丘に咲く花・2

「私の名前、ですか?」

 三段重ねのパンケーキを切り分けながら、小鳥のように首を傾げる少女。自称『魔導人形』は今日も食欲旺盛だ。

「そうだよ、聞くの忘れてただろ」

「そういえばそうだねえ」

 もっともらしく頷いてみせる店主は、つけ合わせのニンジンを選り分ける作業に余念がない。ここまで堂々とされるといっそ清々しいが、見過ごすわけにはいかないので釘を刺しておく。

「おい。好き嫌いしないでちゃんと食えよ、おっさん」

「オルト君の意地悪~」

 ぶうぶうと文句を垂れる店主は放っておいて、黙々と食事を続ける少女へと向き直れば、これでもかと積んだはずのパンケーキはすでに最後の一枚になっていた。この調子では「お代わりを要求します!」が出るのも時間の問題だ。

「それで、お前の名は?」

 パンケーキの切れ端を口に運ぼうとした手が止まり、紫色の瞳が一瞬だけ揺れる。そして少女は、そっとフォークを置くと、おもむろに口を開いた。

「人形の名前は持ち主が決めるものです。今の主はユージーンですから、どうぞお好きなようにお呼びください」

 淡々と答えて、再びパンケーキ攻略に取り掛かる少女。予想外の返答に困惑しつつ隣を窺えば、主と呼ばれた男は「うーん、そうだねえ」と腕を組んで、しばし考えるような素振りを見せ――。

「《お人形ちゃんドリー》でいいんじゃない」

「そのまんまじゃねーか!」

 思わず全力で突っ込んでしまってから、何やら嬉しそうな店主の顔に、まんまと乗せられたことに気付く。

「おっさん……! 冗談は休み休み言えよ!」

「やだなー、僕はいつでも本気だよ?」

 抗議の声をさらりと聞き流し、よいしょ、と立ち上がる店主。

「お客さんが来るみたいだから、早く食べた方がいいよ」

 唐突な言葉に、思わず「へ?」と間抜けな声を上げてしまってから、いつの間にか食事を終えていないのが自分だけだったことに気付いたオルトは、訳が分からないままパンケーキを口に押し込み、山盛りのニンジンを咀嚼する。

「……来客があるとは聞いていないのですが」

「……そもそもこの店に客が来たところなんて見たことがないぞ?」

 こそこそと囁き合う二人を横目に、店主はそそくさと店の奥へ引っ込んでしまい、戻ってくる気配もない。

「私はどうすればよいのでしょう?」

「とりあえず、机の上を拭いてくれ」

 少女が台拭きと格闘する横で慌ただしく食事を終え、空いた食器を下げに台所へ向かう。

 食器を洗う暇はなさそうなので洗い桶に浸すだけにして、ついでに軽く食料庫を確認して戻ってきたところで、不意に窓の外が騒がしくなった。

「ユージーンの言っていたお客様でしょうか。こういう時は何と言って出迎えればよいのですか? ああ、緊張します!」

 何やら落ち着かない様子の少女を「いいから台拭きを洗って来い」と台所へ押しやり、未だ戻ってこない店主を探しに行こうか悩んで、うーんと腕を組む。

(っていうか、あのおっさん、何しに行ったんだよ?)

 客が来ると言ったのは店主なのに、その当人が姿を消してどうするというのだ。

(まさか……接客が嫌で逃げたんじゃないだろうな)

 あの男ならやりかねない、と頭を抱えた次の瞬間、扉を叩く音が響いてきた。それも『コンコン』などという可愛らしいものではない。『ガンガンガン!』と、今にも扉を叩き割らんばかりの勢いだ。

「おい! 誰かいないのか!」

 続いて聞こえてきたのは、苛立ちを隠そうともしない男の声。これではまるで借金取りのようではないか。

「おい、やめろよ。準備中の札がかかってるじゃないか」

「かかってる? 打ちつけてある、の間違いだろ。こんなものあてになるかよ。おい、開けろ!」

 仲間の制止に耳を貸す様子もなく、再び扉を叩き出す男。この様子では、素直に開けてやったところでまともな話が出来るとも思えない。

(どうすりゃいいんだよ……!)

「オルト君、扉を開けてあげてくれる?」

 呑気な声に振り返れば、雑貨で溢れ返った帳場の向こうに店主の姿があった。いつの間に戻って来たのかと驚くより前に、その姿にぎょっと目を剥く。

(おっさん……だよな?)

 何のことはない。無精髭を剃り、髪を首の後ろで一つに束ねて、濃紺の長衣を羽織っているだけだ。それなのに、なぜかいつもと雰囲気が違う。極めつけは、左の眼窩に嵌った古風な片眼鏡。そんなものをつけている姿など、今まで見たこともない。まるで学者のような――いや、違う。

(ちゃんとした『骨董屋の店主』に見える!)

 あんまりな感想だと自分でも思ったが、この場に少女がいたらきっと同じことを言うだろう。

「? どうかした?」

「いや、なんでもない」

 動揺を押し隠し、今にも蹴破られそうな扉へと走り寄る。「少し離れてくれ」と断りを入れてから慎重に扉を押し開ければ、そこには四人の男性が佇んでいた。

「まったく、いるならさっさと開けたらどうだ、このうすのろめ」

「おい、やめろ。揉め事を起こすなと言われたばかりだろうが」

 いかにも傭兵崩れといった雰囲気の二人組は、先程から扉を叩いていた男達だろう。その後ろでは大荷物を抱えた従者が疲弊しきった顏で息を整えている。そんな彼らをぐいと押しのけるようにして進み出てきたのは、瀟洒な旅装に身を包み、気取った帽子を被った年嵩の男だった。

「ここは《ユージーン骨董店》で間違いないか?」

 整えられた顎髭をしごきながら、居丈高に尋ねてくる男。その態度は実に腹立たしいが、表にまともな看板が出ていないのだから、この質問は当然と言えば当然だ。

「あ、ああ。そうだけど、あんたらは――」

「一月ほど前に、カルディアからの荷物が届いているはずだ。心当たりはないか」

 一方的にまくし立てながら店内へ足を踏み入れた男は、辺りを見渡してわざとらしく顔をしかめてみせた。

「小汚い店だな。こんなところにわざわざ足を運ぶ羽目になるとは、まったく……」

 これでもかなり苦労して片付けたというのに、『小汚い』と評されては黙っていられない。

「おい、なんだよいきなり! っていうか、あんた何者だ!」

 思わず声を荒げたオルトに、男はいかにも面倒そうに口を開いた。

「私はバルバス。カルディア領主代理の使いだ。お前はここの小間使いか? 荷物が届いているか否か、隠し立てせずに答えよ」

「誰が小間使いだ!」

 思わず怒鳴り返してから、だんまりを決め込んでいる店主を振り返る。

「おっさん! 黙ってないで何か言ったらどうだ!」

 その呼びかけで初めて店主の存在に気付いたらしい男は、背後の男達に合図をして、ずかずかと帳場へ歩み寄り――ゆらり、と立ち上がった店主の姿に、ぎょっと動きを止めた。

 長身の彼がきちんと背を伸ばして立つと、バルバスはおろか、背の高い護衛の二人をも見下ろす形になる。まして、無駄に整った美貌に加え、学者然とした出で立ちが醸し出す威圧感は、普段の様子を知るオルトですら思わず息を呑んだほどだ。

 そうして、蛇に睨まれた蛙のように立ちすくむ四人をひたと見据えて、店主はおもむろに口を開いた。

「僕宛ての荷物なら、確かに届いてるよ」

「それだ! その荷物はどこにある」

 色めき立つ男達に、店主は店の奥へと繋がる扉をひょいと指し示す。そこへ――。

「オルト、片付けてきましたよ」

 勢いよく扉が開いて、少女が姿を現す。その『お人形のような』顔が凍りつくのを、オルトは確かに見た。

「――これはこれは、お嬢様。探しましたぞ」

 帽子を取り、恭しく一礼してみせる男。にい、と引き上げられた口元とは裏腹に、その瞳はまるで目当ての獲物を見つけた狩人のように爛々と輝いている。

「お父上の葬儀にも参列せず、いきなり姿を消してしまわれて、夫人がどれだけお嘆きになられたか。お戯れもほどほどになさいませ」

 さあ帰りましょう、と伸ばされた手を跳ね除けて、少女はつん、とそっぽを向いた。

「人違いでしょう。そのような者は、ここにおりません。他を当たられてはいかがですか」

 いつもより滑らかな物言いが、いやに堅苦しく――まるで機械が喋っているかのように聞こえるのは何故だろう。

 つれない返答に、男は芝居がかった笑い声を上げたかと思うと、片手を差し上げて朗々と歌い上げた。

「ああ、麗しの姫! 星々の輝きをまといし髪に紫水晶の瞳。白磁の肌に金鈴の声。そはカルディアの《生きる宝石》――。吟遊詩人が口々に誉めそやす銀髪と紫の瞳は、どちらも領主一族に脈々と受け継がれるもの。同じ特徴を持つ娘など、この世に何人もおりますまい」

 図らずも、それは一月前にオルトが抱いた感想と同じだった。銀髪も紫の瞳も、それほど珍しいものではない。しかしその二つが見事に揃い、更に年齢と背格好が近いとあらば、他人の空似を疑うよりも、同一人物である可能性を考えた方が早いのではないか――。

「それでも貴女は、亡きカルディアス公のご息女、リリエル・マリー・ロサ=カルディアスではないと――そう仰るのですかな」

 馬鹿馬鹿しい、と言わんばかりに首を振る男に、それまで瞬きひとつせずに立ち尽くしていた少女の瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。


「――リリエル・マリーは三年前に死んだのです」

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