丘に咲く花・1
「あの骨董店に女の子がいるんだって?」
仕分け作業中の雑談が《ユージーン骨董店》の話題になったのは、そこにたまたま十二番街出身の同僚がいたからだ。
「耳が早いな、ジャック。どこで聞いた?」
「牛乳屋のゲイルさんから。たまたま通りかかったら、見慣れない子がいたっていうからさ。オルトなら何か知ってるんじゃないかと思って」
オルトが昨年の春から《黄昏通り》を担当していることは周知の事実で、更に彼が骨董店のぐうたら店主に振り回されていることも万人の知るところだ。そもそも、これまで《黄昏通り》担当になった配達員のほとんどは半年以内に異動を申し立てているので、「よくもってるよな」というのが局員達の共通見解だろう。
「あの店で働こうなんて、奇特な子もいたもんだな」
「どんな子? 可愛い?」
作業の手を止めて身を乗り出してくる同僚達を見回して、げんなりと首を振る。
「お前らも見ただろ、『人形』騒ぎの時のあいつだよ」
その言葉に、彼らの反応は真っ二つに割れた。
「あれか!」「まじかよ」「……そうか、あの子か……」
「へえ、めちゃ可愛いって聞いたけど?」「本当にお人形さんみたいなんでしょ?」
発言の温度差はそのまま、『実物を見たか否か』を如実に物語っている。
「あの件はうやむやになっちゃったみたいだけど、結局あの店で暮らすことになったんだね?」
「ま、そういうことだ」
あれから一月ほど経った現在も、例の荷札は見つかっていない。どれだけ局長に絞られるかと冷や汗を掻いていたオルトだったが、どうやらユージーンが局長に掛け合ってくれたようで、特例として配達完了扱いにしてもらえた。それが十日ほど前の話だ。
ようやく『荷物の見張り』から解放されたオルトは、今や仕事ではなく私用で骨董店に通い、彼らの世話をする日々が続いている。
「でも、あのお店に従業員を増やして、何か意味あるの?」
心底不思議そうに首を傾げるジャック。元ご近所さんだけあって、その発言は実に容赦ない。
「……言うなよ。あのおっさんが言い出したら聞かないことくらい、お前も知ってるだろ」
「まあね。だからオルト、あれからずっとお店に通ってるんだ。優しいね」
ばれていないと思ったのに、しっかり気づかれていたらしい。ぐっと黙り込むオルトに、同僚達が左右からけたたましく声を上げる。
「ここ最近、つき合いが悪いのはそのせいかよ!」
「昼休みにも戻ってこないから、どうしたのかと思ってたんだけど」
「なになに? まさか、その子に会うために毎日通い詰めてるってわけ?」
何やら頭の痛い誤解をされているようだが、そんな甘酸っぱい理由だったなら、どんなに幸せだったことだろう。
「勘違いするなよ。あのおっさん一人に任せておけないから、仕方なく面倒を見てるだけだ」
生活能力皆無のぐうたらエルフと、水の汲み方すら知らなかった自称『魔導人形』の二人では、三日もかからず日干しになるのが目に見えている。
「ああー。《垂れ耳》のおじさん、放っておくと店ごと腐海に飲まれてそうだもんね」
あまりにも辛辣かつ的確な人物評に、思わず苦笑を浮かべるオルト。一方、店主の人となりをよく知らない者も、その一言で色々と察したらしい。
「よく分からんが、まあ頑張れ」
「かわいこちゃんに毎日会えるんだから、役得だと思って」
無責任な激励に、どすの利いた声で「いつでも代わってやるぞ」と答えれば、同僚達は揃って青ざめ、わたわたと手を振った。
「え、遠慮しておくよ」
「そうそう、俺らはオルトほど速く飛べないし」
世界樹の街はいくつもの街区が複雑に繋がっているため、空を行くのが一番手っ取り早い。彼らのような有翼の配達人が活躍している理由はまさにそのためだ。
そしてオルトが《黄昏通り》担当に選ばれたのも、局内でも屈指の飛行能力を買われてのことだった。地上を行けば小一時間かかる道程を、オルトはものの十数分で翔け抜ける。だからこそ、こうしてのんびり仕分けをしていても、昼までに午前中の配達と集荷をきっちり終えて、骨董店に顔を出す余裕があるわけだ。
「で、なんていう名前なの? あの子」
何気ない問いかけに、封筒を選り分ける手がぴたりと止まる。
「……そういや、知らないな」
ぽつりと漏らした一言に、同僚達はぎょっと目を見開いた。
「ええっ!? 嘘でしょ」
「あれから一月も経ってるんだぞ!」
「名前を知らないで、普段どうやって会話してるんだよ?」
彼らの追及は実にごもっともなのだが、記憶をどんなに遡っても、彼女の名を聞いた覚えもなければ、店主が彼女を名前で呼んでいた記憶も一切ない。
「……なんかバタバタしてたから、つい」
「つい、じゃないよ、もう。……ほら、それ貸して!」
オルトの手から封筒を掻っ攫い、目にもとまらぬ速さで仕分けを終える。そして《燕》のジャックは手紙の束を差し出し、声高らかに命じたのだった。
「可及的速やかに、彼女の名前を聞いてこい!」
なぜそこまで名前にこだわるのか。不思議そうに首を傾げれば、ジャックは呆れたようにびしり、と人差し指を立てる。
「今後、彼女あての郵便物があったとして、名前が分からなかったら届けられないだろ?」
ナンパが趣味、と公言して憚らないジャックのことだ、単純に名前が知りたいだけなのだろうが、こうして郵便屋ならではの真っ当な理由を突きつけられては、ぐうの音も出ない。
「分かったよ。ちゃんと聞いてくるから」
壁の帽子掛けから帽子と鞄を取り上げ、手早く支度を済ませる。紺色の帽子に赤い鞄がオルト
「それじゃ、行ってくる」
正面玄関に回る手間を惜しんで作業部屋の窓を開ければ、窓の外から何やら言い争うような声が響いてきた。どうやら広場の向こう、外界との玄関口である《白羊門》の前で、門番と旅の一団が揉めているようだ。
「なんだ? 騒がしいな」
「また妙な荷物が届いたんじゃないだろうなあ?」
どっと笑う同僚達に勘弁してくれよと肩をすくめ、オルトは軽やかに窓枠を蹴って飛び立った。
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