第62話 無影心流

 そこは運動競技場のようなもの。アメリカ合衆国連邦・統合情報軍インフォメーションズ管轄屋内運動訓練センターとの表示が運動場端の電光パネルに映し出されている。

 ウレタン複合積層で構成されたトラックコートの上に2人の人物が対峙している。1人は浅黒い肌をした頬に傷痕のある背の高い男、もう1人は黒髪のストレートロングヘアをなびかせる小柄な少女、両者共にスパッツ姿(少女の方はスポーツブラにスパッツ姿)をしている。どうやら2人は近接格闘戦の訓練を行っているようだが、男と少女とではどうにも不平等なものに見える。だが、男の顔は極めて真剣なものだった。

 男の方は半身で右腕をやや前方に突き出した中段の構えをとっている。その眼差しは鋭く相手を射殺さんばかりのもの。対する少女は方は両手をブランと下げたままで、特に構えをとってはいない。目は茫洋としいて、ともすれば目の前の男を意識に捉えているのか疑わしくなってくる。2人はその状態で微動だにしていない。いったいどれくらいの時が過ぎているのか不明だが、男の様子から決して短時間だったとは思えないのが分かる。彼の顔には焦りのようなものが垣間見えていた。どうも攻めあぐねていたらしい。

 少女の頭が動いた、僅かに首を傾げる所作を見せたのだ。その瞬間だった――――

 男の姿が消えた。一瞬に、その場から忽然と――といった風に。ほぼ同時に少女の右斜め後方至近に現れていた、まるで瞬間移動のような光景だ。現れるや否や、彼は右中段突きを少女の右脇腹に突き入れる。それは見事に入ったかに見えたが、ところがその軌道は少女の脇腹を逸れた。少女が僅かに移動したらしく、男は対応できなかったと見える。彼の体勢はそのまま流れそうになったが、素早く両脇を引き、腰を落として整えた――かに見えたが?

 直後彼の身体は大きく飛ばされてしまった。上体を九の字に曲げ、まるで腹に大木でも打ち付けられたようなさまで、何メートルも吹き飛んでいった。だが彼は倒れることはなく、両脚を踏ん張って堪えた。そして再び体勢を整えようとしたが――――


「遅い」


 傍らから少女の声が聞こえたかと思った瞬間、男は膝から崩れ落ち、倒れ伏してしまった。


「見事……」


 男は意識は失っていなかった。彼は俯せに倒れたまま、頭だけは動かし、自分を見下ろす少女に視線を送った。彼女の右拳を見て一言。


寸勁ワンインチパンチか……見事に打ち込まれちまったぜ」


 少女も視線を返した。切れ長の眼差しは、しかし鋭くはなく、寧ろ優し気だった。口元に笑みを浮かべているが、それは決して男を嘲るものではなかった。


「そこまで」


 訓練センターの出入口の辺りから聞こえた言葉、1人の人物が歩いてきている。その人物も黒髪の少女だが、彼女はボブヘアで眼はパッチリとしていた。切れ長の眼の少女は彼女に言う。


「機体の損傷はないはずですが、浸透性の衝撃を体内奥深くに打ち込んであります。制御系にエラーが起きていると思われますので、暫く動けないでしょう。ケアを頼みます」


 ボブヘアの少女は無言で頷いた。切れ長の眼の少女は倒れたままの男に目を向け、口を開いた。


「モナド大佐、未来視にこだわりすぎです。それでは同等か、或いは上回る能力者による“書き換え”に囚われてしまいます。あなたが六ヶ所村再処理工場地下で苦戦した理由はそこですよ」


 男――ザイン・モナド米帝情報軍インフォメーションズ特務大佐は乾いた笑みを浮かべた。


「あなたクラスの遣い手でないと俺を欺くなどそうそうできないはずなんですがね、スゥエン司令」


 モナドはボブヘアの少女に抱きかかられ、起こされた。彼はその少女に話しかける。


「世話をかけるね、恵里奈エリナ


 ボブヘアの少女――石動恵里奈イスルギエリナ米帝情報軍インフォメーションズ少尉は首を振った、やはり無言だ。


「では行きましょうか」


 切れ長の眼の少女――リィファ・スゥエン米帝情報軍インフォメーションズ総司令は2人に言い、そのままセンター出入口に向け歩き始めた。




 目の前の強化装甲兵アーマーズの動きは速く、パターンの読みづらいものだった。だが人間の神経伝達速度の限界を超えるほどものではなく、また絶対的にパターン解析不能なものでもなかった。だが時折、その兵士の姿は視界から消え、次の瞬間、思わぬ方向に出現していた。見失っているのだ。そのたびごとに致命に近い一撃が自身・・の身を掠めていた。その深度は次第に増していき――――


「ここですか」


 スゥエンは静かに言った。

 彼女の“視界”から完全に強化装甲兵アーマーズの姿が消えてしまい、全く感知できなくなっていた状態にあるのが認識できた。そして次の瞬間、“右腕”に強大な衝撃が走り、腕からの一切の信号が途絶したのが理解できた。“視界”には床上に転がる機械の腕が見えていた。


 スゥエンは自身の目を開け、深くもたれていた椅子から身を起こした。そして目を執務机の向こうのソファに座っている2人の人物に向けた、モナドと恵里奈だ。モナドは――スゥエンも――通常の軍服に着替えている。


 そこは情報軍インフォメーションズ総司令官執務室。特段華美な装飾のない質素な執務室だが、アメリカ合衆国連邦(国際的にはアメリカ帝国と呼ばれている)の情報・諜報工作機関の中枢である。15、6歳くらいの外見の少女の姿をしたリィファ・スゥエンはその機関の最高司令官の地位に就いている。階位は上級大将。


 モナドが口を開いた。


「どうかな? 俺の無様な記録は?」


 モナドは自嘲的な笑みを浮かべ、頭を掻いていた。彼の真向かいに座っている恵里奈はそんな彼を見て、どこか呆れたような表情を浮かべている。


「ちゃんと記録はとれていますね。あなたの電子アイが捉えた戦闘記録映像は正確に脳内極微電脳ナノブレインのメモリーに保存されていました。身体にかなりの衝撃を受けたのが装甲服アーマー機械体メカニクスの診断記録に残っていますが、極微電脳ナノブレインには影響なかったようです」


 ふぅ~、とため息のような息を洩らし、モナドは肩を竦めた。


「それは米国のサイバネティクスの技術力の成果、俺自身のプライドはズタズタだったよ」


 スゥエンは表情を変えることなく訊く。


「それほどの相手だったのですね?」


 モナドはスゥエンに目を向けた。


「それは今観た通り。俺の戦闘記録を仮想現実としてあなた自身の極微電脳ナノブレインで再生して、自ら体感・・しただろ?」


 スゥエンは目線を落とした。


「記録は現時空・・・でのあなた自身の体験を映したもの。五感の感覚も含めていますが、そこまでです――」


 スゥエンはここで言葉を切るが、直ぐに続けた。


「それ以上――即ち量子感応による超時空感覚は記録できていません。これはあなた自身にしか分からないことです」

「いちおう報告書には上げているがね、やはり俺自身の口から述べた方がいいんだろうね」


 スゥエンは無言で頷いた。モナドは天井を見上げ、暫く何も言わなかった。言うべきことを考えているのだろう。真正面に座る恵里奈は訝しげにそんな彼を見ていた。

 やがて彼は話し始めた。


「悉く外されたんだよ。俺の視た未来の“記憶”、確実にこの手に掴んだと思った“世界”がすり抜けて行ってしまったんだ。意図しない瞬間に梯子でも外されて足場を失ったようなもんかな」


 話すモナドの目は虚ろだった。記憶に意識を飛ばしているのだろう。


「フム、確かに量子感応ですね。それも相手の感応に干渉できるかなりアクティブなものですか」


 モナドの意識は現実に戻ったらしい。彼はスゥエンをしっかりと見て、口を開いた。


「自慢するみたいだが、俺を欺くなんざかなりのレベルだぜ。SSRクラスのクスパーだ、ありゃあ」


 スゥエンは卓上の制御装置付属の光学デバイスを操作、部屋の中央――モナドと恵里奈の中間に立体映像ホログラムが出現した。そこには1人の強化装甲兵アーマーズの全身映像が映し出されている。映像は直ぐにズームアップ、顔が大きく映し出された。戦国時代の鎧武者を思わせる造形がそこにある。


玖劾クガイ――と呼ばれていたのですね、この兵士は?」


 モナドは無言で頷いたが、直ぐに口を開く。


「司令、玖劾――というと、玖劾零機クガイレイキなのかな? あなたが30年以上も前にロシアで遭遇したという日本皇国の外交官」


 スゥエンは首を振った。


「ベルジェンニコフ博士を確保しようとした時に彼らと同行していた大使館員ですね。しかし彼は帰国して暫く後に外務省を退官、その後の足取りは不明となってましたが……」


 当然ながら米帝は対立する皇国内部にも様々な形で諜報員を送り込んでいて、行政機関の動向なども把握できていた。


「どうもヨミエリアに向かったみたいで、そうなるとさすがに我が国の情報網にも掛かりにくくなります。ここで消息はプッツリと途絶えてしまいました」

「ヨミエリアか、皇国の行政管理の範囲外だな。つまり皇国市民権を剥奪され、追放されたってことかな? ベルジェンニコフ博士の亡命工作に失敗した責任を取らされてってトコか」

「いいえ、別に剥奪はされてはいなかったみたいです。自分の意志でタカマノハラを、そして皇国の行政管理範囲圏から出て行ったみたいですね」


 モナドは腕を組む。


「ふぅむ……色々と思うところがあったのかな。まぁそれはいい。それで、俺と戦った相手はその玖劾零機クガイレイキなのかね? また戻ってきて今度は軍に入隊、強化装甲兵アーマーズになったのか、30年も経って?」


 スゥエンは違うと言った。


「何で? 何で言い切れる? まぁ30年もブランクあって、その上最高の戦闘スキルが要求される強化装甲兵アーマーズってのも信じられんがね。元外交官が……色々と信じられんわな」

「あなたの報告を受けてから即座に調べさせました。すると玖劾零機は5年と少し前に富士山麓の難民キャンプで死亡していたとの記録があった、そう報告を受けています」

「死亡? ――となると、奴は別人か? 同姓同名の?」

「そうなりますね。死亡の記録は真実だとの裏も取ってありますし、もしこれが欺瞞なら皇国の情報操作も恐るべきレベルにあることになります」


 暫し沈黙。

 米帝も皇国も日常的に情報戦を繰り広げている。サイバーから現実、物流や人的交流、公的・私的、組織・個々人、様々な種別・レベルに渡って熾烈な戦争を繰り広げている。保守管理の徹底は無論、欺瞞情報を掴ませて誘導したり混乱させたりなど当たり前だ。分単位、秒単位に渡って取得される膨大な情報の中から真実を嗅ぎ分け、有益なものを得て解析・利用する。これが情報戦だ。

 玖劾零機の死に関する情報も精査されて得た結論であり、ほぼ確実に真実だろうと思われる。だが絶対ではない、と彼らも理解していた。


「しかし司令、あなたは“直感”しているんだよな? その能力で」


 スゥエンは何も言わず静かに微笑むだけだった。そこに答えがあると、モナドは確信していた。


「しかしまぁ驚いたよ。ボリス・ベルジェンニコフだけでも驚異だったのに、あんな“怪物”まで釣れるなんてな。いや、釣れちゃいないか」


 ハハ――と笑うモナド、やはり自嘲的だ。


「怪物――と言いますか?」

「そりゃもうね。実際対峙しないと実感できにくいかもしれんけど、あなたなら仮想現実からでもある程度は把握できるんじゃないかな――」


 モナドは言葉を切って身を乗り出した。どことなく切迫したような顔になっていて、それを見た恵里奈は少なからず驚き、顔に出た。

 モナドは言う。


「あなたなら、直感できるはずだ」


 スゥエンは無言のまま、しかし真剣な眼差しをモナドに向けていた。だがやがて話し始めた。


「動きから最終的にあなたを完全に凌駕したのは分かります。かなりハイクラスのクスパ―なのは確実ですね」


 言い終えて彼女は背もたれに身を預けた。目線は天井に向けているが、その意識は別のものを捉えている。


「司令、奴の使っていた技なんだが……」


 天井に目を向けたままスゥエンは返事した。


「〈無影心流〉ですか……」

「分かるか……あれも〈無影心流〉なんだな? 遣い手・・・のあなたなら判断できるよな?」


 スゥエンは目を瞑る。


「どうでしょうね。実際使っていた技はよくある軍隊式格闘術と大して変わりませんし、何とも言えません」

「いや、だがあれは……あんたと対峙した時に感じるプレッシャーと同じものに思えたんだが?」

「実際対峙したから感じたものなんでしょう。あなたがそう感じたというのなら、確かに無影心流なのかもしれません。客観的に見ると特別なものは見当たりません。合気柔術の色彩は強いですね」

「呼吸や、タイミングの取り方なんかはあなたと同じものがあるぞ。これは傍から見ても分からないか? 無影心流ならではのものだがな」

「そうですねぇ……他の流派でも似たものはありますが、無影心流となると……」

「あまり知られた流派ではないからか? つか途絶えていたんだっけ? あなた以外の遣い手はもう居なくなったと聞いていたな」

 

 リィファ・スゥエンは〈無影心流〉の遣い手らしい。


「一子相伝的な武術でしたからね、スーパーホットプルーム以降消えてしまったみたいで、私に繋がる系統以外の消息は完全に途絶えてしまいました。とは言え、流派の奥義は〈時読み〉にありますからね。能力が特に高い遣い手が似た流派の技を使うと〈無影心流〉のように感じるのかもしれませんが……」

「あなたでも判断できないか? さすがにこれは仮想現実では分からないか?」


 スゥエンは何も応えなくなった。考えに耽っているのは確実だ。

 そのまま暫く沈黙が流れた。


 だが、それはスゥエンによって破られた。


「ともかくです、皇国にはベルジェンニコフ姉弟きょうだい以外にも要注意の能力者クスパ―がいたということです。今回はそれが分かっただけでもよしとします」


 〈無影心流〉の話はここまでということらしい。モナドは苦笑いを浮かべた。


「すみませんね、ボリスくんの脳の確保に失敗してしまってね。俺がもう少し有能なら良かったんですがねぇ」


 スゥエンは白けたような目でモナドを見た。


「いや、何なんだよ、その目は?」


 スゥエンはその目・・・のまま笑みを浮かべた。少し不気味なものに見える。


「思ってもいないことを言うものではありません。人によっては侮辱と受け取りますよ」


 モナドはキョトンとする。


「え? 何でそうなるの?」

「誰が見ても有能な人物が自分を卑下するなど皮肉でしかありません。しかも本人が実はそう思っていないことが丸わかりな時は尚更です」

「いや、俺は――」


 スゥエンは手を上げて制する。もう会話は打ち止めということだ。


「今回の結果の意味することは、米国――いや、“我々”にとって新たなステージ・・・・・・・が幕を上げたということですね。肝に銘じて下さい。これからもっと忙しくなりますよ」




 司令官室を後にする2人、恵里奈はモナドに話しかけた。


「そう言えば、大佐は司令と古い付き合いなんですよね」


 うん? という顔をするモナド。


「いえ、人となりとかよく知っているみたいですし」

「まぁそうだな。あの人がロシアでの工作から帰って来た直後くらいだから、30年くらいになるな」

「30年ですか……15歳くらいの少女にしか見えないのに」

「分かり切ったことを。完全機械体フルメカニクスなんだぜ? 俺以上にキャリアがある古参のサイボーグ兵なんだぜ」


 そんな会話をしながら司令官室のある管理棟をた。すると刺すような日差しと、それとは相反する冷気が2人を襲った。目の前には赤茶けた大地が拡がっている。砂漠のど真ん中に、彼らの基地はあった。


 アメリカ南西部、ネバダ州レイチェル、かつて、〈エリア51〉と呼ばれた旧アメリカ空軍・ネリス試験訓練場内の一地区に、アメリカ合衆国連邦統合情報軍インフォメーションズ総司令部基地は置かれていた――――

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