関西人、バージニアに戻る
これからもヨロシク
「太ったなあ」
生命維持のために何本ものチューブに
「ちょっと、お父さん! 25時間掛けて
5月の末に一時帰国した時のことだ。
それが、父と交わす最後の言葉になるとは、その時は思いもせずに。
夢と
だから、
今にも目を覚まして、じいっと私を見つめ返してくれるような気がしたから。
***
父が息を引き取ったのは、日本時間の月曜日の未明。アメリカ時間で日曜日の午後。
その翌日、早朝6時。日本時間で月曜日の午後7時。
自宅からハイウェイで1時間程の空港からアトランタへ飛んだ。そこからシアトル経由で関西空港へ向かう。
アメリカ国内で2度も乗り継ぎがあるのは、正直、気が重い。おまけに、各空港での乗り継ぎ時間に余裕がないとなれば、気持ちばかり焦る。
ハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ空港は、発着数/利用者数において『世界中で最も忙しい空港』と呼ばれるメガハブ空港だ。そんな巨大空港で、シアトル便への乗り継ぎ時間は、たったの40分。
国内線の搭乗締め切りは、出発予定時刻の15分前だ。バージニアからの便がアトランタに到着してから25分以内で出発ゲートにたどり着く必要がある……あくまでも、予定通りに到着してくれれば、だが。
シアトル・タコマ空港では、国際線への乗り継ぎ時間は1時間。
アメリカの入国検査は厳しいが、出国審査は驚くほど簡略化されている(=チェックイン時に行われる)ため、わざわざ長い列に並んで待つ必要がない。バージニアの空港で預けた荷物のピックアップは、関西空港に到着してからだ。
とは言え、国内線ターミナルから国際線ターミナルまでトラムに乗って移動する必要がある。国際線の搭乗は出発予定時刻の20分前にクローズされるため、アトランタからの便がシアトルに到着してから40分以内で出発ゲートにたどり着かなければいけない……
「そんなムチャクチャなフライト・スケジュール、あり得へん! 乗り遅れたらどうするんよ?」
スピーカー通話にしたiPhoneを片手にPCの画面を見つめている相方の隣で、思わず叫んだ。
私の声が聴こえたのだろう。相方と話していたデルタ航空コールセンターのオペレーターが『大丈夫。アトランタ空港では到着するゲートと同じターミナルからシアトルに出発の予定だし、シアトル空港はアトランタほど大きくないから1時間あれば間に合うはずよ』と言い切った。
「いや、無理でしょ、どう考えてもギャンブルやん! アトランタからの便が少しでも遅れた時点で、完全にアウトやん!」
フライト・スケジュールを示すPC画面を睨みつけたまま、心の中のもやもやを
そんな私を横目に、相方が苦笑する。
「ワイフがちょっと考えさせて欲しいって。アトランタ空港を利用するのは初めてだし、1人で日本まで帰らなきゃいけないから、ちょっと不安らしい。え? いや、英語の問題じゃなくて……彼女、極度の方向音痴なんだよ」
悔しいが、「私の前方は、常に南!」という方向感覚の持ち主であることは否めない。
方向音痴でも、一人旅には慣れている。父親譲りの好奇心と妙に肝の据わった性格ゆえ、知らない土地を旅するのは『新たな冒険』と心得ている。道に迷って困ったら誰かに聞けば良いことだし、迷った先で思いがけない発見や新たな出逢いがあったりする。
が、今回はそんな悠長なことは言っていられない。少しでも迷えば、乗り継ぎ便に間に合わない。巨大空港の中で、悲壮な顔をして駆けずり回る自分の姿が目に浮かんだ。
それでも、次に予約可能なフライトとなると、水曜日の葬儀にさえ間に合わない。どうしても火曜日の通夜の前に、ゆっくりと父の顔を見ておきたかった。
迷っているヒマなんかない。
「分かった。その便、押さえてもらって!」
……そんなわけで、弾丸ツアー並みのフライト・スケジュールを敢行すべく、第一関門であるアトランタ空港に降り立った。
シアトル便の搭乗ゲートは航空券に
「あれ? どこにもないやん」
デルタ航空専用のゲートがずらりと並ぶコンコースは、平日の朝だからか閑散としている。そのどこにも、電光掲示板らしきものが見当たらない。
ゲートの表示を確認しながらコンコースの端から端まで歩いてみたものの、「シアトル行き」の表示も電光表示板も見つからなかった。無駄に時間ばかりが過ぎて行き、不安がムクムクと頭をもたげ出す。
これ以上ウロウロと歩き回るより、誰かに聞くのが一番だ。
職員不在のゲート前カウンターをいくつか通り過ぎ、ようやく、カウンターに座ってPC画面を見つめている職員を発見! 思わず駆け寄った。
「すみませーん! 乗継便のゲートがどこになるか教えて欲しいんですけど!」
多分、ものすごーく悲壮な顔をしていたのだと思う。
カウンターに座っていた白人のお兄さんは、一瞬、驚いた表情をこちらに向けたものの、私が握りしめていた航空券を覗き込んで「シアトル行きだね。ちょっと待って」と言うと、素早くキーボードを叩き始めた。
「ゲートD16だね」
「えーと……どっちに行けば良いんでしょう?」
「ここはターミナルAだから、Plane Trainで移動する必要があるね」
……なんですと?
『アトランタ空港では、到着するゲートと同じターミナルからシアトルに出発の予定』なんとちゃうの!? オペレーターのお姉さん、ムッチャいい加減やん!
心の中で叫んだものの、大切なことを忘れていた自分に気がついた。
アメリカは自己責任の国だ。『その道のプロ』から聞いた情報であっても、必ずもう一度、自らの手で再確認する手間を省いてはいけない……そのことを、すっかり忘れていた。オペレーターの言葉を鵜呑みにした自分の落ち度だ。
私の顔が一層引き
「ここから真っ直ぐ歩いた先にエスカレーターがあるから、それで地下まで降りて。そこからPlane TrainでターミナルDまで行ってね。『
まるで小さな子供に言い聞かせるように、丁寧に優しい声で教えてくれたお兄さんが天使に見えた。
「
一体、どれだけ歩けば目的のエスカレーターにたどり着けるのか。はたまた、お兄さんの言葉はコールセンターのオペレーター同様、悪魔の甘い
「各ターミナルをつなぐ廊下の、しかも、コンコースからムチャクチャ離れた場所に案内板を置いても、意味ないやーん!」
思わず心の声が漏れ出たが、シアトル便のゲートが確かにD16であることは確認出来た。
ようやく地下に降りるエスカレーターを見つけ、アトランタ空港内の移動手段である「全自動無人運転車両システム(=Automated People Mover:APM)『
ちなみに、利用する航空会社のターミナルにたどり着いたは良いが、搭乗時刻ギリギリで、はるか彼方の出発ゲートまで歩くにはまだまだ時間が掛かりそう……という状況に陥った場合、近くのゲート職員に搭乗券を見せて『今、向かっているからゲートを閉めずに待って、と係員に伝えて!』と必死の形相でお願いすれば、該当する出発ゲートに連絡を取ってくれるそうな。
日本ならば、出発時刻が迫ったゲート担当の職員が『○○行きにお乗りのお客様はいらっしゃいませんか~?』と大声で乗客を探してくれそうなものだが、アメリカでは自ら大声を上げた乗客だけが救われる。合理的といえば合理的だが、人情味に欠ける。
アトランタからシアトルまでの飛行時間は5時間半。
ホッとした途端に小腹が減った。機内サービスで軽食でも出るかと期待していたが、朝食には遅過ぎるし昼食には早すぎる中途半端な時間帯だったせいか、チーズ味のスナックとビスケット、飲み物のみ。
とりあえず、甘ったるいビスケットを頬張りながら温かい紅茶を飲んでいるうちに、なんだか眠くなってきた……
いつの間にかぐっすりと寝込んでしまったようで、気づけばシアトルは目と鼻の先だった。
国内なのに時差があるアメリカで、半日のうちに東海岸から4つのタイムゾーンを越えて西海岸に飛ぶと、時間の感覚がおかしくなる。
『いやー、驚きました! なんと、予定時刻より30分も早く、シアトルに到着致しました!』
パイロットのアナウンスが機内に響くと、どこからか拍手が聞こえた。
1時間しかなかった国際線への乗り継ぎ時間に30分追加されるという嬉しいハプニングに、思わず「おおーっ!」と歓声を上げてしまった。
かくして、第二関門も無事に突破し、シアトルから関西空港を経て、父が待つ斎場にたどり着いたのは、日本時間で火曜日の午後5時40分。
通夜開始時刻の、わずか20分前だった。
方向音痴の娘を心配して、ずっと見守ってくれてたんやね、お父さん。
本気で、そう思った。
***
日本国籍を持つ海外在住者は、近年、増加傾向にあるという。
ネット上には海外在住者向けの情報サイトや海外生活をテーマにした個人ブログが
4月の初めに父が危篤になった時、万が一のことを考えて色々なサイトを読み漁った。そんな時、たまたま目にしたのが「
Bereavement(近親者に先立たれること、死別)
Fare(運賃、料金)
つまり、『家族の生死に関わる緊急時に、特別に適用される料金』のことだ。
格安航空券ほどではないが、通常運賃より確実に費用を抑えられ、優先的に座席の予約が出来るのだとか。
父を失った悲しみと、その最期に立ち会えなかった悔しさで、ぐしゃぐしゃに泣きじゃくりながら「日本に帰る! Bereavement Fareがある航空会社を探して!」と相方に告げた。
「そんなのがあるんだ。知らなかったよ」
驚いたように目を丸くしながらPCに向かい、キーボードを叩き始めた相方が、しばらくしてiPhoneを手に取った。
「特別料金があるのは、アメリカ国内だとデルタ航空だけだね……オンライン予約は出来ないから、コールセンターに電話して予約しろってさ」
参考までに、現在、デルタ以外でビリーブメント・フェアを扱っているのは、エア・カナダとウェストジェット航空(共にカナダ)、ルフトハンザ航空(ドイツ)のみ。
日系の大手航空会社2社は、特別料金おろか、優遇措置もない。「国際線の航空券なら、出発当日まで割引価格でオンライン購入できるので、そちらをご利用下さいな〜」ということらしい。「オモテナシ」の国の航空会社なのに、こういう時には「特別なオモテナシ」はないのか……と、少し複雑な気持ちになった。
デルタ航空のコールセンターに電話し、待つこと数10分。相方の心のイライラが顔に現れ始めた頃、ようやくオペレーターとつながった。
相方がビリーブメント・フェアを利用したい旨を伝えると、オペレーターが矢継ぎ早に質問を始めた。
「お義父さんの葬儀が行われる場所、分かるかって?」
「そんなん、分かるわけないやん! たった1時間前に亡くなったばかりやのに!」
大声で叫ぶ私の声が聴こえたらしい。
『でしたら、お父さまを看取った医師の名前と病院名を教えて下さい』
電話口から、少し気まずそうな声が漏れ聞こえた。
以下、オペレーターから受けた質問内容と情報をまとめてみた。
・航空券を必要とする人の氏名、現住所、生年月日、国籍、旅券番号、外国籍の場合は米国滞在資格の有無(永住権/各種ビザ保持者か、観光客か)
・危篤になった/亡くなった人の氏名と、血縁関係(二親等内までの近親者のみ、適用)
・危篤になって/亡くなってから7日以内かどうか(それ以上の場合、適用外)
・葬儀が営まれる予定地の最寄り空港名
・危篤になった/亡くなった病院名と所在地、担当医の氏名
・葬儀会場名と所在地
・デルタ航空「スカイマイル」のメンバーか否か(ビリーブメント・フェアを利用出来るのは、メンバーのみ。そうでない場合、オペレーターとの会話中に登録可)
「とりあえず片道で予約したけど、帰りの便は『往路でビリーブメント・フェアを利用した』と言えば、800ドル程度で済むらしいよ」
ほお、それはお得。
親切なオペレーターで良かったね、と2人とも満足して電話を切った。
……はずが。
日本に帰国してから3週間後。
喪主として葬儀後も諸処の手続きを行うべく忙しく動き回る姉を手伝いながら、実家に残された父の遺品の整理を始め、少しずつ気持ちの整理も始めた頃。
相方から「長期出張が急に決まったんだ」と連絡があった。
アメリカ南東部はハリケーン・シーズン真っ只中。そんな時期に、自宅を無防備な状態で長期間空けるのは絶対に避けたかった。
我が家のモフモフ2匹も、ここ数ヶ月、ペットホテルと自宅を行ったり来たりすることを強いられている。愛犬サスケはストレスのせいで物を噛む(ついでに、自分の脚も噛む)悪い癖が戻ってしまったようだ。愛猫シュリは普段以上に独り言が増え、昼も夜も落ち着きなく歩き回ることが多くなったと言う。
父のことで頭が一杯で、アメリカに残してきた大切な家族に負担を掛けていることに、ハッと気がついた。
「分かった。こっちも一段落ついたから、すぐ帰るわ。7月末か8月初めの便を予約して」と相方に連絡した。
その数時間後。
滅多に感情的にならない相方が、ものすごーく不機嫌な声でLINE電話を掛けてきた。
「オペレーターにつながるまで1時間も待たされたよ。その上、やっとつながったと思ったら、ムチャクチャいい加減なヤツで……こっちの言う事を聞こうともせずに勝手に電話を切られたんだ。仕方なく、もう1回電話して1時間待ち。で、つながった相手に『ビリーブメント・フェアで復路便を予約したい』と伝えたら、『適用できる便が希望の日にないので、通常の割引価格のみ適用されます』って言われたよ」
……なんですと?
「で、おいくらなん?」
「1500ドルくらいかな」
「げっ!? 嘘やん、なんで? あの時のオペレーター、確かに800ドルって言ったんよね?」
「それも伝えた。でも『適用できる便は限られているから』の一点張りで、話にならなかった」
いかにもアメリカ人らしい対応だ。
「これでも、電話口でかなり粘ったんだ。話が違う、納得できない、ってね。まあ、夏休み真っ只中なのに、来週の便の座席を押さえられただけでも良かったけど」
「痛い出費やん……ゴメンね」
「仕方ないさ。帰りの便は、行きと違って乗り継ぎ時間に余裕があるから、気持ち的には楽だと思うよ。それから……」
相方が電話口で、くくっ、と嬉しそうな笑い声を立てる。
「僕があまりに粘るもんだから、アトランタからバージニアまでの便はファーストクラスにしてくれたよ」
なんですとーっ!?
「マジで……? スゴイやん! ファーストクラスなんて乗ったことないっ!」
「国内線の、しかも短距離だから、ANAのプレミアムエコノミーみたいなものだと思うけどね」
「それでもスゴイ! シートが全然違うやん!」
実は、シアトルから成田までは「デルタ・コンフォートプラス(=エコノミークラスの前方部分に配置されている、座席の前後間隔がエコノミーより広いシート)」だったものの、乗り継ぎ時間が短すぎたこともあって、バージニアから日本まで通算21時間、ほぼ座りっぱなしの状態だった。おかげで、お尻と腰を痛めてしまい、日本に着いてからの1週間、椅子に座るのも辛くて鍼灸院のお世話になった。
「お尻が痛すぎてツライ」という悲劇に見舞われないためにも、長距離を移動する際は旅行用低反発クッションを持ち歩こう、と心に決めたばかりだったので、嬉しい知らせだった。
後から知ったのだが、ビリーブメント・フェアは割引価格ではあるものの、通常価格で購入した航空券と同等の扱いらしい。優遇処置として、往復の便を予約しておいて、万が一、復路便の日程を変更する必要に迫られても無償で変更が可能なのだとか。
自分の情報収集力が足りなかったが故に高い勉強代を支払った、と納得するしかない。
格安航空券を取り扱うサイトを念入りに探せば、当日や翌日の便でもビリーブメント・フェアより安いものが見つかるかもしれない。が、緊急時に、冷静に比較検討が出来るかどうか。
最速で目的地にたどり着きたければ、やはり航空会社のコールセンターに直接掛け合うべきだ。オペレーターも人の子。規定から外れない限り、親身になって希望に合う便を探そうとしてくれるはず。
前回の帰国時に通算25時間掛かったフライトが、今回は21時間にまで短縮された。おかげで、通夜が始まる前に父と対面することが叶ったのだから。
……弾丸ツアー的スリル満載やったけどね。
***
機械設計のエンジニアだった父は、趣味のDIYで本棚や娘の勉強机を作る時でも丁寧に図面を引いた。
家族旅行もパッケージツアーに頼ることなく自分で「設計」し、全ての手配を自分で行い、幼い娘達を色々な場所に連れて行ってくれた。方向音痴で頭の中に地図が描けない私が一人旅に出かけることに全く
末娘が成人して家を出たのを機に、海外旅行を楽しむようになった父も、アメリカ本土を訪れたことは生涯で一度もなかった。そんな父を『位牌』という形でバージニアに連れ帰ることにした。
私は信心深くもないし、敬虔な仏教徒でもない。この世界を静かに見守る大いなる存在はあるのだろうなあ……とボンヤリ思うくらい。いわゆる「
それでも、父の存在を目に見える形で手元に置いておきたかった。
お線香はアメリカの片田舎に住んでいてもオンラインショップで購入できる。
お供花がわりになる『花ろうそく』と香炉などの仏具は、さすがにアメリカではオンラインでも入手できそうにないので、日本で購入し、スーツケースに詰めて持ち帰った。
初めての月命日に、花を飾る。
小さな田舎町にはお洒落な花屋などない。とは言え、ちょっとした花束ならスーパーマーケットに行けば手に入る。食品と一緒に小さな花束を小脇に抱えてレジに並ぶ男性客の姿をよく見かける。アメリカらしい光景だ。
日本人からすれば「これ、どう見ても仏花やん」と言いたくなる色合いの花束もあるが、そこはご愛嬌。色彩感覚が違うのだから仕方がない。日本に住むアメリカ人のダーリンがプレゼントと一緒に「仏花」をくれた、という笑い話が絶えないのも、そういうワケで。
磨き上げられた紫檀の位牌に金色の文字で刻まれた父の名を、指でなぞってみる。その隣には、珍しく微笑んでいる父の遺影。
日本っぽいモノ、不思議なモノが大好きな相方は、興味津々だ。
「それ、何?」
「これ? お位牌」
「オゥハイ?」
「
ここ最近、日本の通夜から葬儀に至るまで相方に説明する必要に迫られて、仏教に関する本を手元に置くようになった。
「キリスト教でもお祈りする対象があるやんね? あれと同じ。裏に彫り込まれているのがお父さんの名前。で、表にあるのが仏様の世界に行った後、つまり、これからお父さんがあの世で呼ばれる新しい名前。クリスチャン・ネームみたいなものかなあ」
キリスト教の知識については、カソリック系の大学に通っていたので必須科目として履修した。が、それ以来、アップデートされていないので、イマイチ自信がない。
私同様、不可知論者の相方は特に気にする様子もなく「ふーん」と
「こうやって、毎日、お父さんに話し掛けるようにお祈りするんよ。『私達は仲良く暮らしてますよー』って」
我が家のリビング・ルームにある小さな本棚の一番上が、父の居場所だ。
ちょうど私の視線に合う高さだったから、棚の上に綺麗な和柄の防炎布を敷き、そこに位牌と遺影を並べて、お線香を上げ、花を供える。ただそれだけの、ごくシンプルな空間だけれど、華美なものを嫌う人だったから、これくらいが丁度良い。
毎日、父を想う時間が以前よりも増えた。それだけで、悲しみは少しずつ洗い流されて、懐かしい思い出と優しい気持ちで心の中が満たされていく。
不思議と、父をより身近に感じるようになった。
『だから、亡き人を想う時間は大切なんだよ』
父がそう教えてくれているような気がした。
もうすぐ忌明けを迎える。仏式では故人の魂が家族の元を離れて旅立つ日だと言うけれど。
外出先で父が好きそうなものを見つけては、「これ、お父さんに送ってあげよう」などと思う。その度に、「ああ、そうか。もう、この世にはいないんだ」と思い直す。
こんな風に、懐かしさと寂しさを幾度となく繰り返しながら、少しずつ心の区切りをつけていくのだろう。
『太ったなあ』
じいっと私の顔を見つめたまま、ボソリとつぶやいた父の声は、記憶の中にある低く静かな響きには程遠く、あまりにも弱々しかったけれど。
そやねん、幸せ太りなんよ、お父さん。
だから、心配せんといて。
日本から遠く離れた異国の地ではあるけれど。
相方はアメリカ人のくせに愛情表現が驚くほど下手で、おまけに、お父さんみたいに口数が少ないけれど。
私はここで、元気で幸せに暮らしているから。
だから、これからも、ずっと見守っていて。
(2019年8月23日 公開)
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