第4話
「お姉さま、夜会に参りましょう。そして素敵な殿方を捕まえましょう。折りしも今度の夜会は王女様がお輿入れの前にご出席なさる最後の夜会です。お姉さまもご挨拶されたいでしょう?」
姉が騎士団に入っている間、妹はいつしか社交界の華となっていた。
腑抜けになっても「王女」という名には反応するグロリアは、妹に操られるままに不慣れなドレスを身にまとい、ついに夜会の場へと馳せ参じるのだった。心はまだ王女の騎士のまま。
しかし、華やかな社交界の場はあまりに彼女にとって眩しすぎた。
騎士団の旗を持たぬグロリアにとって、ここでの彼女は頼りない存在だった。ヒソヒソと囁き笑う声が、一体何を指しているのか知っていながらも、「気になさらずに」という強気な妹に引きずられ、グロリアはついに一番奥まで歩を進める。 そこには、誰よりも輝いている王女が立っていた。
横に背の高い殿方をはべらせ談笑していた王女は、グロリアを見るなり目を輝かせた。
「まあグロリア、よく来てくれたわね。こういうところにお前は来たがらないから、もう会えないのかと思ったわ。嬉しくてよ」
最後の一言で、グロリアは不慣れなことをして本当によかったと思った。
「ご挨拶を」と、騎士の形でひざまずこうとする彼女を、「今日は淑女なのだから」と王女が押し留めようとする。
「私はこの挨拶しか知らぬのです」と、グロリアは頑なに王女にその挨拶を乞うた。勿論それは嘘だったが、苦い笑みを浮かべながらも王女は、わざわざ手袋をはずして手を差し出した。騎士団の頃からグロリアは、王女に直接触れる栄誉を賜っている。騎士団がなくなっても、それに何の変わりもないのだと伝わってきて、彼女は胸が熱くなった。
剣ダコのある愛おしい手を見つめながら、グロリアは己の額に近づける。あと何度、この挨拶が許されるだろうかと彼女が感傷にひたりかけた時、隣から同じく手袋の外した手が差し出された。
王女と談笑出来る身分の男である。さぞや高い地位に違いない。そんな人に挨拶もせず素通り出来るはずがなかった。
さっき、騎士の挨拶しか知らぬと嘘を言った手前、他の人にも同じ挨拶をしなければ体裁が取れない。やむを得ず、グロリアはその男性の手を取った。
その瞬間── ぞわっと、何か言葉に出来ないしびれが彼女の身体を走った。
そんなはずはないと、グロリアは己の目を疑った。だが、彼女が「それ」を見間違えるはずがなかった。
いま彼女が掲げ持っている手の、その大きさ形、傷は、毎日のように彼女が見てきたものだったのだ。
グロリアは、挨拶を最後まで出来ないままおそるおそる顔を上げた。
「やあ、ゴリ子」
それは、低い男性の声だった。彼女に面と向かってその呼び方をする青年は、さっぱりとした短い金の髪をしていた。 動けないグロリアに、男は声を出さず唇だけを動かして見せた。
それは──金の公女がいつも彼女に見せる動きとまったく同じだった。
「公女……さま?」
呆然としたまま、グロリアはそう呼びかけていた。襟元まで詰まった騎士服ではなく、髪も長くはなく、声も男のものではあるが、この手は、この手だけは間違いなくこれまでグロリアと共に戦った金の公女の手だった。
グロリアの魂の抜けた呼びかけに、銀の王女がぷっと笑う。
「お姉さま、何をおっしゃっているの。公子様に失礼でしょう?」
慌てたのはグロリアの妹だ。焦って姉をその場から引き剥がす。力がないはずの妹に簡単に引きずられながら、彼女は二人を振り返っていた。
銀の王女と、金の──公子とやらを。
金の公子とやらの唇が、騎士団の解散時と同じ形を作った。
”ま・た・ね”
少しずつ離れながら、グロリアはその光景を必死に過去と重ねていた。
背の高い銀の王女。それより更に背の高い金の公女。グロリアはずっとそれが当たり前だと思っていた。三人とも大柄なだけなのだと。
手もそうだ。力もそうだ。鍛錬の結果だとグロリアは信じて疑っていなかった。自分の手も大きく傷だらけで、そして力も強かったので公女もそうだと信じていた。
いつから公女は声が出なくなったか。出会った時の公女は十一歳。鈴を転がすような高い声だった。
二年ほどして病に伏せってから公女は王女に耳打ちする以外、一切しゃべることはなくなった。
グロリアの兄たちがそうだったように。世間の少年らが大人になる通過儀礼のひとつとして通る「声変わり」──公女が声が出せなくなった時期は、それと完全に一致していた。
何故そんな偽りの姿をせねばならなかったのか。それはグロリアには分からない。
もはや夜会どころではなかった。騎士団の解散と同じほど衝撃を受けたグロリアは、壁にもたれてすっかり魂が抜けてしまった。
妹はグロリアのために気つけになる飲み物をもらってくると離れて行ったが、途中で誰かに捕まってしまい身動きが取れないようだ。そんな遠い光景をぼんやりと見ていたグロリアは、自分に向かって歩いてくる存在にすぐには気づけなかった。
金の公子だった。
「一曲どう?」
何度聞いても低い声。顔立ちや表情に公女の面影はあるものの、どうにも慣れることが出来ずにグロリアは目を伏せて「踊れませんから」と答えた。
「知ってるよ」と、それでも強引にあの手がグロリアの手を取る。
「あの公女……公子……様」
フロアに引っ張られながら、グロリアは彼を何と呼ぶかもあやふやなまま声をかけた。ざわめく周囲の声が耳に入る状態ではなく、ただ存在そのものもあやふやに感じられる男を見る。
「聞きたいことは踊りながら教えるよ……ダンスも、ね」
運動神経のいいグロリアだが、ダンスの練習はしてこなかった。そのため、最初の何度かは彼の足をぎゅむと踏みつけることになった。「やるな」と笑ってそれでも公子は彼女の手を離さなかった。
「僕は愛人の子でね」
足を動かすのに頭を使っていたグロリアに、彼はそう切り出した。
「本妻にはその時、娘しかいなかった。母は僕が生まれた時に女だと偽った。そうしなければ本妻に僕が殺されると思ったんだろう。まあ育ってく途中で、自分が男だって自力で気づいたけどね」
王女は全てを知っていて、強く生き抜く鍛錬が出来、ドレスを着ずに済み、家の外に居場所を作るために公子を騎士団に誘ったという。
秘密を知る者は少なければ少ないほど良い。しかし二人で騎士団を名乗るには少なすぎると、王女は忠義に厚く愚直な将軍の娘に目をつけて呼び寄せた。そしてグロリアは彼女らのお眼鏡にかなった、と言うわけだ。
だが、秘密を共有するどころか、グロリアはまったく疑うことなく二人に尽くした。
これは、ある意味王女らの誤算でもあった。本来であれば、早い内にバレることを覚悟していた彼らは、逆に全てを信じきってしまったグロリアに本当のことを打ち明けるタイミングを完全に逸してしまったのだ。それゆえ、彼は最後まで男であることを隠し続けることとなった。
王女の結婚で騎士団は解散することになったが、実はもうひとつ事情があった。結局、公爵の正妻に息子が生まれなかったため、彼は公子として生きる道を選ばねばならなくなった。
これまで正妻を気遣って隠されていた後継者が、遅まきながら十九歳で社交界にデビューしたという筋書きである。
存在したはずの金の公女は、病気により遠方で療養という形になっているが、人が忘れた頃に死んだことになるだろうと、公子は過去の自分の葬式でも思い浮かべているような苦い表情になった。
「長く苦労なさったのですね」と、グロリアが言葉をかけると、その表情が笑みに変わる。
「そうでもないよ。楽しい八年間を過ごさせてもらったからね。本当に……夢のような八年だった」
金の公子の言葉に、グロリアも涙が浮かびそうになった。まさに、彼女が抱いていた気持ちと同じものを、彼もまたあの場所に抱いていたのだと思うと嬉しくてじんわりしてしまうのだ。
「私のお仕えした方は、この手の持ち主でいらっしゃいます。それだけは変わりません」
涙目でグロリアがそう告げると、
「お前の泣き顔は良くないね」と、むかしむかしに言われた言葉が、男の声で囁かれる。
「だから、笑っているといい」
ただ──あの頃にはなかった言葉が付け足された。
「ところで……」
涙を引っ込めようとしたグロリアに金の公子がそう続ける頃、一曲目が終わった。ダンスが終わったのだからまた壁際に戻ろうとした彼女を、公子はやはりあの手で引きとめて、そのまま二曲目に入る。
「ところで……見合いの話をお前は見たのか?」
公子の話は、先ほどまでとは打って変わった奇妙なものだった。
「いろいろ来てはいるようです。父や兄が良いところを決めてくれるでしょう」
確かに縁談の話は来ているので、グロリアは正直に現状を告げる。しかし、彼女の想像を大きく越える言葉が、次に投げかけられることとなった。
「よその話ではなくて、僕がお前に送った見合いの話だよ」
思わず踊りの足が止まり、勢い余った公子がぶつかってくる。慌てて彼は、グロリアの身体が倒れぬよう身を支えてくれた。
「はっ!? ぞ……存じませぬ」
頭が真っ白になりながら、しどろもどろに返事をすると、公子はぐいと強い力でグロリアを踊りに引き戻す。そして、まっすぐに彼女を見詰めた。戦場で剣を構えた時のような本気の気配に、グロリアはぞくっと背筋を冷たくする。
「では夜会から帰ったら、僕の名を探して父君に言うといい。『この方に致します』、と」
「え、あの」
「僕はね、ずっとお前の名を呼びたかった。最初の頃は子供過ぎてひどい呼び方しか出来なかったからね。でも、ちゃんと呼ぼうと思った頃にはもうこんな声だよ」
「先ほども……ゴリ子と呼んでらっしゃったような……」
「あれは……だって、ああでも言わないと気づかないと思ったんだよ。一緒に過ごした八年間をなしにされるなんて、とんでもないからね」
公子は低い声で少し悔しそうにそう言うと、彼女の腰を支えて大きくターンした。
「勿体無いお話です」
遠心力で遠くに持っていかれないように、反射的にグロリアもまた彼にしがみつく形になっていた。
「親が決めたら誰でもいいと言っていただろう? 僕にしなよ。そうしたら、ずっと二人であの八年間の話が出来る……王女のことも語らえる」
それは何と甘美な誘いであったか。他の誰とも共有することの出来ない日々が、グロリアの目の前にぶらさがったのだ。王女という、これから遠く離れてしまう大事な人の存在と共に。
思わず、彼女は握り合っている手に強い力を込めた。
「大丈夫、力ならもう負けないよ」
もっと強く握り返されて、グロリアは自分の頬が赤くなるのを感じていた。
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