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〝美湯灰善〟の店内は迷路のようだった。ゴタゴタとあらゆる商品が堆く積まれて壁を作り、客を案内するはずの案内板は、むしろ迷わせるためにあるかのように思えた。しかも、意味不明の文句が、読みづらい書体で書かれている。

「ねえ、世之介さん」

 茜が慎重な口ぶりで話しかけてくる。世之介が振り返ると、ちょっと言い方を考えているのか、目を落ち着かなく彷徨わせた。

「着ているもの、変えるつもりは全然ないの?」

「これを、かい?」

 世之介は自分の着物を摘んだ。茜は頷く。

「ええ。世之介さんは【バンチョウ】なんだから、それらしい格好をしたほうがいいと思うんだけどな」

「【バンチョウ】らしい格好?」

「そう」と頷くと、茜は店内の一角を指差した。

「例えば、あんなの……」

 指差された方向には、様々な学生服の見本が展示されている。

 大江戸にも、学生服を制服に定め、身につける学問所はあるから、世之介はそれ自体には戸惑いはなかった。だが、あまりにも番長星の学生服は、今まで見知ったものとは違っていた。

 ひどく裾の長いのや、短くなっているもの(長ラン、短ランというのだそうだ)、太いズボン(ドカン)、裾がぎゅっと絞られているもの(ボンタン)などの奇妙な形の学生服が飾られている。また、学生服の上着の裏地には、様々な刺繍が施され、思い切り派手な色合いのものもあった。

「いらっしゃい……」

 掠れた女の声が聞こえた。声の方向を見ると、年齢二十代半ばと思われる、毒々しい化粧をした店員が乱雑に積み上がった商品の間をすり抜けるように近づいてくる。髪の毛は金色に染め、指先の爪は緑色に塗られていた。

「何か、お探しでしょうか……」

 店員の声は囁くようで、よく聞き取れなかった。

 イッパチがニタニタ笑いを浮かべ、大声で尋ねかける。

「火炎太鼓、なんてえのは、ござんせんかい?」

 店員はそっけなく首を振って答える。

「御座いません。他に……?」

 茜は頷いた。

「うん! この人に【バンチョウ】らしい格好をさせたいんだけど」

 茜の言葉に、女店員の唇の両端がきゅっと持ち上がり、微笑を形作った。しかし、目は笑っておらず、逆に爛々と光っている。

「【バンチョウ】……この人が?」

 ちょろりと唇の間から舌が覗き、舌舐めずりをする。

 さっと世之介の全身を、上から下までじろじろと眺めている。顎に手をやり、何か考えているのは世之介の寸法を目見当で測っているのだろう。

 やがて大きく頷くと、片腕を挙げ、指先を招くように、くいくいと動かした。

「こちらへいらして下さい……」

 相変わらず女店員の声は溜息が漏れるような、力が抜けた口調である。

 世之介は女店員の声に誘われたように、ふらふらと歩き出した。ちらりと背後を振り返ると、助三郎と格乃進、光右衛門たちは商品を熱心に見ているところで、世之介の動きには気付いていない。

 どうしようか……と世之介は迷ったが、結局は声を掛けることもなく、女店員に誘われるまま歩き出す。

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