第113話 蛇の王 前編

 円形の闘技場を囲む階段状の観客席は全て人で埋まっていました。

 少なくとも数千人、いや一万人はいるのではないでしょうか。

 最前列の一部のみ豪華な造りになっており、そこにセリスとアルバートの姿がありました。


 私は闘技場の中央まで進んだところで立ち止まりました。

 直後、向かい側の控え室から純白の人影が姿を現したことで一層歓声が高まります。

 顔を見るのは初めてですが、彼がギルバートで間違いないでしょう。


 ギルバートは白地の軍服に身を包み、その上に同じく白地のマントを右側にのみ羽織っていました。

 外見からはまるで敵意は感じません。

 二十歳前後といったところでしょうか、片方の目を隠すほど伸びた茶髪はウェーブがかかっており、見えている方の茶色の瞳からは、物腰が柔らかそうな印象を受けます。

 

 私の目の前まで隙のない歩調で進み出てきたギルバートは、ヒートアップしている大観衆に目をやると、苦笑しました。


「初めましてアデル・フォン・ヴァインベルガー殿、でいいでしょうか。私はギルバート・ディシウス。そして、申し訳ありません。こんなことになっているとは知らなかったのです。まったく……女王にも困ったものですね」

「初めましてギルバート王子。呼び捨てで構いませんよ。こんなことは今回限りでしょうし、問題ありません」

「……いいえ、貴方は試合後からはディシウス王国の民です。ならば、今日以外にも機会は訪れるでしょう」


 そう言うと、ギルバートは笑いを収め、茶色の瞳から圧倒的な気合を放出してきました。

 先程までの穏やかな表情とは一変しています。

 私は意識を切り替えつつ、臆することなく彼の視線を正面から受け止めました。


「私の帰るべき場所は先約がありますので、辞退させていただきます」


 ギルバートは視線を外すと、私から十メートルほど下がり、右手を掲げました。

 すると、闘技場の四隅に立っていた者たちが一斉になにか唱え始めたのです。


 次の瞬間、闘技場が薄い膜に覆われたような感覚に襲われました。

 同時に、ギルバートの頭の上に百と書かれた細長いバーが出現したではありませんか。

 恐らくあれがギルバートの体力値なのでしょう。

 あれと同じものが私の頭の上にも表示されているはずです。


「聞いているとは思いますが、勝敗はどちらかの体力値がゼロになった時点で終了、異能が解除されます。ですので、審判は不要です」


 私が頷きを返すと、ギルバートはおもむろにポケットからコインを取り出しました。


「コインが地面に触れたら試合開始ということで構いませんか?」

「ええ」


 ギルバートの手でコインが宙に舞い上がりました。

 くるくると回りながらゆっくりと落下するコイン。

 全身の血流がどんどん早くなっていくのを感じます。

 相手がどんな異能を持っているか分からない以上、普通であれば様子見をするところですが、こと今回に限っては愚策でしかありません。


 ギルバートの姿勢は自然体で、無理な力はどこにもかかっていないからです。

 彼の初動を読もうとしても迷いを生むだけだという考えに至った私は、最初から全力で打ち込む覚悟を決めました。

 二人が地を蹴ったのは、コインが地面に到達するのと同時でした。


「『――――英雄達の幻燈投影ファンタズマゴリー』」


 私は一息で間合いを詰めると、右手に発現させた"正統なる王者の剣カリブルヌス"を、ギルバート目掛けて振り下ろしました。

 確実に初撃は当たるはず――なっ!?


 ところが、ギルバートは回避を試みるどころか右手をこちらに向けてきたのです。


「『――死をもたらす蛇の王バジリスク』」


 異能を発現したようですが、何か変わったようには見受けられません。

 しかし、ギルバートの右手に触れる直前、"正統なる王者の剣"が砕け散ったのです。


 が、私の攻撃はまだ終わりません。

 間髪いれずに左手の"雷を切り裂く剣ブリッツ・シュヴェールト"を、ギルバートの脇腹へと滑り込ませました。

 左の一撃は、当たる直前にまたしても右手に阻まれ、先程と同じようにパリンと音を立てて砕けたのです。


「くっ!!」


 私は考えるよりも前に後ろへ飛びました。

 十分な距離を取って着地すると、剣が消失した両手に目をやります。

 

 今のはいったい……。


 手数で上回れば、異能の効果もあることですし有利だろうと踏んでいたのですが、この結果は予想外です。

 

 ――異能の強制解除?

 いえ、それにしては何か違うような……。

 今のやりとりだけではまだ判断がつきません。

 ならば。


 私は"灼熱世界ムスペルヘイム"でギルバートの周りを囲みました。

 念のため、前方に"守護女神の盾アエギス"を展開します。

 どちらにせよ、これで彼の異能の正体がつかめるはず――ん?

 燃え盛る炎の壁の色が段々と灰色がかっているような?


 一部分が赤から灰色に変わり、それが徐々に全体に広がっていきます。

 色が変わっただけではありません。

 炎が石のように固まってしまっています。

 ということは、ギルバートの異能はまさか……。


「私の『死をもたらす蛇の王』は、ありとあらゆる全てのものを石に変える。物質であろうと液体であろうと気体であろうと、そして――異能であろうとね」


 崩れ落ちる炎の壁から姿を見せたギルバートは、右手をこちらに向けながらにやりと笑みを浮かべました。

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