第39話 エルフの里からさようなら

「師匠ー、起きてよ! ねぇ、師匠ってばー!」


 ルーシーは、寝ているミレノアールに馬乗りになると、布団の上からポコポコと叩いた。


「んだよ、朝っぱらから」

「朝じゃないよ。もうすぐお昼だもん」


 ミレノアールは眠たい目を擦りながら、ふくれっ面のルーシーを見上げた。

 ルーシーの頭の上では、水の妖精シャロロがちょこんと座っている。


「俺は昨晩いろいろあって眠いんだよ。もうちょい寝かせろ」

「お酒飲んでただけじゃん。ねぇ、起きてよー」


 ルーシーは、ミレノアールの体を揺らしながら再度起きるように促した。


「わかった。起きるよ。だからさっさと降りてくれ、お前、結構重い……」

「もぉー! レディに向かって重いだなんて! あ、二人分だから重いのかー」

「いや、その妖精さんをひとり分に数えちゃダメだろ……どう見てもお前が」


 ルーシーは、怒りにまかせて更に強く叩いた。

 それに観念したミレノアールがベッドから飛び起きる。


「で、どうしたんだよ。まだ出発の時間じゃないだろ」

「ねぇ、師匠。喉乾いてない?」

「ああ、カラッカラだ。水の一杯でも飲みたいな」


 ミレノアールのその言葉を待っていたかのように、ルーシーとシャロロが顔を見合わせてニカッと笑みを共有した。


「しょうがないなぁ。じゃあそんな師匠にお水をあげよう」


 ルーシーはそう言うと、左右の手のひらの底を合わせて、水をすくうようなポーズをとった。


「なんだ? 何も入ってないぞ?」


 ミレノアールは、ルーシーの手のひらを覗き込みながら、その意味不明な行動に思いのままの疑問をぶつける。


「まあまあ、ちょっと待ってて」


 ルーシーはそのままの状態で「うぐぐぐぐー」と唸りながら集中し始めた。

 するとどうだろう、ルーシーの合わせた手のひらの底からじわじわと水が湧き出てきたではないか。

 それからあっという間にルーシーの窪んだ手のひらは、真水でいっぱいになった。


「お前、これ凄いじゃないか!? いつの間にこんな魔法覚えたんだ?」

「えへへへへー」


 ミレノアールは純粋な気持ちでルーシーを褒め称えた。

 ルーシーも満面の笑みでそれに応える。


「さっきシャルルに教えてもらったの。シャルルは、水の妖精さんだから」

「だからシャロロだってばー、ルーシー、私の名前いっつも間違えてる!」

「あははっ、ごめんごめん! でもシャロロの教え方が上手だから出来るようになったんだよ、きっと!」


「で、俺はこれをどうやって飲めばいいんだ……?」


 結局ミレノアールがその場でひざまずき大きく口を開けたところに、なんとかルーシーが口元まで運んだ。

 しかしその間にほとんどの水が零れていたので、ミレノアールの喉が潤うことはなかったようだ……。


「あ、ありがとな、ルーシー。お前がいればこの先、水に困ることはなさそうだ。しかし朝からこんな魔法の修行をしてたとはな。具現化の魔法をこんなに早く使えるようになるとは、正直驚きだよ」

「うん、もっと修行してクロエさんみたいに空からバシャーって水を降らせるんだ!」


 ルーシーは、魔力が解放され魔法が使えるようになったことが余程嬉しいようだ。

 それまで抑えられていた欲望が、まるで一気に爆発するかのようにそれらを飲み込んで成長していた。


「俺はちょっとポポスのじいさんのところに行ってくるから、ルーシーは出発できるようにちゃんと支度しとけよ」

「はーい」


 

 それから少しばかり歩くとミレノアールは、聖樹マリアリベラの根元にあるポポスの部屋へとたどり着いた。

 相変わらず扉の向こうからは、肌を焼き尽くすようなビリビリと凄まじい魔力を感じる。

 コンコンと扉をノックして中に入る。


「おはよう、ミレノアール殿。来ると思っとったよ。今日はルーシーのことではなく、お前さんのことじゃな?」

「さすがは予言者。なんでもお見通しなんだな」


 ミレノアールは見透かされた思いに少し戸惑ながらもポポスの前に座った。


「俺の魔力がなかなか戻らない。なあ、じいさん……どうしてだか分からないか?」

「そうじゃの。儂が見た限り、お主の魔力は十分戻っておる。ただ自分でその魔力に蓋をしているようにも見えるんじゃが」

「蓋をしている? 自分でか?」


 ミレノアールは、驚きのあまり自分の拳で自分の胸を「ドン!」と打ち付けた。


「そうじゃな。まるでルーシーに施されたような封印を自分で無意識にかけているようじゃ」

「そうか……ここに来る途中で一度だけ、魔力が戻ったような気がしたんだ。じいさんなら、なんとか出来ないか? ほら、ルーシーにしたみたいに」

「お主の場合は、自分で何とかするしかないのぅ。ほれ、自分の意識を変えられるのは、自分次第じゃ。ただ手遅れになるとその蓋、一生開けることが出来なくなるぞい」

「おいおい、脅かさないでくれよ。一度覚醒した人間の魔力が無くなるなんてことあるのかよ?」


 ミレノアールは、思わず天を仰いだ。


「お主のように長い間一切の魔力を断ち切っていれば、それも有りうる話じゃろうて」

「あー勘弁してくれよな。これじゃあルーシーに追い抜かれるのも時間の問題かー」

「ルーシーは少しづつ魔女の道を進んでいるようじゃのぉ」

「おかげさまですごい勢いで魔法を覚えていってるよ」

「ふぉ、ふぉ、ふぉ。それは頼もしい」


 ポポスがいつものように舌をペロッと出すと、ミレノアールはそれを見て少しホッとした。

 しばらくの間、ミレノアールとポポスはそんな会話をしていた。

 しかし敢えて、ポポスの予言である『世界を滅ぼす者』には触れなかった。

 昨晩パウルに聞いた「100年前、予言を託した魔女」の話を思い出したからだ。

 

 だが別れ際、最後にポポスが言う。


 「未来は変えられる。それを忘れるでないぞ」


 ミレノアールはその言葉を受け取ると、里の出口へと向かった。

 そこには既に多くのエルフたちが見送りに来ていた。そこにはもちろんマシェリやパウルの姿もある。


「ミレ様、これは我らがエルフのお守り、精霊石です。必ずや天のご加護がありましょう」

 

 マシェリは、透き通るような緋色の宝石をペンダントトップにしてミレノアールに渡した。


「ありがとう。マシェリも元気でな。またエルフの里にも来るよ」


 ミレノアールは、受け取った精霊石のペンダントを早速身に着けた。

 その隣ではルーシーもエルフの友達との別れを惜しんでいる。


「ルーシーいつか……きっとまた会おうね。その時はもっと凄い水属性の魔法を教えてあげる」

「ありがとう! ! 次会うときは私も、もっとスゴイ魔女になってるから!」

「だからシャロロだっ……ああー! ちゃんと呼んでくれたぁー」

「当たり前じゃん、もう間違えないよ!」


 妖精のシャロロは大粒の涙を流して泣いている。


 マシェリからルーシーへは、眩い青藍の精霊石をプレゼントした。


「わぁ! 綺麗! アネゴ! ありがとう!」

「うん。私の可愛い相弟子だもんね。ルーシーちゃん、ミレ様を頼むわよ」

「おいおい、弟子に心配されるほど落ちぶれちゃいないぞ」


 マシェリにもミレノアールの魔力が、昔に比べてほとんど失われていることはわかっていたが、なるべく心配を表に出さないようにしていた。


「それでミレ様、これからどちらに行かれる予定ですの?」

「ああ、次はルーシーの育った孤児院のある街に行く。そこで魔導士リンドルに会う」

「え!? リンドル先生に?」

「そうだ。いいか、ルーシー。リンドルはお前に関わる重要な人物だ。これからのこともあるし、早く会っておくに越したことはないだろう」

「わかった……」


 ルーシーは、少し浮かない表情で答えた。


「では、パウル様の空間魔法で街の近くの森まで転移しましょう。ルーシーちゃん、街の名前ってわかる?」

「うん! スティーレだよ」


 マシェリとパウルは世界地図を覗き込むと街の名前を探した。


「アルバノン王国の最北にある街ね。その10キロ南に森があるのでそこにしましょう」

「直接、街には飛べないのか?」

「私たちエルフが使う空間魔法は森にしか行けないのです。残念ながら……」

「いや、いいよ。パウル頼んだぞ」

「ああ、わかった。任せておけ。」


 ミレノアールとルーシー、そしてパウルとマシェリが森の出口へと向かう。


「そうだ、マシェリ。もしここにクロエが来たら、俺たちは『スティーレ』という街に向かったと伝えておいてくれないか。クロエの師匠に会いに行くのだと言ってくれればいい」

「わかりましたわ、ミレ様。私もクロエのことは心配ですが、こちらに来ることがあれば必ずお伝えします」


 パウルが空間魔法を使うと、その場に眩い光と共に異空間が現れた。


「さあ、行け。ミレノアール、ルーシー。またいつか会おうぞ」

「ああ、パウルもありがとうな! じゃあなマシェリ!」

「バイバイ! アネゴ! パウルさん!」


 ミレノアールとルーシーは、異空間へと飛び込んだ。


 そして二人は、ルーシーの育った街『スティーレ』に向かうのであった。

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