道玄坂には魔女がいる~霜鳥晶の事件簿~

北川由貴

第1話「道玄坂の魔女」

Chapter A-0


私、魔女なんです。

は?

私は『道玄坂の魔女』って言われています。

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わたし、霜鳥晶しもとりあきらは一般的な『女子高生』の尺度でみたら、ケッコウ不幸な人の分類になると思う。


「もぉぉぉぉっ、いったい私が何をしたのぉっ!!」


人目も憚らない大声で喚きながら道玄坂交差点を曲がって路地に入る。


「しーつーこーいー!」


私の両親は一年前、暴走車の多重玉突き事故で不条理に他界しているし、残してくれた財産は身元引受人になってくれた伯父のソーシャルゲームの石になってほとんど消えた。

極めつけは他人の家まで借金の抵当に出すとか頭おかしいでしょ。ローン途中だったけれど住み心地が良かった渋谷の一軒家を返せ。

目的のウルトラレアが全然出なかったとか警察の調書中に逆ギレしたらしいけれど、知るわけないでしょ!

残ったのは、取りあえず在学を継続できるだけの預金、引っ越しできるだけの現金、特徴も特技もあまり無い、友人曰く「ポジティブなのが取り柄」という「私」。


「はぁっ、はぁっ……もう、やばい……」


不幸は現在進行形。

スクランブル交差点で一瞬、本当にコンマ数秒目があっただけで、イカにも系な金属バットを持った二人組に追いかけまわされている状況が最たるもの。


「ちょっと、ちょっとまってくださぁぁぁぁい、目が合ったという事で怒っているのなら謝りますから、ごめんなさぁぁぁぁい!!」


ラブホテルが建ち並ぶ裏通りを走り抜けながら、できるだけ大きな声で叫んでみたけれど無反応。

声を聞いた人が通報とかしてくれるんじゃないかなーと思ったけれど……無理だよね。

チラリと後ろを見る。

金のネックレスをじゃらじゃら鳴らし、金属バットを振り回しながら三日間ぐらい餌を与えられていなかった犬が肉の塊を見たような表情をして追いかけてくる。


「もう、脚が……」


中学時代に陸上をしていたけれど二年のブランクと夜遅くまでのバイト後という事もあって、膝がガクガクしてきた。

無駄かもしれないけれど、話し合って解決をしようと思った矢先、私の選択肢はそれしかなくなった。


「は、ははは……そういえば最初はお二人でしたね」


脇道のない細い地の先には、もう一人の金属バットを持った……名前がわからないので仮に金属バットBがいた。

振り返ると、カラカラと金属を引きずる嫌な音を立てて金属バットAが近づく。


「ええとですね、落ち着いて話し合いましょう、目があった事を怒ってらっしゃるのであれば謝り……」


ガキィィィィンッ!


金属バットAが電柱を殴った乾いた金属音が暗い路地に響く。


「ひぃっ!!」


人の話は最後までちゃんと聞きましょうってお母さんや学院の先生に言われませんでしたか?

そんな所を殴ったら手が痺れて大変ですよ?

器物破損って知ってます?

そもそも私みたいな貧乏学生にお金を求めたって、いまは漱石さん数枚しかありませんよ?

もしかしてっ……ええと、こんな事を言いたくありませんが、私はあまり発育が良くないので……あのぉ、もしかしてそういう娘がお好みだったりしますか?

ああ、もぉ……


「誰かたすけてぇぇぇっ!!」


生まれて初めて心から大きな声で叫ぶ。恥も外聞も、そんなもの現在の危機に比べたら屁でもない。

明日のニュースサイトに「渋谷で全裸の女子高生変死体が発見される」なんて載りたくない。


-誰か……


しかし悲痛な叫びは渋谷と思えない程、静かな空に響くだけ。

そもそも、これだけの逃走劇なのに周囲が全く気にしていない、それどころか殆ど人とすれ違わなかった。

お母さんは「人の為に自分のできる事をしなさい」とよく言っていたけれど、実践できなかったし、今も私を助けてくれる人なんていなかった。

前後の両名が無言のまま、ゆっくりと近づきながら金属バットを振り上げる。


-誰か、誰か助けて……


「やぁ、救済をお求めかな?」


反射的に頭を抱えた時、この絶望的な状況からは不釣り合いすぎる澄んだ声が裏路地に響く。


「は……」


恐る恐る顔を上げると、分厚い本を抱えた銀髪の女の子が私の横に立っていた。


「は……はい?」

「三千円でこの状況を打破してみせるけれど、どうする?」


三千円? 銀髪綺麗……顔ちっちゃいし可愛いというか綺麗。

外人さんかな? 打破してみせるって、難しい日本語を使うんだね。

じゃなくて……この状況を見て自分も危ないって思わないの?

どうして金属バット二人は固まってるの!?


「え、えと……」

「救済はお望みではない? これは失礼……では涅槃へどうぞ」


ねはん? ねはんって何!?

そんな場違いな事を考えていると女の子は全くの部外者ですからお構いなく、という顔でさらりとした銀髪を靡かせ、すたすたと歩き始める。

色々な考えがぐちゃぐちゃになって、どうすればいいのか判らなくなった時、最近耳にするようになった都市伝説が脳裏に浮かんだ。


-真夜中の渋谷で銀髪の女の子を見たら死の呪いを受ける。

-道玄坂には……がいる。


「魔……女……」


前後にいる両者の金属バットが再び振り下ろされんとした瞬間、私は叫んだ!


「わかった、払う、払うから助けて!!」

「承知」


銀髪さんが言葉を言い終わる前に振り向きざまに分厚い本が開かれた瞬間、閉じかけた視界の先で振り下ろされた金属バットが止まった。

色が消えた世界で、私は意識と半分の視界だけが機能している。

そんな中、動画の早送りをみているように銀髪さんが持ってた本から光の柱が昇って中から「何か」が現れるのを見た。


「ひぃっ!!」


走馬灯というのだろうか。一瞬止まった世界を体験した直後、振り下ろされたバットに恐怖して頭を抱える。


「……」


身体を固くしていつ来るやも知れぬ瞬間に怯える。

やけに大きく響く心臓の鼓動を100回ぐらいは聞いたと思ったけれど、衝撃も、音も、痛みもない。


-ぱしゃ、ぱしゃぱしゃ……


暖かいような、冷たいような「モノ」が頭を抱えた手に当たる。


「あめ? あれ、どうなっ……」


恐る恐る目を開けると、私の前後にいた金属バット両名は腰から上がなく、残った下半身から大量の血柱を立てていた。


「ひやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


目の前の光景があまりにも予想外過ぎて声が裏返ってしまった。


「ひぃっっ、ひとひとがっ、人が死んでっ、しんでるっ!!」


降り注ぐ血の雨が髪に、頬に、制服にぱたぱたと付着して、辺り一面が錆びた鉄と生臭い匂いに包まれる。

力の抜けた腕で後ずさりしようとした時、アスファルトに広がった血溜まりで滑って転びそうになった。


「大丈夫?」

「ふひぃっ……」


あまりにも非現実的な光景なのに、冷静で透き通った声が私の意識を現実に引き戻す。

乾いた地面に手をつき、一挙動で立ち上がって銀髪さんを掴もうとした瞬間、違和感を感じた。


「あ、あれ……?」


頬を、制服を、髪を触って、回りを見て、地面を見て、再び頬をぺたぺたと触ってみる。

あれだけ身体に降りかかった血も、地面の血溜まりもない。

それどころか、盛大な血の噴水を上げていた下半身すら見当たらない。


「どうかしましました?」

「え、えぇと……さっき、死体の下半身が血の柱をどばーっと上げて、雨が降って……あれぇぇぇ!?」


全力疾走の為に汗ばんだ髪や肌に張り付いた制服、逃げる際に何処かで引っかけた為に擦れた腕と少し汚れた袖は、さっきまでの逃走劇が夢や幻でない事を物語っている。


「あまり深く考えない方がいいよ……それではお願いします」


銀髪さんは古い、分厚い本を私に差し出す。


「え? えぇと、はい」


本を受け取ろうとしたら、銀髪さんはひょいと持ち上げて、私の手の上にまた分厚い本を置く。


「違います、三千円をください」

「あ、ああぁぁ……ええと、はい」


財布の中にあった夏目漱石全部を抜き取り、差し出された本の上に置く。


「毎度ありがとうございます。やったぁ、やっとご飯が食べられる」


彼女は三千円を本に挟むと、抱きかかえて嬉しそうに笑う。


「あの……」

「それではお気を付けてお帰りください、失礼します」


銀髪さんは丁寧にぺこりと頭を下げ、スキップするような軽い足取りでいってしまった。

その瞬間、いつからそこにいたのか? いつからそうなっていたのか? 渋谷の喧噪が耳に入ってきて、思わず辺りを見回す。


「えっ!?」


そこは滅多に通らないけれども知っていた小径で、今はまばらだけれど昼間ともなれば人通りがそれなりにある場所だった。

さっき金属バットに追いかけ回されていた時は人とすれ違わなかったし、通りに誰もいなかったし、本当に誰もいないんじゃないかと思う程静かだったはず。


「なに? 訳がわからない……」


ふっと気になって父親の形見であるG-SHOCKを見ると時間は1時をまわっている。

元々バイトを終電ギリギリ、クローズまでやっているのだけれど、追いかけられている間に新宿行きの最終電車は行ってしまった。


「うわぁた……」


頑張れば歩いて帰る事は可できるけれど遠い、何より……


「ねぇねぇそのコ、汗まみれだけれどダイジョウブー? ナニしちゃったりしたの~?」

「俺らいいトコロ知ってるからさー、そこでシャワーとかしてさぁ」

「バーカ、おめぇストレートすぎんだよ」

「すみませんっ、急いでいますからっ!!」


背後で何か言われていたけれど、振り返らずに全力で走った。

突然訪れた異常な事態がまた起こるかしれない。

普段何気なく歩いていた小径や無関係だと思っていた人々、今は渋谷という街が怖い。


「すみませんっ!! あのっ!!」


さっきの銀髪さんの後ろ姿が見えたので大声で叫んでしまった。

道行く人が一斉に私の方を向いたので、大きな手振りで違います、あなた方ではありませんとわたわたしする。

私の声を全く気にせず、すたすた歩く銀髪さんの前に立ちはだかる格好で、行く手を遮った。


「あなたはさっきの」

「はぁっ、はぁっ、ちょっ……ちょっと……いいですかっ……」


汗まみれの女子高生が、お人形のような銀髪少女を通せんぼしている様子が珍しいのか、通行人が脚を止めて私達を見ている……いや、私ではなく銀髪さんを見ている。

銀髪さんは辺りを見回したあと、ん~っと一瞬考えるポーズをしてちょいちょいと私を手招きする。


「私についてきてもらっていいかな」

「へぁ? はい」


彼女のあとをついて行くと、道ばたの道路標識をぺしっと叩いて、鉄柱と壁の狭い隙間を通る。

一体なんだろう? というように私も通行人も銀髪さんの奇行を見ていたのに、興味を失ったのかギャラリーがいなくなっていた。


「これでよしと……それで何のご用かな? 貴女はもう、私に用事はないとおもうけれど」

「え、ええと……その、実は終電終わってて」


銀髪さんはロングスカートから懐中時計を出して時間を見ている。


「そうだね」

「それで、帰れなくなっちゃって……漫喫もファミレスもマックもお金がないから入れなくて……怖くて……始発まで一緒にいちゃ、駄目ですか?」

「成る程、そうでしたか……では私のお願いを聞いてくれるかな」

「はぁ、私にできる事なら」

「そこの通りを出た右手に牛丼屋さんがあるので、牛丼特盛りを買ってきてください」

「は?」

「だから、持ち帰りで、牛丼、特盛り、買ってきて」


私の言っている事わかりますか? というように、区切って言う。

銀髪さんから千円を預かり、オレンジの看板を掲げる24時間営業の牛丼店で特盛り牛丼(希望により七味唐辛子を多め)を買って店を出る。


「一体、今日はなんなの……」

「もしもーし」


かくっと肩を落としていると、通りの角から彼女が顔を出してちょいちょいと手招きしている。

のそりと歩いて彼女の元へ行くと、大事そうに抱えている本を差し出す。買ってきた牛丼をここにおけ、という事だと思って袋ごと載せた。


「ありがとうございます、う~ん、いい香り……」

「えぇぇ……」


テレビに出るのなら間違い無くシャンプーかトリートメントのCMが似合うと思うサラサラで綺麗な銀髪に、日本人離れした顔立ちに小さな頭とビー玉のような青い目。

身長は私より低くてゆったりした服からでも判るボリュームを感じさせる胸元と、きゅっと絞られた腰つき。

服装はちょっと今の流行から離れているけれどガーリー系といわれてみたらそんな雰囲気をもする。

シンプルなブラウスとカーディガンに厚手のロングスカート、複雑な模様の入ったショールは流行に関係なく彼女に似合っている。

腰には懐中時計の銀鎖を下げ、手には年代物の分厚い洋書。靴も革製っぽい編み上げのブーツ。


「こんな美少女が牛丼……」

「誉めて頂いて光栄です。牛丼、美味しいじゃない」

「そりゃぁ、そうだけど」

「では、冷めないうちに行きましょう」

「カウンターで食べればいいのに」

「こちらにも事情があってね」


銀髪さんは、裏通りに入ってマークシティから道玄坂方面に浮かれ気味な足取りで歩いて行く。


「あの、聞いてもいいですか?」

「駄目」

「……」

「あまり踏み込むと、ロクな事にならないよ?」

「だって……」


銀髪さんはくるりと振り向いて、私に向き合う。


「あなたは家に帰ったらゆっくり休んで、いつも通りに目が覚めて、ちょっと変な夢を見ちゃったなぁって気分で、普段通りの日常を送ればいい」

「ちょっとって……あの光の柱の騎士がちょっと!?」


私は見た……銀髪さんが本を開いた瞬間に光の柱が空に向かって伸び、その中から白銀の甲冑に身を包んだ騎士が現れたことを。

そして止まった世界で剣を抜き、金属バット両名の胴体を切断したことを……あれ?


「ふぅん、見てたんだ……お名前、お窺いしてもいいかな?」

霜鳥晶しもとり あきらです」


銀髪さんがじぃぃっと私を見つめて首を傾げる。


「ふむ……霜鳥さん。ここではなんですので、私の家に行って話をしましょうか」

「なっ……まさか、殺……」

「しないしない……殺人なんかしたら警察に捕まってしまう」

「えぇ……」


非常識の塊のような存在は、至極あたりまえな常識を語っている。


「折角の牛丼が冷めてしまいますから、さっさと行きますよ」


道玄坂交差点の歩道信号が点滅して、銀髪さんが走り出す。


「ちょっ、ええと……今更だけれど、あなたは……」


角にあるコンビニ、オレンジの看板の24時間営業の定食屋にも人の気配は無く、終電を逃した客目当てのタクシーもいない「渋谷らしくない」景色の中、歩道の真ん中で銀髪さんが振り向く。


「私、魔女なんです」

「は?」

「私は『道玄坂の魔女』って言われています」

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