Stage-05 流離う魂

第48話 胎内巡り

 光の粒子を纏った泡のようなものが幾つも現れ、四方八方に飛び散り消えていく。何度も何度も繰り返されるその光景は、或いは星の生々流転とでも評したくなるようなものだった。視界のどこかから――中心である時もあれば、端の方の時もあり、位置は定まらない――不意に現れ、不規則な軌道を描いて飛んでいく。その繰り返しだった。全くパターンを刻まないかに見えるこの光景は、しかし次第に規則性を帯びていく。泡――或いは星は出現の数を減らしていって、軌道も安定していったのだ。終いには1つだけとなった。

 “私”は伝える――――


〈父さん、玖劾さん・・・・だよ。朗報を伝えに来るよ〉


 父は怪訝な顔をして“私”に問いかける。


「ヴラン、それは――?」


 彼が問いかけようとした時、背後の扉が勢いよく開けられた。


「ベルジェンニコフ博士!」


 いきなり男が飛び込んできたのだ、それも大声を上げて。20代半ば・・・・・の外見の日系の青年だった。父は心底驚いたらしく、振り向いた拍子に足を滑らせてしまった。そのまま倒れていくが――――


〈危ないよ、父さん〉


 だが床に激突することはなかった。父は“私”の“両手”の中に収まっていた。落ちてしまう前に手を伸ばして、上手くキャッチできていたのだ。彼は“私”にお姫様抱っこされたようになっていた。そんな父はキョトンとした目で“私”を見上げる。


「はっ――!」


 少し経って状態・・が分かったのか、彼の顔が見る見る赤くなっていった。


「す、すまん……」


 父は苦笑いを浮かべながら、“私”の両手から離れた。ため息を1つ、それから今しがた入って来た青年に向き直る。バツの悪そうだが、それでも何とか威厳を保とうとして咳払いを1つ。それから話し始めた。


「あー、玖劾くん? いきなり何なのかね? ノックもせずに失礼じゃないか」


 青年はたしなめられていることに気づき、“あっ”という顔になる。しかし――と、を言葉を続けた


「申し訳ありません、ベルジェンニコフ博士。一刻も早く伝えなければと思ったからです。とは言え、確かに失礼なことでした」


 父はため息をつく、まだ文句を言いたいらしい。だが私が割って入ったので続けられなかった。


「父さん、ダメだよ。玖劾さんは私たちに朗報・・を伝えに来てくれたのよ。ずっと待ち焦がれていたことを伝えに来てくれたわけよね。それを思えばノックの1つ2つくらいどうってことじゃないと思うな」


 父は目を丸くする、そして青年に向き直った。


「ヴランの言うことは……、それはまさか?」


 青年は、しかし応えず唖然としていた。彼は“私”に目を向け、問いかけた。


「えぇと……ヴランくん? 何で分かった……いや、能力だったっけ?」


 私は苦笑する。声は“私”を通して彼に伝わった。


〈まぁそうだけど……それより早く教えてよ。私の予知した通りだよね?〉


 青年は背筋を伸ばした。戸惑いの色が消えて、目に輝きが宿った。彼は深呼吸をしてから話し始めた。


「は……はいっ、博士! 申請が通りました。我が国・・・は博士たちを歓迎いたします!」


 おおっ――という顔をする父、感激しているのが手に取るように分かる。それは私も同じだった。青年も興奮しているのか、少し顔が赤らんでいる。


「博士、既にあなた方の身分は保証されています。渡航前のことで仮ではありますが、皇国国民としての国籍が発効されました。ロシア側は認めないでしょうが、現在の情勢・・・・・ではもはや国家として機能しているとは言い難いので、ロシア政府に関してはさほど問題ではないでしょう、ただ――」


 そこまで言って青年は言葉を切った。表情にも翳りが現れている。その意味を父も理解していた。


「そうだな、〈赤軍〉の動向次第だな。このサンクトペテルブルクはまだいいが、モスクワは彼らの手に堕ちたようだし、予断は許さないな」


 はいっ――と、頷く青年。


「博士、ですから今すぐにでも出発していただきたいのですが……」


 そこまで言って、彼は再び“私”に目を向けた。


「実験中だったのですか?」


 父も“私”を見る。


「見たままだ」


 2人の視線の先に1体の人型機械――ごくありふれた小柄な人型ヒューマノイド、つまりロボットが立っていた。


「ヴラン、テストは中止だ。直ちに神経接続ニューロコネクトをカットさせろ」

〈了解〉


 人型ヒューマノイドから声が流れるが、同時にそのカメラアイから輝きが消滅。そのまま全く動かなくなった。すると部屋の隅にあるレドーム型の設備に動きが現れた。開閉扉なのだろう、ハッチが開くように一部が跳ね上がった。


「ふぅっ、ようやく外に出られたね」


 中からローティーンの少女が出てきた――それが私、ヴラン・ベルジェンニコフ。私は青年に向けてニッコリと微笑む。


「玖劾さん、ありがとう。これで私たちは安泰ですね」


 青年は、しかし真顔になって首を振った。


「いや、まだ皇国が亡命を受け入れるのを決定しただけで、何も終わっていません。赤軍のこともそうですが、ロシア政府の統治能力低下の影響で国内の治安がかなり悪化しています。このサンクトペテルブルクもかなり危なくなっています。速やかに出国を済ませないと何ら安心できませんよ」


 チチチ――と言いながら人差し指を立てて振るものだから、何となくふざけているようにも見えた。


「まぁ彼の言う通りだ。まだ予断を許さん状況だからな。赤軍の一部はサンクトペテルブルクに向かっているという情報もあるし、急いだ方がいいな」


 そう言って父は左のこめかみに左手人差し指を当てた。そして少し宙を彷徨うような眼差しになる。そのまま1分ほど何も言わず固まった。脳内に装備されている極微電脳ナノブレインの通信機能を作動させているのだ。それは程なく終了した。


「よし、アンジェリーと連絡がついた。ボリスも一緒にいるらしい。今すぐ研究所ここに来る。そのまま出発だ。これでいいかな、玖劾くん?」


 父は確認するように青年に訊いた。青年は頷き、応える。


「もちろん。車は玄関前に用意してありますので、いつでもいけます。ただ――」


 彼は固まったように立ったままの人型ヒューマノイドと部屋の隅のレドーム型設備に目をやる。


「これらは置いておくことになりますが、よろしいので? 何なら大使館の者に連絡して運び出す手筈も整えられますが?」


 父は笑みを浮かべながら首を振った。


「これらはよくあるハードウェアだ。ありふれたものだから特別な価値があるわけはない。放置しても問題はない」


 父は人型の背後に回って首筋をタッチした。すると頸椎に当たる部分からスティック状の物体が伸び出てきた。それを取ると彼は私に目配せをした。何も言わないが意図は理解できる。私はレドーム型設備の下部の整備パネルを開ける。そこから何枚かの基盤を取り出した。それを手に取り、父に渡した。


「重要なのは制御ソフト、基本OSと拡張ツールを幾らか確保しておけばいい」


 父はスティックと基盤を自身のバッグにしまい込んだ。


「それが……〈ディープコネクトエンジン〉なのですか……」


 青年の目にはどことなく怖れのようなものが現れていた。父は無言で頷く。


「しかし博士、作業記録やランニングプログラムが残りますが……いや、もちろん抜かりなく消去されると思いますが、赤軍にも魔術師ウィザード級のサイバーハッカーはいますし、万が一でも復旧させられたら問題ですよ」


 消去したプログラム等の復旧は場合によっては可能だ。そうした懸念は当然である。


「問題ないですよ、玖劾さん。消去どころか問答無用で破壊してしまいますから、後には何も残りません」


 私の言葉が終ると、後を継ぐように父が話し始めた。


「まぁエンジンの基本ОSは無料公開されているしね。特に秘密も何もないがね」


 青年が疑問を口にする。彼は私を見つつ話し始めた。


「博士、しかし彼女に施したエンジンは最新バージョンのもの。関連する作業記録はやはり絶対に復旧できないように消去すべきでしょう」


 その時だった、人型ヒューマノイドとレドーム型設備から煙が噴き出してきた。


「え? ええっ!」


 いきなりの事態に青年は狼狽える。


「ちょっ、ちょっ! 火でも点けたんですか? いくら何でも危険でしょう! それに――」


 ならば急いで消化しなければならない。火のまわりようによっては、上手く鎮火できず騒ぎになるのかもしれない、近所でも目立ってしまう。そうなるとロシア政府や赤軍の諜報員などの目に留まる可能性もある。


「いや、大丈夫。指向性のマイクロ波を照射して電子機構のみを焼き切ったもので、範囲は極めて狭い、元々内蔵しておいた物理的自壊装備だ。だから火が回ることはない。そもそも目に見えて発火するものではないよ、煙は出るけどね。人型ヒューマノイドもレドームも外縁は絶縁耐熱閉殻構造だから内部で火などが発生したとしても溢れ出ることはない(外部からの熱も伝わりにくい耐熱耐火素材でもある)。千度にも迫る高熱ならいざ知らず、ここで使ったマイクロ波の出力程度のものなら問題外だ。延焼はないよ」


 その時、呼び鈴が鳴った。この研究所に誰かが来たらしい。青年は身を固くするが、父は大丈夫だと手を上げた。直ぐにノックの音がした、呼び鈴を鳴らした者は、家主が迎えに出るのを待たずに彼らのいる部屋まで直行したと見える。


「お入り、早かったね。まあ研究所ここアパートはほんの一区画しか離れてないから当然か」


 現れたのは20代後半の金髪の女性、真っ白な肌をした典型的なロシア人だ。私の母になる。8歳のやはり金髪の少年を連れている、弟のボリスだ。母は息を切らしていた、急いて走ってきたのだろう。弟はあまり息を切らしていない。


「ドミトリー、本当に……本当に国を捨てるのね?」


 その目は大きく見開かれ、どこかしら涙ぐんでいるようにも見える。


 父――ドミトリー・ベルジェンニコフは母の肩に優しく手を置いて話しかけた。


「何度も話し合ったことだろう。今のロシアには未来はない。我々は――特に子供たちのためにも――この国を出ていくしかないのだよ」


 語る父の目はこれ以上ないくらい真摯なものとなっていた。母は目を伏せ、頷く。


「別に反対しているわけじゃないわ。ただ今すぐというのが突然すぎてね……」


 ボリスが心細そうに2人を見上げていた。父はそんな彼の頭を優しく撫でた。


「済まないな。出国となると、親族や付き合っていた人たちに挨拶すべきなのだろうが、今の情勢や私の立場・・・・を考えるとそんなことはしてられないのだよ」

「分かっているわよ、ただ……このままになるのね――と思っちゃって……」


 済まない――父は優しく母を抱き寄せた。


「少しだけ2人だけにしようね」


 私はボリスの手を取りそっと2人から離す。そして青年に目を向け――――


「暫くしたら行きましょう、玖劾さん!」


 青年の顔には見る見る緊張の色が溢れ出てきた。


 時に西暦2130年、私――ヴラン・ベルジェンニコフ、10歳。弟のボリス・ベルジェンニコフ、8歳の時だった。

 これが果てしない流浪の旅路の端緒となろうとは……この時の私は微塵も予想していなかった。例え能力があったとしても、そんなものは何の役にも立たなかったのだ――――






 暗い藍色の空間を彼らは歩き続けている。肉眼では殆ど捉えることはできないが、装甲服アーマー暗視装置ノクトヴィジョンが何とか状況を伝えている。細長い通路だ。照明装置の類は見られない。或いは使用していないだけなのかもしれないが、それらしいものは影も形もないので、本当に照明設備自体がないのかと思えてくる。

 両脇に巨大なガラスの壁が貼られているが、どうもその向こうは水――若しくは何らかの液体で満たされているらしい。光源と呼べるものが殆どないので、時折彼ら自身の装甲服アーマー装備の投光器でガラス壁を照らして確認する。


『まるで……水族館みたい……だな。ただ、魚一匹……いやしない……がな』


 モランが呟く。時折言葉が途切れるのはバイタル悪化の影響だ。


『三佐……ここは?』


 恐る恐る、といった様子でハサンが問いかけた。だがベルジェンニコフは何も応えず前を進むだけだった。ハサンはそれ以上は何も言わなかった。そしてそのまま沈黙が続く。

 客観的には大して時間はかかっていないはずだ。だが殆ど闇の中を歩き続ける彼らにとっては酷く長い時間が経過したように感じられた。感覚がおかしくなっていたのだろう。闇だけが拡がり、外部の刺激が乏しくなっていた影響なのかもしれない。


『まるで胎内巡りだな……』


 唐突に放たれた玖劾クガイの言葉は皆を戸惑わせた。


『何……言ってんだ? 胎内……? 何だよ、ここは……子宮の中……だとでも? ママが恋しくなっ……』


 モランが反応する。だが消耗が激しいのか、嫌味を言おうとしているが余り威力が出ていない。くそっ――と吐き捨てて、それ以上は何も言わなくなった。そして再び沈黙が続くかと思われたが、それは終わりを告げた。ボリスが応えたのだ。


〈そうだね、ある意味胎内だね〉


 目の前に薄明かりが現れた。日暮れを思わせる昏い赤が拡がるが、それは次第に光度を上げていく。やがて昼間の太陽光を思わせる輝きに彼らは包まれた。


『ちっ……もうちょっと……ゆっくりと……』


 目が痛いだろう――と、モランは言いたかったのだ。だが、やはりバイタル悪化による消耗も影響で言葉は続けられなかった。


〈済まない。十分にスローで光度を上げたつもりだったけど、まだ速すぎたみたいだね。あなた方の消耗をもっと考慮すべきだったのかもしれない〉


 円形のホールのような空間になっている。外周の壁はやはりと言うか、全面ガラス貼りで向こうは液体で満たされている。ただ、今までとは違ってその中には白い何かが浮遊しているのが見えた。揺ら揺らと漂っているが、どうにも見づらい。液体の透明度が低いのだろうか? はっきりとしなかった。

 中央にかなり太い円柱が立っていて、床から天井を貫いている。柱の一部は手前に迫り出る部分があり、タッチパネルなどの操作デバイスが設置されている。


「ここが終点なのか?」


 玖劾が問う。外部拡声器を作動させている。


〈その通り〉


 ボリスの応答と同時に柱の基部から何かが伸び出てきた。細長い箱のようなもの、重厚な外殻に覆われている。一瞬、棺桶のように見えて皆はギョッとしてしまった。


「これは……生命維持ポッドだな?」


 箱の側面にはモニタリング画面があり、そこには幾つもの数値やグラフが表示されていた。それが生体反応バイタルサインを意味するということを、彼らは一瞥して理解した。

 玖劾が再び問いかけた。


「この中に、アンタはいるのか?」


 暫しの沈黙、どこか応えを渋っているような気配が漂う。


「ボリス、これは?」


 ベルジェンニコフは画面の中のある特徴に気づいた。少し間を開けてボリスが応えた。


〈そうだね。僕ではあるけど……いや、僕だったもの・・・・・・――とでも言うべきかな?〉


 ポッドの上面が動き始めた、どうやら蓋が開かれるようだ。中央に筋が入るや、両サイドにゆっくりとスライドし始めたのだ。中からはガラスのようなものが現れた、内側の蓋とでも言うべきものか。外周のガラス壁とは違い、それは透明度が高く、中の“もの”が十分確認できた。

 それを見て、皆は絶句した。


 それはミイラだ、ミイラにしかみえない萎びた人間の肉体だった――――

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