ごめんねモダンジャズ(寺山修司はかく語りき)

犬公方段々

第1話 (寺山修司の言う通り)

「初めて小説を書いてみて気がついたけど」


と、彼女は言った。


「寺山修司が言う通り、ありゃモダンジャズの手法だね」


そういうと彼女・橘文穂(たちばなふみほ)は抹茶ラテをすすった。


埼玉の地は寒冷だ。池袋から電車で20分。降り立った瞬間少し驚く。乗車時間からすると、ちょっと信じられないぐらい、芯から冷える厳しい大地だ。そしてその遥かなる武蔵野には、大した喫茶店がない。いや、正確には一軒だけ、先月出来たばかりの、駅前のスターバックスがある。電車でたった20分。池袋に行けば山のようにあるスターバックスが、おらがまちに。武蔵野の民は大いに喜び、スターバックスには長蛇の列ができたそうな。めでたしめでたし。そんなわけで、見事スターバックスからあぶれた僕らは駅から少し先の大学のカフェテリアで、学食にしてはおいしいコーヒーを飲んでいるところだった。


「寺山修司が言う通り、小説っていうのはモダンジャズの手法が許されるんだよ。これはもう、演劇を描いたことのある人間だけがわかることだね。小説と演劇の作り方は全く違う。もう、根本から違う。」

「そうなの?」

「そうだよ!もうびっくりだったよ!」

と、彼女は机を叩いた。


「わたしさあ、こんな感じだけどさあ、」


お、くるぞ、と僕は思った。彼女が急に可愛い顔をし始めるのはその合図だ。予想の通り、10分ほど、彼女は自分がいかに可愛いかについて話し始めた。

ここで説明しておくと、彼女は、まあまあ、可愛い。贔屓目で言うと、めっちゃ可愛い。肌は白いし(日焼け止め塗らないから手だけは黒いけど)、目は黒目がちで(小さいからだけど)、くちびるは小さく口角が上がってる(あれここはディスるとこがないな)。それから何と言っても表情が豊かだ。ピンクの口紅を塗った唇がせわしなく動くたびに、小さな瞳がメリーゴーランドのようにきらめいた。でも、


(なんで全部自分でいうかなあ……)

僕が思わずため息をついたのをみて、彼女は話を切り上げた。


「ま、そんな感じだけど。」

「うん。」

「わたしさ、演劇はガチじゃん。」


そうなのであった。

みなさん、ここで改めてご紹介しておくと、この彼女・橘文穂はなんと、現役の「作家」なのです。え、すごい、本屋に売ってるんですか?と聞きたくなる読者のみなさんごめんなさい。彼女の本は本屋では売っていない。というか、本として読めることはほとんどない。じゃあ雑誌ですか?それも違う。同人誌?少し近い。じゃあネット?いや、ネットでも無理。じゃあ作家って一体?


そろそろお判りいただけただろうか、そう、彼女の文章は、劇場に行かないと見ることができない。橘文穂は、作家は作家でも、演劇の脚本を書くのがなりわいの作家なのでした。


僕がここまで説明できるようになったのは、この大学で彼女と4年間を過ごしたからだ。文芸サークルの同期。彼女は演劇研究会との掛け持ちだった。初めてデートに行った時(僕はデートだと思っている)、「蜷川幸雄ってだれ?」と言って、烈火のごとく怒られた日々が懐かしい。何にも知らない僕と、演劇が大好きな彼女。そこから少しずつ、一緒に観劇にいくようになって。そうしてついに、彼女の創る作品を見るようになった。それが二年前。


「わたしさ、書く内容は社会派っていうの?割と重めの題材に、真っ向から挑んでる感じじゃん。それはさ、演劇ってぜったい社会を切り取ったものだと思ってるからなんだ。わざわざお客さんが、遠くから、劇場に来てくれる。俳優と一緒に同じ空気を吸って、吐く。吐いた空気は劇場を包む。演劇は必ず、お客さんと俳優の息が混ざった空気の中で、進んでいくんだよ。」

「うん。」

「だからわたしは、できるだけわかりやすい話にしたくて。だってむつかしかったらさ、お客さん、置いてかれちゃうじゃん。お客さんと俳優が同じタイミングで息が吐けて、初めて演劇の意味がある作品になると思うんだ。だから、わたしはお話を書くとき、こう、【起承転結】のある・・・」


と、そこまで言って彼女は言い淀んだ。


「どうしたの。」

「あのね、そういう、わたしの書いてるみたいな起承転結のわかりやすい話ってね、【古典的】って言うんだって。」

「古典的?」


と、尋ねると、彼女は勢いよく、これまでの演劇の歴史やら、今の演劇のトレンドやらを話し始めた。まとめると、起承転結のあるわかりやすい演劇が芸術的と評価されたのは90年代までの話で、最近の演劇では起承転結のわかりやすいものは「大衆的」として評価されずらい、との事だった。


「でも、なんで起承転結があるだけで、【大衆的】って言われるのかわからなくて。そもそもどうしてわたしの作品が【古典的】と言われるのかもわからなくて。というか【今の演劇らしい演劇】ってなんなのかぜーんぜんわからなくて!ずーっとずーっと考えてたのね!でも!」


突然彼女が叫んだ。


「小説を書いて、わかったんだよ!」


そういうと彼女はさましてあった抹茶ラテを一気に飲み込んだ。日焼け止めを塗らないから顔よりも幾分焼けた短い喉に、僕よりも控えめな喉仏が波打つのが見えた。そしてマグカップを元気よく机に叩きつけると、彼女は大きく息を吸う。目がキラキラと輝き始めている。唇が元気よく弾み出す。


「90年代までの演劇って、いわば正しいセオリーがあったのね。それは舞台上に、関係性を説明するためのいちばんふさわしい会話を持ってくる、ってやり方なの。」

「ふむ。」

「たとえば、お互いに好きだけど付き合ってないおさななじみがいるとするでしょ。漫画だったら、モノローグで「私たちの出会いは幼稚園の時…」なんて説明したくなる。でも、ダメなの!その二人のこれまでの歴史を説明するためには、二人に会話をさせるの!」

「たとえば?」

「なおちゃん、部活どう?」

と、いきなり彼女はセリフを言い始めた。即興劇、いわゆるエチュードだ。負けじと僕も頭をフル回転させる。

「うんまあまあ」

あたりさわりの無さすぎる返事だが、これでいい。エチュードの極意はいかに話さず、いかに相手に話させるかだ!

「なんかさー、強くなったよね。うちの野球部。」

ほら、僕が喋らずとも、代わりに彼女が設定を出してくれる。

「そうかな」

と、僕は頰をかいた。いいんじゃないか?久しぶりのエチュードにしてはいいんじゃないか?!

「なおちゃんもさ、小学生の時はほんと・・・」

と、そこまで言って彼女は口をつぐんだ。僕は顔を覗き込む。彼女の閉じられた唇はわなわなと震えている。


僕は、お、来るな、と、直感する。

そしてその瞬間、彼女の唇は堰を切ったように動き出した。


「ね〜〜〜!これなんだよ!」


といって顔をあげた彼女。唇はゆるみ、とろけるような笑顔だ。


「このセオリーに乗っ取って、わたしは演劇を書いてきたわけ!」

「な、なるほど」

「起・承・転・結を、モノローグを使わずに、どうやったらいちばんふさわしい会話に起こせるか!それが演劇だって思ってるの私は!」

「じゃあ、最近の演劇は、会話が少ないってわけ?」

「そうじゃないの!最近の演劇は、小説と一緒なの!」

「え?」

「モダンジャズなの!どれだけでも自由なの!」

ようやく本題に入れてご機嫌な彼女は、歯を見せてニコッと笑った。


「寺山修司が言う通り、小説っていうのはモダンジャズの手法が許されるんだよ。1人称でもいいし、3人称でもいい。急に時間が飛んでもいいし。いろんなことを一言で説明しちゃったりもできる。急にポエム挟んで、世界観グッと広げたり。これは、あくまで会話だけで進めなくちゃいけない旧来の演劇とは全然違うわけ!もう、根本から違うの!それを今の演劇はやってるの!」


と、一気に話すと、彼女は少し落ち着いて、空のマグカップを握りしめた。


「わたし知らなかったんだ、そういうの。なのに人からいろいろ言われるから、【今っぽい演劇】の何がいいのって、勝手にばかにしてた。…本当に、ほんとうに!自由なんだね!」


彼女は嘘はつけない。いや、正確には、「演劇」には嘘がつけない。心底そう思っているのだろう、清々しい表情を見て、僕はなんだか微笑んでしまった。


チャイムが鳴る。カフェテリアも閉まる時間だ。僕は2つのマグカップを持つと立ち上がった。


「そろそろ行こっか。」

「あのね!」


僕は振り返る。彼女は、彼女が持つには重すぎるだろう僕のPコートを持って、もじもじと立っていた。


「どうしたの?」

「むかしね、初めてサークルで会った時、君が書いた小説、読ませてくれたでしょ…?」

「う、うん。」

「あの時…。この小説、起承転結も会話も無い!小説失格!って言って………ごめんね。」


カフェテリアの入口があく。強い北風の合間をすり抜けて、彼女がテラスへ出た。スカートが翻る。ストールが舞う。ああ、そうだったなと僕は強く思い出す。初めて会った日も、そうだった。嘘みたいに寒い4月のはじめ。文芸サークルの最初の会合。僕の作品を読んで、小説失格!と言い捨てた彼女は、会の終わりに僕だけを呼び止めて、テラスの外からこう言ったんだ。


「ね、今度は一緒にスターバックスに行こう!」


僕の唇はゆるむしかない。君の唇はどうなのかな。

おらが村のスターバックスで。今度はとびきり自由なモダンジャズを書いてみよう。


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