だから僕は水を見る
鬼童丸
第1話
――彼女はいつも、水のことばかり考えていた。まるでとても、僕なんかには想像もつかないほど水に恋い焦がれていたのだ。
学校にいるとき、彼女は全く普通の女の子だった。遅刻や欠席は一度もなくて、成績は中の下ぐらい。多くはないけど友達だっていたし、普通にお喋りができた。
だけど、彼女がちょっと変な性格の持ち主であることはクラスの誰もが知っていた。最初の事件が起こったのは小学一年生の夏、プール開きの日だ。
体育の授業が始まり、水着に着替えてシャワーを浴びた僕たちはプールサイドに整列した。プールを隔てて向かい合うように男女が分かれて並び、彼女は僕の正面にいた。
その時の彼女の変化に気付いていたのは、多分、僕だけだったと思う。
彼女は、ずっとプールを見つめていた。
そこにあるのは揺らめく水面だけなのに、彼女はまるで魅入られたように微動だにしない。ぼんやりとしているように見えても、その視線はどこか真剣さを孕んでいて、今にもプールに飛び込みそうな様子だった。
そんなにも一心不乱な人間の姿を、僕は初めて見た。
普通は、何かに集中しているときでも多少は表情が顔に浮かんだりする。それなのに彼女は、水を見ること以外の全てを捨て去っていた――少なくとも、僕にはそう感じられた。
僕はどうしても彼女のことが気になって、水泳が始まった後も時どき彼女のことを見ていた。
だけど、特に変わったことはなかった。彼女は人並みには泳ぎができたし、先生の指示にも応じていた。
あえて気づいたことを挙げるなら、泳ぐときでもゴーグルを着けていなかったことと、他の生徒たちより息継ぎが少なかったことぐらいだろうか。
そんな調子だから僕の興味は次第に薄れていき、彼女を観察することも飽きてくる。そして自由時間が始まる頃には彼女の姿を完全に見失ってしまった。
僕は彼女のことなんてすっかり忘れて、プールの真ん中で遊んでいる友達たちのグループに入っていった。ビート板を沈めてその上に両足で立つという遊びだ。
僕も友達もみんな上手くできなくて、顔や背中から水面に突っ込んでいたけれど、そうやって失敗する友達の姿がまた面白くて、お互いに笑い合ったりした。
――意識を失った彼女がプールから引き上げられたのは、それから数分後のことだった。
プールの端っこで、誰にも気づかれないまま溺れていたらしい。
プールサイドに横たえられた彼女は、まるで眠っているかのような顔をしていた。溺れていたというのに、苦しみや恐怖の気配は全くない。
僕は、先ほど水面を見つめていたときの彼女を思い出していた。あのときの彼女は、普通の人がものを見るのとは明らかに違う目で水面を見ていた。このプールの水の中に、彼女は何が見えたのだろうか。
彼女が溺れたことへの対応で先生はずいぶんと慌てていたけれど、それがどうも的を外れた空騒ぎのように僕には思えた。だって、それは誰のせいだとか事故だとかではなく、彼女自身が望んでいた結果のような気がしたから。
その日から、僕は彼女に対して不思議な感情を持つようになった。
何となくだけど、彼女は他の人とは全く違ったものを内側に秘めていて、それはとても美しいものなんじゃないか――そんな気がしてならなかった。
だって、彼女がプールの水を見つめていたときのあの表情が、あまりにも透き通っていたから。
このまま水に入ったら、溶けて消えてしまうんじゃないか――そう思わせるほどに危うい美しさを、あのときの彼女が持っていたから。
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