幕間
雨宿り
ああ、あめだ
あめが ふるよ
みんな いそいで こかげにかくれて
じまんのはねが ぬれてしまうまえに
弾かれたように跳ね起きて、辺りを見回す。
柔らかな日差し。遥か頭上から響く梢のざわめき。小鳥達のさえずり。実に理想的な『休日の午後』だが、どうやら理想というものは長続きしないのが世の常らしい。
「雨、かあ……」
つい、と窓の外に目をやれば、遥か西の空から分厚い雲がぐんぐんと押し寄せてくるのが見えた。この調子だと三十分もしないうちに、雨粒が屋根を叩き出すだろう。
「最高のお昼寝日和だったんだけどな」
ユージーン骨董店のぐうたら店主は小さく吐息を漏らすと、長椅子から立ち上がった。
がらんとした店内はやけに静かで、そして妙に薄暗く感じる。まるで世界から切り離されてしまったような、つんとした寂寥感。
――ついこの間までは、これが当たり前だったはずなのに。
「……慣れって恐ろしいねえ」
誰にともなく呟いて、困ったように頬を掻く。
一週間前、突然やってきた自称・魔導人形。彼女が居ついてからというもの、骨董店の雰囲気はがらりと変わった。少女の笑い声とオルトの怒鳴り声が交互に響き渡る店内は、閑古鳥の鳴き声しか聞こえなかった頃からは想像もできないほどに賑やかで――まるで空気そのものが煌めいているようだ。
そんな『賑やかな二人』は小一時間ほど前、『買い物の練習』と称して市場へ出かけていったのだが、まだ戻ってこないところを見ると、ついでに周辺を見て回っているのかもしれない。
「……オルト君達、大丈夫かなあ?」
迫りくる雨雲を見つめながら、店主はさて、と腕を組んだ。
* * * * *
「ただいま帰りました!」
「ああもう、びしょ濡れだ!」
雨音に負けじと声を張る二人に乾いた布を差し出して、店主はひょいと肩をすくめた。
「災難だったね、二人とも」
突然の大雨に、雨宿りする間さえなかったのだろう。『濡れ鼠』という言葉を体現するかのように全身ずぶ濡れの二人は、それでも買い込んだ食材だけはどうにか死守したらしい。
「おっさん、湿気ちまう前にこのパンをしまって――」
「その前に着替えなさい。そのままじゃ風邪を引く」
珍しく強い口調で遮られて、きょとんとしながらも頷く二人。
「とりあえず、僕の服を貸すよ。大きいけど我慢してね」
買い物籠を取り上げ、代わりに用意しておいた着替え一式を渡す。そして少女を脱衣所へと追いやった店主は、布を被ったまま呆然と立ち尽くすオルトに小首を傾げた。
「どうしたの? 早く着替えなよ」
「いや……こんなにきびきびと動くおっさんを見たのは初めてだなって」
「失礼な! 僕だってやれば出来るんだよ」
えっへんと胸を張ってみせる店主に呆れつつ、翼を丹念に拭うオルト。海鳥の翼を持っていても、やはり雨は苦手だ。思うように飛ぶことも出来ず、濡れて重くなった体で地上を走れば、飛ぶ以上に体力を消耗する。
「ところで、随分と買い込んできたね」
「安売りの日だったんだよ」
市場で夕飯の材料を仕入れたあと、少女にせがまれて駄菓子屋や雑貨屋を回り、最後に顔馴染みのパン屋で焼き立てのパンや焼き菓子を買い込んだ。そうして意気揚々と帰路に着いたところで、雨雲に追いつかれてしまったのだ。
「どこかで雨宿りさせてもらえばよかったのに」
「降り出した頃には、もう道半ばまで来ちまってたんだよ。だったら店まで走った方がましだと思ったんだが、見通しが甘かったな」
やっとのことで服を脱ぎ捨て、店主のシャツを頭から被る。翼を出す切れ込みがないから不恰好にはなるが、濡れた服のまま過ごすよりは遥かにましだ。
「それにしてもでかいな、これ」
店主が着れば腰までの丈でも、オルトが着ると膝下まで隠れてしまう。これではまるで寝間着を着ているようだ。
「ふう、まったくひどい目に合ったのです」
店の奥から戻ってきた少女もまったく同じ状態だったので、二人してけらけらと笑い合う。
「ユージーンの服は大きすぎるのです!」
「まったくだ。ま、借り物に文句は言えないけどな」
少女にあてがわれたのは貫頭衣だったものだから、襟ぐりが広すぎて肩が覗くほどだ。体を動かすたびにどちらかの肩が落ちて、それを律儀に引っ張り上げているから、実に忙しない。
「針と糸があれば、縫い詰めることができるのですが」
はあ、と溜息をついた瞬間、またしても服がずり落ちる。その拍子に大きく開いた胸元からちらりと覗いたのは、金属めいた鈍い輝き。首飾りでもしているのかと思ったが、それにしては鎖が見当たらないし、首から下げているにしては位置がおかしい。
「お前、それ――」
何気なく問いかければ、少女は慌てて胸元を掻きよせ、ぷいとそっぽを向いた。
「婦女子の胸元を覗き見るのは無礼千万なのです!」
「……悪かったよ」
まったく、年頃の娘というのは取り扱いが難しい。まして異種族、更に『魔導人形』を自称しているとなると、どこまで配慮したものかさっぱり見当がつかない。
(……そういやこいつ、幾つなんだろう?)
背格好から判断するに、恐らくは十代前半といったところだろうか。それにしては言動が幼い気もするが、そこは育ちのせいかもしれない。
(なんせ、水の汲み方すら知らなかったんだもんなあ)
少女が店にやってきて一週間、オルトが教えたことはまず、井戸の使い方や雑巾の絞り方、食器の洗い方といった『基礎中の基礎』だった。未だ多くを語らない彼女だが、店主に引けを取らない生活能力のなさを見る限り、筋金入りの『箱入り娘』であることは確かだ。
(実際、箱に入ってたもんな!)
そんなことを考えてしまったら、思わず吹き出しそうになり、慌てて口を押える。
「……今、とても失礼なことを考えていませんでしたか」
「気のせいだろ。ところで――」
これ以上機嫌を損ねては面倒だ。なんとか話題を逸らそうとして、オルトは先日から気になっていたことを口にした。
「お前さ、ずっと同じ服着てないか?」
「!」
ぱっと顔を赤らめ、わたわたと弁明を始める少女。
「し、仕方がないのです! 何しろ急なことでしたし、そもそも箱が小さかったので、着替えを入れる余裕がなかったのです」
確かに、例の木箱は少女が膝を抱えて座るのがやっと、という大きさだった。あれでは余計な荷物は入らなかっただろう。別便で送るという手もあったはずだが、そこまで考えが及ばなかったのか、それともよほど切羽詰まった状況だったのか。
「――でも、人形は汗を掻かないので、服は汚れないのです! ですから、着替えがなくとも問題ありません」
「今まさに、着替えがなくて困ってるんだろうが」
汗を掻かない云々は置いておいて、こういう時に着替える服がないのは大問題だ。
ぐっと押し黙る少女に、それまで静観を決め込んでいた店主が、思い出したように手を打った。
「そうだ。オルト君、屋根裏から下ろした大きい旅行鞄、どこへ置いたっけ?」
「旅行鞄? ああ、あれなら確か、そこの隅に積んだはずだけど」
長すぎる袖をまくり、店の片隅に積まれた荷物を漁る。また『大掃除』並みの騒ぎになるかと思いきや、お目当ての鞄はすぐに見つかった。大きさの割に軽いので、上の方に積んであったのが幸いしたようだ。
二人がかりで引っ張り出した年代物の旅行鞄を前にして、少女はきょとん、と小首を傾げた。
「なんですか? これは」
「うん、実は前に知り合いから買い取ったものなんだけどね」
壊れた鍵の代わりなのか、これでもかと巻かれていた革のベルトを外し、ゆっくりと蓋を開ければ、どっと溢れ出すレースにリボン、そして滝のようなフリル――。そう、鞄に詰め込まれていたのは、大量のドレスだった。
「まあ! 素敵なお洋服なのです!」
途端に目を輝かせる少女。どうぞ、と促され、恐る恐る一番上のドレスを手に取って、その手触りの良さにうっとりと目を細める。
「少し古い型ですが、とても良い品なのです! モスリンにタフタ……見てください、晩餐会用のドレスまであります!」
とっかえひっかえドレスを体に当てがって、きゃあきゃあと歓声を上げる少女。機嫌が直ったのは喜ばしいが、しかし何故こんなものが骨董店に死蔵されていたのかは甚だ疑問だ。
「おい、おっさん。なんで骨董屋にドレスが置いてあるんだよ」
「昔、事業に失敗して屋敷を丸ごと手放すことになった知り合いがいてね。とにかく金になるものは全部買い取ってくれって言われて、骨董品やら装飾品やらをまとめて引き取ったんだよ」
その中には奥方や娘達のドレスもあったわけだが、さすがに骨董店で衣類を並べるわけにもいかず、そのうち古着屋にでも持っていこうと屋根裏部屋にしまい込んだまま、そのまま忘れていたというわけだ。
「まさかこんなところで役に立つとはね」
あはは、と頭を掻く店主。きっと当のドレス達も、同じことを思っているに違いない。
「ユージーン! このお洋服は、私が着ても良いのでしょうか?」
鼻息も荒く問いかけてくる少女に、店主は鷹揚に頷いてみせた。
「うん、いいよ。君にあげる。ちょっと大きいかもしれないけどね」
「直します! 裁縫は得意なのです!」
「へえ……」
意外だな、という感想は礼儀正しく飲み込んだのに、ばっちり顔に出ていたらしい。ぎろりと睨まれて、あたふたと手を振る。
「いや、その、裁縫が得意なら、制服のほつれを直してもらえないかなって、ちょっと思っただけだよ。オレはそういうの苦手だからさ」
「オルトにも苦手なことがあるのですか?」
驚いたように目を瞬かせ、そして少女は得意げに胸を叩いた。
「そういうことなら、お任せなのです!」
そうして、満面の笑みを浮かべながら『とっかえひっかえ』を再開する少女。着替えが一枚もないという非常事態から一転して、今度は服が多すぎて選べないとは、何とも贅沢な悩みを抱えてしまったものだ。
「見てください! これはきっと舞踏会用のドレスなのです!」
薄紅色のドレスを引っ張り出し、嬉しそうにくるりと回ってみせる。何重にも重ねられた薄布がふわりと揺れて、まるで大輪の薔薇が咲いたようだ。
よほど気に入ったのか、鼻歌を歌いながら踊り出す少女に、店主はしたり顔で頷いた。
「楽しそうで良かった。やっぱり、お人形さんは着せ替えて遊ぶものだよねえ」
「おっさん……その台詞、聞きようによってはヤバいやつだぞ」
「えー? なんで?」
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