第61話 思い人

 麗らかな日差しを浴び、湖面が煌めく。それは宝石の輝きのようにも見えた。湖面では何艘ものボートやヨットが見られる。距離はあるので微かではあるが、笑い声も聞こえ来ている。操作している人々のものだろう。休日のひと時を楽しんでいる風景といったところだ。


 〈タカマノハラトウキョウ〉――閉鎖環境ドーム都市のここはには火と氷と嵐の渦巻く外の世界とは異世界のような風景が拡がっている。


 湖畔に面したコテージの一角、屋外に面したテラスにも何人もの人々のグループが見られ、それぞれに談笑している。だがそんな彼らとは少し離れたところのテーブルにその女はいた、たった1人で。その目は湖面に向けられていたが、果たして彼女は風景を意識に捉えていたのだろうか、そう疑わせる眼差しだった。物憂げな風情で心はどこかに遊離しているかのよう。彼女だけは他の者たちとは隔絶しているかに見えた。


「ずいぶんと憂鬱そうですね、叢雲ムラクモ三佐」


 背後から声がかけられ、女はその方向に目を向けた。そして物憂げな風情は明らかな不機嫌へと転じた。


「あなたですか、フェルミ大佐……じゃなくて汎米軍は辞めたのでしたか」


 視線の先に金髪碧眼の背の高い男が立っていた。クラシカルな背広姿をしている。彼はにこやかな笑みを浮かべたままテーブルを回って女――叢雲静奈ムラクモシズナの正面に座った。そんな彼を見て叢雲は溜息をついた。


「何の用なんですか? 軍を辞めたんだし、今さら私に用があるとも思えませんが?」


 フェルミは汎米大使館の駐在武官として赴任していて、自衛軍とも情報のやり取りをしていた。その中で自衛軍関係者の多くと接触していた。陸上自衛軍技術研究開発局の技官の叢雲とも何度も会っていた。


「つれない言い方ですねぇ。知らない仲でもないし、ちょっと失礼ではありませんか?」


 言葉は抗議しているとも受け取れるが、フェルミは笑みを浮かべたままだった。叢雲はあからさまに大きくため息をついて、応える。


諜報員様・・・・相手に礼儀も何もあったもんじゃないでしょ? それにあなたは何も気にしていないのでは?」


 叢雲はフェルミの本当の身分を知っている。六ヶ所村再処理工場の事件の後に知らされたのだ。

 これはこれは――と言ってフェルミは頭を掻いた。そんな彼の仕草を見て叢雲は眉を顰める。


「諜報員とか、何の話なんでしょうね」

「分かり切ったことを。ま、それでもはぐらかすのがその道の人なんでしょうけどね」


 2人のやり取り――と言うが主に叢雲に限るが――はとげとげしかった。フェルミはともかく、叢雲がフェルミを快く思っていないのは分かる。もう顔も見たくないといった感じだが、それでも彼女はフェルミに話しかける。


「それで? あなたは今、何をやっているのですか? 無職ってわけでもないでしょう?」


 フェルミは我が意を得たり、といった顔をした。何故そんな風になるのか、叢雲にはまるで分らず、戸惑ってしまった。


「何なんです、あなたって人は――」


 尚も彼女は言葉を続けようとしたが、フェルミが提示したものを見て止まってしまった。彼は携帯端末画面を彼女に見せていた。そこに映されたものを見て困惑の顔を浮かべる。


「〈UNDR・国際機動救助隊〉?」


 聞いたこともない名称であり、瞬間、叢雲には何が何やら分からなかった。彼女は脳内極微電脳ナノブレインのLANを自衛軍のネットワークに繋げて検索を行った。コンマ1秒にも満たない間に結果は出た。


「UNDRは国連防災機関のことですね。で、救助隊? 何それ? 国連なんてまだ機能していたの?」


 スーパーホットプルーム以降、氷河期を迎えて国際秩序が崩壊したこの時代、国連などもう有名無実化していた。巷では消滅したと思っている者も多い。事実、脱退した元加盟国も多く活動資金も枯渇、とうの昔に機能不全に陥っていた……とされる。


「機能はしていますよ。細々と、ですが」


 フェルミは相変わらず笑みを浮かべたままだ。そんなさまが叢雲の癇に障るのだ。彼女は苛立ちを露わにして言う。


「そうですか! ――で? そのUNDRって何なの? あなた、そこに就職したってことなの?」


 荒げた声は大きく、周りにも聞こえたらしい。他のテーブルの何人かが彼女らの方に目を向けた。叢雲はバツの悪そうな顔になって背を丸めた。しかしフェルミは意に介せずといった様子で笑みを浮かべたまま、叢雲は心の中で舌打ちをした。


「そうですよ。UNDRの中に新たに設立された〈国際機動救助隊〉の司令官に就いています」


 叢雲は何も応えずフェルミを見るだけだった。


「うん、言葉を並べただけでは分かりませんね。あなたの自己LANは自衛軍のネットの〈甲Ⅱ種セキュリティエリア〉にもアクセスできるはずですよね? そこを通して検索してみて下さい。〈国際機動救助隊〉の詳細も分かりますから。今は情報も上げられています」


 〈甲Ⅱ種セキュリティエリア〉の名を聞いて、叢雲の顔は見る間に強張った。最高機密の第2段階にある機密情報を管理する軍ネットワークの区画だからだ。トップではないが、それでもかなりの機密情報区画だ。そんなところに情報があるという話に、叢雲は顔色を変えざるを得なかったのだ。それに――――


「それに私がそのレベル対するアクセス権限を持っているということを知っているなんてね、やはり元汎米情報総局の諜報員と言うべきかしら? もしかして“元”というのは偽装で、実は今も現役だったりして?」


 何かを探られているのではないのか――叢雲は本気で不安になってきた。だが同時に思う。


 ――私は確かに軍の機密情報に触れられる立場にあるけど、ほんの一部だけだ。国家体制の基盤を揺るがすようなものには触れられない。本物の最高機密には近づくことすらできない。そんな者から何を引き出そうというのか?


「何か色々と勘ぐっているみたいですけど、裏なんかないですよ。日頃の行いが悪かったからですかねぇ、信頼度ゼロみたいですね」


 ハハ――と苦笑いを浮かべる様子を見て叢雲は鼻を鳴らした。


 ――そうよっ、アンタは最初ハナから胡散臭さ全開だったのよ!


「これを言えばいいかな――」


 そう言ってフェルミは両手を大きく拡げた。何とも芝居がかってますます胡散臭さが増すと叢雲は思った。


玖劾零機クガイレイキくんも救助隊にいるよ」


 その名は叢雲の心を大きく揺るがした。


「――な……どういうこと? 彼は……」


 六ヶ所村再処理工場で放射線障害に罹り、軍を除隊したと聞いていた。その後の足取りは杳として知れず、今はどこでどうしているのか分からない。聞いただけだが、除隊時の症状はかなり深刻だったとのこと。このことから今は存命している可能性は低いと思われた。

 彼女は唇を震わせ――いや全身を震わせ言葉を続ける。


「ふざけないで……よ……アンタ……私を……」


 だが上手く喋れない。様々な感情が渦巻き制御できなくなっているのが見ただけでも解る。フェルミは一転して真顔になって叢雲に話しかけた。


「いいから、ここは私の言う通りにして下さい。本当に裏はありませんから!」


 それは叢雲を突き動かす効果があったらしい、彼女はネットにアクセスした。そして見る間に表情が変化した。

 彼女は困惑――混乱した目をフェルミに向ける。フェルミは黙って頷くだけだった、その目は真摯そのものだった。それを見ても叢雲は混乱している。


「偽装ではない? そんな……でも……でも……」


 両手をテーブルに置き、俯き震える。今にも崩れ落ちそうな様子だ。激しい感情の乱れが現れていた。


「信じられませんか?」


 叢雲は暫し応えない。無言を続けるが不意に顔を上げ、フェルミを見上げた。その眼には涙が溢れていた。


「彼は……零機は……本当に生きているの?」


 フェルミは笑みを浮かべ頷く。それは皮肉も何もない、素直な笑みだった。


「ええ、元気にね」


 叢雲は涙を拭い、頭を振る。


「でも信じられない。10シーベルトを超える全身被曝だったという話だったし、もう再生医療も不可能。彼にはクローン体も無かったし、早晩死ぬしかないという話だったのよ」


 彼女はそう聞いていたのだ。


「でも彼の脳は無事だった。そして脳さえ無事なら生き延びる方法はある。この意味、解りますね?」


 叢雲の両目は大きく見開かれた。彼女はフェルミを真っすぐに見つめる。


「私はあなたを救助隊に迎えたいと思います。自衛軍には話を通してありますし、後はあなた自身の判断になります」


 フェルミは「うん?」と促すような眼差しを送った。叢雲は苦笑いのような笑みを浮かべた。


「私がサイバネティクス技師だからですか? でも大した技量はありませんよ」


 フェルミは手を振った。


「何を言っているのですか。あなたは一流の技術者じゃないですか。そのスキルは十分に証明されていますし、だからこそスカウトするのです。それにね――」


 一度言葉を切ったが直ぐに続けた。


「“思い人”と再会したいでしょう」


 フェルミはウィンクをして言い終えた。叢雲は何も応えず固まっている。その顔は真っ赤になっていた。





『――報告は以上です。よろしいですね、総理?』


 ホログラムヴィジョンスクリーンの前に座る女は小さく頷いた。艶やかな黒髪ロングヘアの女性、20歳そこそこにしか見えず、ともすればハイティーンの少女とも見間違えそうな外見だ。だが彼女は一国の元首、日本皇国総理大臣・暁静香アカツキシズカである。


「こちらは問題ありません。そちらは、他に要望はありませんか、フェルミ司令?」


 総理の声は穏やかで、音楽的な響きすら感じられる。スクリーンに映された男、フェルミは直ぐに応えた。


『取り敢えず今はありません。何かあったらまた連絡しますが、いいですか?』

「ええ、もちろん」

『すみませんね、色々と我がままばかり言って』

「何を言いますか。これは私たちにとっても利益になることですし、あなた方の活動は是非とも成功してもらいたいのです」


 そのための支援です――と総理は言葉を終え、フェルミは謝意を述べた。そこでスクリーンは消えた、通信終了だ。


「国際救助隊ですか? 全くそんなものを作り出すとは、あなたも色々とやりますね」


 総理の左前から話しかける声があった。彼女の執務用の机を挟んでその方向にソファがあり、1人の白髪の男が座っていた。


櫛名田クシナダ議長、あなたには納得いかないことも多いかと思いますが、私はこれが正しいと思って行ったことなのです」


 櫛名田と呼ばれた男――彼は自衛軍三軍を統括する統合幕僚会議議長の立場にある言わば制服組のトップにある人物――は表情を変えずに応えた。


「あなたのお陰で我が軍は優秀な人材を何人も失いましたよ。いや、幾つかの部隊ごとですかね」


 総理は首を振る。


「そのうち何人かは明らかにあなた方で切り捨てた者たちですよね」


 櫛名田はやはり表情を変えない。


「それは致し方ないことと判断した上でのことです。あの施設の秘密を守るために余人を寄せ付けなくする必要があったのです」


 そのための核攻撃か――総理はため息をついた。


「緊急事態法を持ち出すのもそうですが、さすがに核攻撃にまで及ぶとは……今でもやりすぎだと私は思いますよ」

「総理、あくまでも国益を第一に考えた上での行動です。六ヶ所村再処理工場に出現・・した存在はあまりにも危険でした。よって何者の接近も許してはならないと判断したのです」


 高レベルの放射線汚染を引き起こし、誰も近づけなくする――そのために中性子ビーム弾を使用したと言うのだ。だがやはり乱暴極まるやり方だと総理は思った。


「ボリス・ベルジェンニコフが“生存”していたということを、今まで軍は把握していなかったのですか?」

「ええ、全く。30年以上も前、我が国に亡命した直後に死亡が確認されており、それで終わっていたはずです」


 だが量子感応の反応が観測され、彼の脳は保存されたのだ。


「その後、生体コンピュータとして利用されていたんですね……」


 総理の顔は歪んでいる。おぞましいと思っているのだろう。だが櫛名田はやはり無表情だ。


「利用価値があったからです」


 さも当然という顔をして言った。だが、僅かに揺らぎのようなものが現れていた。


「だがそれが刺激となったのか、或いは別の要因なのか……最近になって彼はその中で意識を取り戻したらしいのです」


 揺らぎは徐々に大きくなっていた。


「そして彼は叛旗を翻した――と。自分の扱いを知ったからでしょうね」


 つまり復讐だ――と総理は理解した。


「今にして思えば〈北〉と米帝の空挺降下部隊の強襲攻撃は手際が良すぎたし、彼――ボリス・ベルジェンニコフによる手引きがあったと考えられます。実際そう伺わせる通信記録などのログが一部発見されました」

「そしてX線レーザー砲による対空迎撃、その撃墜率の高さは異常を極めていましたしね。この辺りであなた方は疑うようになったのですね」

「ええ、通信ログなどから内通者は確実にいると判断できましたし、撃墜に関しては高度量子AIにでも不可能なレベルでした」


 これは量子感応による未来視観測の結果ではないかと、技術研究所から報告が上がって来たのである。


「〈超能計画〉など、能力研究に関する記録は残されていて、それらの参照によって能力の介在が疑われるようになったのです」

「しかしその能力者が何故、死亡していたとされるボリス・ベルジェンニコフだと判断できたのです?」

「迎撃システムは彼の脳とリンクされており、制御は一括されていました。つまり外部からの命令は受け付けられず、全て生体コンピュータによって為されていたのが制御信号記録に出ていました。この記録は自衛軍のネットにも伝わっており確認できました」


 つまり施設にいた者、〈北〉や米帝の兵士や技術者が制御したとは判断できない。彼らの中に能力者がいたとしても介在できなかったのだ。


「その記録が偽情報だとは思わなかったのですか?」

「施設の稼働状況を監視するための記録情報であり、ハードウェア上独立したものです。施設側からは、例えボリス・ベルジェンニコフと言えども干渉できないものでした」

「なるほど、それであなた方はボリス・ベルジェンニコフが生き返って活動していると判断したのですか」

「いえ、絶対的に確信したわけではありませんが、少なくとも生体コンピュータが軍の基幹指令に反して行動しているのは確実と判断しました、そして――」


 量子感応を使っているとしか思えず、システムが生体コンピュータにしか制御できない状態になっていたのなら……脳の主体たるボリス・ベルジェンニコフが蘇生して活動している可能性が高い――こう判断したのである。


「いずれにせよ、極めて危険な状態になっていると思われ、更に事態は逼迫していました」


 ボリス・ベルジェンニコフの脳が米帝に持ち出される可能性がある。よって速やかに事態を収拾すべく核兵器の使用に至った――と櫛名田は言い終えた。


 能力者による対空迎撃の恐るべき精度を見るに鑑み、その価値は計り知れない。成程他国の手に渡らせるわけにはいかない。強引な手段に出ても抑えるべきだと判断するのも当然なのかもれない。それでも――と総理は思った。


 ――核兵器はやり過ぎだ……


 しかしこのことは言葉にせず、彼女は別のことを訊いた。


「それで……翌日、ボリス・ベルジェンニコフの脳は“死んで”いたのですね?」


 軍は攻撃の翌日の化学戦部隊を送っている。施設の奥で彼らは確認したのである。


「ええ、脳はもちろん、施設の量子ネットワークも全停止、活動ログの一部は復旧できましたが、後はクラッシュ状態でしたよ。また、ヴラン・ベルジェンニコフ三佐以下、分隊全員が姿を消していたとは……」


 ふぅっ――というため息と共に櫛名田は言葉を終えた。


 総理は思う――脳だけの状態で目覚めるということはどんなものなのだろう? 30年以上も経って何もかも変わってしまって――ただ単に時間が経過しただけでなく、姿形から何もかも変えられてしまった自分を発見するということは……


「……あなたが“彼ら”の脱出に手を貸すとは驚きでしたよ。おまけにスサノオ部隊や第1水上打撃群まで動かすとは……参りました」


 櫛名田が話しかけてきていることに総理は気づいた。直ぐに応える。


「当然ですよ。彼らをあんな風に切り捨るなんて、私には容認できません。何としても助けようとするのは当然です」


 櫛名田は口を開きかけるが、総理は首を振る。発言を待ってほしいという意思表示だ。


「あなたの立場も分かります。周辺事態の緊迫が続くこの国の現状からすれば、非情の決断も当然になるのでしょう。でも私は一国の総理。そして皇国は軍事優先とは言っても“軍事政権”ではない、政治家として、人として決断・行動する義務があり、力もあるのです。信念に従って行動しました」


 櫛名田は微かに笑う。


「あなたは優しい人だ」

「議長、あなたには私を止めることもできたのではないのですか?」

 

 緊急事態法を発令した時、クーデターにまで持っていくこともできたのだ。だが、櫛名田はそうしなかった。


「……私はそんなもの、望んでいませんよ……」


 それ以上は何も言わなかった。


 総理は目を窓に向けた。窓の外には抜けるような青空が拡がっている。だがそれはよく出来たホロヴィジョンでしかない。閉鎖環境ドーム天井に描かれた仮想現実だ。その外にあるものこそ現実。

 火と氷と嵐渦巻く世界――その彼方に、“彼ら”は去って行った――――

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