現在の『俺』から、10年前の『僕』の友人へ
双場咲
現在の『俺』の話
『俺』が『俺』を自称するようになったのは、いつの日の事だろう。
こうして言葉を省いて文章にしてしまうと、前向きに捉えれば哲学的と読めなくも無く、後向きに捉えれば何処かの詐欺商法を想起させるかもしれなかったが、今の自分の脳内に思い浮かんだ疑問に違いは無かった。
正しく言えば、「俺はいつからネットの友人に対して『俺』と自称するようになったのだろう」という話だ。
残業込みの仕事を終えてから退社し、0時を跨ぐ直前の最終電車に乗り込んでから一息ついた俺はスマートフォンを取り出すと、とある有名SNSサイトの専用アプリを起動した。
俺の降りる駅までは30分近くかかる。その間、睡魔に身体を任せても良かったのだが、翌日も朝の8時から出勤だった。ここで寝て、帰ってからまともに寝れなくなると支障が出るし、万が一に目的駅で降り損なっては最悪である。SNSでの交流は、駅に到着するまでの時間潰しだ。
「仕事終わりぃ……」と微妙に疲労感がにじみ出ている呟きをすると、「お疲れさま」「おつおつ」「おつですよ」とこれまたテンションの低い反応が友人から送られてきた。俺も似たようなリアクションしか取れない人間なので、その文面に不満は無かった。むしろ反応を貰えただけありがたい話である。
友人と言っても、プライベートのでは無い。今でも付き合いのある友人は存在するが、ここ数年はめっきり会う機会が激減してしまった。昨年の年末に酒を飲み交わしたのが最後だったと思う。既に10月を過ぎていたので、おそらく次に会うのはやはり年末になるのだろう。このまま縁が切れてしまわない事を願うばかりである。
俺が現在SNS内でやり取りをしているのは、全員インターネット上で知り合った友人達だ。
彼らとは、某ネットゲームを切っ掛けに知り合った。最初の出会いから3年が経過した今でもそのゲームは相変わらずの人気を博しているそうだが、1年もプレイせずに飽きてしまった俺や友人達はその後も違うゲームを転々としながら、現在も交友関係を続けている。
交流を深めている内に、友人達の年齢に少しブレが生じている事実が判明した。全体の大半を大学生が占めていたものの、中にはまだ高校1年生の若者が含まれていたと知った時は驚いたものだ。少しは勉強の方も頑張っておけと心配になる。
俺自身はというと、彼らよりも一足先に社会の荒波へと飛び出した最年長だったりする。時々、年齢差から生まれる考え方の違いやジェネレーションギャップを感じる機会もあったが、少数ながら同年代の社会人も中には居たので今のところ関係に不自由はしていない。
俺が気になったのは、そんな友人達の中に含まれていた一人の学生だった。『彼』は友人達の中では唯一、自身の事を『僕』と呼称していた人間だった。
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