲れて横になって休憩したかった。

 てっちゃんも、同じであったろうが、ふうたんが部屋で休むと言っているのに、ふうたんに自分のお母さんを観光案内に連れて行ってやってくれ、と頼んで自分が休みたい、とは、言えやしなかった。てっちゃんは、

 「よしっ!」

 と気合を入れて、一旦腰かけたソファから立ち上がり、

 「はい、行きますよ。次はどこですか?」

 と、お義母さんを連れてホテルの外へと出かけて行った。



 ここはロッテホテルだ。あのロッテホテルだ。それでも、遮る事の出来ない廊下から部屋の中に響いてくるドア越しのお義母さんの声。ふうたんの目はパチクリ覚めた。知らない間に眠ってしまった様だ。


 そうだ今日は、てっちゃんの誕生日だ。

 夜は、韓国焼肉店で、盛大に3人でてっちゃんの誕生日会を開く。ふうたんは、シャキッとしようとバスルームで顔を洗い、メイクを全部落としてベースからメイクし直した。この日の為に持ってきたちょっとフェミニンなシルエットのブラウスと、ニットのフィットしすぎない緩めのタイトスカートを着てオシャレをした。


 あ、しかし。

 さて?

 はて?

 焼肉屋は山ほど明洞にある。高級店から、庶民的な店まで山ほどある。さあ、どこに行こうか?ふうたんは考えながら歩き始めていたが、お2人さんは、1番最初に見つけた焼肉屋さんに入っていった。ふうたんはビックリして、追いかけた。

 「ちょっちょっ、メニュー表見たりとかはぁ、ああ、まぁ、うん、そうですね、ここでいい…ね。あぁ。うん。」

 そんなモジモジモードのふうたんに向かって、

 「ええやんええやん、どこも同じや。」

 お義母さんの野太い声が刺さる。

 「ここにしよ、僕もう歩くの疲れた。」

 てっちゃんは、しおれた声。


 なんだか、高そう?な、そうでもなさそう?な、中途半端な店を選んだなあと、ふうたんはあまり乗り気で入った店でなかったけれど、今日はてっちゃんの誕生日。誕生日の主役の人の言う事を聞くべきだから、ここでいいのだぁ。カンパーイ!と祝杯を上げた。



 韓国では、牛よりブタの方をよく食べるそうで、韓牛(はんぎゅう)という韓国の牛肉は、ふうたんの好みでは無かった。パサパサしてて、臭みの無いレバー?そんな感じがした。嫌いではないけれど、好きでもないお肉の種類だった。でも、てっちゃん親子の口にはドンピシャだったみたいで、2人はむしゃむしゃ食べていた。ふうたんは、てっちゃんが食べれない、けれどもふうたんは大好きなカニ。ケジャンという、生のカニの刺身みたいな、足の付け根のところから甲羅の中の味噌を吸って食べれる美味しい新鮮な生のカニを、てっちゃんが、ふうたん用に注文して与えてくれていたので、それと2人の韓牛を頬張る姿をつまみに、チビチビとビールを飲んだ。


 開いたお皿は、サッと片づけられてしまい、もう少し長居したい気分の3人だったけれど、店を出ることにした。夜も更け、良い時間だ。2泊3日の韓国旅行は、あっという間に終わろうとしている。

 ビールも入っていい気分だ。ふうたんは、

 「よいこらしょっと。残りわずかな時間をテレビ(CM)鑑賞に費やして、テレビ画面をスマホのカメラで撮りまくろうかなあ。」

 独り言を漏らしながら、テレビの前に立ちはだかる親子2人が、退く気配を微塵も見せずに仁王の如く立っているのを目にし、

 ―「私の、口に出した心の声は、耳に届かないのね。」

 と、テレビ画面撮影は諦めてベッドに倒れ伏した。


 「なんでテレビ韓国語ばっかやねん、ほら韓国語や、字幕もでえへん。」

 お義母さんの文句に、息子のてっちゃんは、

 「おかん、ここは韓国だからや。」

 「そやかて、字幕くらいでてもいいと違うか?」


 ふうたんは、ツインのベッドルームの窓際に出されたエキストラベッドの上をゴロンゴロンと転がっててっちゃんのベッド脇のサイドテーブルの上から、そっとテレビのリモコンを取り、日本のBSのチャンネルに切り替えた。

 そして、ふうたんは今来た道をゴロンゴロンと転がって戻り、仲良し親子の喧嘩を子守歌にして眠りについた。



   -

 翌日。

 旅行最終日。


 朝が苦手で1日の始まりがスロースターターのふうたんを部屋に残して、てっちゃんたちは、また2人で、出かけて行った。でも、直ぐに戻って来た。ホントにすぐ戻って来た。何しに行ってきたの?というくらいすぐ戻って来た。寝ていたふうたんだったが、ドアのキーが閉まる音、がしたと思ったら、ドアの向こうからお義母さんの声とドアのキーの開く音が聞こえてきたので、新手の盗人か?と驚いて起きた。お義母さんだった。

 「忘れ物ですか?」、

 「いや、違うんや。ちょっと見ただけで、おかあさんにはあわへん物しか売ってへんかったんや。あんな、おかあさんにはあわんけどなあ、ふうたんが行ってきたら楽しいと思うで。ふうたん、寝てへんと行ってき、はよ行ってき。ふうたんくらいの年頃が好きそうなところやで、おかあさんとてっちゃん2人で見つけたんや。」

 ふうたんは、眠い目と重い身体を起こして出かける支度をした。



 3人で行動するときは、日本人の多いお店に入るし、日本語で話しかけられるのに、てっちゃんとふうたんの2人か、ふうたん1人の行動をすると、韓国語で話しかけられるように3日目にしてなった。ふうたんは韓国に溶け込み始めていた。ようやくこれからという時に日本に帰るのかぁ…。ふうたんは若かりし日の自分のバックパッカー時代の事を思い出した。

 「ふうたん。」

 てっちゃんの声に振り向いた。

 「ん?てっちゃん何?」

 「いや、何でもない。」

 ふうたんの表情が遠くに行っていたのであろう。てっちゃんがこちらの世界に連れ戻す為に名前を呼んでくれたのだろう、と、ふうたんは思った。

 

 韓国に溶け込んできたふうたん。韓国語で話しかけられるふうたん。

 だがしかし、ふうたんに韓国語を投げかけても理解できるわけなぞ無く、話しかけた人の前に黙って立つだけだ。韓国語で話しかけてきた人達はカタコト英語で、目の前に立ち尽くすふうたんに話す。

 何度も言うが、ふうたんは一応、帰国子女なので、英語は日常会話程度ならできる。

 でも、英語で、

 「キャン ユー ギブ ミー ア ディスカウント?」

 と言っても、きょとんとされるだけで言い値も言ってもらえない。やはり、初日にエステ店で学んだ、

 「サランヘヨー カッカチュセヨ」(愛しています まけてください)

 を言うのが良いという結論。


 最終日は、

 最終日に限らずだけれど買い物をして回った。

 両手に大荷物を抱えて、ホテルに戻ると、お義母さんがテレビも何もついていない、シーンとした部屋で1人で泣いていた。

 「なんで、おとうさん死んだん?おとうさんなんでここにおらへんのん?」

 お義母さんの胸にぶら下がっているネックレスのフォトペンダントの中に入れたお義父さんの写真を、お義母さんは眺めて泣いていた。お義父さんが亡くなった1周忌が終わったタイミングを待って、お義母さんの何かきっかけになればと誘い出した旅行でもあった。そう思った通りに物事は進むものではないから、致し方ないとふうたんもてっちゃんも、黙って、お義母さんの泣き声を聞いていた。


 ふうたんが、突然、

 「ところで、お義母さん。なんでテレビ見てないんですか?」

 と、飛び上がって聞いた。

 「あんな、リモコン押したらな、幾ら幾ら料金がかかりましたってテロップが出てん。これ以上みたら、なんぼお金とられるかわからへんで、こわなって切ったんや。」

 「…あ、あぁ、そうですかぁ。」

 ふうたんは、お義母さんのむつかしい操作をして機械を壊したり、おかしなことにならせたりする特殊能力について突き詰めて考えてみようとは、…思わなかった。


 お義母さんも誘ったけど、お義母さんは部屋にいると断固と言って聞かなかったので、ふうたんとてっちゃんは、2人でもう一度明洞を味わおうと外に出た。両替したお金を使い切りたかったというのもあったので、ふうたんはお義母さんに、

 「買い物に行きましょう。泣いてても仕方ないから。」

 と言ったのだけれど、お義母さんは、有料チャンネルをつけてしまってテレビを見たらお金がかかると思って怖くて見れなくなってるのに、異国の地で電話も何もないところだというのに、シーンとした部屋の中で1人ぽつんといなければいけないのに、

 …ホテルの部屋で1人になりたがっていた。


 そっとしておいた方がいいね、とてっちゃんとアイコンタクトで話し、2人でホテルを出て明洞の繁華街に舞い戻った。

 ほとんど、韓国語で話しかけられる順応ぶりをみせていたふうたんであったが、日本語で、

 「かばんあるよ 何探してる?」

 等と聞かれるのは変わりない。

 そういう時は全て、

 「イヴ・サンローランの座布団とカン・ホドンの写真」

 と言っていた。



 そうしたら、な、なんと、とうとう、

 「コンビニに行くとカン・ホドンの写真がついてるカップラーメンあるよ。」

 と、ケタケタ笑いながら教えてくれた兄ちゃんと出会えた。


 ふうたんも、てっちゃんも、早歩きでコンビニに行き、店内に入った。

 「カン・ホドンのカップラーメン!」

 と、ふうたんが言った。


 店員さんは、レジ台の向こう側から店内へとやってきて、陳列棚から商品を持ってきて韓国語でふうたんに話しかけながらレジへと誘導した。

 ふうたんも、てっちゃんも、どんなに食べ物が無くなって餓死しそうになっても、カン・ホドンさんの写真がついているカップラーメンの蓋は絶対開けるわけない、くらいのレベルで、ふうたんはそのカップラーメンを大切に手に取った。これは、永久保存物だ。


 商品を持ってきてくれた店員さんが箸を渡してきた。?いらないよ?箸なんて。ふうたんが大切に持っている商品、まあカップラーメンだけれど、それをコンビニ店員がそっと取り上げてビニール袋の中に入れて、ビニール袋の口を、またそっと、ふうたんの手に近付けて握らせようとしていた。お会計をすませて立ち去ろうとしたら、店員さんが箸を渡してきた。

 「いりません。」

 きっぱり日本語で言った。ここは、日本魂。カン・ホドン愛に関しては日本魂を見せておくべきだと、ふうたんは勝手に思い込んで実行していた。

 店員さんは、もう1本箸をつけたして渡してきた。

 「いらないです。」

 と、ふうたんは渡し返した。そうしたら、3本にして渡された。1つのカップラーメンを3人で食べる人が韓国にはいるのかいっ?とツッコミをいれたかったふうたんだったが、

 「いりません。」

 と渡し返した。

 その問答を繰り返していたら、とおぉくの方からこちらを見ていたてっちゃんが、つかつかとレジの前までやってきて立ち、箸を全部つかみとってコンビニから出た。

 ついでに、ふうたんの手に握られたカン・ホドンカップラーメンが入ったビニール袋も奪った


 

 そんなこんなしたせいであろうか。

 ホテルに戻ろうとしたら、思いっきり道に迷っていることに気が付いた。時間がない。ホテルはどこだ。

 お義母さんを、あの状態で1人部屋に残しているのが心配だ。チェックアウトの時間、送迎バスの乗り合い待ち合わせ時間も気になる。

 ふうたんが慌てて、通りすがりの若いお姉さんに、

 「アイム ロスト!キャン ユー ヘルプ ミー?」

 と、道を尋ねた。

 「ゴー ストレート アンド ターン レフト!」

 指を思いっきり右に曲げながら、綺麗な彼女はそう道案内をしてくれた。チェックアウトまであと何分残っているか?行きの空港までの送迎バスでガイドしてくれたガイドさんが、

 「帰りもわたくしがお迎えに来させていただきますので宜しくお願い致します。良い旅を。」

 と、丁寧すぎる立派な日本語で仰ってくださっていたので、行きの飛行機到着時の喫煙で他の人を待たせてしまってご迷惑をかけた分、今度は遅れることは出来ない。

 ―「こりゃ、本格的にまずいぞっ!ここはどこだああ!」

 てっちゃんが、心の中で叫んでいる。

 ―「このまま道に迷ってたら、もう1泊明洞に居れるかな?ありかもぉ。」

 ふうたんは、別の事を心の中で思い、ほくそ笑んでいた。


 とかなんとかいっちゃって、なんだかんだいっても、道に迷って帰れなかった人っているのであろうか?

 奇跡的に戻ってこれた、と、いや、人間道に迷っても結局もどってこれるという仕組みになっているから奇跡ではないのだ。道に迷って戻ってこれるというのは必然だ。当然だ。人生においても同様の事が言えるがその点は今は深く触れないでおくことにする。


 とにかく、

 2人は、ロッテホテルに無事帰り付けた。お義母さんは、

 「あんまり遅いから心配したわ。あんたたち道に迷ったんか?おかあさんなあ、道に絶対迷わへんねんで。目印をどこ行くときでも1つ見つけて決めとくんや。その目印が後ろか前か右か左か、どこにあるかで大体の位置の検討がつくねんで。凄いやろ。お義母さん自分で考えたんやで。聞いてるか?なあ、なあ、てっちゃん、てっちゃん。ふうたん!」

 「お義母さんすいません。ちょっと待ってください。今買ってきたものスーツケースの中に詰めてて、これっ閉まれっ!閉まれっ!おぉおおぉお!おぉ、閉まった。で、何です?お義母さん。」

 ふうたんの声がお義母さんには空しく響く。

 「なんでもない。別にええ。」

 てっちゃんがニヤニヤしていた。ふうたんは、

 「ちょっと、てっちゃん。お義母さん何言ってたの?聞いてたの?私、何か肝心な事聞き逃したりしてない?」

 お義母さんがバスルームに入った時に、ふうたんはてっちゃんの耳元でこそこそとそう聞いた。

 てっちゃんは、

 「いつものおかんの独り言や、大したことない。へへっ、さあっ、さっ!僕がチェックアウトの手続きするから、ふうたんはロビーの送迎バスの待ち合わせ集合場所に向かって。おかん連れてってね。」

 てっちゃんの言葉にふうたんは笑い、

 「お義母さん、送迎バスの集合場所まで行きましょう。旅行はまだ終わっていません。家に着くまでが旅行です。さっ!行きましょ。」

 と言った。


 「ふうたん、あんたええこと言うなあ。おかあさんもそのセリフつこてもええか?友達と旅行に行った時そのセリフ言うてもええか?」

 ふうたんは、大声を上げて笑い出しそうになった。お義母さんのこういう天然ぶりがたまらなく可愛くて、ふうたんは大好きだ。笑いをこらえて、

 「どうぞ、どうぞ。好きなだけ使ってください。」

 と言った。


 「そんな言われ方されると、なんか使うのいややな。まあいいわ。」

 お義母さんがすねた。こういう所も可愛い。

 ウルフルズの歌に、『可愛い人』というトータス松本が自身の母親の事を歌った曲があるが、あんな感じかな?ふうたんの実のお母さんとは、全く正反対のタイプの人だ。

 てっちゃんが、チェックアウトを済ませてこちらに向かって歩いてきている。

 「お義母さんが見た有料チャンネルの料金いくらだった?」

 ふうたんは、お義母さんの周りに3人のスーツケースを置いて誘拐されないようにガードして、サッとその場を離れ、てっちゃんに聞きに行った。

 「17400ウォン。」

 てっちゃんがそう答えたので、

 「お義母さんに聞かれたら、1740ウォンって言うんだよ。」

 とふうたんはてっちゃんに言った。はあ、とてっちゃんは聞いていたのか聞いていなかったのか疲れ切った生返事をしてお義母さんの元にある3つのスーツケースの方へ歩いて行った。

 さっき言ったばかりなのに、

 「ほぇ?17400ウォン。」

 てっちゃんは、お義母さんに有料チャンネルの料金を正確に言ってしまった。まあ、日本円にしたら1500円程度の金額だけれど。旅は怖い、気が大きくなる。大金をポンと叩いて使ってしまったりする。金銭感覚が、単位や桁が違うからくるってしまうから厄介だ。

 お義母さんにとっては、それとは逆のダメージを受けた。大金使ってないのに大金使ってしまった様な気になる、1500円と17400ウォンの桁の違い。案の定、お義母さんは凹んでいる。

 「てっちゃん、ごめん。ごめんよ。おかあさんヒョイっと触ってしもたんや。ちょっと触ったらチャンネルが変わって文字が出たんや。文字が出て怖なって、お金がかかったらいかん思てそこからは一切テレビみとらへんでな。ごめんよ、ごめん、てっちゃん。」


 また、仲良し親子話しが始まったようだ。ふうたんは、自分の世界に入った。


 ―「今回の2泊3日の韓国ソウル旅行は、如何なものだったであろうか。あんまり方々回らずに、ひとところをグルグル徘徊していただけだったな。3人揃っての行動も少なかったけれど、2泊3日の海外旅行。海外旅行という響きは聞こえが良い。うん、良い。」

 心の中で2泊3日を振り返った。

 時の経過と言うのは早い様で遅い様で、そして早いものだ。ついさっき出発したばかりのはずなのに、もう帰途に着いている。今、3人は仁川空港に向かう送迎バスの中で座席にシートベルトをして座っているのだ。

 行きの送迎バスに乗り合わせたメンツとは、少し違うメンツがこの送迎バスには乗っているな?とふうたんは感づいたけれど、あんなに賑やかだった行きの送迎バスとは打って変わった静けさに包まれた送迎バスの中で1人一生懸命話し続けるガイドさんの姿に心を打たれた。彼女は、なんて大変な仕事をしているんだろうと、笑顔を絶やさずに丁寧に丁寧に接客して、素晴らしい職人、とふうたんは思った。

 そんなこんなガイドさんの事をポーっと見ながら思っているうちに、仁川空港に着き、手際よくガイドさんが皆のパスポートを預かり、自動発券機を操作して何かのチケットを出して、パスポートと一緒に皆に戻して渡し、配られたそれを手に、各自出国手続きをしに韓国の地から離れようとしていた。


 遅い、

 遅い。

 まだ?

 遅いねぇ・・・。

 「ちょっと、てっちゃん、遅くない?」

 飛行機の出発予定時刻を、ふうたんはうろ覚えだけれど夕方頃だったはずだと記憶している。ホテルを出発したのは昼の2時半頃だった。今、腕時計は18時半を指している。飛行機の搭乗開始を知らせるアナウンスもない。何だ?何で遅れているんだ。

 外を見ると、雪が降っていた。3月の終わり。この時期でも、韓国ソウルでは雪がふるのかぁ…。


 最後の最後に、異国情緒を感じた、ふうたん、てっちゃん、そして、ようやくふうたんが渡したお小遣いを使ってキシリトールガムを3つ買ってクチャクチャとガムを噛んでいるお義母さんがいた。


 旅はまだ終わっていない。

 家について、

 「ただいま」

 を言うまでが旅だ。





 「なあ、ふうたん、ガム食べるか?美味しいで。」

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