ネット恋愛
まさぼん
ネット恋愛の行方は…
イスラエル。
この国の名を聞いて、ピンと思い浮かぶのは、黒い布で顔や頭、体を隠した女性たちの姿。
他は、豚肉を食べない。豚肉だけではないのかもしれない。“ハラス”だとかいうマークの付いた食品しか口にしない。
ざっくばらんに思い浮かべられたのは、この2つだけだった。
「ねえ、イスラエルってさあ…。」
と、この2つを婚約者の“豆君”に言ったメリーは、何故、私たちの結婚式はイスラエルで挙げられるの?という疑問に、頭を両手で抱えて答えを導き出そうとしていた。
メリーは名前の通り、外国の血が入った女の子だ。ハーフの子。父親が日本人で、オーケストラでホルン奏者をしている。母親は、イギリス人。父親がイギリスに凱旋公演に行った時、メリーの母の心を射止めた様だ。憶測では。
実際のところ、どういう経緯を辿って国際結婚に至ったのかは触れられていない事だ。
メリーは赤ちゃんの頃から物心つくまでの間は、母親に英語で育てられた。母親の話ではそうだ。
けれど、メリーは全く英語が話せない。
話せる言語は、日本語オンリー、だ。
「ねえ、豆君。イスラエルって何語喋るのぉ?」
メリーの問いかけが、聞こえていないのか?もしくは聞く気が無くて聞いていないのか。それとも、聞こえているけど返事をしないだけなのか、豆君は開けっ放しにした部屋のドアの向こう側で横向きに立ったまま、メリーから目を背けて、キッチンに立ち、料理をしていた。
「ねえ、豆君。せっかくの休みに何時間料理してるのよぉ。で、何作ってるの?朝から。」
豆君のいるキッチンから、
「ジューっ…ピチピチっパチッ」
と、脂の跳ねる音が聞こえてきた。
どうやら、豆君は油物を揚げようとしている様だ。
今回のメリーの問いかけは、聞いていないのではなく、聞こえていない様だとメリーは諦めた。
ワンルームの狭い部屋のテレビの前に置かれた小さなコタツ、兼、テーブルの上に置かれたノートパソコンをメリーは、開いて、閉じて、開いて、閉じて、と電源を入れるわけでも、イスラエルについて調べるわけでもなく、開け閉めを繰り返していた。
会社から支給されているノートパソコンとは別の、この豆君の私物のノートパソコン、surface proは、メリーと豆君の2人で、近所の美味しい店を探したり、共通の好きなアーティストの最新活動情報を調べたり、ユーチューブで動画を見たり、と、2人で時々利用しているパソコンだ。メリーが夜中に目を覚ますと、豆君が1人、surfaceを開いて、なにやらカチャカチャしてる時があるけれど、2人でいる時はメリーのノートパソコンではなく、豆君のsurfaceを使っている。
豆君が朝から料理をし続けていて、退屈だったメリーは、人のノートを覗き見する様な、野暮な趣味は持っていないが、何故か急に、無性に、豆君のsurfaceの中を覗いてみたくなった。
「もしかして豆君、ブログとかやってるのかな?」
夜中のカチャカチャの深層を知りたくて、メリーの知らない豆君の姿を閲覧履歴から垣間見たいと思い、電源を入れた。
「いくつ食べる?」
豆君がメリーの方に向かって声を投げてきた。
メリーは慌てて、電源を入れたパソコンの電源ボタンを再度押して、電源を消した気になって、surfaceを閉じた。
「いくつって、何を?2つかなぁ~。って何ぃ。」
「コロッケ。牛筋コロッケだよ。」
豆君は、時々、こういう凝った料理を作る男の子だ。男の子と言っても、もう26歳だけど。
メリーは今、32歳。6歳年下の豆君を、これから伴侶となり共に人生を歩んでいくパートナーとなる相手を、まだ、男の子としてしか見ていなかった。見られないでいた。
「牛筋コロッケぇ?牛筋はコンビニおでんのを入れたのぉ?」
メリーの問いかけに、
「細かい説明は食べながらするよ、いいから、いくつ?いくつ食べる?早く教えて。」
と、豆君は、マイペースに答えた。
メリーは、
「2つぅ~。」
と、言った。
“ジュー、ジュワジュワシュワジュワジュワ、ジュジューー”
良い音だ。
メリーは、
「やっぱり2つ半~。」
と、豆君に向かって言った。
「じゃあ、僕が4つ食べるから1つ半分こしてあげる。それでいい?」
「いいよぉ。」
メリーの返事に、豆君は、安全確認をする様に、
「了解、2つ半。」
と、大きな声を発した。
―「なあんだ。聞こえてるんじゃん。」
この調子なら、あと10分くらいは、何物にも邪魔させることはせぬ!男の子の料理!に没頭するであろう。surfaceの電源が切れているかどうか確認する為に、コタツテーブルをテレビの方に寄せようと、グッと押して奥にやった。コタツの上のsurfaceも机の天板上の奥側にグッと押し込んだ。これで、キッチンのある廊下ごしのドアの間から見える視界に、パソコンは入らないであろう。surfaceを開いた。
電源は入っている。しかし、待機モードだ。
どうせなら、電源が入っていないか、画面が立ち上がっている状態でいて欲しかった。
いつも、豆君が器用に操作するsurfaceのタッチパネル用のペンを探した。
どこどこ?コタツの下?
座った体勢のまま、右手でコタツの一角にだけ敷いてあるカーペットの上をまさぐってペンが落ちていないか探した。
それと同時に、左手の指で待機画面をスライドさせてみた。メリーの白くて細い左利きの手の指は、付属のペン並みにsurface様はお気に召してくれたようだ。
ペンも、キーボードも使わず、指でスライドして待機モードからロック画面を開き、
「豆くーん、surfaceのパスワードって何ぃ?」
とメリーは聞いた。
「メリーの名前の後ろに、メリーの誕生日西暦から8桁。」
と豆君は教しえた。画面上のタッチキーで、パスワードを入力して、画面を開いた。
「って、メリー。なんで俺のパソコン勝手にいじってんの?」
豆君が、菜箸でコロッケを1つ摘んだまま、部屋の中に入ってきて、メリーが何をしようとしているのか覗きに来た。
「豆君、危ないぃ。コロッケ落ちるよぉ。何にもやましい事はしないから、ちょっと、ちょっちょっと、ほんのちょっとだけ見せて。いや、見るのが目的じゃないから。貸して。使わせて。」
「メリー、何か調べたいなら自分のパソコン使えよな。」
立ち去る豆君の後ろ姿を確認して、メリーは、にやりと笑い、surfaceの中をくまなく見ようとした。
メリーは、基本、引きこもりだ。
家の部屋の中で、パソコンを前にSNSに噛り付き、カチャカチャとチャットをして過ごす日々がメリーの日常風景だ。
豆君と知り合ったのも、ネットであった。
豆君と知り合ったのは、今はもう無くなってしまった、Yahoo!チャットというチャットをする交流場であった。
ユーザーが、自分の作りたい部屋を作る事が出来た。そこで部屋主(チャットルームを作った人)が、好きな音楽を流したり、マイクを使って話したりでき、またゲスト(チャットルーム入室者)もマイクを使って話したり音楽を流したり、中にはカラオケをする部屋なんてのもあった。音声ボイスだけではない。それプラス自分の顔や、部屋の中の様子を写す動画を、ウェブカメラを使って見せ合ったりも出来た。
“3104丁目のダンスホール”
という部屋名のチャットルームを見つけた時、メリーは、
「ついに来た!」
と、部屋に入室して、
“はじめまして”、も、“こんばんは”、も、“宜しくお願いします”も、何の挨拶もせずに、
「ここは行き場のない奴らのたまり場ですか?」
とチャット画面に入力した。
その時、その部屋の主をやっていたのが豆君だ。
「それ以外のどんな奴が来る場所だと思う?w」
彼は、そう返事をした。
メリーは、自分がハーフである事を出来るだけ隠したかった。
好機の目で見られる、か、
差別・偏見を持った扱いをされる、か。
今でこそ、在日外国人が多く10組に1組のカップルが国際結婚をしているという時代だけれど、メリーが子供の頃はそんなんでは無かった。住んでいた所が田舎だったせいもあるだろうが、茶色い目でジンジャーカラーの髪の毛をしたメリーは、
「メリーちゃん、お人形さんみたい。可愛い。」
と言われるか、
「バタ臭い顔して、なんか臭う。」
と言われるかの、どちらかであった。
‘いい加減メリー、カメラ買えよ。ウェブカメラ無いなら、写真くらい見せろYO。今からプロフィールに写真載せて。一瞬でいいから。’
しつこく言ってくる部屋の住人たちに、
“写真NGなの。私、有名芸能人だから。”
と、見え見えのウソをついて写真を見せなかった。パソコンを開くときに、顔認証する内蔵カメラがついたノートパソコンを使っていたのだけれど、ウェブカメラも持ってないと言い張り、1度もネット上で自分の姿を公開しなかった。
スマホ?持ってない。
携帯、持ってない。
デジカメも持ってない。
しらを切りとおして、文字と音声だけのやりとりをその部屋で1日中行っていた。
部屋主だった豆君は、当時大学生だった。大学の単位を、1期生・2期生の間にほぼ取っており学校にはたまにしか行っていなかった。就職先の内定も、3期生の時に早々出たらしい。
平日の昼間、
居酒屋がやっている昼のランチ用に、キャベツを細かく切って、千切りにして、お皿に盛る、というバイトをしに出かける以外は。Yahoo!チャットの3104丁目のダンスホールの部屋に豆君は常駐していた。
メリーも、常駐していた。自宅警備員といういう肩書が、当時のメリーを表すのに相応しい言葉だろう。
メリーは高校時代に、東京に遊びに行ったら、モデル事務所のマネージャーさんにスカウトされた。そして、興味本位でモデルというアルバイトをはじめた。一時、活躍した時期もあった。
身長162センチ、それほど背が高くないメリーが活躍した場は、雑誌や広告の写真モデルだった。
高校生の時に始めた、アルバイトでやっていたモデルという仕事で生計を立て様とはメリーは思えなかった。その道で食べていく、究める為には、相当の勇気と気合を持った、はじめの一歩が必要だった。メリーは一歩が踏み出せなかった。
「高校卒業したら、東京進出してバリバリ仕事してちょうだい。あなたの為に、あなたの為だけに頑張って仕事とってくるから。」
事務所の社長さんがメリーを見かける度に薄ら笑いを浮かべて、投げかけてくるこのセリフ。まるで、擦り切れたレコードの様にノイズが混ざり聞き飽きた音だった。事務所のモデルの子皆に同じことを言っている。
―「私は決して特別な人間ではない。選ばれた人間にもなれない。ならない。なりたくない。」
メリーは、自分の容姿のせいで幼いころから受けた数々の出来事の積み重ねで、目立つ、という事に拒否感を持っていた。
メリーは、
そんなこんなで、
高校卒業した後、進学もせず、特に職にもつかず、時々電話をかけてきて、
「仕事よ。」
と、撮影日時。ロケバスの待ち合わせ場所、そして、まあ、どうでもいいっちゃいい細かい撮影スケジュールの指示を出してくるマネージャーの言うがままに従い、東京へ行ったり、長野へ行ったり、名古屋へ行ったり、大阪へ行ったり、と、単発でアルバイトをして、それ以外はダラダラと過ごしていた。
3104丁目のダンスホール、
というのは、
ブランキージェットシティーというバンドの曲の、タイトル名だ。勿論、歌詞にも出てくるダンスホールだ。
メリーが、初めて聞いたブランキーの曲は、スイートミルクシェイクという曲。
♪―生クリームだらけの子猫が3匹部屋中を駆け巡るー♪
子猫のフレーズだけではない。1つ1つのフレーズがメリーの心に、カ、カッコいい!と、響いた。
モデルのアルバイトに行く道中、街中のビルに立ち寄った際、たまたま流れていたラジオで耳にしたその曲は、ロカビリー調で、でもパンクロックで、バンドの演奏が、ドラム・ベース・そして、繊細なギター。個々の楽器が奏でる音が良い意味でぶつかり合っていて、その上をなぞるハイトーンボイスのボーカルが歌う。その曲は、綺麗でイカシテいた。日本語でこんなにカッコいい歌があったのか!と度肝を抜かれ、撮影の休憩中に、そこらにいる人に、
「今日、ここに来る途中で滅茶苦茶イカシタ曲を耳にしたんですけど、誰の歌で、曲名が何ていうのかってわかります?」
と、―3匹の子猫が♪と歌った。
「良いね、良いね。メリーちゃんがブランキーに出会ったかあ。良い感性持ってるじゃない。ブランキーだよ。ブランキージェットシティーっていうバンドだよ。」
田舎の実家で暮らしているときのメリーの様に、何日もお風呂に入っていなさそうな、そこらへんにいるスタッフのお兄さんが、そう教えてくれた。
その音楽との出会いから、10年以上の時が経っていたであろう。
音楽を聴く手段がコンポからPCへと変わり、わざわざ聞く都度CDを出し入れする必要がなくなった頃、部屋のCDラックを処分した。その時、かさばるからCDケースも一緒に全部処分した。中身のCDと歌詞カードだけキャリングケースの中へ閉まい、そのまま眠らせていた。安室ちゃんやglobeのCDなんかとごちゃまぜにキャリングケースの中に収納されたブランキーに、豆君が再会させてくれた。
チャットルームでお喋りしているだけだったメリーは、次第にプライベートメッセージ(PM)で豆君と個人的にやり取りする様になっていった。
豆君とPMでやり取りしているとき、メリーはうっかり、カメラ通話ボタンを押してしまった。自分が映し出されているカメラのウィンドウは、他のブラウザか何かの下に隠れていた様で、ノートパソコンのカメラのランプが赤く光っている事に気が付いた時は、既に遅し。
“見た?”
‘うん’
“なんで教えてくれなかったのよ!”
‘だって、あまりにも素だったから言ったら失礼かなと思ってw’
“そういう問題じゃなくって、何でカメラ写ってるよ、って教えてくれなかったの!”
‘いや、だから、あまりにも普通だったからわざとかなとw’
“何分くらい見てたの?”
‘3~40分‘
“まじで…”
‘まぢw’
豆君にハーフであることを知られたメリーは、チャットルームの常連客の皆に自分がハーフだと伝わるのは時間の問題だ。と、名残惜しかったが、3104丁目の部屋に入るのをその後、やめた。
他のチャットルームを幾つか覗いてみたけれど、くだらない内容を話しているだけで、つまらなかった。
電源はオンにしていたが、パソコンからは離れて、テレビのくだらない情報番組を見たりして時間を潰す日が1週間くらい続いた頃。豆君が、メッセンジャーで話しかけてきた。
‘最近、部屋来ないけど風邪でもひいたのかな?’
“風邪どころじゃない。誰かさんに顔見られて、伝染病にかかった”
‘なんだ元気じゃん。心配して損した’
“もっと心配して。かなり病んでたんですがね”
‘部屋の皆が、最近メリー見かけないね。どこ行った?って心配してるよ。また部屋遊びに来てよ’
“でも、私、外人だよ?”
‘それが何’
“外人って言っても、半分外国人で半分日本人だよ”
‘で何‘
“何って何”
豆君は、誰にもメリーの顔を見たことは言っていなかった。恐る恐る1週間ぶりに入った3104丁目のチャットルームには、いつもと変わらないメンツが揃っていて、いつもと同じように、
‘メリー、早く写真見せろYO’
等と、ほざいてきた。
部屋でのチャットも楽しかったが、表でチャットしつつも、裏で豆君と2人でPMで話す機会が増え、それが楽しかった。馬が合う2人は、いつ頃からか、毎日何時間も何時間も話すようになり、豆君に対するメリーの気持ちは、好感の持てる子、から、好感が持てる男の子、へと変わっていった。
PMをメリーから豆君へ送る時、ドキドキした。モニター越しのカメラに映る豆君の青色に染めたモヒカンの髪、そんな、ど派手な髪形をしているのに顔には眼鏡がかかっている。
“コンタクトにしたら?”
‘なんで?’
“ちょっと、眼鏡外してみてよ。顔見せて”
‘なんで?’
“いいから、みせてえええ!”
‘やだ‘
“ケチ”
‘ケチで結構、結婚まだ早い’
“どこで覚えたの?その古いフレーズ。懐いわあ”
‘一瞬だけだよ’
眼鏡をはずした豆君の目は、小鹿さんの様にクリクリッとしていて潤んでいた。
2人が知り合い、会話を密に交わす様になってから半年程経つ。メリーが豆君に対して抱く気持ちは、好感から、恋に変わっていた。
寝る間も惜しんで豆君とメリーはチャットでしゃべり続けた。福岡出身だけど、東京の大学に通い一人暮らしをしている豆君。
メリーの元に東京のモデル事務所から仕事の依頼の電話がかかってきたのは何年前が最後であろう?
メリーは豆君にリアルで会いたくなって、飲みチャットをしているときに、酔った勢いで、
“今度、東京に行くから会わない?”
と声をかけた。
‘いいけど。どした急に’
“急じゃない”
‘あっそ‘
電話番号を交換して、豆君のバイトも、学校もない、その会話を交わした直ぐの週末に、メリーは東京まで新幹線に乗って会いに行った。
“自宅警備員、只今家を出ました。”
メリーは、東京までの道のりの道中、会えるのが待ちきれなくて、随時、豆君の電話番号にショートメールを送った。
‘メールは、そっち高くつくっしょ。俺のラインのID:豆ソラマメ。こっちに送って’
“豆ソラマメってw”
‘何’
“何ってw”
‘何だよ‘
“左手に藤さんが見えます”
‘富士山ぢゃなくて?’
“わざとだよ”
‘何がわざと?‘
“不二さん”
‘メリーは。富士山に嫌われてる様だな’
東京駅は、メリーは何度も通過点として訪れ、利用していた駅だ。都内の事も、大体は撮影で回って知っている。でも、モデルをやってたという事は、辛うじて20台に片足を入れているが、アラサーはアラサー。アラサーのおばちゃんになった今の自分の姿を鏡で見ると、モデルやってた、なんて、言えやしなかった。
‘あと、何分くらいで東京駅着く?’
“もうすぐ着くってアナウンス流れてる。直ぐ”
‘俺、駅まで迎えに来てるから、改札口で俺の事発見してな’
“ありがとうございます、見つけ出して声かけさせて頂きます”
‘何’
“何って何”
‘なんでもない’
“あっそ”
新幹線の連結部分に、少ない荷物とお土産用に焼いたイギリス人の母伝統のドライフルーツが入ったケーキを持って立ち、
―「早く駅に着いて、ドアよ、開けぇ。」
とメリーは足踏みした。
「お姉さん、新幹線の中で走っても、到着を速める事は出来まへんで?はっはっは。おもろい姉ちゃんやな、はっはっは。」
後ろから、出張で大阪から東京に来たと思われる若いサラリーマン3人組に茶化された。
“自宅警備員、心がおれそうです”
‘どした?あと少しだ。頑張れ’
“自宅警備員、頑張る!”
‘うん。待ってる’
新幹線の出口が開いたら、メリーは一目散に改札口に向かって走った。改札口の手前の女子トイレ、いつも混んでいるトイレの列に混ざり、弾んだ息を整えてから、スタスタと改札口に向かって歩いた。
「豆君!」
「おお、メリー。本物だ。」
「豆君も本物だあ。」
「メリー、綺麗だなあ。」
「何。」
「何って何。」
初めて、モニター越しではない、生の、リアルの互いの姿を目にして、
2人は、目が合い笑い転げた。
「チャットでしてる会話とおんなじこと話してるじゃん。意味ねえじゃん。」
「意味はないようである。はず。」
「何」
「何って何」
「だから、それだよ!」
2人は、また笑い転げた。
もんじゃが食べたいとリクエストしていたメリーを、豆君はまず、浅草の老舗もんじゃ店に案内した。
「俺がやるから。触るな、メリーは見てろ。浅草は土手を作らないんだ。一気にこう。さあっ!」
「今の、『さあっ!』っての、卓球の福島愛ちゃんがポイント取った時の声に似てた。」
「メリー茶化すんじゃない。いいから待ってろ。もんじゃを堪能させてやるからな。『さあっ!』」
「わざと言ったでしょ。今の、『さあっ!』は。」
「あ、バレた?」
2人は、ケタケタと笑いながら、美味しくもんじゃを食べた。
お腹いっぱい~と店を出ると、メリーに向かって豆君が、
「次行くよ。」
と言った。
「どこに?」
メリーが聞くと、
「もんじゃだよ。」
と答える豆君。
「え?豆君、痴呆出ちゃったの?今食べましたよー、おじいちゃーーん。今もんじゃ食べましたいおー。」
「もんじゃは、月島にもあんだよ。行くぞ。」
「はい。」
メリーの荷物を恥ずかしそうに
「持ってやる。」
と持ってくれた豆君。
2人は、月島までの電車の中では、少し照れが出てきて、沈黙に包まれた。
遮ろうと同時に出た言葉は、
「何」
「何」
「何が何」
「何って何」
「なんだよ、メリー。外すなよぉ。」
「ごっめん。あははっ。本物の豆君はチャットの豆君より面白い。あははっ。」
「メリーだって、本物の方が、か、可愛い。」
「え?な、何々?今なんて言った?良く聞こえなかったあ。もう一回言ってもらえるかしらあ。」
「何でもねえよ。」
「あっそ。」
「そういう所だよ。」
「何」
「だから、…可愛い。」
メリーの頬が赤らんだ。
月島駅から徒歩数分の間、2人はどちらからともなく手を差し伸べ、繋いだ。手を繋いで歩く2人は、
「やっと会えたね。」
「会いたかったんだよ。」
と、本音を話した。
少し寂しかったけれど、豆君はメリーの手を離して、小さな店の看板を指さした。
「ここ、この店。小汚いけど味は確かだぜ。この近辺に有名店があるけど、土日は混んでるから自宅警備員にはむかない…よな?。有名店の方に行きたいか?」
「いや、私ここに入りたい。」
「明太餅チーズなんて頼むなよ。邪道だ邪道。もんじゃ。おばさん、もんじゃ2人前。」
「明太餅チーズ食べたかったなあ。」
「わあかった。わかったよ。おばさん。おばさーん、明太餅チーズ1人前追加。」
「豆君、優しい。」
「何言ってんだ。来た。ほら、やるぞ。メリーもやってみるか?」
「うん。やってみたい。」
メリーは、過去、もんじゃ焼き屋でもんじゃ焼きを作って食べたことが、何度もあった。
それでも、豆君の手伝いで、もんじゃの土手を作って焼くのは、初めてもんじゃを焼いた時の緊張感と切迫感に負けず劣らない感覚を味わった。
「次、どこに行きたい?」
青いモヒカンの眼鏡は、かなり笑える存在だった。けれど、実際に会って眼鏡からコンタクトに変えた小鹿の瞳の青のモヒカンを目にすると、あまりにも不釣り合いすぎて、プっと吹き出さずにいられなくなった。
「何だよ。」
「何でもない。えっと、次…」
丁度、
お昼ごろに東京駅に着いて2人が初対面してから、かれこれ4~5時間が経とうとしていた。
空が、陰って来ている。
「そろそろ帰る?送るよ。」
豆君の口から、その言葉を聞きたくなかった。
メリーは、
「まだ、帰りたくない。」
と、豆君の横に立ちまっすぐ前を見たまま言った。
「じゃあ、どこ行く?やっぱりネカフェ?それとも東京駅周辺の観光?それとも…俺んち?」
「…。」
豆君は慌てて弁解しようと試みた。
「何だよ、黙るなよ。冗談だよ。」
そんな豆君に、
「豆君んち。」
と、メリーは呟くように言った。
一気にテンションがあがる豆君。
「え?俺んちに遊びに来てくれんの?昨日、一生懸命掃除した甲斐があったあ。俺、自分の部屋に女の子入れるの初めてなんだよ。うわあー緊張するうー。」
メリーは、冷静にこう言った。
「ま、豆君。ひく。普通にドン引きした。」
そして、毎度のお約束。
「何」
「何って何」
2人は、
クスッと笑って、
豆君の家に向かう電車に乗った。
電車の中で、顔にかいた汗を手で拭う豆君。メリーは普段決して持ち歩くことのない、ハンカチという持ち物を、豆君が肩に下げてもっている自分のカバンの中から取り出して、渡した。
「メリー。お前、ハンカチ持つような女だったのかよ。冷めるわあ。お嬢様かよ。冷めるう。」
豆君は、冷める冷めると言いながらも、嬉しそうにハンカチを握って、自分の顔の汗をつけて汚さないように顔に当てていた。
「豆君、何してるの?」
「ハンカチで顔を拭いているのだよ。」
「豆君、何その喋り方。」
「私の話し方が、変かい?」
「豆君、汗かいてるから、汗拭き用にハンカチ渡したんだよ。何で匂い嗅いでるの?」
「ん?君の家の洗剤と柔軟剤が、どこのメーカーの何という製品かを当てようと思って、香りをチェックしているのだ。」
「豆君、ひく。普通にドン引き。ハンカチ返して。」
豆君の手から奪い返そうとしたハンカチは、固く固く、豆君の手に握られていた。
「らーめん、作ってあげる。ベトコンラーメン。ニンニクたっぷりで美味しいの作るよ。」
「初めて遊びに行く男の人の家で出される料理が、ニンニクたっぷりなんて、何か…。」
「何」
「何て何よ」
2人は、
「ひく。冷める。何。何て何。何。何が何。」
チャットで交わしていた会話となんら変わりない会話を交わしながら、最寄り駅から駐輪場に停めたスクーターを豆君が押し、歩いてアパートに到着した。
「汚いところだけど、あがって。」
豆君に言われて、緊張気味にメリーは、
「おじゃましまあぁすぅ。」
と言い、部屋に入った。
綺麗にしてあった。
相当頑張って掃除しても、1日で掃除・片づけをして整えた綺麗さでは無かった。潔癖とまではいかないにしろ、埃の影が何処にも見当たらない清潔な部屋で、物もキチンと整頓されていた。
「豆君、1人なのにちゃんと暮らしているんだね。私の部屋なんて…。言えやしない、言えやしない。」
「え?何か言った?」
メリーの呟きは豆君の耳には届かなかった様で、メリー、セーフ。メリーセーフ。
そして、
その日から、丸4年。そのまま、メリーは豆君の家に居座り続けて、現在に至る。
豆君は、
メリーが家に帰らず、自分の住む東京のアパートの1室に何日も何週間も、何か月も泊まり続けている状態を家族が心配して、いつか連れ戻しに来るだろう、と、学校から帰ってきて玄関の扉を開けるたび、バイトさきから帰宅して玄関の扉を開けるたび、仕事を終えて帰宅して玄関の扉を開けるたび、
「メリー!帰ったよ。いる?メリー。」
と、メリーの姿が部屋にあるかどうか冷や冷やもので確認していた。
メリーが豆君の家に居座るようになって半年ほど経った頃、豆君は大学を卒業して就職した。社会人1年生で結婚は早すぎる。まだ土台ができていない。
しっかりと地に足をつけた暮らしができるようになったら、直ぐにメリーと結婚しよう。それまで、
「どうか、待っててね。メリー。」
子供のころから、どうしてもトイレに行きたくなって夜中に目が覚めてしまう豆君は、トイレから戻ってきて布団の上で眠りについているメリーを見つめた後、耳元にそっと囁いて、また眠りについていた。
就職して、3年半が過ぎようとしている。
階級は低いが、チームリーダーに豆君は昇進した。手当も幾分か、でる。
もっと広い部屋を新居にかまえて借りる為の貯金も大分溜まった。2人は、結婚することにした。
―
「牛筋コロッケ、2つ半。毎度っ。」
豆君が、自慢げに揚げたてのコロッケをメリーに差し出した。
豆君のパソコン、surfaceをメリーは閉じて、コタツテーブルの上にお皿を置くスペースを作った。
「豆君のコロッケ3つ半も、早く持ってきて。食べよ。早く食べよう。」
と、急かした。
「でね、この牛筋は、うちの実家の近くの肉屋さんでしか手に入らない上等品なんだよ。聞いてる?」
「はふはふ、おいひっ。聞いてるぅぅ。そいでぇ?」
「でね、実家の母さんが俺が小さいころ、この牛筋コロッケをよく作ってくれていたんだ。俺のおやじは玉ねぎを食べれなくてな、それで。」
「はふぅはふぅ、おいひぃ。そいでぇ?」
「玉ねぎの無いコロッケを上手く食う為に、俺の母さんがあみだしたのが、な、なんとっ。玉ねぎの代わりに白ネギを入れるううう!なのだ。わかる?ほのかな白ネギの味。」
「はふぅはふぅ。おいひぃ、わからなひぃ。」
「ったく、何だよメリー。俺が朝から一生懸命作ったのに、味音痴かよ。」
「はふぅはふぅ、豆君。もう1個食べたひぃ。揚げたてのやつぅ。お願いぃ。もう1つ揚げてぇ。」
「はいはい。わかりましたよ。上さん女房。」
豆君は、平日の帰りは遅い方だけれど、土日祝日は何があっても休みを取って、メリーに時間を割いてくれる。
きっと、いい旦那様になってくれるであろう。
「岐阜の片田舎から気分で上京してきた、チャットで知り合ったお姉さんが、自分の家に転がり込んで丸4年。そんなお姉さんとの結婚を目前に控えた今、若き新郎のお気持ちはいかがですか?」
豆君は、ブスッとした表情になった。
「会いに来てくれたのは、気分でだったのかよ。」
ふてくされて、そう言った。
「いや、違う。豆君誤解してる。気分っていうのは。良い意味の気分だよ。気分が盛り上がっていなくちゃ岐阜羽島駅までバスで50分以上かかる片田舎から東京まで会いに来るなんて、出来っこないでしょ?自宅警備員だったのよ、私。」
「そうか。でも何か1つ気にかかる。『だった』じゃなくって、『なのよ』じゃないか?」
メリーは首を傾げた。言葉のアヤ?
「だった、じゃなくて、なのよ。って、何が?」
豆君がこう言った。
「自宅警備員。」
「…。」
メリーは言葉を失った。
メリーは恐る恐る豆君に聞いてみた。
「結婚、止めたい…?」
豆君はきっぱりと断言した。
「結婚する。俺はメリーと結婚してメリーを幸せにする。世界一の自宅警備員として家でふんぞり返って暮らしてもらう。メリー、君、窓の外くらい眺めてくれないか?敵が襲いにきてないか確認しててくれよ。」
メリーは言葉を詰まらせたが、スッと立ち上がり、ベランダ越しの窓に引かれたカーテンを開いて、言った。
「敵の姿はありません!イスラエル。楽しみね!」
―
豆君と、メリーの主役2人。その親族の豆君ご両親と2人の妹。そして、メリーの両親と兄。合計9人でイスラエルに行くことになっている。
福岡から出てきた豆君ご家族ご一行。岐阜から出てきたメリー家族ご一行。それぞれの家族が、成田空港までよくぞ無事に全員辿り着けたものだ。
まだ日本も出発していないのに、もう疲労困憊した面持ちのメンツが成田に集まった。
機会を設けることが出来ずに、これが初対面となった両家ご親族の初顔合わせを成田空港のロビーで軽く済ませる。
「いやあ、どうも初めまして。豆の母です。この人が豆の父で、私の主人です。玉ねぎが食べれないんですのよ。おっほっほっほっほ。」
居心地悪そうに、豆君の御父上が小さくなっている。豆君が、[そんな柄にもない笑い方をするんじゃない]と、お母様にチクリ一言。
「ハジメマシテ。私がメリーのマザーです。この男が、メリーのパパね。ホルン吹いてまーす。」
こんな感じで、雰囲気はくだけた中、夜遅くに成田発のトルコ航空イスタンブール行きの飛行機に搭乗して、出発を待った。
日本からイスラエルまでの直行便は無いのか高いのかで、トルコ航空か、ロシア航空か、大韓航空でそれぞれ航空会社の主要都市で乗り継ぎをして、いざイスタンブールへと向かう空路便に搭乗、という形になる、らしい。
今回の結婚式と新婚旅行と両家の懇談会の空旅は、全て豆君任せで、メリーも、豆君ご家族もメリー家族もイスラエルの何処に行くのかすら、何も知らされておらず、よくわからないまま、ただ豆君の後ろをぞろぞろと着いて歩いていくだけであった。
「豆君頼もしいね。」
メリーの母が流暢な日本語でメリーに話す。[あんたさっきのカタコト日本語何だったの…]メリーも母にチクリ一言。
プイっとそっぽを向いたメリーの母は、腹が減ったと騒いでいる。
暖かいパンが美味しいトルコ料理の機内食。ご一行は、綺麗に機内食を平らげ、まだ何か食べたいとほざくメリーの母をなだめるメリー兄以外の全員は、ひと眠りした。
束の間の休息となったひと眠りだったが、直ぐにイスタンブールに到着した。
トルコのイスタンブールにあるハブ空港という空港は成田空港の夜の静けさと違って、早朝にもかかわらず賑わっていた。
「ビール飲みたい。」
両家の父親がこぼす。豆君が、
「乗り換えの余地あまりないからサッサと飲んで。」
と、コロナビールみたいなタイプの瓶に入ったトルコのビールを買い与えていた。
「乗り換え便の搭乗が始まった。」
と、豆君は、自分の所持する古い真っ赤なスポーツバッグを頭上に持ち上げ、
「着いてきてください、はぐれないでください。」
と、ご一行を引き連れて、
そこから、テルアビブというイスラエル第2の都市に渡った。
ベン・グリオン国際空港というところに到着した。
「ここがイスラエル?」
一同に、豆君は言った。
「空港の中では、まだ何もわからないさ。」
豆君は相変わらず真っ赤なカバンを頭上に持ち上げてご一行をずらずらと引き連れ始めた。
空港を出て、駅に着いた。電車に乗る、様だ。
豆君の背中越しに見えるイスラエルの人々の中で、銃を肩にかけたおそらく兵士だと思われる人の姿が1番最初に目に入った。若い兵士は、男性だけでなく、女性もいた。
メリーが想っていた、顔や頭に黒い布を巻いた…とはかけ離れた世界がそこにはあった。
電車の中で、
「撃たれたらどうしよう。豆、助けて。母さん死にたくない。死んだふりした方がいい?」
と救いを求める豆君母上が1人ビビっていた。他のご一行メンバーは、ビビる余裕すらなく、疲労困憊の面持ちをしていた。
ホテルにはいつ着けるのか、皆早く休みたくて、それを知りたがった。
豆君が駅で止まった電車から降りた。
異国の地に降り立った豆君は、声高らかに
「皆さーん、足元に気を付けて降りてくださいねー。はい、はぐれないように着いてきてくだっさーい。」
と誘導した。
ここまで来てしまえば、偶然この地で再会する人は皆無であろう。取引先の小うるさい銀行役員も流石にここには現れないはず。豆君は、完全に開放されていた。
降りた駅から、今度はバスに乗ることとなった。バスの中で片手に持った地図を広げて何かを確認した豆君は、多分、適当にバス停に止まったところで、
「ここで降りますー。皆さんくれぐれもはぐれないでねー。」
と、言いながらバスを降りた。
目前にはビーチが広がっていた。ビーチ沿いには、高層ビル?タワー?みたいな建物がずらりと並んでいる。
「もうすぐ待ちに待った宿泊施設ぅーホテルに着きまーす。もう少し頑張って着いてきてくださーいね。」
もはや、豆君の背中は、残酷で膨大な量のギザギザにしか見えなかった。
豆君の想うところがわからない。何故イスラエルに自分たちは連れてこられているのか?ご一行全員がそう胸に思っていたであろう。
陽気な豆君が予約したホテルを見つけて、足早に駆け込む。それに続けと、ご一行がサッサッサッサタッタッタッタと、ホテルに入る。
豆君がホテルの受付の人と何か揉めている様に見えたが、もう皆ヘトヘト。特に、メリー兄は、ボストン出張から帰国して1日も経っていない間に、違う異国行きの飛行機に再搭乗させられて着いてきている。英語が話せる兄の存在は頼もしかったが、兄の様子を見る限り、通訳なんてとんでもない、休息を与えてくれ、というオーラを漂よわせていた。
「部屋の準備がまだできてないそうなので、プールで、泳ぎましょーう。」
残酷なその豆君の口から発せられたセリフを聞き、
―「この中で、今、誰か、泳げる人間がいるか?」
とメリーは自問自答した。
「何か食べたい。」
メリー母は、また言い出した。
「そうですね!プールより、食事がいいですね!食事をしに行きましょう。」
貴重品の入った小さなカバンだけを各々が手にし、重くて場所を取っていた邪魔くさい大きな荷物をホテルに預けた。僅かだが、大荷物を運ばなくてよくなった事で、1つ開放された感を味わった。
豆君が歩くスピードは速く、もはや誰も着いていけなくなっていた。遠のいていく豆君の後ろ姿に、
「取り残さないで…。」
と、
「お兄ちゃん、置いて行かないで…。」
と、
「何か食べたい。」
と、
各自、何かしらのメッセージを送った。
豆君が振り向き、遠くから目を細めてこちらに並んでいる恐ろしい形相の一行を見て、慌てて走って戻ってきた。
「これは、参った。皆撃たれ弱いなぁ。よしわかった。そこ、そこのレストランに入ろう。飲み物でも飲んで、食事をとれば疲労は回復するはずだーぞぉっと。」
―「豆君、あなたは一体どこまでタフなんだ…。」
まだウキウキ気分でいるそのパワーの源は何なのか。メリーには謎だった。
レストランに入って、
メニューの中の長くない文字列、短すぎもしない文字列。中間の長さの文字列を指さして注文をした。
何が出てくるかわからない一行に運ばれてきた食事は、様々なアメリカンなハンバーガーだった。メリー兄はボストンから帰国してきたばかりだ。
「またアメリカン…。」
疲れた顔をしたご一行だったが、意外と全員ハンバーガーをペロリと平らげた。おっと、1人平らげるのに手こずった人がいた。よりにもよって、1番大きいサイズのハンバーガーが目の前に運ばれてきた豆君妹、上の、たづ子ちゃんの方ではなく、下の。中学生の、丸ちゃん。彼女の胃袋にはちょっと、いやかなりヘビーなボリュームのハンバーガーに苦戦して、顎が辛そうになりながらも黙々と噛んでコーラを飲んで流し込み、噛んで、と必死に目の前のハンバーガーを消す為に頑張った。
食事を終え、ホテルに戻る。
やっと、休む事が出来る!
各ペアに配られた部屋の鍵と、各ペアを部屋までご案内するホテルの従業員。豆君の背中から、ホテル従業員の背中へ視線を移して、部屋に入るや否や、それぞれはベッドの上に転がり落ちて、深く深く、ベッドに沈み込んで行った。
メリーもまた、ベッドの上で、アシカの様に転がっていた。
「メリー、ビーチへ行こう!」
豆君は、笑顔でメリーを誘っている。
「ちょっと、無理ゴメン。お母様と一緒に行ってきて。お母様に断られたら、たづ子ちゃんか、最悪私の母にでも、一緒にビーチに行こうって誘ってみてちょうだい。私、しばらく何もせずに横になってる。」
残念そうな表情を浮かべた豆君の顔が目に焼き付いて離れなかった。
豆君が部屋を出て30分くらい過ぎ、多少疲労は回復した。
「結婚式は明日よ。これは新婚旅行でもあり、両家の顔合わせ、親睦を図る場でもある。主役の私がイスラエルに来てまで自宅警備員しててどうする!」
と、体を起こして、ベッドの際に腰かけ、両手をついて弾みをつけ、ポンっと立ち上がった。
ビーチ。ビーチ。
豆君、どこに行っちゃったんだろう。どこにいるのかな?豆君。
‘何‘
“何て何”
どこかから、何かの媒体を通して豆君からメッセージが飛んできたような気がした。それに対して、メリーもそこらから、そこらの媒体を通してメッセージを送り返した。
のんびりして美しいビーチ。
―「こんな広いビーチで豆君を探しても見つから無さそうだわ。諦めて誰かを誘って観光でもしよう。」
メリーは、豆君妹2人の部屋のドアをノックして、
「メリーです。散歩しに行きませんか?」
と、すごく年下の妹2人を誘い出し海を背に、てくてくと歩いた。
「メリーさん、お姉さんって呼んでもいいですか?」
たづ子ちゃんが、メリーにそう問いかけてきた。
「ええ、勿論。私には兄しかいないから、おねえちゃんって呼んでもらえると凄く嬉しいわ。」
たづ子の顔がキラキラと輝き、メリーの服の裾をつかんで纏わりつくようにくっついて歩いた。丸ちゃんもまた、メリーにくっついて歩いていた。
3人は。市場の様な所に着いた。
丸ちゃんが、
「メリーおねえちゃん、イスラエルのお金持ってる?」
と、多感気の子供特融の表情で聞いてきた。そういえば、お金は全部、豆君が持っている。両替したお金なら、尚更だ。
「ごっめん。何か欲しい物があった?お姉ちゃんうっかりして、お兄さんにお金全部預けてきちゃったの。買ってあげられないわ。明日、結婚式の後でもう一度ここに来て買おう。お姉ちゃん買ってあげる。」
そう言うメリーに、丸ちゃんは関ジャニの財布をバッグから取り出して渡してきた。
「ん?これどうして欲しいの?開けてあげればいい?」
関ジャニの財布を開けたら、
流石、豆君の妹。
イスラエルの通貨だと思われる、シェケル・NISの紙幣、200NIS札が10枚、100NIS札が10枚、50NIS札も10枚、そして、お約束通り20NIS札も1〇枚、ではなく25枚、全部で3600NISを、財布の中に入れていた。
「メリーおねえちゃん、これ、使って。」
にっこり微笑んで、丸ちゃんは、市場の棚に山盛りにされたオリーブの実を摘まみ、齧りながらメリーにウインクをした。
「豆君も、しっかりしてるけど…。丸ちゃん中学生だったよね?しっかりしてるなぁ。」
3人は、どのタイミングで食べるかは置いて、味見させてくれた魚の塩漬けが美味しかったので買った。洋服も売っていた。でも、中高生、大学生の好みではなさそうな洋服しか売られていなかったので、1周りをしてきただろう市場を後にし、ホテルへ戻った。
「豆君。いる?」
メリーはホテルの自分たち夫婦の部屋のドアを開けながら、中にいるであろう旦那様おっと、まだ旦那様と呼ぶのは1日早い。豆君。豆君に声かけをしながら室内に入った。
豆君は、まだビーチで横たわっている様だ。姿が無かった。
そういえば、ここに着いた時、プールがどうのこうのと言ってたな、と、メリーはホテルタワー屋上のプールに行ってみようと思いついた。
大きな旅行カバンの中から、ネットショップで買って持参してきた水着を取り出して着用し、その上にワンピースを、ダボっと着た。
屋上のプールに向かって1人、エレベーターに乗った。
開放的な空間が広がっている。
プールには人がまばらにしかいない。
「ビーチもいいけど、ここもいいわね。」
メリーは、上に着ていたワンピースを脱ぎ、プールサイドに畳んで置いた。
水着姿になったメリーがプールに目をやると、
プールの中に、足だけ突っ込んでバシャバシャやってる西洋人と東洋人のハーフとみられるおばあさんがいた。
「隣、座ってもいいですか?」
メリーは声をかけた。
「あら、日本人?」
おばあさんは、そう言って嬉しそうに、
「どうぞ、どうぞ。お隣に来て。」
と、招いた。
2人は、横に並んでプールに足を入れて座り、たわいもない話しをした。
「明日、結婚式なの?素敵。おめでとう。ねえ、ところで、私、誰に似てると思う?」
「え?えっと、…。」
メリーがおばあさんの横顔をよく見た。白い肌に白髪。頬骨が少し出ている。口は、小さな上唇に大きすぎもせず小さすぎもしない下唇。アンバランスな口。鼻筋はスッと通っている。目は、二重瞼で、まつ毛は短めで茶色い。瞳の色は、明るい茶色。ややふっくらしたフェイスラインの顎は、尖っている。
「常盤貴子?」
おばあさんは、首を横に振った。
「え、えっと、中山美穂。」
おばあさんは、にっこり微笑んでメリーの方を見た。
「やっぱり似てる?よく言われるのよ。みぽりんに似てる、って。うふふ。」
「あ…そうなんですか。」
適当に思いついた頬骨の出てる芸能人の名前を出しただけのメリーであったが、おばあさんにとっては大満足の正解だったようだ。
確かに、
おばあさんの顔の系統は、みぽりんで合っている。けれど、ランク付けすると、みぽりんが最頂点だとすると、おばあさんは、中の下というところだ。
「私、よく間違えられるのよ。こっちに来てから。」
「イスラエルに在住してみえるんですか?」
おばあさんに、メリーは興味津々で尋ねた。
「いいえ、観光で10日間いるだけよ。今日でこのホテルに宿泊して7日目。ビーチは美しいけれど、まあ、なんていうのかしら?飽きてきちゃって。うふふっ、贅沢な飽きね。今日初めてプールに来たの。明日から、エルサレムに行くのよ。」
おばあさんが、目くばせしながら、そう答えた。
メリーは、
「あ、そうなんですか。私、明日どこで結婚式挙げるのかわかりません。私たちも、エルサレムっていうところに行って、式を挙げるのかも?あはっ。」
と、相槌を打った。
メリーは、おばあさんと楽しく会話していたけれど、何か、胸騒ぎがしていた。胸がそわそわする。
「旦那様のところへ戻ったら?」
いいタイミングで、おばあさんがメリーに言った。
「そうですね。まだ旦那様じゃないけれど、明日から旦那様になる男の子のところへ戻ります。」
「良い想い出を作ってね!」
「ありがとうございます。みぽりんも、良い旅を。」
「うふふっ。」
おばあさんに別れを告げ、メリーは豆君を探しに、まずホテルの部屋に戻った。
いない。
豆君の母上の部屋のドアをノックした。
中から、豆君の父上が出てきて、
「遅かったな。」
と言った。
「えっと、豆さんご一緒じゃないですか?」
メリーは、豆君父上のドアを開けながら言った出迎えの言葉に戸惑った。
豆君父上は慌てて取り繕って、
「メリーさん、豆と一緒じゃなかったのか?豆のやつだったら、2~3時間前に『ビーチに行こう』って、うちのを誘って出て行ったっきり帰ってきてないよ。ちょっと帰りが遅いな。新妻放って出かけるなんて、あいつ…、どうもすまない。」
メリーは、
「いいえ、大丈夫です。母親と2人で過ごす時間も大切ですから。」
と、言葉を返したが、妙に引っかかるものがあって豆君両親の部屋を後にし、ビーチに向かって走った。
人だかりがある。
胸騒ぎが、激しくなった。
人だかりをかき分けて前に進むと、
ビーチ小屋の仕切りの柵の向こうに、豆君母息子の姿があった。
豆君の母上が、枝切りばさみくらいの長さがある先端が細い三日月みたいな劉曲線を描いたカマと思われる物を半笑いで、半泣きで持っている。
三日月なんて…
悠長な事は言っていられなかった。先端のピックの様に尖った部分が…、
豆君の肩に刺さっている。
ぐっさりと。
豆君も、同様に半分笑っているが半泣きの顔の困惑した表情をしている。
どうして、ビーチにそんな農具があったのか、何で刺さったのか?皆目見当つかないが、その状況に、野次馬の人だかりが集まってきて好機の目にさらされているのだ。どうしていいのかわからなくて、半笑いになっているのであろう。
メリーは人だかりの中から前に飛び出した。
「豆君!」
豆君の返事はない。豆君の母上が、戸惑いながらも、
「これ、刺さってるから、止血されてるたい。絶対抜けんように私ずっと持ってた。メリーさん、救急車呼んで!早くね!」
この状況で、まだ救急車も呼んでいないのか…、メリーは救急車を呼ぼうとした。けれど、電話は見当たらないし救急車を呼ぶ電話番号すら知らない。言葉も話せない。兄に助けてもらおうと、ホテルまで走って戻った。
走れども走れども、ホテルには辿り着けない。それでも走った。
メリーはホテルにやっと着いた。
兄の部屋、兄の部屋まで早く。
エレベーターが中々来ない。来た。9階のボタンを押す。エレベーターが、1階1階ごと止まる。早く、早く!兄の部屋へ。
兄の部屋にようやく着いた。
「お兄ちゃん、豆君の肩に針金が刺さってお母様がそれを抜けないように支えて持っていて、それで、それで、とにかく、ビーチまで救急車を呼んで!」
メリーの兄は、不思議そうな顔で、
「肩に針金が刺さっただけで救急車呼ぶ程繊細な男と結婚するのか?」
と言った。
「違う。農具のカマみたいな、なんていうのかわからないや、クワ?枝切りはさみくらい長い木の棒の先っぽに、カーブを描いた金具がついてるやつ。13日の金曜日でジョンソンが持ってそうな凶器だよ。とにかく、それが肩に刺さってるの。針金じゃなくって、もっと太くて鋭利な刃物が肩に刺さってるの。救急車呼んで!」
メリーは、必死に兄に訴えた。
兄も状況がなんとなく理解でき、メリーを落ち着かせる前に、ホテルのロビーに電話して流暢な英語で指示を仰ぎ、対応してもらった。
「メリー、もうすぐ救急隊、レスキュー隊、消防隊、とにかく、この国の何かの助けてくれる隊がビーチに行くから。もう向かっているだろう。落ち着け。僕も行く。豆君のところまで案内して。」
メリーは兄を連れて、豆君の元へ戻った。
兄は、驚いた。
「…。何で、こんなことに…。」
豆君母上は、腕がプルプル振るえていた。
「大丈夫たい。私支えてるから、出血量はそれほど多くない。」
我が子を守る母の姿がそこにはあった。
間もなく、救急隊と思われる人たちがやってきた。
「抜いたらだめたい!」
豆君母上の手から農具の棒を受け取ったイスラエル人の救急隊の男性が、
抜いた。
豆君の肩にぐっさり刺さっている農具を抜いた。
「ぷしゅーーー!」
血が、
血しぶきが飛び散った。
豆君の顔色が、みるみる青ざめていく。
「豆君!豆君!」
豆君に付き添ってメリーは救急隊の車に乗り込んだ。豆君母上が、
「私も付き添う。」
と、乗り込もうとしたが、定員オーバー。早い者順で、メリーが付き添いで乗り、病院まで豆君は運ばれた。
「豆君!しっかり!頑張ってね!」
メリーの声かけに、豆君は、
‘何’
と答えた。
救急車で病院に着くと、ヘブライ語で捲し立てる様に救急隊の人が病院のお医者に引き渡した。
メリーは、豆君の肩から溢れ出る流血を手で一生懸命抑えていたが、看護師さんお医者さんに羽交い絞めにされ引き離され、豆君は処置室へと1人タンかに載せられたまま運ばれて入っていった。
病院にメリー兄のスティーブンが、親族一同を引き連れて、処置室の前のベンチに1人腰かけ泣いているメリーの元へやってきた。
処置室の扉の上の赤いランプが消えた。
中から、お医者さんらしき人物が出てきた。俯いていた。スティーブンが、英語でお医者から説明を聞いている。メリーの母も横で聞いている。その他大勢は、何が起こっていて豆君がどんな状態なのかを把握できずにいる。ただ、険しいお医者の表情とスティーブンの絞り出す受け答えから、悲観せずにはいられなかった。
スティーブンは、メリーと、その横に座りメリーの手を握っている豆君母上の前に歩み寄り、
「豆君の血液型何型か知っていましたか?」
と、第一声に言った。
豆君母上が、
「AB型です。」
と答えた。
メリーはハッとした。
豆君は、昔、チャットルームで自慢げに話していたのだ。
「俺の血液型AB型のマイナスなんだぜ。献血の願いの手紙来るんだぜ。一回も献血に言った事無いけどよ。」
豆君の肩から出血した血液量に対して、輸血する血液が足りないのだ。自分の血液型を知っている国民は、世界をとってみると、少ない。血液型というものに、そもそも興味がないのだ。
日本人が血液型にこだわるのは、相性占いで使いたいからだけであろう。
因みに、メリーは自分の血液型を知らない。
メリーは、メリー母上に、
「お義母さんも、ABのマイナスですよね?そうでしょ?血を分けてあげてください!」と悲痛な声で訴えた。
豆君母上の血液型は、残念ながらB型で、豆君父上の血液型は残念ながらA型であった。
「たつ子ちゃん、何型?」
「AB。」
たつ子ちゃんは申し訳なさそうに付け足した。
「プラス。」
「はぁ~…。」
メリーの口から、ため息と、泣きじゃくって顔中に溢れ出ている鼻水やらよだれやら涙やらの汁が垂れている。
その時、メリー母が、
「私、血液型知らないわ。メリーのパパの血液型も知らない。スティーブンもメリーのも知らない。」
メリー一家は、よくぞそこまで血液型を知らずに、気にもならずに、いい年したその年まで生きてきたと感心する。
「血液型調べてもらおう。運が良ければ僕らの血が使えるかもしれない。」
スティーブンは、お医者に、メリー一家4人の血液型検査の申し入れをした。
メリー父、メリー母共にAB型だった。
―「お願い、マイナスであって。」
皆がそう願う中、無情にもスティーブンの通訳する血液型検査の結果は、
「AB型プラス、だそうだ。」
だった。
しかし、
血液検査の結果を持って先ほど俯いていたお医者の表情が明るくなっており、
なんと、
「メリーの血液型は、“AB型マイナス”だ。」
と、英語がわからない一族にでも、
「マイナス」
という言葉は響き渡り、喜び勇んだ。
メリーは、腕まくりをして、
「早く!早く私の血をとって。お兄ちゃん伝えて!私の血無くなるまで抜いて構わないから豆君助けてくださいって伝えて!」
スティーブンは、マイルドにその旨をお医者に通訳して伝えた。
横には、青白い顔をした豆君が意識なく横たわっている。その隣のベッドの上に、メリーは横になり、腕から血液を採取している。
メリーの血液が、豆君の身体の中に流れ込んでいく。
「私たち、血が繋がったね。」
メリーは、まだ青ざめた顔色をして、目も、口も、顔の表情筋を一切ピクリともせずに死んでいる様に横たわっている豆君に向かって言った。
一度に献血できる量がどれくらいが上限なのか定かではないけれど、メリーが横になっていてもフラフラし、ふわふわ身体が浮いてくる感覚になるまで、メリーの血は豆君の中へと送り込まれた。
「メリー。」
豆君の声で、メリーはハッと我に返った。
「豆君、大丈夫?意識戻ってよかった。」
豆君は、いまいち状況が把握できていないそぶりだったが、
「メリー。明日結婚式挙げれるな。」
と、確かに、確実に喋った。
「豆君、良かったぁ、え~んえんえん。豆君死んじゃうと思ったよぉ。良かったぁ。」
泣きじゃくるメリーの腕に刺さっている注射針を見て、豆君は、
「メリー、メリーも怪我したのか?大丈夫か?」
と、心配そうに言った。
「私は、豆君の身体に血液を送っただけ。豆君の身体の中には、私の血が流れているんだよ。凄いね。ふふっ。」
豆君は、ようやく状況が理解できた。
「メリーありがとう。イスラエルにまで連れてきて、俺の為にこんなことまでさせちまって。ホント悪りぃな。嬉しいよ、俺ら血が繋がったんだな。」
身体を起こしてメリーの元へ歩み寄ろうとでもしたのか、豆君は上半身を起こそうとして、肩に激痛が走り、
「うっ。」
と、うなってパタンとベッドの上に横になって倒れた。
メリーは、
「無茶しちゃダメヨ。病人、いや、人騒がせな怪我人は大人しく寝ててください。」
2人につきっきりで、機械音やグラフをチェックしていた看護師さんが、手を止めて、顔色の悪い2人の微笑ましい夫婦愛を言葉は通じてないなりにも察知した様子で、お医者を呼びに行った。
お医者と、スティーブンが、救急救命室の2人の並んだベッドのそばにやってきて、スティーブンがお医者の言葉を通訳して2人に聞かせた。
「もう、大丈夫です。豆君は肩の傷口が深くて大きいから、傷がふさがるまでの間、暫く入院しないといけないけれど、もう、命の別条はない。」
メリーは、
「豆君母上をここに呼んでもいいか聞いて。」
と、スティーブンに頼んだ。
豆君母上は、救命外来の処置室に入って来るや否や大泣きで、
「豆、あんた明日結婚式なのに、こんな事になって。日ごろの行いがよっぽど悪いんか?」
豆君は笑って、
「日ごろの行いが良いから、怪我ができて、メリーと血の繋がりが持てたんだよ。」
と、豆君母上に言った。
豆君母上は、泣きながら、
「メリーさん、ありがとう。ありがとう。本当にありがとう。ごめんね。豆のせいで、こんな遠いところまで連れてこられたのに結婚式も挙げれない。その上、血まで吸い取られて豆に奪われて・可愛そうな事してしまって、ホントに豆のやつがすみません。」
豆君は、
「そんな言い方するなよな。俺そんなに悪い事してないぜ。事故だから仕方ないだろ?」
と、豆君母上に言った。
「口答えできるまで回復してホント良かった。豆、減らず口でもなんでも今だけは叩いていいよ。」
「柄にもない事言うんじゃないよ。」
「豆、改めてきちんと、メリーさんのお詫びとお礼を言いなさい。親しき中にも礼儀あり。」
豆君は、肩をかばいながら上半身を起こして、メリーに向かって、ぺこっと頭を下げた。
「メリー、いつか必ずこのメンバーで、子のメンツが揃ってる中で結婚式挙げるからな。今回は、我慢してくれ。ごめん。すまない。本当にすまない。」
と、涙を浮かべて平謝りした。
メリーは、
「豆君が、生きているだけで、私は幸せだよ。それで充分。」
少し、頬に血色が戻った豆君の顔色を見て、メリーは本当に本当に良かったと、涙した。
お医者と、スティーブンが2人のベッドのそばに戻ってきて、
「メリーは、貧血になるといけないからもう少し休んで行って。残りのメンバーはホテルに引き上げるよ。豆君、旅行スケジュールがわかる何か書いたものある?君の入院期間がどれくらいになるか検討つかないから、どういう動きをとるのが最善か考慮して手配したいから教えてください。」
豆君は、
「赤いスポーツバックの中に入っている黒いレザーのスケジュール帳が入っています。そこに全日程表、飛行機の便、移動地点、駅・バスの大まかな時刻表のメモ、手配済みホテルのチェックイン時間やら滞在日数、等全て掻いてあるから、それを呼んでください。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いします。」
と、スティーブンに平謝りした。
メリーは、豆君に、
「お兄ちゃん、こういうの好きなタイプだから平気よ。仕切り屋ってやつ。何でも自分で仕切りたがるの。[喜んで引き受けよう]って、顔にかいてあるでしょ。」
と、スティーブンに聞こえる様に、豆君に言った。
スティーブンは、
「メリー、やっと笑った。良かった。豆君、今回のことで一生頭あがらなくなったら困るよ。メリーは、尻に敷くタイプの女だからな。」
と、メリーに聞こえよがしに豆君に対して言った。
豆君父上と、たつ子ちゃんと丸ちゃんと、メリーパパは、豆君が順立てたスケジュール通りに行動し、
「ほお、ここで結婚式を挙げる予定だったのか。よし、記念写真を撮ろう。」
等と言いながら、イスラエルのあちこちを観光して回り、予定通りに取ったチケットの飛行機に乗って日本に先に帰った。
メリー母が、何故残ったのかは、謎だ。どうやら、最初に入ったアメリカンレストランのハンバーガーがえらく気に入ったから、病院にお見舞いに来ても、着替えを届けに来ても、
「何か食べたい。ハンバーガーでも食べてからホテルにかーえろ。」
といった調子で2~3週間滞在した。しっかり者の豆ちゃんのお兄ちゃんだけあって、海外旅行保険に、全員入れていたので、ホテルの宿泊延滞日や、飛行機のチケットの取り直しにかかった費用は微弱で済んだ。
豆君は、この入院期間中、スケジュールが、みっちりつまった仕事を全てキャンセルして、妹と、その結婚相手の為にイスラエルに残ってくれたスティーブンとかなり親しくなっていた。2人の様子が何かこそこそしていて変だ、とメリーは思いつつも、窓の外に目をやった。メリーがよそ見している隙を見計らって、豆君はスティーブンに目で合図を送った。
「ぱーん!ぱんぱーん!」
ぱぱぱぱぱん♪ぱぱぱぱん♪ぱぱぱぱんぱぱぱぱんぱぱぱぱんぱぱぱぱん♪
クラッカーのはじける音。その中に響く結婚式の登場シーンで流れるファンファーレの音楽が鳴り響いた。
メリーは、
「え?何?どういう事?」
ビックリしすぎて、口があんぐり開いている。
「ダメだよぉ。イスラエルでクラッカー鳴らしたら、どこかが爆破されたと誤解され大騒動になるよぉ。嬉しいけど何ぃ。」
豆君は、
「スティーブン兄さんに通訳してもらって、クラッカーとファンファーレの音楽鳴らす許可をちゃんともらってあるよ。これ、結婚指輪。」
牧師さんの変わりをしてくれたのは、何故かメリー母だった。
病院の廊下で、ヒソヒソ話よりは大きい声だけれど、小さな声で、人前結婚式を行った。
豆君母上、スティーブン、そして、牧師役のメリー母。主役の2人は、牧師のメリー母が赤い小さなクッションの上に並べて置かれた結婚指輪を2人の前に差し出し、豆君がまず、1つ指輪を取り、メリーの左手の薬指にはめ、次にメリーが指輪をとり、豆君の左手の薬指にはめた。結婚指輪の交換を無事行うことができた。
スティーブンが、
「キスくらいしとけよ。ふふっ。」
と、茶化してくる。
豆君母上もメリー母も、
「キース、キース。」
とテントウムシのサンバを歌っているバブル時代のおねえちゃんみたいに執拗に2人にキスさせようとした。
2人は、
「仕方ないなぁ。」
「参ったねぇ。」
と言いながら、正面を向き合いキスをしようと見せかけて、おでことおでこをガツンとぶつけてならし、
「最近のキスは、口でするんじゃなくって、頭突きでするんですー。」
と、誤魔化して逃げた。
2人が、仲良くは知って病院を出る姿を見て、お世話になったお医者さんや看護師さんは微笑んで見届けてくれていた。
「さっ!明日からまた頑張るぞ!」
豆君とスティーブンは、バスの中でも、電車の中でも、帰りの飛行機の待合ロビーでも、なんとか届くWi-Fi回線を頼りに、パソコンをカチャカチャいじって休んでいた間にたまった書類の処理やらなんたらを忙しくしていた。
そんなことはお構いなしで、メリー母は、
「何か食べたい。」
と、また言いだした。
豆君母上も、口癖が映ったのかホントに腹ペコ病が伝染したのか、つられて、
「何か食べたい。」
と言い出していた。
福岡と、岐阜と、東京との、遠く離れた地に住む一族は、あれから全員揃って顔を合わせる機会には恵まれていないけれど、電話や、メールや、豆君母が最近始めたインスタや、フェイスぶくで皆繋がり、遠く離れていてもワイワイあのイスラエルの時よりも楽しくやれている。
結婚式の予定?
もう、病院でやったからいい。
豆君が慌ただしい日々を送る中、
「たまには窓の外を眺めてよ。」
と豆君に言われた言葉の言うことを聞き、朝起きたらカーテンを開けて窓を開けて、空気の入れ替えをする様になった以前自宅警備員のメリーは仲良くやっている。順風満帆。
幸せな日々は、まだまだこれから始まっていく。
ネット恋愛 まさぼん @masabon
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