ウラバン!~SF好色一代男~

万卜人

序章 温故知新

1

 スピーカーから引っきりなしにがなりたてる候補者の演説に、学生は内心むっと顔をしかめた。だが、素知らぬ振りを装い、立ち止まることなく歩き続ける。

 最近の若者らしく、野暮ったい服装で、ひょろりとした身体つきに、鼻には黒縁の眼鏡を掛けている。眼鏡は伊達だてで、若者は特に近視というわけではないが、二十世紀後半──昭和四十年代の若者の格好を真似している。

 選挙演説の音量は相当にうるさい。できたら耳を塞ぎたいところだったが、そんな真似をしたら、演説に聞き入っている人間に睨まれると我慢した。

「大江戸党、大江戸党を、よろしくお願いいたします! 世界を江戸に! 東京を江戸と改め、徳川家のご子孫に、征夷大将軍に御昇り頂くことを切に、祈っております!」

 駅前には選挙運動のための街宣車が停車して、屋根に設けられた演壇には「大江戸党」の候補者がずらりと居並び、マイクを握りしめ、真っ赤な顔で見上げている聴衆に向けて夢中になって語り掛けている。

 背後には去年から採用された、ホログラフィを使った選挙パネルが、空中に候補者の顔を大写しに映し出している。

 候補者は全員女性も含めて、和服着用で、紋付羽織袴の正装だ。さすがに月代丁髷さかやきちょんまげはしていないが、男は髪の毛をぴっちりオール・バックにして、女性候補者は日本髪を思わせる髪型で、しとやかに控えている。聞き入っている聴衆の中にも、同じような和服の身なりがちらほら、混じっている。

 総選挙が近い。当然、町にはあらゆる場所で、熱っぽい選挙演説が、道行く人に必死に訴えかけている。

 学生が前を通りすぎた【大江戸党】というのは、最近思想の主流に躍り出た「ネオ封建主義」を奉じる政治団体である。

【大江戸党】の主張は、日本の政治を真に地方分権にするには、江戸時代に戻り、幕藩体制を復活させるしかない、というものである。朱子学と幕藩体制を復活させ、江戸時代の安定した政治を呼び戻すのが狙いだ、と主張している。

【大江戸党】の主張はこうだ。

 江戸時代、日本は独自の、安定した社会を作ってきた。三百年間、他の国に侵略もせず、また、されることもなかった。自然を大事にし、徹底したリサイクル社会で、環境破壊とも無縁であった。身分の違いもあったが、同時期の他の国に比べれば、よほどゆるやかで、庶民はそれなりの自由を謳歌していたのだ──というのが主張である。

 民衆飢餓史観──江戸時代の百姓は、作った米を統治者に取り上げられ、一粒も口にできず一生を送った──は否定されている。統治者が百姓の米を取り上げたとしても、僅か人口の一割にも満たない侍たちが、総ての米を食いつくすことなどありえない。米は流通され、結局は農民の口に入ったのである。

 有名な天明・天保飢饉では、西国においては豊作で、農民が飢えた原因は流通に問題があったから、というのは定説である。

 科学技術に遅れたという批判には、当時の科学技術が大幅に発展したのは、明治維新後の世紀末からで、江戸時代の医学、数学、天文学などにおいては、西欧と比肩するほどに発達していたと答える。

 明治維新を迎え、当時の植民地を基にした帝国主義に触れ、日本は変質した。侵略的な思想が蔓延し、足尾銅山などの鉱毒事件により環境破壊が始まり、ついには太平洋戦争を引き起こし、二個の原爆によって無条件降伏に至った……。敗戦後、日本は遮二無二、復興を目指し、経済大国を目指したが、さらなる環境破壊も呼び寄せた。

 総て明治維新という、政治の失敗が招いたのだ。だから日本は明治維新以前の状態に戻すべきだ、というのが主張である。

 鎖国もするのか? という問いには、【大江戸党】はこう答えた。

 江戸時代が鎖国制度だった、というのは間違いである。国を閉ざしたのは、あくまでもキリスト教の、しかもカトリックの国々に対してであり、プロテスタントのオランダとは出島を通じて貿易をしている。【大江戸党】の目指すのは、世界中に「ネオ封建主義」の思想を広め、世界の中心に新たに幕府を置いて、人々の象徴として徳川家の子孫による征夷大将軍を置く。世界中が日本になれば、鎖国の必要もないし、戦争を引き起こす心配も絶対にない! と。

 馬鹿らしい、と学生は腹の中で笑った。

 そんなこと、できるわけない! 世界を日本にする、など、夢物語もいいところだ。確かに今の世の中は、懐古趣味が流行だ。第一、学生自身、昭和時代に夢中で、服装もその頃の学生の雰囲気を忠実に真似している。

 しかし、いくらなんでも、江戸時代まで戻るなんて、やり過ぎである。

 学生はポケットから携帯型のカセット・テープ・レコーダーを取り出した。目の玉の飛び出るような金額だったが、当時の若者が聞いていたカセット・テープというものを使った音楽プレイヤーである。

 当時の若者は皆、持ち歩いていたことを知り、どうしても欲しくなり、八方に手を尽くして探し出した逸品である。

 なにしろ、このプレイヤー一つで、最新型の電動三輪車トライクが買えるほどの金額だ。手に入れるためには長期のローンを組まねばならなかったが、価値はあったと思っている。

 耳にヘッド・フォンをつけ、音量つまみを捻ると、湿っぽい、当時流行のフォーク・ソングが聞こえてくる。

 音楽で選挙演説を掻き消しながら、学生は急ぎ足になった。

 肩から提げたバッグには、今日これから提出するための、卒業論文準備稿の入ったファイルが大事にしまっている。ファイルを指導教授に提出して、了解を取ればあとは一気呵成に論文を仕上げ、卒業を待つのだ!

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