雪あらしの夜に

 先週の金曜日。バージニア州知事が「雪嵐(Snow Storm)」の接近に備えるよう、州全域に「非常事態宣言(State of Emergency)」を発令した。


 アメリカに来た頃は「『非常事態宣言』!? 何それ!? 大変やん……非常事態やん!」と焦りまくっていた。

 が、最近では、そこまで危険が及ぶわけでもない地域であっても、「とりあえず宣言しとこーか。後で『非常事態って言われなかったから避難しなかったら、被害を被った! どーしてくれんねん!』って訴えられるのも面倒やしね」的なノリで『非常事態宣言』区域に指定されることも多分にある、と認識している。自己責任の国は「Sue you《訴えてやる》天国」でもあるからだ。



 日曜日が雪のピークだと聞いて、我が家では土曜日の朝からせっせと準備を始めた。

 私が住んでいるのは、『(海抜)ゼロメートル地帯(=海面よりも土地が低いため、水害が発生する可能性が高い地域)』が市域の半分以上を占めるニューオーリンズに次いで「アメリカ国内で最も危険なゼロメートル地帯にある人口密集地域」らしい。そのため、個人宅にも水捌けをよくするための「Ditch」と呼ばれる「コンクリートで流し固めた、幅は広いくせに妙に浅いみぞ」が引かれている。我が家も、裏庭のど真ん中にコンクリート製の溝がどーんと横切っているため、とっても見映えが悪い。とは言え、水害を防ぐために常にきちんと掃除をしておかないといけない。

 ちなみに、この溝、実は市の所有である。私有地を横切る溝が市の所有……全くワケが分からない。



 バージニアの良いところは大自然に囲まれていること。住宅地の至る所に雑木林が残されているので、緑豊かで四季折々の風景を楽しむことが出来る。

 が、秋ともなれば、地面を埋め尽くすほどの落ち葉が………

 ほぼ毎日掃除をしなければ、あっという間に芝生の上も、玄関先も、裏庭の「溝」も枯葉で埋まってしまう。雨が降ろうものなら、道路脇に設置された地下排水路への入り口が落ち葉で塞がれてしまい、住宅地や周辺道路があっという間に水浸しになってしまう。なので、各家庭に引かれた「溝」と自宅前の掃除は市民に課せられた義務でもある。


 ところが、どこの国にも「迷惑な隣人」は存在するワケで……全く掃除をしないことで有名な我が家のお隣さん宅に、市の職員が出向いて注意勧告を行なっている姿を何度も見かけた。再三の忠告にも関わらず、落ち葉が降り積もってどこに「溝」があるのか分からない状態の庭に痺れを切らした市が、清掃業者を送り込んで強制的に落ち葉の撤去をしている姿を何度も見かけた。

「あの清掃のお金はどこから出るん?」

 念のため、相方に聞いてみた。

「当然、市の税金からだよ」

 やっぱりね。私が払った税金が、キミの庭を綺麗にしてあげるために使われたんやね……なんだかとっても不公平。

 自己管理を当然とする国に暮らしながら、自己管理を放棄する「迷惑な隣人」は、責任を他人になすりつけておきながら、「市民として行政のサービスを受けるのは当たり前の権利」などとのたまっているそうだ。どこの国で暮らそうが、ハタ迷惑な人の本質は変わらない。



 土曜日の夕方までに、庭木の枝を切り落とし、「溝」と庭に降り積もった落ち葉を取り除いた。除雪用の塩とシャベルを家の中に移動させ、車のフロントガラスが雪で埋まった場合を想定してワイパーをカタツムリのツノのように立たせれば、準備万端。雪嵐よ、いつでも来いっ!


 一夜明けて、日曜日の朝。どんよりと重たそうな雲間から、みぞれ混じりの雨がこぼれ落ちてくる。それが次第に雪に変わり、少しずつ大きさを変えながら、静かに降り続ける。

 午後近くになると、辺り一面、真っ白な雪景色へと変わっていた。

「今回は雪対策バッチリやし、どーんとこい!」


 どんよりと暗い雲の上から下界の様子を見ていたお天気の神様が、私の言葉に「ちっ」と舌打ちをしたに違いない。

 さて、夕飯の支度でもしようか、と思ったその時……



 停電。



「何で!? 何で雪で停電!? ハリケーンに直撃されても停電になったことがない地域やのに……何でやのーっ!」


 暗闇で叫ぶ私を尻目に、職業柄、非常事態に慣れている相方が、黙々と懐中電灯で辺りを照らし、ロウソクに火を灯して、とりあえずキッチンとリビングルームの明かりを確保。私は、と言えば、喉の渇きを癒すべく飲み物を確保しようとして「冷蔵庫は開けるなよ」と怒られる始末。仕方なく、非常時用に食料倉庫に保管しておいたペットボトルの生温い水を一口飲んで、何とか落ち着きを取り戻した。

 実は私、地上の真っ暗闇が大の苦手。あえて「地上の」と言ったのは、海底洞窟の中や、ナイト・ダイビングなどの「水中の」暗闇は怖くないからだ。ワケ分からんでしょ。ええ、本人もワケ分からんのですよ……


 暗闇を恐れない我家の相方と、愛犬、愛猫から「けっ! 情けないヤツ」とでも言いたげな気配を感じつつ、リビングルームのソファにへたり込み、相方から手渡された毛布にくるまると、「オール電化のこの家で、料理が出来ないとなると……今夜はカップヌードルとポテトチップ、りんごで済ませよう」などと考えるだけの余裕が出て来た。

 お茶好きの日本人。ポットの中には常に熱いお湯を確保してあるのが、こんな時に役に立つとは。これからは、いつもポットの中に熱いお湯を絶やさないようにしよう。



 犬と猫を家の中で放し飼いにしている家庭では、危険だから置いてはいけないとされるモノが結構ある。我が家の猫などは、目新しいものがあると、すぐに顔を近づけてスンスンと匂いを嗅ぎ、異常を感じなければ取りあえず口の中に入れてみる……という子なので、かなり注意が必要だ。

 今の季節の御法度は、クリスマスツリーとキラキラ輝くクリスマス・デコレーション。ツリーなんぞ、目にした瞬間、飛びついてじゃれついている間に興奮しててっぺんまで駆け登り、猫の重さに耐えきれなくなったツリーがひっくり返って大惨事になるのが目に見えている。なので、我が家では絶対に置けない。

 毎年、この時期になると、ショッピング中に可愛いクリスマス・オーナメントを見つけたり、素敵なクリスマスツリーを見かけては、「欲しいんやけどね……猫がいるからね」と自分に言い聞かせている。



 スンスン、スンスンと毛布に鼻先をつけて「なんだ、ママが中にいるのね」という顔をして、私がくるまっている毛布の上を陣取って毛繕いしていた愛猫のシュリが、ふと顔を上げて、薄暗い家の中をじいっと見つめている。

 何を見てるんやろう? と彼女の視線の先をチェックすると……しまった!

「ロウソク! シュリが近づかないように注意して!」


 時すでに遅し。

 私が叫ぶと同時に、あっという間にぴょーんと床の上に飛び降りて駆け出したシュリが、キッチンカウンターの上に飛び乗って、そこに置いてあったロウソクの炎に顔を近づけてスンスンし始めた!

 ……が、相方が素早く確保。「うみゃあ、離してくれにゃあと、ダディの手に噛みつくにゃあ」などと文句を言うシュリに、「危ないんだよ」と言い聞かせてケージの中へ。その間も、犬のサスケは相方のそばをピッタリと離れない。見かけはゴッツイ大型犬の彼も、中身は超ビビリのヘタレ犬なので、いつもと違う状況を感じ取って、かなりテンパっているらしい。


 日頃、テレビのニュース番組をつけっぱなしにしているからか、全く音のない薄暗がりの中に居るのが、なんとも不思議な感じがした。窓から外をのぞいてみても、辺りは真っ暗闇。聞こえてくるのは、ポリスカーと救急車両のサイレン。空を行くのはヘリコプターだろうか。

 停電で信号が機能していない中、雪道を走っていた車が事故でも起こして立ち往生しているのかもしれない。


 ロウソクの灯りの中、iPhoneのバッテリーをなるべく使わないよう気をつけながら、退屈しのぎにキンドルで電子書籍を読み続けること、小一時間。

 パッと唐突に灯りが戻った。

 思わず「おおーっ!」と二人して喜びの声を上げた。



***



 夕飯を食べ終えて、友人に『停電したよ。そっちは大丈夫だった?』とメッセージを送った。彼女が住んでいるのは、ハリケーンに襲われる度に停電となる魔の地域。リタイア組が住む、都会から遠く離れた片田舎でもあるため復旧が遅く、「陸の孤島」と化した場所で何度もサバイバル生活を送った、といつもぼやいている。

 今回は外は極寒。なので、かなり心配していたのだが……

『へ? うちは何ともないよ。さっき、娘が(私が住んでいる地域を通り抜けて)買い物から帰って来たんだけど、州道は雪でつるっつるに滑って、運転するのが怖かったって。道端の溝に突っ込んでる車とか、up side down真っ逆さまにひっくり返ってる車とかで、スゴイ渋滞だったみたい。きっとどこかのおバカさんが電柱にでも突っ込んで、電線を切っちゃったんじゃない?』


 ……あり得る。

 今日は日曜日。敬虔なクリスチャンが多いアメリカ南部州では、日曜日は家族そろって教会に足を運び、その後、近くのレストランでゆっくり食事をして帰宅する、という家庭が実に多い。

 「雪が降りますよ、ストームですよ、注意して!」と宣言が出されているのも何処吹く風。いつものように外出し、南部州ではほとんど積もることのない雪にはしゃいでいるうちに、つるっつるの車道でハンドルを取られて事故を起こす人も多いのだ。


 何はともあれ、短時間の停電だけで済んで良かった、とホッとしたところで、ソファの上で大股開きでくつろいでいる眠たそうな愛猫の顔を見て「あれ?」と思った。

「シュリちゃん、顔になんかついてるよ」

 そう言いながら、猫のオデコにくっついている「糸くず」のようなものを引っ張ってみたところ……


「うんみゃああああ! 何するみゃあ!」


 と、本気で怒られた。


 「あれ? 皮膚まで引っ張ったかな?」などと思いながら、もう一度、シュリの顔を覗き込んで見る。

 ご機嫌ナナメの時によくする逆三角形になった瞳をギラリと光らせたまま、私を睨みつけている愛猫の、ピンと立った白く長い眉毛に絡まっている「糸くず」が、確かに存在している……

 が、そこで、ハッと気づいた。

「シュリちゃん、その『糸くず』みたいなのは、もしや……」




 チリチリになった眉毛だった。


 どうやら、キッチンカウンターに上って相方に捕まる直前、スンスンとロウソクの炎に顔を近づけていた時に、眉毛を焦がしてしまったらしい。


「これって、どう見ても……アホ毛やん」

 そう思ったら、突然、可笑しくなってきた。

 ゲラゲラと笑い転げながら写真を撮ろうとiPhoneを向ける。逆三角形に瞳を吊り上げてこちらを睨みつける愛猫の表情と、チリチリのアホ毛っぽい眉毛が絶妙なコンビネーション。顔の毛が黒い分、白いアホ毛が目立ちまくっている。



 今朝も、私を起こしにベッドの枕もとで「うみゃーん」と甘えるシュリの顔に、チリチリと揺れるアホ毛を見て、眠気が一気に吹っ飛んだ。

 可哀想だけど、可愛すぎるから、しばらくこのまま切らずに置いておこう。

 

 

 ……え? 雪嵐? それって何よ?


(2018年12月11日 公開)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る