その男、鬼市なり
源蔵
序章 全ての始まり、伝説の夜
全ては千年以上昔のことだった。
その日、大江山は大雨にさらされていた。
豪雨は、山肌を容赦なく削り取り、どこからか激しい土砂崩れの音が地響きのように響いていた。
もっとも、そのような喧噪など、この岩屋で起きている事に比べたら些事なことだった。
「貴様等……」
体中に回る痺れから、覇気が籠もる銅鑼のような声も、今はか細く鳴るだけだった。
苦渋の表情が雷光の元に一瞬だけ浮かんだ。
「終わりだ」
対照的な冷静かつ、冷酷な響きが静かに、しかし確かに響いた。
薄く揺らめく蝋燭が暗き闇を照らす。
その中に浮かび上がるは、仰向けに倒れた巨大な鬼と汚れた山伏姿の男だった。
柔らかく薄い光は山伏が持つ鋼の刃を鈍く反射させていた。
それは鬼の大きく上下する胸元を経て、首元へと突きつけられた。
「所詮、都人など……この程度のものか」
声を発する度に、緊張のためか突き付けられた刀が一瞬だけぶれる。
「我らは鬼! 我らはこのような卑怯な真似はせんわ! 貴様等はその存在だけでなく、言葉すらも汚らわしい!」
まともに動きもしない身体のどこにそんな力があるのだろうか。鬼の怒号は地鳴りとなり、部屋を震わせた。
まさにそれと反応するがごとく、彼らの裏側の谷間で土砂が崩れ落ちていった。
「黙れ……黙れ外道! 何の罪もない姫達を攫い、喰っている貴様等、鬼の言葉など、聞く耳持たんッ!」
男の張り上げる声に、鬼は低く嘲笑した。
「笑止! それは貴様等、ちっぽけな人間の言い分だ。我らは鬼なり……我らは人を食らってなんぼの存在だ。この世が貴様等のものだとでも思っているのか……」
その言葉に突き付けられている刀がわずかに首に突き刺さっていた。
膨れ上がる殺意に、鬼はさらに薄く笑った。
互いに住む世界が違うのだ。
それらの道理がまかり通るわけがない。
だからこそ、それを一方的に押しつけようとする男の言葉を鬼は鼻で笑った。
その時だった。
外から甲高い断末魔のような悲鳴があがった。
「っ……茨木。愚か者めが」
鬼は動かなくなりつつある身体に舌打ちをすると、ゆっくりと目を閉じた。
「やはり、噂通りの悪漢とはこのことか……我らは貴様等の言葉を信じたというのにな」
運命を受け入れ、鬼は静かに静かに言った。
「言いたいことはそれだけか? ならば、その首もらい受ける」
「貴様の名と魂……忘れぬぞ。瀬光よ。いずれ、来世できさ……ま……」
……
…………
………………
永い永い伝説の夜が終わった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます