第24話 国家が企業に負けた日

1.我々はテクノロジーの中に生きている。ここ数十年で電子は社会を席捲し瞬く間に多くの人間の生活に取り込まれ一部となった。いまさらこれを改善して古き社会に回帰しろと言われても誰も賛同しないことだろう。それほどまでにテクノロジーは新たな文明を構成し人間社会に大きな変化を現在進行形で与えている。


2.話は変わるようだが2019年10月1日は消費税が10%へと増税される日だ。軽減税率などを用いていろいろ言っているがわかりづらく国民の消費が滞ることは明白で再び経済が低迷の道を歩んでいくと思うと先の人生や国家の命運を憂う声が各地から聞こえてくる気がする。世界的に見ても今ではないというタイミングでの増税、どれだけ雄弁に必要性を説いても私には納得のできない事象だ。


3.さてまた少し話を変えるが2016年に「パナマ文書」が世界を騒がせた。タックスヘイブンと言う言葉もメディアで多く聞かれた。翌年には「パラダイス文書」が金持ちがより金持ちになっている原因たる租税回避という手法が公開され記者が暗殺されるということにも繋がった。


 上記の3つは非常に連関している。「#法人税ゼロ」この言葉が今日のテーマである「国家が企業に負けた」を証明している。企業はついに国家を忖度させるに至ったのだ。国家はもはや部分的に形骸化している。国力は経済による。しかし、日本経済は順調に衰退している。しかし一部企業や富裕層は確実に利益を得ている。全体が衰退し部分的に成長している。産業革命が起きた直後もこのようにして格差が生まれ、その格差は狭まることなく開き続けた。そしてある男がこれに警鐘を鳴らすに至ったのだ。それこそカール・マルクスであり「資本論」だ。他にも社会が貧困にあえいだ1929年の「大恐慌」。この時に国家はその影響範囲を広げ国家の安定のため資本の再分配を行い社会全体の経済的格差を解消しようとした。この段階で資本主義の生む格差という必然は証明されている。またこの時、政府は企業よりも強かった。いや、もしかすると世界恐慌のあった1929年の段階でこの兆候はあったのかもしれない。よく陰謀論で出てくるディープステートであったり、ユダヤ人やビック・ファミリーなども富裕層で社会に対して高い影響力を持っているという部分がそう言われる背景でもある。

 私の最近の疑問点の中の一つに米中新冷戦があった。もはや戦いが武力によるものではなく経済によるものだと言うのは誰の目にも明らかだと思う。ただ、私は果たして現在、アメリカが覇権を持っているのかという点で疑問を感じている。では、アメリカでなければ誰が覇権を持っているのか。そこで出てくるのがテクノロジーだ。

 「GAFA」最近ではここにNetflixも入れることもあると言うがこれだ。彼らが覇権を持っているのではないか。私は最近そう考えている。彼らが持っているから結果的にアメリカが覇権を持っていると言えるのだ。彼らは果たして税金を正しく払っているか。これが世界的に問題になっているのは調べればすぐに出てくる。彼らからすれば別に違法だというわけではないのだろう。節税という合法的な手段を使って税金を納めてないのだ。故に彼らは逮捕されない。もっと言えば逮捕するわけにもいかないだろう。彼らのおかげで覇権を維持できているならそれをうっかり崩して覇権を譲るというわけにもいかないからだ。

 なぜテクノロジー会社が覇権を握っていると言えるか。私が考える覇権というものを獲得している条件は「軍事力」「経済力」「影響力」の3つだ。彼らは軍事力は持ってない。しかし国家が彼らの軍事力になってくれるなら彼らは現在最強の軍事力を保持していると言える。次に経済力だがこれは言わなくてもすごいものだ。彼らのCEOは世界長者番付でみないことがないだろう。最後に影響力だがこれも言う必要がないほどに持っている。私はGoogleを使うしFacebookもやっている、今の携帯はiphoneだし、amazonもよく利用する。私は生活を「GAFA」に握られているといっても過言ではない。彼らはもはや小国家だ。自分たちで生きていけるほどの力を持っている。現在の米中新冷戦において国家同士がやり合っているように見えるがあれは代理戦争と言ってもいい。構図はそう見えるが本質はそれだけじゃない。次のテクノロジーの最先端を行くのはどっちかという戦いだ。私からすると中国政府と組んだ「BATH」とアメリカの力を利用する「GAFA」に見える。彼らが常備軍を創設し独立すれば彼らは何の配慮も必要なく生きていける。しかし、まだ国家という枠に収まっている方が楽なのだろう。だがいずれ税金という社の利潤を簒奪する行為に反対し立ち上がる日が来るかもしれない。その時、真の意味で企業は国家を超えたことになる。企業はもはや国家の顔だ。企業に忖度をすることで国家は面子を保っている。どの国家という用心棒を雇おうかという精神で彼らが動いているなら用心棒たる国家は喜んで法人税を下げ優遇しますと媚び諂い彼らを誘致し我が物顔で生きることだろう。

 しかし、そのつけは誰が支払うのか。それが国民だ。間接税はどんどん導入されるかもしれない。社会の格差はまた開いていくのかもしれない。この兆候は早くも世界中で少しずつ産声を上げている。2020年のアメリカ大統領選に立候補している民主党大統領候補に社会主義系が多いのもこれに起因する。これまで自称「社会民主主義者」だったバーニー・サンダース氏の支持率で抜くエリザベス・ウォーレン氏の登場など。

 今、世界は転換期にあるだろうと私は思うが、どうにも危険な感じが否めない。

しかし、この危険はそのまま恐怖へと変換しない方がいいものだ。間違いなく人々に何らかの変化を与えるものであるだろうし、興味をそそるものであり、興奮を与えるものだ。

 「陸の覇者・モンゴル」「海の覇者・イギリス」「空の覇者・アメリカ」そして「電子の覇者・GAFA」。まだ断言するには早い段階かもしれないがだがいつか来る。リバタリアニズムが徐々に浸透していき、パトリ・フリードマン氏が計画する「シーステッドプラン」が実現した時、そこには無数の企業を母体とした商業小国家が乱立し一定の勢力を振るうかもしれない。その時、「国家」や「主権」など様々な概念が変化することだろう。民衆もまた変化する。再びマルクスの時代がやってくるかもしれない。新自由主義から新ケインズ主義へ。そしてそこにネオ・マルクス主義が参入するかもしれない。アントニオ・ネグリ氏とマイケル・ハート氏の書いた「帝国」に共鳴し動く人々がいるかもしれない。全てが仮設だがこの仮説を私は強く問いたい。マルクスは唯物史観を唱え最終的には社会主義社会になるというが私はもしそのように歴史や文明が進むなら結局生物の本能たる弱肉強食の世界になるのではないかと思う。文明は進めど倫理は退行するかもしれない。その歯止めとしてのベーシックインカム。なぜなら私は資本主義の一部としての社会主義は実現できるのではないかと考えているからだ。

 仮説は立てだすとキリがない。ついつい楽しくなってしまう。全て仮定の話だ。現実のものとなるかはわからない。ただ、「国家が企業に負けた」そしてこの敗北は今後、その範囲を広げていくのかもしれない。無関心では済まされない時代がやってくるのかもしれない。これは私の中では予定されているように思える。

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