人形の眠りと目覚め・3
「ごはん!」
弾かれたように飛び起きた少女に、湯気の立つ大皿を運んできたオルトはぎゃっと叫んで足を止めた。取り落しそうになった皿をどうにか掴み直して応接机に置き、ふうと胸を撫で下ろす。
「お前なあ。三日も眠りこけて、第一声がそれかよ」
「三日? 私はそんなに眠っていたのですか」
ぱちぱちと目を瞬かせながら呟く少女。まだ完全に目が醒めていないのか、ぼんやりとした様子で床に足を下ろし、ちょこんと長椅子に座り直すも、その視線は大皿に釘づけだ。
「おや、やっと起きたね、眠り姫」
呑気な声に振り返れば、随分とさっぱりした格好の店主が、茶器の載った盆を抱えてこちらへやってくるところだった。
「おはようございます、ユージーン様。それに――ええと……?」
困ったように小首を傾げる少女に、そういえば、と頬を掻く。
「まだ名乗ってなかったな。オレは《鴎》のオルト。オルトでいい」
「では、オルト様。おはようございます」
深々と頭を下げられて、思わず顔を引き攣らせるオルト。その様子を見ていた店主が、苦笑交じりに手を振った。
「様はいらないよ。名前で呼んで」
「オレもだ」
「では、ユージーン。それにオルト」
律儀にそう言い直し、きりりと表情を引き締める少女。そして――。
「補給を要求します!」
菫色の瞳を輝かせてのたまった自称『魔導人形』に、二人は顔を見合わせて、そしてほぼ同時に噴き出した。
「言うと思った」
「そのために通ってくれてたんだもんね、オルト君は。今日なんて休みなのに朝から来てくれて」
「うっせえ! いいから手伝え!」
気恥ずかしさを誤魔化すように怒鳴りながら、台所と店内を往復して、できたての昼食が載った皿を次々と運び込む。野菜と茸のスープ、分厚く切り分けて焼いた燻製肉とふわふわの卵焼き。木の実を散らしたサラダ。最後に焼きたてのパンが入った籠を机の真ん中に置いたオルトは、そわそわしながらも大人しく「よし」の号令を待っている二人に、重々しく頷いてみせた。
「ほら、冷めないうちに食えよ」
「いただきます!」
「いただきまーす」
綺麗に揃った声。かくして応接間は戦場と化し、瞬く間に蹂躙された皿が積み上がっていく。
「まだあるから落ち着け!」
どうにか自身の取り分を確保しつつ叫ぶオルトの前に、二つのスープ皿が同時に突き出された。
「おかわり! です!」
「僕もー」
* * * * *
「ごちそうさまでした」
砂糖とミルクたっぷりの紅茶を飲み干して、満足げに頭を下げた少女は、ようやく周囲に目をやる余裕が生まれたらしい。綺麗に片付いた店内をぐるりと見回し、ついでに目の前に座る店主を頭のてっぺんから爪先までじろじろと眺めて、心底驚いたように口を開く。
「ユージーンは、本当はとてもお若い方だったのですね」
「あはは、そう言ってもらえると嬉しいな」
無邪気に心を抉ってくる発言をさらりと笑い飛ばす店主。確かに彼女の言う通り、無精髭を剃り、髪をきちんと括っただけで、随分と印象が違う。人間流に表現するなら「十歳は若返った」といったところだ。
「騙されるなよ。そのおっさん、若く見えてもオレの何十倍も生きてるからな」
冷ややかな視線に、店主はやだなあと手を振った。
「何十倍は言い過ぎだよ。せいぜい十数倍だよ」
「大して変わらねえよ!」
バッサリ切り捨てながら、壁際の丸椅子を引き寄せる。そうして少女の真正面にどっかりと腰を下ろしたオルトは、重々しく口を開いた。
「……で? お前さんはどこの誰で、なんで木箱に入ってやって来た?」
その言葉に、少女の顏からすっと表情が消える。折角、年頃の娘らしい表情を覗かせるようになったのに、また『人形』に逆戻りだ。それでも、これだけははっきりさせなければいかない。配達員として、『不審な荷物』を放置するわけにはいかないのだ。
「その辺りをきっちり説明してもらおうと思ったのに、飯食ったらさっさと寝こけやがって。おかげでオレは局長にちくちく嫌味を言われるわ、ここの片付けをする羽目になるわ、しまいには炊事洗濯まで……!」
「片付けと炊事洗濯はオルト君から言い出したくせにー」
店主の呟きに、少女の頬がふと緩んだ。そのことにどこかホッとして、心置きなく店主へと突っかかる。
「あんな埃まみれのところに娘っ子一人寝かしておけるか! しかも、まともな寝台どころか予備の毛布一枚すらないと来た! こんなところで寝起きしてたなんて、ものぐさにもほどがあるだろ」
「君達だって寝台を使わないでしょ、似たようなものだよ」
「体の構造が違うだろ! オレ達は翼が傷むから寝転がらないだけだ!」
本筋から逸れつつも白熱する会話を黙って聞いていた少女だったが、ようやく合点が行ったという顔でぽんと手を叩き、そして申し訳なさそうに頭を下げた。
「……つまり、私は三日もの間、ユージーンの寝床を奪っていたのですね。知らぬこととはいえ、ご迷惑をおかけして申し訳ございません」
「気にしないでいいよ。おかげで屋根裏部屋がきれいになったし」
ひらひらと手を振ってみせる店主だが、寝る場所を確保するために屋根裏部屋の大掃除を決行したのは、当然のことながら彼ではなくオルトだ。
「おっさん……言っておくが、次はないからな!」
あの倉庫部屋を片付けるよりはましだろうと覚悟を決め、屋根裏部屋へと続く梯子を上がった時のことを思い出すだけで、身震いが止まらない。「倉庫よりは片付いている」という彼の言葉は間違いではなかったが、程度からすれば大して変わらなかった。しまい込まれていたのが絵画や衣類など、比較的軽くて動かしやすいものばかりだったことが唯一の救いだ。
その『決死の大掃除』ついでに洗濯と散髪も行ったので、店も店主もすっきりと見違えているわけだが、果たしてこれがどの程度もつのか、考えるだけでもぞっとする。
「しかし、まさか三日も眠りこけるとは思ってなかったな」
やれやれと肩を竦めるオルトの横で、店主が不意に笑みを浮かべた。そして、ぐっと身を乗り出すと、内緒話をするように口元へ手を添える。
「オルト君はね、君がいつ目を覚ますか分からないからって、毎日様子を見に来てくれてたんだよ」
「言うなよ、おっさん!」
苦々しい顏で睨みつけるも、店主の笑顔は揺らがない。
「まあ! オルトはとても優しいのですね」
無邪気な瞳で見つめられて、ふん、とそっぽを向くオルト。
「預かった荷物の心配をするのは当たり前だろ」
起きたら飯を作ってやる、という約束を反故にするわけにはいかないという、オルトなりの意地もあったわけだが、恐らく当人は覚えていないだろうから、そこは黙っておく。
「それより、こんなところで眠りっぱなしだったんだ、どこか痛めてたりしないか?」
「ご心配ありがとうございます。私は人形ですので、特に問題ありません」
平然と答える少女。確かに、三日も眠り込んでいた割には元気そうだし、眠っていた分を取り返すように昼食をがっついていたくらいだから、そう心配することもないのだろう。
「……で? お前さんは一体なんなんだ」
再びそう問いかけられて、少女はこほん、と小さく咳払いをすると、おもむろに口を開いた。
「何度も申し上げました通り、私は『人形』です。カルディア随一の魔導技士であるヴォルフ様に命を吹き込んでいただいた、最新鋭の魔導人形なのです」
そう語る口調も、艶やかな唇も、そしてさり気なくお代わりを求めてカップを突き出す白い腕も――誰がどう見ても『人間の少女』そのものだ。それでも彼女は自身を『人形』であると主張する。
ちらりと横を窺えば、甲斐甲斐しく紅茶のお代わりを注いでやっている店主は、自分の出る幕ではないと言いたげな様子で、ただにこにこと笑っている。
(面倒なことは全部丸投げかよ!)
何にせよ、ここで議論しても始まらない。ひとまず『人形』の真偽は置いておくことにして、話を先に進めるしかないだろう。
「じゃあ、その『人形』がなぜ荷物扱いでここに送られてきた?」
そう、問題はそこだ。荷物の送料は大きさと重量、そして輸送距離で決まる。更に各種『取扱注意』がつくと手間賃が加算されるため、『木箱』の送料はかなり高額だった。これだけ自律行動できる『人形』なら、駅馬車なり何なりを使った方が遥かに手っ取り早いし安上がりだったはずだ。
「ヴォルフ様が隠居されることになったので、こちらでお世話になるように、とのことでした。当初は汽車と駅馬車を乗り継ぐ予定だったのですが、どうにも接続が悪くて時間がかかってしまうので、だったら荷物として発送した方が早いだろうと――」
そこまで話したところで、急に「あっ!」と叫んで立ち上がる少女。
「私の鞄をご存じありませんか?」
不安そうに尋ねる少女に、店主はひょいと長椅子の後ろを指し示した。
「君の荷物なら、そこに置いてあるよ」
ほっとした様子で振り返り、棚の上にまとめられていた荷物をがさごそと探り始める。小さな手提げ鞄とレースの帽子、そして布張りの日傘。彼女の所持品はその三点だけだった。着替えやら食糧やら、本来あって然るべきものを一切持たず、まさに着の身着のままでやってきたわけだ。
「ああ、良かった。ありました」
ほどなくして少女が取り出したのは一通の封筒だった。小さな鞄に無理やり詰め込まれていたせいか、随分とよれてしまっている。
「ヴォルフ様からのお手紙を預かってまいりました」
重々しく差し出された封筒をひょいと受け取って、ええとナイフはどこだっけ、と立ち上がる店主。これでは開封する前に日が暮れてしまいそうだ。
「お前……そういうのがあるならさっさと出せよ」
「補給と休息を優先しただけなのです。忘れていたわけではありません」
「嘘つけ! 絶対さっきまで忘れてたろ」
「そんなことはないのです! 人形は忘れたりしないのです」
賑やかなやり取りを尻目に、帳場から『発掘』したペーパーナイフで手際よく封を切り、便箋を引っ張り出す。そうして、びっしりと記されていた文字に素早く目を通した店主は「おやおや」と目を細めた。
「ふむふむ。なるほどね」
何やら納得した様子で便箋をしまおうとした店主だったが、固唾を飲んで見守るオルトに気付くと、「読む?」と四つ折りの便箋を差し出した。
「……いいのか?」
いくら事の次第が気になるとはいえ、自分に宛てられたものでもない手紙を見ることには抵抗がある。しかし店主は気にする様子もなく、「別に構わないよ」と笑った。
「大したことが書いてあるわけじゃないからね」
それじゃあ遠慮なく、と便箋を受け取り、慎重に開いてみれば、そこに記されていたのは見たこともない流麗な文字の羅列――。
「読めるか! 何だよ、この文字」
「古代エルキア文字だね。魔導書なんかでよく見るやつ。隠居するからこの子をよろしくって」
便箋数枚に渡って長々と綴られた文章も、彼にかかればこの通りだ。見知らぬ相手に心から同情しつつ、投げやりな突っ込みを入れる。
「それだけかよ」
「あとは、彼女の好きにさせてやってくれ、だって。で、君はどうしたい?」
唐突に問いかけられて、ぱちぱちと眼を瞬かせる少女。
「私は人形です。主の命に従います。ヴォルフ様に代わって貴方が私の主となるのならば、私はユージーンの指示に従うだけです」
戸惑いつつも淡々と答えた少女に、店主は困ったように頭を掻いた。
「僕は誰かに命令するのが嫌いだし、君の行動すべてに指示を出すなんて、そんな面倒なことはしたくないなあ」
「おっさん。本音がダダ漏れだぞ」
鋭い指摘に「おっと、いけない」とわざとらしい呟きを漏らし、そして店主は静かに微笑んだ。その穏やかな双眸が、ほんの一瞬、きらりと深緑の輝きを放つ。
「ここは世界樹の街。この街には役人もいなければ領主もいない。自らを律し、己が道を切り開くことが求められる。厳しいけれど自由な街だよ。だから君がここで暮らすのならば、誰かの指示を待つのではなく、自ら考えて行動しなければならない。さあ、改めて問おう。君はどうしたい?」
「
紫水晶の如き双眸が、にわかに光を帯びる。白磁の頬が薔薇色に染まり、月光を紡いだ髪がふわりと揺れる。
それはまさに――『人形』に命が吹き込まれた瞬間。
「私はここで――美味しいご飯を食べて、楽しく過ごしたい! です!」
「おい!」
オルトの叫び声を無視し、深々と頭を下げる。
「お願いします。私をここに置いてください」
「いいよ」
あまりにもあっさりとした返答に、拍子抜けした様子で顔を上げる少女。
「……よろしいのですか?」
「うん。君が望むなら」
「おい、おっさん! そんな簡単に……!」
呆れ顔のオルトに、店主は「なんで?」と首を傾げてみせた。
「だって彼女はうち宛ての荷物だよ? うちに置くのは当然じゃない?」
「『ここに置いてくれ』って、そういう意味じゃねえだろ!」
「まあまあ、細かいことはいいじゃない。君が店番してくれれば、僕も楽が出来るし」
客の来ない店にわざわざ店番を置く意味はあるのか。そしてこれ以上、何をどう『楽をする』つもりなのか。呆れ返るオルトを横目に、店主はひょいと右手を持ち上げる。
「これからよろしくね」
「はい。よろしくお願いいたします」
しずしずと差し出された手を慎重に取り、ついでに横にいたオルトの手をひょいと掴んで、まとめてぎゅっと握りしめる。
そうして《ユージーン骨董店》のぐうたら店主は、感無量の面持ちで頷いてみせた。
「いやー、この店も賑やかになりそうだなあ」
「おいっ! これ以上オレを巻き込むのはやめろ!」
慌てて手を振り払おうとしたが、筋張った白い手は意外にも力強く、オルトが暴れた程度ではびくともしない。
「オルトも一緒に暮らすのですか?」
一方の少女はと言えば、よく分からないながらも店主に倣って、空いている方の手でオルトの裾をぎゅうっと握りしめてくる。
「冗談じゃねえ! 第一、オレは寮住まいだ!」
「えー、だって僕は料理できないし」
「美味しいご飯を要求します!」
「オルト君がいなかったら、お店も僕もあっという間に元通りになっちゃうだろうなー」
「生活環境の改善・維持を要求します!」
店主一人でも手ごわいのに、二人がかりで迫られては、甚だ分が悪い。
「分かった、分かったから! しばらくは通ってやるから! だから、二人してにじり寄って来るなー!」
オルトの叫び声は窓の外まで響き渡り、しばらく《黄昏通り》の語り草になったという。
「やったー!」
「やりましたー!」
手に手を取って喜び合う店主と少女を力なく睨み、どっと息を吐く。
「……お前らなあ……」
項垂れるオルトを尻目に、今後について和気藹々と話し合う二人。開店時間だの定休日だのと、どうにも聞き慣れない単語が飛び交っているが、いつからこの店にそんなものが存在していたのだろうか。
「店についてはこんなものかな。あとは、君の寝る場所を決めないとね」
「私はここで結構です」
澄まし顔で答える少女に、店主はそういうわけにもいかないでしょ、と肩をすくめてみせる。
「屋根裏部屋を使っていいよ。実を言うと、僕はここの方が寝やすいんだよね。お客さんが来たらすぐに分かるし」
白々しいことを言ってのける店主に、もう突っ込む気力すら失せて、オルトはのろのろと椅子から立ち上がった。茶器をまとめて盆に載せ、代わりに固く絞った台拭きを少女へと放る。
「机の上を拭いてくれ。おっさんは机の周りを箒で掃く! 台所の片付けが終わったら洗濯の続きだからな!」
「了解しました」
「はいはーい」
こうして始まった、新たな日々。
《ユージーン骨董店》は、今日も賑やかに開店休業中だ。
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