第52話 覚醒する意識

「これは……!」


 運転席の玖劾クガイさんの顔が見る見る険しくなってくるのが分かった。事態の深刻さが伺える。彼の目の前には幾つもの立体表示ホログラムスクリーンが出現していて、その中で様々な画像や文字列・数値などが映し出されている。後部座席からでも幾らか確認できた。中には上空から映したと思われる街路の映像がある――自衛軍装備の観測ドローンがあらかじめ飛ばされていて、それが捉えたものだろう。そこでは大勢の人々が繰り出していて何かを叫んでいるのが映されている。各所で火の手が上がっているのが見られ、破壊活動を行っているのだと理解させる。

 ところが――――

 映像を映したスクリーンの幾つかかが突然ブラックアウトした。一瞬で真っ黒になったのだ。状況の異常さが私たちにも分かり、私は問いかけずにはいられなくなった。それで声を出そうとしたが――――


「玖劾くん、これは何だ?」


 先に父が訊いた。玖劾さんは後ろを振り向いたが、何も言わなかった。言えなかったというべきか? 強張った顔は動揺の表れであり、事態が極めて深刻なのを嫌でも理解させてしまう。


「――う……」


 何か言おうとしたが、上手く声に出せなくなっているらしい。


「玖劾くん、落ち着いてくれ。君がそんなことでは我々までおかしくなってしまう。頼むから冷静になってくれ、できる範囲で構わないから」


 玖劾さんは目を閉じ、大きく深呼吸をして頷いた。再び開かれた目には動揺の色が消えていた。父の言葉が効果が上げたのだろう。


「市民の暴動がかなりの範囲で拡がっており、公使館には容易に近づけなくなっています。それで空港に直接行けるルートの検索を行おうとしましたが……」


 言葉が途切れた。彼の目は緊迫感に満ちている。そこに込められる事態の深刻さがありありと伝わる。私たちは何も言わず――言えず――彼の言葉の続きを待った。


「観測ドローンが破壊されました。明らかに地上から狙撃されたものと思われます。お陰でナビに情報が入らなくなりました」


 それがスクリーンがブラックアウトした理由なのだろう。父の目が大きく開かれた。


「狙撃? ただの暴徒がか? たまたま見つけた誰かが撃ち落としたのか?」

「いえ、恐らくプロの仕事です」


 プロ――その言葉に父母と私は固まった。


「それは――」

「狙撃直前、ドローンとの通信に著しい障害が現れました。明らかなECM、軍事レベルの強化電磁擾乱場が市街の広範囲に出現していました」


 私の目には未だ暗転したままのスクリーンに注がれる。ECM? 軍事レベルの?


「ロシア政府軍なのか? それとも赤軍――」


 玖劾さんは首を振る。


「それは分かりません。ただ、擾乱場の強度と展開形式を見るに、別の勢力によるものと思われます」

「別の?」


 玖劾さんはまた首を振った。分からない――ということだが、どうも正体に心当たりがありそうに見えた。確信がないのか、明言は避けている。


「玖劾くん、仲間はどうなんだ? 警備担当の2人が先行していただろう? 彼らとの連絡も絶たれているのか?」


 玖劾さんは頷いた。連絡が取れなくなっているのだ。私と父母は固まったまま玖劾さんを見つめるだけだった。


「うぅ……」


 うめき声のようなものが聞こえ、私たちはハッとした。見るとボリスが身を捩っていたのだ。父が話しかける。


「どうしたボリス、どこか痛いのか?」


 眉をしかめていて、歯を食い縛り、首を振っている。明らかに不快を感じているのが分かる。手足もバタつかせるような動きを見せていて、何とか逃れようとしているみたいだ。そんな彼の様子に私は驚きを禁じ得なかった。


 ――いつもは人形のようで何の反応も示さなかった彼が……?


 痛覚という生理的な反応すらボリスが見せることはまず無かったのだ。皆無ではなかったが、今見せるような明らかな情動反応のようなものは今まで見せたことがなかった。


「ボリス、これは……?」


 父の目には何故か喜色のようなものが現れていた。それは心配するというよりも、何かを期待するかのようなものだった。母は戸惑うばかりでオロオロしていた。

 私もまた何かを感じていた。意識を――と、いうよりも、能力を掠める何かが感じられた。私は次第に頭痛を感じ、終いには割れそうなほどに激しくなった。


「うぐっ……!」


 私は頭を抱えてうずくまるしかなかった。


「ヴラン、あなたまでどうしたの?」


 母が私の背中に手を置く。優しさに満ちた労りの波動が意識に流れてくるのが分かったが、それは癒しにはならなかった。吞み込んで余りある暗黒の波涛が迫るのが分かった。その圧力はかつて味わった赤熱の激流を凌駕するものだった。あれは乱雑な情報乱流だった。だがこの波涛には明確な“意志”が感じられる。強い指向性を持った刃のような力が、私たちに向けられている。これがボリスを苦しめ、私にも加えられる力に違いない。

 何かが襲ってくる――逃げなければ!


「だ……」


 私は警告しようとするが言葉にできなかった。“刃”の圧力が発声すら妨げる。それでも何とか声にしようとしたが――――


「い……け・な……い」


 私は茫然とした。違う、今のは私じゃない、私が発した言葉じゃない。

 父と母も茫然としているのが分かった。そして彼らの目が向けられている方向の先に――――


 ボリス!


「だ……だ……め」


 彼の目は私たちに向けられている。瞳の中に意志の輝きが明らかに見て取れた。


「あ……ボリス?」


 戻ってきたの? でも、今、ここで――――

 思考は止まった。その時、激しい衝撃が車を襲ったからだ。ボンネットに何かが叩きつけられたのだ。同時に赤い飛沫しぶきと塊がフロントガラスにぶちまけられるように拡がった。


「何――?」


 窓の横をぶつかった何かが飛んでいくのが見えた。それを見て母は悲鳴を上げた。

 人間だったのだ。酷く損傷した人間の肉体が跳ね飛ばされていた。


「――!」


 玖劾さんが何かを叫んだ、人の名だ。日本人の名称らしくよく聞き取れなかったが、飛ばされた人の名だということが分かった。黒いスーツを着た大柄の男の人だ、私たちと玖劾さんの警備担当者の内の1人だというのが分かった。

 だが何故彼が車に飛び込んで来たのか? 先行してルート検索と確保に当たっていたはずだが?

 何かが起きたのは確実。警備担当者の彼を何かが襲い、走行中の私たちの車にまで飛ばしたのだ、狙ったように。しかし、何が?

 自動運転機構オートパイロットは全く反応できず、回避できなかった。お陰でフロントガラスは赤いもの――血や肉片か――に覆われ前が見えなくなってしまった。それでも自動運転機構オートパイロットは機能を失わず走行を続けた。だが、続く危機の回避は叶わなかった。

 再び衝撃、同時に車体が大きく傾き、遂には横転してしまった。今度のは前とは性質が明らかに違う、人が飛んできてぶつかったものではない。下の方から響いてきていて、威力もかなりあった。私たちは車の中で揉みくちゃされてしまった。



「――大丈夫ですか?」


 その声が聞こえてきて、私は気が付いた。見ると目の前に玖劾さんや父母の背中が見えた。みんな怪我をしているのか、膝をついている。


「う……」


 私は俯せに倒れていたらしい。近くに横転したままの4WD車がある。左の前輪が跡形もなく消えていた。周囲に黒ずんだ痕が見られ、爆発でも起きたのかと思わせた。私は車外で倒れていた。飛ばされたのか、這いずり出たのか、誰かに助け出されたのか、よく分からない。意識が僅かな間途切れていた。


 ――攻撃された? 暴徒に見つかったの?


 私は身を起こすが、父が前を見たまま私に手を伸ばした。掌を私に向けていて、制止を促しているのが分かる。そして母が私に目を向けているのが分かった。何も言わないが、能力が発動しているせいか、意図が伝わった。


 ――動かないで!


 そして強烈な“圧力”を、父たちの向こうから感じ取った。その先に数人の人物の姿が見えた。その真ん中の人物が話しかけてきた、“圧力”はその人物から流れてきている。あの刃のような力だ。


「申し訳ありません。怪我はさせたくなかったのですが、事態が切迫していて急ぐ必要があったのです。だから強硬手段を取らせていただきました」


 私は目を疑った。実に場違いな人物に見えたのだ。周りの者たちは厳ついプロテクターに身を包んだいかにもな装甲兵アーマーズだ。なのに真ん中のその人物は小柄な少女だったのだ。殆ど白髪に見える銀色の髪をした真っ白な肌をした15、6歳くらいの外見の少女、瞳も髪と同じく銀色、そのせいかどこか妖精的に見える。ずっと見ていると現実感が失われていきそうだった。

 着ているのは装甲服ではなく黒い喪服のようなドレス。防寒性も低いものに見える。この極寒の氷河期下のサンクトペテルブルクの屋外に凡そ相応しくない。そもそも装甲兵アーマーズを従えるようにしているのは何なのか?


「大丈夫ですか? なるべく車内のあなた方に影響のないようにしましたが、やはり重火器の使用は過ぎたものでしたか」


 私の目は再び4WD車に向けられた。彼らが攻撃してきたのか。すると、“彼女”が私に話しかけてきた。明らかに私に言葉を向けたのだ。


「ヴランさんでしたね。私たちを感知できたようですが、訓練不足は否めませんでしたね。迫る危機が何なのか殆ど分からなかったようですね」


 私は“彼女”に目を向けた。真正面からしかと凝視した。途端に強烈な“圧力”が意識に押し寄せるのが感じられた。


「う……く……」


 頭痛が襲い、意識が遠のきかけた。


「〈遮感操作〉は一応できるようですね。でもまだまだ。このままでは〈能力者世界パーセプターワールド〉では溺れてしまいますよ?」


 何を言っているか分からなかった――パーセプ……? だが“彼女”が能力者だというのは直感できた。

 意識に伝わる圧力は能力の波動だ。あの“少女”は能力をかなりの高精度で制御し、相手に“圧力”として感じさせるように放射できるのだ。思考性ビームとでも呼べばいいのか……ともあれ、私と“彼女”とでは実力が天地ほどの開きがあると理解できた。

 私は無言で“彼女”を見るしかできなかった。声一つ上げられなかった。苦痛が収まらなかったが、ふと右手に何かが触れるのが感じられた。私は驚いてその先を見た。


「ボリス……」


 ボリスだった。弟が明らかに私を“見て”、手を伸ばしてきていたのだ。


「あなた……意識が戻っているの?」


 私は彼の手を取り、起して抱きしめた。


「ボリス? 本当に?」


 父と母もボリスに注目していた。2人とも目を丸くしている。起きていることが信じられないのだ。

 ボリスが口を開く。


「う……あ……だ・め……」


 だが喋るのは困難だった。それでも、私には彼の言わんとすることが何となく分かった。

 ボリスの目は“少女”に向けられている。その意味するものを、理解したのだ。


 ――あのは危険だ……




「君らは……米帝情報軍インフォメーションズ・対外特務工作班だな。やはり博士たちを狙っていたのか」


 玖劾さんの言葉、そのお陰か私に向けられる圧力が少し軽減した。“彼女”の注意が玖劾さんに分散したのだろう。“彼女”はニッコリと微笑んだ。


「さすがは皇国外務官僚・玖劾零機クガイレイキ参事官――というより、〈内閣安全保障局・情報管理室・諜報官〉と言うべきかな」


 それは玖劾さんの本当の身分を表したものだった。私たち一家にも秘されていたものだった。玖劾さんは何も言わず“彼女”を見ていたが、やがて口を開いた。


「そういうあなたは、リィファ・スゥエン米帝情報軍インフォーメーションズ少佐。15歳にして工作班の1チームを指揮できる士官の立場にあるエリート中のエリート」


 “少女”――リィファ・スゥエンという名らしい――は苦笑いを浮かべた。


「15歳とか……そんな情報、本気で信じているわけではないでしょう」


 何を言っているのか? 彼女の外見は確かに15歳くらいのものに見えるが、外見通りの年齢ではないということなのだろうか?


「米帝が動いているのは分かっていたが、情報軍インフォーメーションズ工作班がサンクトペテルブルクにまで来ていたとは知らなかった。我が国の諜報網も大したものではないということか」


 スゥエン少佐は首を振る。


「いいえ、実際我々の動きは遅れていましたよ。サンクトペテルブルクに到着したのはほんの数時間前ですし、あなた方の動きも厳密には捉えられていませんでしたし、時間も無かったので最後はかなり力押しのギャンブルになってしまいました。お陰で怪我までさせてしまって……すみませんでした」


 本当なのか、どうも信じられなかった。タイミングよく公使館附近で発生した暴動、強力で広範な電磁擾乱場の形成、重火器の投入――入念な下準備の成果ではないのか? これらを数時間で成し遂げたとは俄かには信じられないが、或いは情報軍インフォーメーションズというものはそうしたスキルの持ち主なのかもしれない。


「まぁそれはいいでしょう。それで、あなた方にはこのまま我々に同行して貰いますが、お願いできますか?」


 丁寧な物言いだったが、そこには断固とした響きがあった。


「お願い? 何が何でも連れていくつもりなのだろう?」


 スゥエン少佐はどこか寂し気な表情を見せた。


「そうなります。ですが、どうか大人しくついてきて下さい。手荒なマネはもうしたくありませんので」


 表情を歪めていて、本当にやりたくないと思っているように見える。実際私の意識にもそんな波動が伝わってきていた。


「それでは――」


 左右の装甲兵アーマーズたちが動き出した。父母が身を固くするのが見えた。私はボリスを強く抱きしめる。玖劾さんが立ち上がり――ダメージがあるのかつらそうだ――通せんぼするような姿勢を取った。


「ですから抵抗しても――」


 何故かスゥエン少佐の言葉は途切れた。彼女は目を大きく見開き、私の方を見ていた。


「う……う……」


 いや、違う。見ていたのはボリスの方だ。


「お前は……まさか……」


 スゥエン少佐は左手を頭に当ててよろめいた、言葉が途切れている。明らかに苦痛を感じている。傍らの装甲兵アーマーズの1人が彼女を支えようとするが、その時だった。


「嵐……!」


 視界が一転した。一面の赤、そして嵐。赤熱の火花が高速で飛び退すさる暴風の光景。そのただ中に私たちは放り込まれ、身を焼かれている。それが何なのか、私は嫌というほど知っていた。


「量子乱流……!」


 ――何故ここで……いきなり現れたのか? 遮感は効いていて、乱流は防がれていたはずだ。動揺で多少の綻びはあったとしても、こんな激しい乱流は招かないはずだ。どうなっている? 私は能力の制御を失ったのか?

 これではいけない。このままでは意識が焼き尽くされてしまう。ならば量子ネットワークに繋いで情報を流すしかない、かつてのように。しかしネットワークは今ローカルに限定されていて、殆どボリスに対する処理で占められている。私に割ける容量は如何ほどもない。そもそも処置を進める余裕もない……


 意識が朦朧としてきて崩れ落ちそうになった時、スゥエン少佐も同じような状態にあることが分かった。彼女も膝をつき、苦しそうにしている。同じく乱流に晒されているのか、と思った。しかし何故なのか、とも思った。だが――――

 直ぐ近くに強大な“輝き”があった。まるで間近に太陽でも出現したかのようなもの、黄金の光暉。それを放つものを、私は理解した。


 ――ボリス!


 その瞬間、“輝き”は弾け、何もかもが判然としなくなった。赤熱の嵐すら呑み込み世界の全てを覆っていった。

 薄れゆく意識の中、私はボリスの“声”を聞いた。


 ――ゴメン、姉さん。僕たちは永い旅をすることになる。多くのものを失い、2度と取り戻せなくなるよ。でも、でも……


 それきり何も聞こえなくなり、私の意識も光の中へと消えていった――――

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