第53話 クスパ―

 例えるのなら、“世界の外”とでも言うのだろうか? そこには“空間”と呼べるものはなく、“時間”とされるものも感じられない。拡がりはなく、かと言って一点に凝縮しているものでもない。虚無とすら言い難く、結局表現する言葉は見つからなかった。

 ただ、“世界の外”という理解だけはあった。僕は其処にいたのだ……いや、“いた”という表現も怪しい不確定な状態ではあった。何故そうだったのかは分からない。ただずっと昔からそうだったような気はする。時間すらないその領域で“ずっと”と言うのも変な話ではあるが、そう言うしかなかった。

 其処では“宇宙”が見えた。無限に連なる多元宇宙が其処・・に在ったのだ。それは本当に無限だった。どこまでも、果てしなく、限りなく……宇宙が連なり、重ね合わされていた。

 “僕”は、それ・・を見ていた……“視ていた”と言うべきか。いや、“観ていた”――という表現が一番正しいか。ただ、それは本当に観ているだけだった。

 “僕”は意識を働かせているわけではなく、ただ“目”を向けているだけに過ぎなかった。そこに認識はなく、よって思考や判断が働くこともない状態だった。単なる観測機のようなものと言える。拡がる“多元宇宙”を単純に観測するだけだったようだ。

 それでも、それでも――――

 “宇宙”からは“力”が響いてきており、それが感知されていた。それは時空のくびきを超え、多元の世界に伝わるものだった。そして“外”に在った“僕”にも伝わっていたのだ。

 それが、“僕”に“あなた”を伝えた。無限なる多元宇宙の中から“あなた”の波動を伝えてきていた。確かに、精密に、“あなた”の在り処を“僕”に教えたのだ。縁とでも呼ぶべきものか、親しく強固だと言える繋がりのようなものは、その宇宙・・・・へと“僕”をいざなったのだ。

 そして“僕”は覚醒した。不確定な混沌の中から“僕”が僕として急速に固定されていった。次第に意識と呼べるものが形成されていき、単なる観測を超えた認識と思考が働き始めた。それは逼迫した状況を知らせた。


 ――危ない!


 “あなた”に迫る危機がありありと伝わった。刃のような“力”が“あなた”に注がれているのが分かった。このままでは“あなた”は傷つけられてしまうと理解した。その認識は思考を目まぐるしく走らせ、僕に行動を促した。


 ――助けなきゃ!


 僕は“跳んだ”。“外”よりその宇宙・・・・へ――“あなた”の下へと。ただひたすらに、一心に――――


 やがて身を焦がす赤熱の嵐の世界が出現した。“宇宙”の内へと進むに従い、それは激しさを増し、身と心を焼き尽くさんばかりになった。苦痛に呑まれ、ようやく芽生えた意識がすぐさま消えてしまいそうになった。それでも……“あなた”を助けたいという想いは捨てられなかった。

 嵐の中で身を屈める“あなた”が見えた。それがいや増しに想いを溢れさせた。


 ――聞こえていたんだ、“あなた”の“声”が。“あなた”たちの想いが――――


 “力”は“声”を伝えていた。無意識の観測機に過ぎなかった“僕”にも届いていた。その記憶が残っていて、意識に目覚めた僕には認識できた。だからこそ想いは溢れる。


 ――姉さん、父さん、母さん!


 僕は“あなた”たちを助ける、助けなければならない!

 虚無ですらない多元宇宙の“外”に漂うだけだった“僕”に絶えず呼びかけ、想いを蓄積させた“あなた”たち。それなくしてこの僕・・・としての目覚めはなかっただろう。

 これは救いだ。人間という存在に辿り着かせてくれたという救い。ならばその恩に報いなければならない。

 “あなた”を――“あなた”たちを助けるんだ!


 想いは力を凝縮させ、赤熱の嵐の中で黄金の光輝を生み出す。


 ――この力を放て! 刃を打ち砕くのだ!


 ああっ、だが……この選択が取り返しのつかない過ちを生むとは……!


 事が定まった時、僕は全てを観ていたことに気づいた。“外”では多元宇宙の全時点がつぶさに観測できていた。この選択・・・・の結果が何を生むか、“僕”は観ていたのだ。だが僕はそれを理解していなかった。観ていたことを忘れてしまっていたのだ。


 “外”に漂う“観測機”は、ある種の超越者のような視点を持つものだった。全ての多元宇宙の全ての時点を同時に観測し、記録する存在だったのだ。だがひとたび意識を働かせ思考する存在となれば、超越的視点は失われ、記憶も覚束ないものとなる。だから忘れる・・・……

 “人間”に辿り着いたが故に失われてしまった記憶。役立てることは叶わず、過ちを犯してしまった。力の発動は暴発のようなものとなり、敵を混乱させ、“あなた”たちを傷つけてしまった……


 助けたいという想いが、こんな結果を生むとは……






「うっ、うあぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 兵士の1人が小銃を跳ね上げるのを見た時、スゥエン少佐は最悪の事態を予感した。


「やっ――」


 やめなさいっ、撃つな――そう叫ぼうとしたが、声は上手く出せず、代わりに落雷のような轟音が鼓膜を襲った。

 ゆっくりと、粘菌が這い進むかのようにグレネードの火焔が伸びていくのが見えた。赤熱の嵐の中でもはっきりと見えた弾道だった。無限に時が流れたかのように感じられたが、実際は一瞬の出来事。弾道の先に白色の閃光が出現するや否や、嵐は一瞬にして消え去った。



「うっ……、うう……」


 私には何が起きたのか分からなかった。ボリスの“声”が聞こえたかと思った時、とんでもない衝撃が全身を襲って再び意識を失ったらしい。


「すまない……すまない……」


 頭の上から誰かの声が聞こえてきた。瞬間誰のものか分からなかったが、身体を抱えられるのを感じた時、声の主を理解した。


 ――玖劾クガイさん?


 頬に生暖かい何かが当たるのを感じた。それが血だということは直ぐに理解した。玖劾さんは負傷していた、それも頭部に。程度は一見して分からないが、軽くはないと思わせた。――となると、父さんたちは?


「う……、ああ……?」


 私は頭を回し、周りを見ようとした。だが身体が思い通りに動かないことを知った。固まってしまったかのようで、声もまともに出せなくなっていた。

 全身の感覚が殆どなく、私自身、かなり重傷を負っているかと思わせた。それでも父母たちの状況を知らずにはいられず、目を玖劾さんに向け訴えた。


 ――みんなは? 大丈夫なの?


 玖劾さんは黙って目をつむるだけだった。それは最悪の事態を予感させた。


 ――そんな……まさか、そんな……!


「信じられません。まさかこれほど強大な攻性の思念波を放つとは……」


 少女のような声が聞こえてきた。最初は誰なのか分からなかったが、それがスゥエンと名乗った米帝軍人のものだと直ぐに思い出した。


「う……うぅ……」


 何とか声のする方に目を向けたが、その時、私は思考すら固まってしまった。

 スゥエン少佐の手前に人の背中が3つ見えた、路上に横たわっている。ピクリとも動かず、例外なく酷く損傷していて血まみれだ。手足が千切れていて、内臓がはみ出してさえいる。


「う……うぁあ……!」


 絶叫が喉をつきかけるが、その時玖劾さんが覆い被さってきた。


「ヴランくん、すまない、許してくれ!」

「あ……あ……」


 絶望が心を覆い、全ての枷が消え去ろうとした。嵐がまた拡がる。能力の暴走が始まろうとしていた。


「いけないっ! これでは……!」


 スゥエン少佐には状況が理解できていた。家族を失ったと知った私にはもう能力の制御ができないのだ――と。

 だが――――


「くっ――?」


 首筋にチクりと刺さる何かの感触、そして急速に意識が薄れていった。





 玖劾はゆっくりとヴランの身体を路上に下した。立ち上がった彼は無言で少女の身体を見下ろす。知らずに彼の顔は歪んだ。


「眠らせたのですね? 賢明な判断です」


 背後からスゥエン少佐が話しかけてきた。玖劾は何も応えないが、彼女は構わず言葉を続けた。


「まだ大丈夫。そのと少年は助かる可能性があります。ただご両親は……。あなたは動けるみたいですが、でもかなりの重傷のようですね」


 声は沈んでいて、彼女が心を痛めているのを知らせる。玖劾はやはり何も応えず、少女――ヴランを見下ろし続けていた。

 ヴランの腹部や胸部に酷い損傷が見られ、内臓に致命的な障害がもたらされているのを知らせる。彼は目をボリスやベルジェンニコフ夫妻にも向けた。やはり重篤な障害を受けているのが分かる。特に夫妻は頭部が潰れていて、即死だったことを知らせる。ただ、ボリスにはまだ息があった。

 玖劾はようやく口を開いた。


「助かる? 機械体メカニクスにでもしようというのか?」


 その声には一切の抑揚が見られなかった。彼はゆっくりとスゥエン少佐の方へと振り向いた。ただ途中まで、右半身の体勢のまま制止した。


「やめなさい。今のあなたでは何もできませんよ」


 玖劾はスゥエン少佐の背後に目をやる。装甲兵アーマーズたちがうずくまっているのが見えた。その様子をスゥエン少佐は理解していた。


「確かにこちらもまともに動けるのは私1人だけですね。でも、互角だと思うのですか?」


 玖劾の口元が奇妙に歪んだ。


「米帝が誇る戦闘用〈ハードメカニクス〉相手に自分1人が叶うなどという自惚れはないよ、怪我も酷いしね。でもね――」


 スゥエン少佐の顔が歪んだ。


「そう、能力者でもあるあなたなら分かるはず」


 周囲の建物に気配が現れていた。何人もの――10は優に超えている手練れの気配に取り囲まれているのを感知したのだ。


「連絡はしておいた。空港の警備隊の一部を回して貰ったのだ」


 スゥエン少佐はため息をつく。


「これで私を抑えられるとでも?」


 玖劾は首を振る。


「無理だろう。でもあなたは目的を果たせない、理解できるな?」


 スゥエン少佐は笑みを浮かべた。冷たい笑いだ。


「彼らの犠牲を計算に入れるとは……戦闘は直ぐには終わらないだろうし、そのうち彼らの治療も手遅れになりかねないってトコですか」


 彼女はボリスと玖劾の足元のヴランを見ていた。


「なかなかに非情ですね。さすがは日本皇国軍人ですか」


 玖劾も冷たく笑う。


「あなたは優しい人だ。それを期待しているのだよ」


 スゥエン少佐はため息をついた。


「全く……敵を信頼するとか……自衛軍はそんな教育をするのですか?」

「あなたという人物がそれなりに理解できるからだね」


 スゥエン少佐は首を振った。そして背を向ける。


「まぁいいでしょう。彼らの死は望みませんし、今回は諦めます。ただね――」


 ボリスに目を向けた。


「彼らの能力、皇国は利用しようと考えるのでしょうが、かなり危険なことだと思いますよ」


 玖劾は無言のままスゥエン少佐を見るだけだった。少佐は目をヴランに向け――――


「彼女が目を覚ましたら、伝えておいて下さい。この結果は本意ではありませんでした――と」


 そして立ち去った。警備隊が動きかけるが、玖劾は手を上げ彼らを制した。追わなくてもよい――と。

 玖劾の下に警備隊員たちが集まってきた。彼らは空かさず救命処置に入る。ヴランたちを処置ポッドに収め、そのまま空港に向かうのだった。




 その様子を遠目に見ていたスゥエン少佐、目には懸念の色が垣間見えていた。


 ――あの突如として出現した量子乱流、そして太陽のような光輝。あれは指向性の高いものであり、ある程度は制御されたものでした。


 彼女は周りの兵士たちに目をやる。未だダメージがあるのか、彼らはつらそうにしている。


 ――非能力者である彼らにまで影響を与えるほどの指向性の思念波。生半可ではない攻性の能力。


 スゥエン少佐の脳裏には少年の顔が浮かんだ。


 ――ボリス・ベルジェン二コフ、紛れもない〈能動的能力者クスパ―〉ですね……


 口元に笑みが浮かんだ。だが、やはりと言うか、沈んだ乾いた笑みだった。


「再会を楽しみにします――と言いたいでのすが、果たして叶うものか……」


 首を振り思考を止める。そして兵士たちに命令した。


「作戦は終了。撤退します」


 そしてビルの谷間に、彼らは消えて行った。

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