第7話

 ただっ広い平原を縦断する街道を少し脇に逸れた所で、俺は木剣を構えながらぜえぜえと息を切らしていた。眼前には凶悪な顔を更に愉悦に歪ませた、まさに殺人鬼と言うべき恐ろしい男が同じように木剣を構えている。

 木剣は見た目以上に重量感があって片手で扱うには俺の身には余るのだが、目の前の殺人鬼はそれを片手で、まるでペン回しをするかのように軽々と扱っている。

 聞いた話によると俺と同い年らしいが、俄かには信じられない。


「おいっ!また失礼な事考えてんだろ!」

「ひぇっ…」


 どうもこのローディという男は思ったより他人の感情の機微には鋭いらしい。まぁ事実なのでなんとも言い返せないのだがそれはそれ、怒鳴られると体が竦むので本当にやめて頂きたい。



 俺がマクレイン一座に入ってから三日ほど。出会った街を後にして、一座は次の街へと向けて街道を南下していた。

 俺たちは二頭の馬に馬車を引かせているが、男女六人を乗せているためあまり無理は出来ない。よって、通常二日で済む行程を三日かけて進む予定だ。中間よりやや手前に宿酒場があるが、その後は次の街まで何もないため野宿となるらしい。


 周辺は見渡しの良い平原の遠くの方に所々森があり、その更に向こうにはとんでもなく大きな山々が微かに見えた。現代日本の人混みとコンクリートジャングルで過ごしてきた俺には、その景色を眺めながら一日くらいキャンプも悪くない…と思っていたのだが。


 異世界転移初日の事を思い出してほしい。そう、この世界には魔獣なるものが存在するのである。聞いたところによると、稀に『魔力瘴気』なるものが発生する事があり、これを浴びるとどんな生物も狂暴化してしまうらしい。このようにして生まれた存在をこの世界では魔獣と呼ぶのだ。

 つまり、元々スラ〇ムみたいな種がいる訳ではなく、瘴気を浴びた動物が後天的に魔獣となってしまうという事らしい。

 その話を聞いた日は夜中々寝付けない程恐怖したものだが、後で聞いた話によると瘴気は深い森や山々など深い自然の中で発生する事がほとんどらしい。その上、狂暴化した動物は無理矢理身体を強化され、その影響で数時間から数日で死に至ってしまうため、例え人里の近くで発生したとしても大規模な被害は出ないという事だった。


 正直そんな話を聞いても焼け石に水だ。怖いものは怖い。そんな俺に「ならば」とマクレイン座長が提案したのが、今進行中の剣の稽古である。怖いのは己に自信がないから、強くなれば自然と自信もつくとのありがたい言葉を頂戴した。魔獣も怖いけどこの人たちとの感覚の違いがもっと怖い。

 ぶっちゃけ余計な事言わないで欲しいと思ったが、行くあてのない所を拾って貰った手前ノーとも言えない。


 …などと昨日までの後悔を思い出しながら、初日の稽古は何とか終えた。めちゃくちゃしんどい。俺がたまらずその場に座り込むと、まずは実力を見るという事で相手をしていたローディが溜息を吐くのが見えた。ご期待に沿えず誠に申し訳ない。


「まぁしばらくは平地が続くしそれ程危険な事もないだろう。ゆっくり鍛えて自信を付けていけばいい」


 座長はそう慰めてくれたが、俺としては皆の前で早速頼りない所を披露してしまい結構凹んでいた。だが、一々落ち込んでもいられない事情もある。

 というのも今後剣の稽古以外に読み書きの練習、御者台に座るため馬を操る練習など、覚えなくてはいけない事が山ほどあるのだ。


 アンジュが何か言いたそうな顔でこちらを見ていたが、今同情されてもきっと余計に空しいだけだぢ、それに甘えてしまうのもどうかと思う。俺は言葉をかけられる前に立ち上がり、出発の準備を始めた男性陣を手伝う事にした。



 その日の夕方には最初の目的である宿場町に到着した。厩舎に馬を入れると、俺たちはその日の宿を確保するために町を歩いていた。まぁ町と言っても一時間もあれば一周できるような小さなものだ。宿を探すのにそれほど時間はかからなかった。

 そうして宿泊するところを決めて建物に入ろうとした時、背後から子供の声に呼び止められた。


「あー!この前の音楽の人たちだ!」


 振り向くと小学校低学年くらいの女の子がぱたぱたとこちらに駆けてきて、俺たち(特にアンジュ)をキラキラした目で見上げた。


「ねぇねぇ、今日もえんそうするの!?いつから?わたし絶対に見にいくからっ!」


 言いながらアンジュの手を掴みグイグイと引っ張っている。慌てて親御さんが走ってきて謝るが、アンジュは苦笑しながらも嬉しそうにしゃがみこんで幼女の相手をしている。

 自分以上に真っすぐな感情をぶつけてくる幼女に喜びつつ、だが少し申し訳なさそうな顔をして隣にいる座長を見上げた。そう、今日は泊まるだけで興行の予定はないので、幼女の期待には応えられない。

 だが最初からそんな事はなかったかのように、座長もまたしゃがみこんで幼女の頭に手をポンと置いた。


「夕食の後すぐにそこの広場でするから、お父さん、お母さんと一緒においで」


 鶴の一声で急きょ公演が決まってしまったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る