已己巳己

箕園 のぞみ

始話 プロローグ

 土河 櫂つちかわかいは、魅せられていた。一面の銀世界を染める、穢れなき紅に。確かに、二色が織りなすコントラストは誰もが息を呑むほど絶景であった。もう三月も終わるというのに、目じりに溜まる涙が凍りそうなほど冷たい風が吹きつける。


「あぁ、責めているんだね……」


 櫂は、恍惚とした顔で呟く。まるでそれが正しいことだとでもいうように、あっさりと受け入れていた。分厚い雲が覆う空にどれだけ強く腕を伸ばしても、光に辿り着けることはない。寧ろ、その行為を嘲笑うかのように、また、季節はずれの雪が舞い散る。


「この雪が、僕の視界から全てを隠してくれたら良いのに」


 漸くザッザッと、完璧な白を乱していく狼狽えを含んだ足音が遥か階下で鳴り始めた。遅れて、ざわざわと酷く耳障りな、徐々に大きくなる空気の振動が伝わる。

 櫂は制服が濡れるのも厭わずに、力なくその場に片膝をついて祈りを捧げた。


「さようなら、愛しい人。今度こそ、安らかに」


 瞼を伏せた拍子に、冷えた水玉が頬を伝い落ちていく。櫂は組んでいた両手を解くと、ポケットから赤バラを取り出しその場に突き刺した。


「……君とはここでお別れだ、永遠とわに」


 そして静かに立ち上がると、屋上を後にする。

 その柵を乗り越えた向こう側は、いつの間にか群がった沢山の人のおかげで櫂が作り出した状況と同じ情景が広がっている。街の遠くの方から、パトカーのサイレンがけたたましく鳴り響いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る