第56話 新潟会戦

 師団に配属された私は直ぐに最前線に送られた。皇国は常に戦時体制下にあったからだ。士官といったって後方で安穏としてられない。私自身、それを望んでいたところもある。だから強化装甲兵アーマーズ大隊配属を志願した。装甲兵アーマーズは文字通り最前線に立つからだ。


 私が亡命しなければ……


 罪悪感などと言うと怒られるかもしれないが、そんな気持ちがあったのは事実だ。

 最前線で働くべきだと思ったのだ。だが、これは……終わりのない戦いの日々を意味していた。

 米帝以外にも周辺の各国、国内の反政府勢力――敵は次から次へと現れ、息つく暇などなかった。だから常に任務に駆り出された。

 私は戦った、戦い続けた……それは殺し続けるというのだということを知った。これが“働く”ということだったのだ。

 この手は血に塗れ、やがてその痛みすら感じなくなっていった。どうしようもない蟻地獄に堕ちていったのだ。

 少しずつ心は擦り切れていって、何物にも感動することのない死人のようなもの変貌していく己を自覚した――――




〈北西12キロ、12000メートル上空に高速飛翔体〉


 支援サポートAIが警告した直後、北西上空で巨大な閃光が瞬いた。僅かに間を置いて衝撃波が襲ってきた。それは重く、途轍もなく巨大な大気の砲弾とでも呼びたくなるようなものだった。私はたちどころにその嵐に呑まれ、吹き飛ばされそうになってしまった。装甲服アーマー脚部のクランプ機能を全開にして大地を強く掴み、足元を固定して何とか転倒を防いだが、それが精いっぱい。身動き一つできなくなった。その状態でじっとしているしかなかった。

 センサーをフル稼働、各種波長帯で周辺観測を行うが、可視波長帯の視界に映るのは赤茶けた色彩のみだった。その他の波長帯も嵐となっていた。それは吹き上げられた土砂や砂塵などの粉塵の影響。超音速で吹き荒れる暴風と化していた。


 ――昔あった台風タイフーンなるものの暴風圏に飛び込んだとしたら、こんな風に感じられたのかな……


 私はそう思ったが、直ぐに違うと理解した。

 この“嵐”は人の手によって作り出されたもの。自然が生み出した熱帯性低気圧とは比べ物にならない凶悪な代物だ。


〈サーモバリック弾です。これは友軍による近接航空支援攻撃です〉


 “嵐”の中でも支援サポートAIは静かに報告していた。

 〈サーモバリック弾〉とは、固体の化合物を気化させることで粉塵と強燃ガスの複合爆鳴気を作り出して爆発させるものだ。燃料気化爆弾と同系列にある爆弾だが、固体の爆薬を爆発させるサーモバリック弾は燃料気化爆弾より単位体積辺りの爆発力がより大きい。広範囲に渡って熱と衝撃波を叩きつけるもので、通常兵器としては最強に位置する大量破壊兵器になる。自衛軍には個人装備の小規模な弾頭から大量破壊が可能な航空兵器までの幾つものバリエーションがある。

 だがこの時のサーモバリック弾はそれだけではなかった。


〈電波状態の著しい悪化が見られます。電磁チャフ、或いはEMP励起粒子を混入させていたと思われます〉


 言葉通り、電波帯でもかなり環境が悪化しているのが分かった、チャフの影響だ。何も見えない。敵の目を潰すつもりだったようだが、こっちも影響を受けているのでどうかとは思った。

 また轟音も凄い。暴風によるもので収まらない。そして装甲服アーマーを激しく叩く音が聞こえていた。土砂や砂塵などが高速で撃ち付けられているせいだ。やすりで擦られているようかのように響いていて、神経接続ニューロコネクト状態にあるせいか、自身の肉が抉られているように感じられた。もちろん痛覚神経には繋げられていないので痛みは感じないが、“感触”はあるので不愉快極まりない。

 敵は文字通り頭上での爆発を喰らったのでこの程度では済まなかっただろう。爆鳴気の熱と衝撃波で粉微塵に吹き飛ばされた部隊は多いと思われる。


『生きた心地しないな……』


 大量に撃ち付けられる土砂や砂塵は皇国の強化外骨格装甲服エグゾスケルトンアーマーの複合装甲を貫くことはなかった。機能障害も起こすことなく耐えている。見事なものではあるが、心は削られる。


〈衝撃波、低下〉


 報告の通り、嵐は急速に収まっていった。だが視界は晴れない。衝撃波によって発生した粉塵はかなり高空まで巻き上げられていて、それは直ぐには晴れないと思われた。よって私はその状況下でも動き出すことにした。


『小隊、状況報告』


 直ちに指揮下にある小隊各員に通信を送った。だが激しいノイズが返ってくるだけで応答はない。電磁擾乱ジャミングの影響が残ったままのようだ。だが――――


『前線指令部より全強化装甲兵アーマーズ大隊へ、サーモバリック弾によって敵上陸機甲師団による進軍は阻止した。制空権の奪還にも成功している。もはや我らを阻むものなどないっ、直ちに前進を開始せよ!』


 突如として甲高い声が脳内に直接響いて来た、金切り声だ。通信チャンネルは赤外帯高指向性レーザー通信。成程、悪化した電磁擾乱ジャミング環境下でも繋がる。ただ指向性がかなり高いので大隊の全てに繋がったのかは不明だ。

 指令は続いたが、かなり大仰な言葉遣いに変化した。


『進め、皇国の益荒男マスラオたちよ! 猛悪なる夷狄いてきに正義の鉄槌を下せ!』


 私は苦笑いを浮かべた。

 夷狄、正義……繰り出される言葉の数々に虚しさしか感じられなかったのだ。



 西暦2057年、6月12日、新潟平野――――

 この日、平野の広域に渡って激しい戦闘が繰り広げられていた。後に〈新潟会戦〉と命名されることになる中華連邦機甲師団との全面衝突だ。

 前月末に日本海中央で起きた中華海軍打撃群と皇国海上自衛軍護衛隊群との衝突は瞬く間に拡大した。中華は直ぐに本国からの弾道ミサイル攻撃を開始し、間髪入れずに航空兵力を投入し、制空権の確保に成功した。続いて投入された地上兵力によって佐渡を占領されてしまう。そのまま中華軍は本土――新潟平野に上陸した。上陸を予測していた皇国陸上自衛軍は防衛線を展開、旧新潟市街を中心として浸透阻止作戦を開始した。だがこれは著しく損耗を拡大させる消耗戦の始まりを意味していた。


 

 遠雷のような砲撃音が絶え間なく響いている。遠くの方で幾つもの閃光が瞬くのが見え、続いて足元を揺らす。それがいつまでも続く。それは次第に近づき、やがて間近で炸裂し始めた。間近に出現した火球は見る間に拡大し、私を吞み込もうとした。それを際で回避した。

 いっそこのまま呑み込まれたら楽になれるだろう――そんな風にも思ったが、それでも回避は続けた。

 死が恐ろしいのか? それは確かだ。だが生きていたいわけでもない――これも事実だ。生も死も自ら選べない中途半端な状態……それがこの時の私だった。


『一尉、前方2キロの位置に敵戦車隊がいる! 照準波の照射を確認、戦闘行動が可能な部隊だ。こっちを認識しているぞ!』


 私の後方に展開し、ブーストランを続ける強化装甲兵アーマーズの一団が見える。私の部下となる小隊各員だ。通信環境は改善しており、短距離ならば電波通信も可能な状態となっていた。


『総員、扇形に展開! 砲撃が始まる――』


 言い終わる前にそれは始まった。私の周囲はたちどころに爆炎に渦に呑まれた。通信状況は再び悪化したが、それでも隊内マーカーの受信は可能で、小隊の状況は確認できた。皆は直撃の回避に成功し、進行を継続していた。

 だが攻撃の密度は上がっている。このまま真っすぐに突っ込み続けると、犠牲者が出かねない。しかし――――


『進め! 怯むな! 勇猛なる皇国神軍の威光を指示さししめせ!』


 こんな爆発の嵐の中でも飛び込んで来る金切り声、頭が痛くなってきた。もう聞きたくなかったが、指令部からのチャンネルはこっちから切ることができない、システム上そう設定されていたのだ。


『くっそうるせぇなぁっ! そんなに示したいんなら手前てめぇでやりやがれってんだぁっ!』


 怒鳴り声が聞こえてきた。部下の誰かが叫んでいる。


『落ち着け! 目の前の敵に集中す――!』


 足元が急に盛り上がり、私は吹き飛ばされかけた。即座に姿勢を変えて、ブースターの出力を急上昇、高速ターンを行った。その直後、間近に巨大な火柱が上がった。それは地下から出現したものだった。意味を理解した私は部下たちに警告する。


『機動地雷だ! 戦車隊の周りに敷き詰められているぞ! 振動探知機に注意しろ!』


 警告の間にも次々と火柱が上がるのが見えた。これは移動体が稼働時に放つ固有電磁波、若しくは熱紋を感知して地下を移動し一定距離内に達すると炸裂する方式の移動式感応地雷だ。移動を開始すれば固有の振動波を出すので探知できるが、ただかなり切迫した状況になるので安穏とできない。

 次々と周囲で火柱が上がるのが見えた。そして悲鳴が通信機に飛び込んできた。


『うあぁぁっ!』

『やっ――死にたく――』


 マーカーが2つ消えた。やられたのだ。


『くぅっ、やめろっ、やめろぉぉっ!』


 一刻も早くこの敵を殲滅しなければならない。私は駆けた、最高出力でもって敵陣へと突っ込んでいった。周りを覆う火柱と砲弾の嵐の密度がうなぎ登りに上がり、世界の全てが閃光と轟音に包まれていった。そして――――

 

 一転して訪れた静寂の世界。これは何かと驚きもした。だが、奇妙な安らぎのようなものも感じた。

 “世界”がゆっくりと動くのが見えた。砲弾も銃弾も――その軌跡がつぶさに見て取れた。拡大する火球のさまは画板に刻み付けられた絵画のようにも見える。飛び散る黒いものは人影――ああ、部下たちが死んで逝く……

 これ・・は今わの際が生み出す光景なのだろうか? 私は死に瀕していて、時間を超越でもしたのか?

 分からない、分からない……

 ただ、それでも――――


 地雷原を越えて1人の強化装甲兵アーマーズが飛び込んでいく。至近に迫られた戦車隊は反応できず、その装甲兵アーマーズの攻撃を受けてしまう。敵陣のど真ん中で自身の全兵装を一斉解放、銃弾と砲弾を全方位にばら撒いた。

 平野の一角で開いた焔の花弁、その中に何十もの命が散って逝った。だがそれは戦場を覆う悲惨のほんの一部でしかなかった――――







 話を終えたのだろうか、ベルジェンニコフは口を噤み、目を閉じた。何かを呑み込むかのように喉を動かし、そしてゆっくりと俯いた。玖劾クガイたちは何も言わずそんな彼女を見るだけだった。

 やがてウィンダムが彼女に近づいて優しく肩に手を置いた。言葉は口にしない。ベルジェンニコフは応えのつもりか、彼の手に自分の手を重ねた、やはり無言で。

 そのまま静寂が続いた。


〈姉さん……〉


 暫くしてボリスが話しかけた。ベルジェンニコフは頭を上げ、部屋の中央にあるカメラアイに目を向けた。


「生きていたんだね、ボリス……」


 いや――とボリスは言いかけたが、言葉を呑み込んだ。そこには強く蠢く感情の流れのようなものが感じられた。


「ボリス、お前は確かにボリス・ベルジェンニコフだ。その波動を強く感じるよ」


 ボリスの応えは僅かに遅れる。


〈――ありがとう、そう言ってくれて……〉


 そのまま2人は何も言わなくなった。



 暫くしてベルジェンニコフは口を開く。彼女の目は玖劾に向けられていた。


「玖劾くん、君もあの戦場にいたんだね」


 玖劾は無言で頷いた。


「酷い戦場だったよね。あれこそ……この時代を象徴しているよ」


 遠くを見つめるような、虚ろな目でベルジェンニコフは言った。それは誰かに語りかけるというよりも自分自身に対するものに見えた。

 遠くロシアから亡命してきた彼女。家族を失い、自身の肉体を失い、ただ一人となってそれでも生きてきた。火と氷と嵐の世界の論理に翻弄され、その人生は戦火に包まれてしまった。それでも彼女は生き続けた。何のために、何を目的として――――


「家族のため……それがあなたの目的だったのだろう」


 玖劾のその言葉に皆は注目した。


「失ったと思えても、家族が残してくれたものはあった。それがあなたの寄るとなったのではないか?」


 ベルジェンニコフは明らかに動揺した顔を見せた。


「それは父さんや……ボリスの……」


 玖劾は何も応えなかったが、意図は伝わったと思える。ベルジェンニコフの目には見る見る涙が溢れてきた。


〈姉さん……〉


 それは労りに満ちた声だった。


「生きろ――と父さんは言い、お前は永い旅路と言ったよね……」


 それが寄る辺となったのか。ただの言葉であり、大した力もないかにも見える。だがベルジェンニコフには大きな意味があったようだ。この言葉を胸に生き続けてきてのだから。


「こうして再会できたんだからね、確かに意味はあったよ……」


 頷きを繰り返す姉。弟も頷きを返すつもりだったのか、カメラアイの光輝が盛んに明滅を繰り返した。



「三佐」


 ベルジェンニコフはキョトンとした。話しかけた玖劾の声はいつになく切実なものに思えたからだ。


「――何だい?」


 少し遅れて彼女は返事した。


玖劾零機クガイレイキに関して、あなたは今まで俺に一度も訊こうとしなかった。何故か?」


 ベルジェンニコフは目を細める。そして納得した顔をした。


「疑問に思うのも当然か。難民キャンプの記録を確認した私が君と彼が関わっていたことを知るのは当然だからね。でも何故直接問いかけなかったのか、と思うのだね?」

「そうだ、俺は彼の名を名乗っている。言わば盗んだようなものだ。彼があなたにとってかけがえのない人になっていたのは分かる。ならば尚のこと確認すべきではなかったのか?」


 ベルジェンニコフは首を振る。


「君に悪意がなかったことは分かるよ。記憶を失い、名前も何も分からない。自分を証明するものを何一つ持っていなかったからね。切羽詰まった事情は理解できるよ」


 非難なんかできるわけないよ――彼女ははっきりと言った。玖劾は目を閉じ深呼吸、少し間を置いて口を開いた。


「軍への入隊に際して名前も何もないのでは都合が悪い――人事課の軍人が俺と一緒に生活していた彼の名を使えと言ったのだ。それをそのまま承諾した」


 随分といい加減な手続きに思えるが、この時代の新兵募集は得てしてこんなものだ。大半が戸籍も何もない〈ヨミエリア〉(国家の行政管理が及ばない遺棄地帯。この時代の日本にはそんな地域が多く、そこに住む者は多かった)からの応募が多かった。兵員不足が慢性化していた自衛軍ではよほどのことが無い限り応募には応えた。その際、隊員証が交付されるが氏名や年齢・出身地・経歴などの登録が必要だった。だがこれは口頭での申告だけで済むことが多く、かなり大雑把だった。厳しくすると定員が確保できないという事情が大きかったのだ。記憶喪失の子供でも入隊を許されるほどに。


「彼は……どんな風だった……」


 問いかけるベルジェンニコフの目はやはり潤んでいた。最期・・の様子を聞きたいのだ。

 玖劾は話し始めた。

 火の海と化した峡谷での出逢い、虚ろながらも熱を帯びていた老人の目、口をついた言葉の数々……

 話しながらベルジェンニコフを見ていたが、彼女が静かに微笑んでいるのが分かり、彼は困惑した。


 ――俺が出逢ったあの老人が目の前のこの人と深い繋がりがあったとは……


 寂しげながらも浮かべる笑みには、幸せな思い出があったのだろうと理解させた。だが……“幸せ”――とは?

 玖劾にはそれが理解できず、困惑するしかなかったのだ。ただ彼は思う――――


 ――これが……“えん”というものなのではないのだろうか?

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