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 茜は一歩さっと引き下がると、腰を沈め、両足をがばっと蟹股がにまたに広げた。左手を後ろに構え、右手を前に突き出す。

「お控えなせえっ!」

 ぐっと下から世之介の顔を見詰め、叫ぶ。

 世之介は訳が判らず、ただ、ぼんやり呆然と、茜のきりっとした顔を見返しているだけである。

 もう一度、茜は叫んだ。

「どうぞ、お控えなせえっ!」

 叫んだ後、世之介を見上げたまま待っている。何を待っているのか?

「若旦那……」

 イッパチが話し掛けてくる。世之介はイッパチに向かい、囁いた。

「イッパチ、あの茜って娘のしていること、判るのかえ?」

「へい! あっしは、あのお嬢さん、若旦那に向けて仁義を切っているんだと、考えておりやす」

「仁義? なんだい、そりゃ?」

「挨拶でござんすよ。若旦那も真似されたらいかがで? 茜さん、困っておられるようでげすよ」

 言われて世之介は、茜の仕草をぎこちないながらも、真似をすることに決めた。腰を沈め、右手を覚束なく突き出す。

 さっと茜の頬が紅潮した。

「早速のお控え、有難うござんす! 手前、生国と発しますは、番長星にござんす! 番長星、と言っても広うござんす。北番長星は常陸の国、大宮村に生を受け、那珂川にて産湯を使い、姓は勝又かつまた名前は茜と申す、不束者でござんす! 此度は奇遇なことに、あんさんの……」

 茜の言葉が途切れ、困惑の表情になる。

「あの……、名前を教えてくれない? 仁義を切る前に、名前を教えて貰ってなかったこと気がつかなかったの」

 蚊の鳴くようなか細い声になる。顔は恥ずかしさに、真っ赤になっている。頷き、世之介は顔を近づけ、小声で答えてやった。

「但馬世之介だよ、茜さん」

 さっと茜は元の位置に戻って仁義を続けた。

「……但馬世之介様の知己を有り難くとも頂き、ただただ、恐悦至極にござんす。今年、十と八歳になる若輩者でござんすが、どうぞ皆々様のお引き回し、ご鞭撻、よろしうお願いいたしやす!」

 ぱちぱちと周りから女たちの拍手が湧いた。茜は、明らかにほっとした表情になって立ち上がった。

「ああ、よかった! ちゃんと仁義が切れたわ! 何しろ世之介さんは本物の【バンチョウ】だもんね! こっちも正式の仁義を切らないと、失礼だもん」

「さて」と光右衛門が口火を切った。

「少し寄り道したようですが、これから茜さんは、わしらをどこへ連れて行ってくれる、お積りなのでしょう?」

 光右衛門の言葉を耳にして茜は「あっ」と口を押さえる。ぽかり、と自分の頭を打ち、舌をぺろりと出した。

「いっけなあい! 肝心なこと忘れてた! あのね、お爺ちゃん……」

 光右衛門は、にこやかに答えた。

「越後屋の隠居、光右衛門で御座います」

 茜は頷いた。

「ああ、そう、光右衛門さん。それに……」

 問い掛けるように、助三郎と格乃進、イッパチに目を向けた。

「格乃進で御座います。格さん、とお呼びくだされば結構!」

 格乃進は、それでも堅苦しく、真っ直ぐ茜を見詰めて口を開く。

「助三郎で御座います。助さんでよろしいですよ」

 助三郎は、にっこりと柔らかな笑みを浮かべている。助三郎の背後から、イッパチがひょこりと顔を出し、喋り出した。扇子をぱちりと鳴らし、軽く襟元を調える。

「イッパチでげす! 軽くイッパチ、と呼び捨てになっておくんなせえ。間違えてもイッパチさん、なんて〝さん〟付けは、ご勘弁を……。色っぽい声音で『イッパチさん』なんてえ呼ばれた日にゃ、あたしゃもう……」

 イッパチは一人で照れている。茜は呆れて見ていたが、それでも頭をぶるっと振って立ち直ると、改めて口を開いた。

「【集会所】に案内しようと思ってたの!【集会所】には、あたしの両親もいるし、ここにいるみんなの家族も揃っているから、大丈夫。ね、是非とも寄ってくれない? 本物の【バンチョウ】を連れてきた、ってことになれば、あたしは鼻が高いわ!」

 茜の両目はきらきらと輝いていた。

「そうよ! 絶対に【集会所】に来て貰わなきゃ!」

 二輪車の女性たちが一斉に賛意を表した。

 世之介は意見を求めるように、光右衛門を見た。光右衛門は頷く。

「よろしいではありませんか! わしらも、少しはこの星のこと、勉強になるはずです。まずは、自分たちの今いる場所のことを知ることが肝心でしょう」

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