第58話 永訣の刻

 全身麻酔の経験はあるだろうか? 手術室で麻酔薬が入った点滴用の袋を見ていたら、次の瞬間、病室に戻っていた自分を発見する――こんな感じ……いや、違うか?

 一瞬で場面が転換、ロシアの街から見たこともない“世界”にいる自分を発見したのだ。


〈目覚めた瞬間、僕は全てを理解した。この30年ほどの間に起きた出来事の全てを理解した。情報が洪水のように流れ込んで来たんだよ〉


 六ヶ所村再処理工場と青森要塞の防衛システムは皇国三軍の軍事ネットワークともリンクしていた。よって僕の意志次第でいつでもアクセスが可能な状態になっていた。ネットワークのどこかに僕と姉さんや関わった人たち、過去に起きた物事の全てに関する記録の検索が可能だったのだ。それに要する所要時間は1秒にも満たなかった。量子ネットワークの演算処理能力の高さ故だが、それにしても目覚めた瞬間・・・・・だったということは自分ながらも驚いた。


「ボリス、それは……」

〈そうだよ姉さん、これも量子感応なんだ。その能力の現れなんだ〉


 ベルジェンニコフは困惑する。だが全く理解できないわけではなかった。


〈無意識の奥底から働くものだからね。意識不明状態からでも有効みたいなんだ。無意識が強力に主導し、意識はそれを追認する。覚醒以前から検索アクセスが始まっていた。その検索アクセスが覚醒の引き金になったのかもしれない。ただ――〉


 ただ――ボリスは死んでいた・・・・・とされていた。なのに無意識とは言え、検索アクセスしていたとは? いや、そもそも生き返る・・・・――などということが本当に起こるのか?


「生と死は厳密に定義されていないのだろう。やはりボリス・ベルジェンニコフは死んでいなかったというべきじゃないか? 現代科学でも完全に解明できていないのだろう?」


 玖劾クガイはそう言い、改めて円柱にあるカメラアイに目を向けた。


「全てを知った――と言ったな?」

〈そうだよ〉

「それが皇国に反逆した理由か?」


 ベルジェンニコフたちは皆、玖劾に注目した。そしてカメラアイに。それは点滅を繰り返した。そうだ――と言っているのが分かる。


〈この30年間に僕や姉さんに行われたことを知ってね、そしたら許せなくなったんだよ〉


 ベルジェンニコフの顔が見る見る歪んでいった。感情が溢れているのが分かる。


「ボリス……すまない、全ては私のせいなんだ……」


 涙が頬を伝う。もう抑えられないようだ。


〈姉さん、それは違う。これは国家というもの、権力というものが振るう非情の論理のせいなんだ〉


 10歳程度の少女に何が選択できたのだろうか? 家族を失い、自身の肉体をも失ってどうすればよかったというのか? 貴重な情報を持ち、自身もまた重要機密と言えた彼女に選択の自由など無かった。国家権力にいいように利用されるのは仕方がなかった。


「それでも私は自らディープコネクトのデータを渡した、自分の意志で。これは“死にたくない”というエゴだっ――」


 ボリスはベルジェンニコフの言葉を遮る。


〈それは当たり前のことだよ。大人だってそうなる。ましてか弱い少女だった姉さんなら〉


 それでも――とベルジェンニコフは言う。


「全てを知ったというのなら、私がもたらした結果も理解しているだろう? 〈超能計画〉という人体実験はディープコネクトの情報と私がいなければ始まらなかったんだ!」


 ベルジェンニコフは膝を尽き、項垂れた。嗚咽すらもらしている。感情の堰が切れてしまっているようだ。


「ヴラン……」


 そんな彼女の背中にそっと手を置くウィンダム、優しく摩るが困惑の顔を浮かべている。


「どう言ったらいいのか……すまない、かける言葉が見つからない……!」


 傍らに膝をつきしゃがみ、肩を抱き寄せた。せめてそれだけでも――ということなのだろう。ベルジェンニコフも応えるつもりだったのか、或いは無意識だったのか、ウィンダムに寄りかかり身体を預けた。


「ふぅ……」


 フェルミは息を吐き、首を振った。緊張を解こうとしているようにも見える。そしてカメラアイに目を向ける。その眼差しはいつになく真摯なものに見えた。


「それで……君は皇国に復讐しようと考えたんだね?」


 フェルミの声は奇妙に響いた。感情が溢れていたベルジェンニコフにも届いていたらしい。彼女は顔を上げ、フェルミを――そしてカメラアイを見上げる。


〈――そう……単純な話だよね〉


 ボリスの応えは少し間が開いた。声に苦しさが垣間見えている。


「当然ではあるか。目覚めた君には力もあり、それを理解したのだから、実行しようと考えたのは当然か。防衛機構への接触アクセスも可能だったろうね、ただね――」


 フェルミは首を振る。


〈米帝と手を組んだのは何故か――と言いたいんだね?〉


 玖劾が口を開いた。


「そうだ、全てを知った・・・・・・、というのなら、自分たちが死に・・、姉が異国で1人取り残された原因も理解したはずだ」


 サンクトペテルブルクで彼らを急襲した特殊部隊は米帝のものだった。その米帝と手を組んだのは何故か?


〈皇国への憎悪が何よりも大きかった。米帝に対するものより、遥かに。復讐のために最も力になるのは米帝ということになったんだよ〉


 中華連邦は既に力を失っている。その他の勢力も今一つ有力とはなり得なかった。地政学上の利益、そもそもの国力・軍事力など様々な要素を検討し、最も皇国に打撃を与える力と実行する動機を有しているのはアメリカ合衆国連邦――米帝だと理解した。


〈米帝は現在皇国が有するイワドコンブレックスや核融合発電などの技術情報、そして列島各地と周辺海洋で開発が進められているメタンハイデレードや希土類レアアース鉱床にも興味を持っているからね〉


 だから防衛機構の一翼を掌握したボリスの提案に乗る可能性があった。


「そしての国は乗ったわけだ。全く、下手したら全面衝突ともなりかねないというのに、よくも国防総省が承認したもんだ」


 玖劾がフェルミに言う。


「今回の侵攻作戦は表向き〈北日本〉によるものだ。米帝は同盟国として支援するものとなっていただろう。あくまでも支援者の立場だと主張すつもりだったのでは?」

「そうだね。2国間の安保条約に従って支援したというわけで、〈北〉が主導ということになっている。これは全面衝突を避けるための1つの体裁だろうが、かなり際どいやり方だ」


 実際は米帝主導による侵略になるのは誰が見ても明らかだった。そうでないにせよ。他国の領土に踏み込むというのはどうなのか、外交断絶をも覚悟した上での行動とも受け取れる。〈北日本〉――日本民主主義人民共和国領に皇国自衛軍が侵攻し、同盟国を守るために部隊を出したというのならまだいいだろう。だが今回は皇国の領土に向けて侵攻している。皇国から見れば米帝による侵略にしかならず、これだけでも開戦の口実になる。それに皇国は〈北〉を独立国家としては認めておらず、自国領の一部としており、そもそも〈北〉と米帝の安保条約は自国の内政に対する著しい侵害だと主張している。


〈米帝の軍事力は強大だからね、皇国と言えども容易に開戦には踏み切れないのも事実〉

「とは言え、やはり自国領に軍事侵攻されればやらざるを得なくなるのも道理だ。それに皇国との一戦は米帝にとってもかなりの痛手となるはず」


 リスクはかなりある。それでも米帝は乗った。


「米帝内でどんな話し合いが持たれたのかは私にも把握し切れない。ただ国内全ての同意を得たものではなかったと思う」


 玖劾たちは怪訝な顔をした。今回の事案は一国に対する大規模な侵攻であり特殊部隊などによる秘密工作の枠を遥かに超えている。これは軍部のみならず国家行政権による承認なくしてできるものではない。フェルミにも詳細は分からないようだが、ある程度は推測できていた。


「あの国にも色々ある。現在では大規模な作戦でも総省や大統領による承認に無しでも発動できるようになっているらしいのだよ」


 もはや民主主義国家ではないのだと彼は言う。あの国は建国の理念から外れてしまっているのだ――と。

 これは軍部の独走なのだろうか? たがフェルミはそれ以上は何も言わなかった。


「米帝の内情はいい。それより、アンタの手引きで今回の騒動が引き起こされたんだな」


 疑問は多い。だが一番に問うべきことはここだ、と玖劾は考えていた。


〈その通りだ〉

「復讐したくなるのは分かる。だがその後はどうするつもりだった? もし成功したら戦争の可能性が高くなるのは今まで話していた通りだ。皇国は黙っちゃいないだろうし、米帝との全面戦争とまではいかなくとも〈北〉とは戦端を開くだろう。その過程で米帝軍との戦闘状況突入も推測できたはずだ。そして――」


 そこまで言って玖劾は言葉を切った。ボリスが後を継ぐ。


〈そうだよ、国内は泥沼となる。反政府勢力も活動を活発化するだろうし、一部勢力は米帝と通じている。皇国は〈北〉や米帝だけを相手にするわけにはいかなくなる。でも皇国も簡単には潰れない〉


 この時代の日本は活発化した地殻変動を上手くエネルギー資源として活用できるようになっている――イワドコンプレックスだ。また周辺海域の地下資源開発にも成功していて、その経済力はかつてないほどに拡大している。日常的に激甚災害に見舞われながらも逆にそれを利用することにより、日本は歴史上初めて資源・エネルギー大国としての地位を確立した。その国力は盤石で容易に崩れないのだ。


〈だが、それが国を疲弊させることになる。力があるだけに容易に潰れず、でも敵も強大だから戦争は長引くのだ。この22世紀にある国家には敵と定めた相手とは“話し合おう”という発想が浮かばないので延々と続いてしまうのだ。核兵器を使用すれば決着は早まるかもしれないが、それは環境を破壊するもので益は少ない。よほどのことがない限り選択しない。だが、最後の手段としては有り得る。限定使用ならハードルは下がるし、それはビーム弾で証明されたね。ますます国土は荒廃するだろう〉


 ――いずれにせよ、国内は戦火に塗れ、皇国は疲弊していくのだ……


「その惨禍を日本にもたらそうというのか……」


 そうなれば、多くの人々が死んでいくだろう。だが真っ先に死んでいくのは――――


「ボリス、それは弱者の切り捨てになるぞ。戦乱となれば移民や難民、ヨミエリアに住む者たちから真っ先に殺されていくことになる。権力者たちは逃げてしまうかもしれない。お前はそれでいいのか? いいと思ったのか?」


 ベルジェンニコフの叫びにボリスは暫し応えなかった。


〈そうだね、その通りだ。僕はその“事実”に目を向けなかったのだよ。だって――〉


 皇国が憎かったから――どうしても許せなかったから……最後の言葉は消え入りそうだった。


「ボリスくん、それで君は反省――というか気を変えたんだね?」


 フェルミの問い。


〈皇国への憎しみは消えていないよ。ただ、僕のしたことは間違いだったと自覚した〉

「それは降下作戦開始後になるのか、それとも以前に? 姉さんが参加していることには気づいていたよね? だったらその時点で抵抗をやめるべきだったのではないのか?」


 降下作戦開始時にもX線レーザーによる対空迎撃が行われている。


〈モナド大佐たちとのこともあるからね。彼らを何とか脱出させたいとは思った。とは言え、米帝がフレーム兵などというものを駆り出すとは……〉


 どこかからかき集めた難民らを洗脳して特攻兵に仕立て上げたものだ。そのおぞましさは忘れられない。


〈あの時点で彼らを止められなくなっていた。米帝軍の行動までは制御できなかった〉


 それでもX線レーザー攻撃をやめればベルジェンニコフたちの降下はスムーズに済んだのではないか? フレーム兵の犠牲も減らせたのかもしれない。


〈いや、自衛軍が中性子ビーム弾を使用することが分かったんだ。僕が抵抗をやめたら使用時間が早まっただろう。連中は迎撃が止まれば、その後は展開がどうなろうと必ず使用するつもりだったようだ。その場合降下部隊は地上で弾頭の炸裂に晒された可能性が高い〉

「ふむ、敢えて抵抗を続け、小隊に降下をしてもらう、その能力があると信じて――か。それはかなり際どい綱渡りだな」

〈正直色んなことがコントロールできなくなっていた。その過程で僕は自分のしたことの重大さを改めて自覚したよ。フレーム兵たちには本当に悪いことをした〉


 フェルミは首を振った。困ったものだ――と言っているようだ。


〈結局僕は子供なんだよ。ずっと眠っていたようなものだし、主観年齢は10歳にも満たない〉


 そこで2人の会話は一区切りがついたらしい。


 少し間を置いて、玖劾が口を開いた、フェルミを見ている。


「今度は汎米と手を組むことにしたんだな。いやウィンダム一佐も一緒となると違うか?」


 ベルジェンニコフの傍らにいたウィンダムは立ち上がった。


「うむ、俺と大佐はアカツキ総理の要請でここに来ている。君たちを救出せよとのことだった。ボリスくんが総理に直接頼んだようだ。今も総理サイドとの回線が繋げられるみたいだ」


 玖劾たちは互いを見合った。


「総理が? どういうことだ? 国は俺たちを見捨てたんじゃないのか?」

「国家の総意ではない。軍の作戦は大昔の緊急事態法を引きずり出してそれを根拠にしてやったもので、総理や政府の統制を離れたものだったらしい」


 それはクーデターではないかと玖劾は問いかけるが、ウィンダムは手で制する。


「いや、軍は政権の転覆を目指してはいない。今のところなのかもしれないが、あくまでも軍事作戦の速やかな実施のためにやったことらしい」


 中性子ビーム弾という核兵器の使用となると総理も内閣も容易に同意しないだろうし、後々国会でも紛糾する。だが緊急事態法が制定されていて、それを根拠にすれば合法化できると考えたのだろう。


「そんな法律があることなど誰も知っちゃいなかったし、そもそも何のつもりでそんなもの制定したのかどうにも分からんがね」


 将来を見据えたものだったのか? 軍国化を更に進めたいと考えた一派がいたのかもしれない。


「ともかく総理は君たちを切り捨てる気はないらしい。俺たちが保護すれば生きて脱出できる」


 だが――玖劾は疑問を述べる。


「フェルミ大佐は何なのだ? この人は汎米の軍人だ。皇国とは同盟国の軍関係者とは言え、こんな場に来る理由は何なのだ?」


 ここでフェルミが口を開いた。


「今の私は汎アメリカ連邦を代表しているわけじゃないよ」


 何だって――皆は目を丸くする。


〈あなたは軍を退官しているよね、本日付けで〉


 ますます皆は目を丸くする、ウィンダムもだ。


「ボリスくんは理解しているかな。でもみんなにはチンプンカンプンだろう。説明すると長くなるから、それは脱出がてらにするということでどうかな?」


 いや、今直ぐに――玖劾は納得していない。だが、彼は声に出すことができなかった。


「玖劾くん、君も限界じゃないか?」


 両脚が激しく震えているのが見えた。装甲服アーマーのマスタースレイブ機構は玖劾自身の震えを忠実に反映させ、脚部を震わせていたのだ。


「君のバイタルももう限界だ。それに特曹は――」


 ハサンはうずくまったまま身動き一つ取ってない。


「いかん、意識がもう消えている。ボリス!」


 新たにスリープポッドが2つ出された。ベルジェンニコフはまずハサンの装甲服アーマーを開放させて彼を引っ張り出し、ポッドに寝かせた。ポッドは直ぐに蓋を閉じ、彼を冷凍睡眠コールドスリープに移行させた。


「次は君だ」


 ベルジェンニコフは玖劾の装甲服アーマーに開放指令コマンドを送ろうとしたが、玖劾は手を上げて――――


「待ってくれ、もう少し、もう少しだけ……」


 そう言う玖劾の目には切実さが現れていた。それを見たベルジェンニコフは何も言えず、また指令コマンドも出せなかった。


〈玖劾くん……〉


 僅かな間。


「ボリス・ベルジェンニコフ……アンタはこの30年間、何らかの状態で存在し続けていたのだな? 物理的に死んでいたとしても――だ」


 本当に死んでいたのなら、確かに“目覚める”などということはあり得ない。だが皇国最先端の医学・生命科学・脳生理学の分析に間違いがあったとも思えない。彼は確かに死んでいたと言える。とは言え、何度も言うようだがこの時代でも生と死の境界は不明確で厳密な判定は不可能。ここには生命現象の本質が潜んでいるのではないのか?

 だが玖劾の関心は別のところにあった。


「アンタの意識は別のどこか・・・に在ったのではないのか? そのどこか……或いは何か・・がアンタを守ったんじゃないのか?」

〈玖劾くん……〉


 ボリスの声はどことなく掠れていた。


〈君は……アレ・・を見たことがあるのか? いや……この世界に生きて意識を保っている人間に可能だとも思えないが……〉


 声は震え、明らかな動揺が現れていた。


アレ・・とは……“光の道”のことか? 無数に分岐し、まるで導くように光点が瞬き走る枝のような――河のようなもの」


 ベルジェンニコフはハッとした顔になった。


「それは……私も見たことがある。あまりはっきりしたものではなかったが……」


 だが、それがボリスのことと何の関係があるのか?


〈それは……多元宇宙の影のようなものだよ。量子感応が見せてくれる未来――といか、世界の可能性かな〉


 皆は困惑した。多元宇宙などという言葉が出てきたからだ。

 

〈僕にも殆ど分からないんだ。微かに憶えているだけなんだが……〉


 何かを考えている気配が伝わった。言葉を選ぼうとしている。


〈表現が難しいんだが……僕は……その多元宇宙の外にいたような気がするんだ〉


 宇宙の外? ボリスの次の言葉を待つ。


〈詳しくは量子力学の多世界解釈辺りを参照してほしい。いや、僕の記憶に微かに残る……それは……少し違うみたいだな……〉


 ボリスの言葉は途切れ途切れになっている。彼自身、理解していない証拠なのかもしれない。


〈僕はその多元宇宙みたいなものの外にいて、全てを睥睨するような状態にあったらしいんだ。そこは“響き”に満ちていて、何もかもが一瞬に理解できる世界――いや、世界というものを超越した何かだった。薄っすらとだが、そんな記憶があるんだ〉


 まるで神のようではないか? だがボリスは違うと言う。


〈たぶんこれは全ての人間が――いや、意識や無意識を持つ全ての知性体に等しく通ずるものではないかと思う。そしてね――〉


 円柱のカメラアイがリズミカルに点滅した。


〈量子感応がそれらを繋げるんじゃないかと思う。僕は――〉


 また間が開いた。


〈僕はその能力によって存在を繋ぎ留められたのではないかと思う〉


 玖劾は問う――というよりも自身の呟きのようだった。


「能力が……それ……が、肉体の生命現象ま……で操……れる……と?」

〈分からないよ。ただ僕の脳は量子ネットワークに繋げられていたからね。そのネットワーク自体に意識が走るようになっていたみたいなんだ〉


 能力によって本来は死亡時(皇国の判定)に散逸したはずの意識・無意識が繋げ止められていて、リンクしていた現実世界の量子ネットワークを依り代とすることが可能となった……


〈これは妄想と言ってもいい話だね。こじつけともいう。まぁ僕がここに存在しているのが証拠かな。ただ玖劾くん、“外”の記憶は本物だと思う。これは“光の道”を見た君ならば事実だと理解できると思うが、どうかな?〉


 玖劾は膝をついた。立っているのもつらくなっているのだろう。


「分からん、分からんが……」

〈遍く全てを等しく照らし出す――そんなものだと思う〉


 玖劾は顔を上げ、カメラアイに目を向けた。その目は大きく見開かれ、驚愕の色がはっきりと現れていた。


「それは――」


 言葉は切れた。そのまま彼は何も言わなくなった。


「いかん、意識を失った。急がないと!」


 ベルジェンニコフは玖劾の装甲服アーマーを開放させて素早くポッドに収容させた。フェルミは暫くその様子を見ていたが、そのままボリスに話しかける。


「“外”か……さっぱり分からないが、ともかくも量子感応の働きで繋がっていて、それが君の意識・無意識――人格総体を維持、ネットワークへのコピーを実現させたということかな?」

〈さぁ、どうなんだろうね?〉

「フフ、まぁ何だな、能力によって人工実存が実現したというところかな。現代の量子ネットワークの情報処理能力は人間の意識総体のコピーさえも可能な容量を持つと言われていたけど、今まで決して実現できなかった。となると、これは凄いことだよ」

〈信じるのかな?〉

「信じるよ、君は本物だ」

「直感できるみたいだね。やはりあなたも能力者だったんだ」


 ベルジェンニコフとウィンダムは互いの顔を見た。ベルジェンニコフは首を振る。


「いや、どういうことだ? 能力者なら近づけば何らかな感触はあるはずだけど、この人からは何も――」


 フェルミは肩を竦める。


「〈遮感〉ってあるだろ? 三佐も量子乱流を防ぐために訓練して身に着けた能力の制御法だ。これを進歩させれば同類に気取られなくなるのだよ。感応波を完璧に抑え込める」


 笑う彼を見てベルジェンニコフはゾッとするものを憶えた。この男はやはり信用できないのではないのか?


「さて、我々はもう行かなくてはならないが、君はどうする? さすがにここのネットワークから君の意識データを移すのは容易ではない。そうなると総理に頼んで軍の行動を制限してもらうしかないが、緊急事態法発令下で行動する今の軍をどこまで制御できるかは不明だ」

〈別にいいよ、僕はこのまま消えるから。全データの消去デリート、物理的に破壊、完全消去する〉


 ベルジェンニコフの顔色が変わった。


「何を言っている? そんな――ようやく再会できたってのに――」


 またしてもカメラアイが点滅する。かぶりを振っているみたいだ。


〈勝手な言いようだけどね、僕はもう疲れたんだ。このまま眠りたいんだよ〉

「そんな――本当に身勝手じゃないか!」

〈そうだね、本当だね。大勢の人に迷惑かけて命まで奪っているのにね。償っても償い切れない罪を犯しているのに……〉


 そんなこと言うな、それは全部皇国のせいじゃないか――だがボリスは譲らない。


〈それでも命を奪ったことには変わらない。ならば司法の場に出て裁きを受けるべきだと思うけど、今の皇国ではね〉 


 全てを闇に葬り去るだろう。存在は隠蔽され、ボリスのネットワークは完全に孤立・凍結。後に実験材料にされるに違いない。


「人体実験……」


 ベルジェンニコフの脳裏には超能計画で死んでいった少年少女らの顔が浮かんだ。


〈僕も同じさ。そして笑うのは皇国だけとなる。でもね、そうはさせたくないんだ〉


 だから消えるしかない。総理の力での保護は恐らく不可能。時間的猶予もないし、速やかな全データの消去しかない。


〈だからここまでだ。姉さん、すまない。ここでお別れだ!〉


 ベルジェンニコフには抗議するいとまも与えられなかった。彼女ら3人が立っていた床面が突如として動いたからだ。彼らは高スピードで部屋から出されてしまった。


〈何かの役に立つかと思っておいて極秘で造っておいた仕掛けだよ。まさか本当に使える日が来るなんて〉


 ものの数秒で放射性物質実験室に戻されてしまった。閉じていく隔壁に向かってベルジェンニコフが走り込もうとするが、ウィンダムとフェルミが抑えた。


〈玖劾くんたちのポッドは冷却水プールのところまで送る。そのための経路はあるからね、自動で速やかに送り届けるよ。フェルミ大佐――いや、今は大佐じゃないか――後はそちらであなたの潜水艇に収容してほしい〉

「分かった」


 それでは――ボリスの言葉は、しかしベルジェンニコフに阻まれた。ボリス、ボリス!――彼女の叫びは悲鳴のようで、掻き消されてしまったのだ。それでもボリスは言葉を続ける、より音量を高めて。


〈姉さん、あなたには生き続けてほしい。僕の、僕たち家族の想いを継いで、この時代の先を目指してほしい!〉


 ベルジェンニコフの叫びは止まった、まるで凍り付いたかのようだった。


〈姉さん、今回、あなたの部隊がここに派遣されるとは思ってはいなかった。まさか第4小隊に自ら異動して出撃してくるとはね。全く大佐にも困ったものだよ、姉さんに僕のことを教えるなんて。おっともう大佐じゃなかったか〉

「すまないね、せっかく得た情報だし役立つと思ったんだ。でも再会できて良かっただろう?」

〈そうだね、でもあなたは僕たちのためだけに姉さんに情報を流したわけじゃないだろ?〉

「まぁ……色々とね」

〈いいよ、別に〉


 ボリスはベルジェンニコフに意識を集中した。自分のカメラアイに目を向け凍り付いている彼女を見て。胸が痛くなった。


 ――もう“胸”なんてないのにね……


〈姉さん、再会できて良かった――〉


 ボリス――ベルジェンニコフは声一つ上げることもままならない。


〈――さようなら〉


 隔壁扉上のカメラアイの光輝が消えた。



 生きろ――かつて父親に言われた言葉とボリスのそれは重なり、ベルジェンニコフの意識の中でいつまでも反響し続けていた。

 彼女は声にならない叫びを上げる――――

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