第4話

「……ええと……ごめん、話、適当に合わせちゃって……」

 手遅れかもしれない。うすうす自覚しながらも田村くんは謝った。


 それを合図に、老ノ坂がニッコリと笑顔を浮かべた。今までの微笑みとは質の異なるいかにも営業向けな、張り付けたような笑顔だ。その笑顔で一声号令をかける。


「集合!」

 

 それに合わせて三人がざざっと集まり、輪を作る。そしてひそひそこそこそと相談を始めた。皆、田村くんには背を向けている。あからさまな拒絶だ。

 さっきまで気さくに話してくれていた女の子達からそういう態度を示されると、大勢でワイワイするのが好きな性質の田村くんには何気に堪える。なので一応声をかけてみた。


「いや、本当に悪いとおもってるんだよ? お兄さんは……でもなんか話がサラサラ流れていくから声をかけるタイミングを失くしちゃって……。ほんとゴメン。で、君らの言ってるバイトとか鯨とか一体なんの話で……?」


 田村くんは気まずさを払拭するためにも無理に明るくはなしかけてみたが、効果はなかった。話はまとまらず、彼女らの声が徐々に大きくなる。


「せやからうちは本当にうちはホンマに鯨を捕りに来た人かって確認したのに、お前ら全然聞かへんから……」

「なんやさ、過ぎたことをグチャグチャ言うのがあんたの一番あかんとこやで!」

「お前の一番あかんとこは自分の責任を絶対みとめんことやな!」

「やめ。ケンカしても埒あかん。……どうする、老ノ坂?」

「そやねえ。もうすぐミナトの人も来はるし……」

 

 田村くんに後ろの姿をみせている老ノ坂が、腕時計をちらっとみる仕草を見せる。つられて田村くんもスマホで時間を確認した。

 液晶に浮かぶ文字は日付が変わって一分とすこし経っていることをしめしている。突然のゴタゴタで戸惑っている間に問題の時間があっさり過ぎ去ってしまっていたらしい。


 0時になった瞬間、ドロドロと不気味な音を轟かせながらどこからともなく怪しい異界から恐ろしい鬼がのしのしと仰々しく姿をあらわすのでは……? と、バカバカしいとは思いつつも心の片隅で期待していた田村くんは、安堵を覚えつつ何も起こらなかったことに若干物足りなさも感じた。

 目の前では奇妙な女の子達が一向にまとまりそうにない話し合いを続けている。そこには恐怖と神秘のかけらもなにもない。ぐだぐだとした日常を延長した光景があるだけだ。


 現実ってこんなもんだよな。


 もうすぐ友人の車もここに到着するはず。一応0時までバス停にいるという目的も果たした。臨時収入も手に入る。 

 とりあえずはミッションを達成し、都市伝説は都市伝説であったという事実を確認した気持ちでいっぱいの田村くんは、その旨をSNSに投稿する。当たり前だけど鬼がやってきたりしなかった、今から帰る、と。


 ――とはいえ、やっぱり気になることは山ほどある。

 この女の子達は何者なんだ? こんな山の中でコスプレじみた格好をして行うバイトってなんなんだ? それにさっきからやたら出てくる鯨ってなんだ? こんな山の中で鯨をとるだのなんだの?


 友人が迎えにくるまでの間、それだけは訊いておこう。田村くんは気軽に考えた。


「ごめん、話し合ってるところ悪いんだけど、良かったら君らのバイトについて教えてもらってもいいかな? さっきから鯨を捕るとか言ってるけどこんな山の中で鯨がいるとかなんとかってどういう……」



雲鯨クモクジラは霧に溶けたの海の栄気を餌にする。だからこの時期は丹の海に集まる。俺らはそれを捕って食う。んなことも知らねえのか」


 

 声は田村くんの後ろから聞こえた。

 

 女か男かわからない、かすれた声だった。もちろん田村くんの目の前でまとまりそうもない話し合いをしている彼女らの声ではない。


 今までその場にいなかった、何者かの声である。

 それに気づいて田村くんの背中がぞくっと震え上がった。

 

 その声に、彼女らも気づいたらしい。ぱっと話し合いをやめて、老ノ坂が代表してニッコリ笑う。あの営業用らしい笑顔だ。


「いや、シャっくんやないの。一年ぶり~。元気にしたはった?」


「ごまかすんじゃねえよ、雲鯨のことをなんも知らねえ素人がなんでここに居やがる? え、地べたの鬼ども?」


 田村くんは全身に鳥肌をたてたままゆっくり振り向く。

 そこにいたのは子供だった。

 少なくとも、田村くんの目には子供に見えた。


 150㎝くらいの慎重に、無造作に切ったような黒髪。前髪からのぞく目は異様なまでに黒目勝ち。上半身には黒地に白い紋様は文字を染め抜いた半纏を肩にかけている。身長や体格、声などから小学校高学年くらいの少年だと田村くんは察した。

 

 でも雰囲気がどうも小学生じゃない。大きな黒目には光がないし、半パンのポケットに手を突っ込み肩をいからせている様子には小学生らしいあどけなさが皆無だった。修羅場を一つ二つかいくぐり、盃で泥水をすすったようなすさんだ空気がその猫背から放たれている。


 ぐい、ぐい、と少年はまず田村くんの顔を見て、そしてすぐさまつま先へ視線を移動する。それを二往復ほどするとにーっとくちの両端を左右に引っ張った。笑ったようにも見えるその口もとから覗く歯の列をみて、ウワっ、と声をあげた。


 少年の歯は全てが牙のように尖っている。まるで鮫の口のようだ。人間の口内にしては異様すぎる。思わずあとずさる田村くんをみて少年は口を閉じ、つまらなそうに吐き捨てる。


「俺への土産物だってんならもっと旨そうな肉をよこしな」


 ……まるで田村くんが食用肉であるような発言だ。さすがの田村くんも、彼がただの子どもではない、子供どころか人類ですらなさそうなことに思い至る。

 もしやこの少年が、例の都市伝説が語る「鬼」ではないのか? 生えてるのは角じゃなく牙だけど。


 頭のめぐりのおそい田村くんもようやく恐怖を覚え始めたその時に、背後からそっと両肩に手を添えられた。ふわっと香るのはあの酒の匂い、老ノ坂だった。


「違う違う、シャっくん。食べたらあかんよ? このお兄さんはお客様なんやから」

 人の肉を常食することをほのめかしている異様な子供をまえにするには明るすぎる声で、老ノ坂はそう告げた。

 振り向く田村くんの、異様な状況で恐怖する目を受け取ると、素早くさっと目くばせする。〝話を合わせろ″の合図であると田村くんは理解した。


「……客ぅ?」

「そうそうお客様。実はな、このお兄さんのお母さんがえらい病気でな……。地べたの医学ではどうしても治せへんのやて。それでな、雲鯨の肉の話を聞いてどうしても食べさせたあなってんやって。なあ?」


 なあ、の声に合わせ、老ノ坂は肩をつかむ手に力を込めた。それを察して田村くんもやけになって話をあわせる。


「こ……ここに来れば田舎の母の病気もなんとかなると聞きまして、すがる思いでやってきました……!」

 なりゆきで大病を患わせたことをあと数十年はピンピンしていそうな故郷の元気な母に心で詫びつつ、田村くんは頭を下げた。


「ええ話やろ~、今日日こんな泣ける話あらへんで?」

「忠孝の鑑ちゅうやつやな」

「心洗われるなあ」

 控えていた三人衆も調子よく話を合わせてくれたが、かえって胡散臭くなる。

 深々と下げられた田村くんの頭の中は、いつになったら友人が迎えに来てくれるのか、そのことでいっぱいになる。もう女の子達のバイトの内容だのなんだの、気にしている余裕はない。ヒトとは思えないモノが目の前にいるのだから。


 しかし少年はもう一度、ぐい、ぐい、と田村くんを睨みながら視線を上下二往復させると世にもつまらない冗談を聞かされたように眉間にすさまじいしわを刻み、黒々した目から放たれる視線で田村くんを刺す。脅すように歪めた口から、ギザギザの歯が怖い。


「……おい人の牡、わかってんのか? 鯨の肉はなぁ、てめえみてえなまずそうなクズ肉が百頭分あってやっと拳一個分の塊と交換できるってえ代物なんだよ? 出せんのかテメその分の価値があるもんが? あ?」

「……」


 怖い。この少年が普通に怖い。

 どうも通常の人じゃない上にカタギですらなさそうだ。

 思わず背後の老ノ坂に救いを求めると、彼女はもう一度目くばせした。


「せやから、シャっくん。このお兄さん労働で払うって。どんなきつい仕事にも耐えて見せますって。……なあ、やとてあげられへん? だってほら、可哀想やん」


 ええ~! と田村くんは心の中で絶叫する。

 ちょっと待って、何言ってんの? きつい労働って何⁉


「ふざけてんのか? んな出汁もとれなさそうな痩せた牡なんざいくらいたって足手まといになるだけだろうが」

「でも、シャっくん。このまま行くとこのお兄さん、霧の中から出られんと死ぬまで一生彷徨うことになってしまはるんやで? うちらと出おうてしもおたばっかりに……」


 何ぃ? と田村くんは耳を疑った。この立ち込める霧から出られなくなるとは?

 老ノ坂は肩をつかむ手に再度力を込めた。まるでこの話は本当だと伝えているようだ。


 そういえば都市伝説の内容も、「鬼の隠れ里」に連れていかれるというものだ。「鬼の隠れ里」から帰れるかどうかは噂では明らかにされていない。もしかしたらそれは、この霧の中から出られないこととを指しているのではないか……?


 田村くんの全身が総毛だつ。

 こんな山の中を一生さまようことになるのか、俺は? 嫌だ……!


「知ったこっちゃねえよ。なんの力もねえくせにこんなとこにのこのこやってきたそこの痩せ牡が悪いんだろうが」


 さっきからシャっくんと可愛い呼ばれ方をしている、全然可愛くなくて怖い少年が無情に吐き捨てた。全くその通りだ。田村くんは今更自分のバカさ加減を呪う。

 

「でも、うちらと一緒に漁をして朝を迎えたら地上に戻れるし……。艪を漕ぐことでもなんでもさせてあげられへん?」

 

 ぐぐっと、老ノ坂また肩をつかむ手に力を込めた。本当だという合図だろう。なんだかよくわからないが、彼女らといれば元の世界に戻れると、田村くんは解釈した。そうとなれば早かった。勢いよく深々と頭を下げて見せる。


「お願いです! どんなきつい仕事にも耐えて見せます。ですから何卒働かせてください……!」


 自分のバイトの面接だってこんな本気を見せなかった。とにかく自分の生死と日常に戻れるか否かがかかっているのだから。

 少年はすさまじくつまらない冗談をきかされたように口をゆがめながら舌を打った。


「……まあ取り合えず不測のことが起きればモリオサに話通さねえとなんねえからとりあえず連れて行くがよ、ったく面倒事おこしやがって……」


 これだから地べたの連中は……とぶつくさ言いながら少年は歩き始めた。

 ありがとうございまーす、とにこやかに言いながら老ノ坂は田村くんの背中を軽く叩き、すたすたと歩きだした。その前にさっと田村くんに目くばせをする。あとに続け、の意味だろう。


 老ノ坂の黒髪が揺れるのを見つめながら、とっさに田村くんは逃げようかと考える。

 さっきの会話では霧の中を永遠にさまようはめになるということだったけれど、よく考えればこれだって本当かどうかわかったものではない。道なりに歩けば友人の車と遭遇する率のほうが高い筈だ……。


「逃げたらあかんよ、お兄さん」


 考えを見透かされた思いがして、田村くんは振り向いた。後ろには角突きヘルメットの小柄な少女、天若がいた。


「老ノ坂が言うてたこと、あれはほんまのことや。ここでうちらとはぐれたら、お兄さんそのまま霧の中を死ぬまでさまよう羽目になる」

「死ぬまでさまようんやったらまだマシでなあ、永遠に死なれへんまま霧の中をふらふらし続けんなかもしれん」

「なんちゅうてもここの霧は彼岸と此岸の境目や、千年たってもまだ不明なことの方が多い」


 右隣に紫ツインテールの大堰、左隣には甲冑娘の小向がいる。前方には老ノ坂とあの怖い少年が。

 逃げられないフォーメーションだった。田村くんは腹をくくった。


 ほんなら行こうか、という大堰の声に合わせて四人もすたすたと歩き始めた。

 

「……」

 右隣の大堰も、左隣の小向もすさまじい仏頂面だった。多分後ろの天若も似た表な表情をしている筈である。

 どうもそれは自分というイレギュラーのせいである……と察した田村くんは、気まずさをごまかすために明るい声を出してみた。


「あの、えーと、とりあえず質問させてもらってもいいかなあ? 実はさっきから聞きたいことが山だらけなんだけど……」

「声大きい、シャっさんかなり耳がええねん。怪しまれる」


 ぼそっと大堰が右隣から田村くんを制した。

 みると先頭を歩く少年が振り向いてこちらを睨んだ。すかさず老ノ坂が近寄って何かを少年に話しかけた。

 それを確認してから、大堰はふーっと息を吐き、そしてぼやき始めた。


「……あ~、まさかそっちにそんなアホみたいな都市伝説があるとは思わんかった……。やらかしてもおたわ……」

「だからうちは最初に確認しようとしたのに、お前が聞かへんから……」

「しつこいな、過ぎた話を蒸し返すなや……!」


 田村くんを挟んで右隣と左隣りで言い合いが始まりそうになったが、さすがに不毛だと感じたのだろう。一拍間を置いてから、ボリュームを落としたむすっとした口調で大堰が話を続ける。


「まあ、お兄さんの甕丘のことも悪う言わへんかったし、それにこんな時期にこんなところへ一人で来る人間が普通の人間なわけがないって勘違いしてしもたうちらも悪かったんや。せやしこれはサービスやで? 生きて無事にもといた場所に帰りたかったら、大人し言うこと聞いてや? 返事は?」

「……はい」

「よろしい」


 うむ、と歩きながらコメディーめいたしぐさで大堰はうなずく。

 

 一行は細い車道を上ってゆく。霧は一層濃くなり、水蒸気と針葉樹の香気が強まった。

 

 田村くんは空気を読んで小声で尋ねる。


「あのさ、さっきから出てくる鯨がどうのとか、君らのバイトがなんなのとか、教えてもらってもかまわないかな?」


「鯨はこの時期やってくる雲鯨のこと。その肉は滋養に富んで不老不死の妙薬やいわれていたこともある。もともとこの辺の特産物で昔々にはここの天子様に献上したこともあるくらいや」


 答えたのは甲冑娘の小向だった。

 

「さっきから言うてるけど、うちらはその鯨をとる手伝いを千年続けとる。あれはこの世の生きもんと違うから普通の人間では捕まえられんし」

「……へえ。不老不死の妙薬とか、なんつうか、人魚の肉みたいだね……そういう漫画昔よんだことがあったわ」


「全然信じてへんやろ?」

 小さくて耳辺りは柔らかいが鋭い言葉が背後からぶつけられる。ふりむくと、天若がヘルメットの下からじっと田村くんをねめつけるように見ていた。


「や、そりゃ急に……そんな怪談だかファンタジーだか分からないことを話してくれても急には信じられないっていうか……」

「アホみたいな都市伝説は信じた癖に?」

「信じたっていうか、ネタになると思っただけで信じたのとはちょっと違うかなっていうか……」

「うちらみたいなんを目の前にしてるくせに?」

「……」


 そういうえば彼女らは当たり前のように千年前から生きているようなことをひょいひょいと口にしているのだった。自明の理のように言うので田村くんはいちいち拾うのを忘れていたが。

 そもそも、彼女らは何者なのだ? さすがの田村くんだって、この期に及んでこの女の子達がただの女子高生だとは思ってはいない。ちょっと妙ではあってもできれば人間であってほしいけれど。

 

 天若がふうっとため息を吐いた。


「百聞は一見にしかず、どうせほんまのことはすぐ分かる」 


 ん、と天若が指を指した先は、数メートル先を行く老ノ坂と牙を生やした怖い少年が歩く先より向こうだった。

 そこも真っ白な霧が立ち込めているが、何か縄のようなものが一本垂れているのが見える。

 

 その縄をつたって田村くんは上へ上へ視線を空へと向けてゆく。上へ上へ……。


「……?」


 山の車道の上に垂らされた縄の先は、その上はやはり乳白色の霧の中に消えていた。縄は宙から車道に垂らされている形になる。


「……っ?」

 そもそもどうして山の車道に宙から縄が垂らされているのか、問題はそこだと田村くんはようやく気が付く。


 歩きながら空と車道の間をひっきりなしに視線を上下させる田村くんは、白い霧の中で何か大きな影が動くのを見た気がした。

  



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