難病に生き難病に死す
近衛源二郎
第1話 異変
ある日の夕刻、京都のとあるファミレス。
一階がガレージになっていたので、店は二階に上がらなければならなかった。
入店するための階段。
ここで僕は、自分の足に異変を感じた。
足に力が入らない。
不安と違和感はあったものの、友人達との楽しい語らいの一時、食事の後のコーヒーまで数時間。
その数時間が、異変も違和感もなくした。
そのファミレスが、都合よく国道1号線に面していたことも良かったのか悪かったのか?
僕は、そのまま夜勤の仕事へと向かった。
ゆっくり進行する難病の場合、こうしたことが、早期発見を、遅らせてしまう。
人間とは不思議なもので、自分だけは大丈夫なのである。
痛いとか、息苦しくなければ、病院へ行こうとは思わない。
僕も、この時は同様だった。
約10年ほど昔に、交通事故にあい、かなりの重症を負った。
後遺症かも程度の考えだった。
この日から三ヶ月は、何事もなく過ごして。
僕は、異変をまったく忘れていた。
そんな中、ある日の夕刻、JR大津京駅前にあるショッピングセンターの屋上駐車場で、息苦しさを感じ、いつもの救急診療病院に向かった。
血液検査の結果、心不全がもっとも怖そうとのことで、一晩の入院の後、通院治療を、開始した。
動きが鈍くなったのは、糖尿病ではないかということ。
検査の結果、まだまだ非常に軽いものの、糖尿病の症状があることがわかった。
しかし、身体が動きにくいのも事実。
ほっておくわけにもいかないということで、糖尿病性体幹障害という病名を付けて、身体障害者の認定を、受けることに。
杖を突き、食事療法を行い、まだまだ元気に働いていた。
そんな中、なんでもない場所での転倒が増えて、あまりの不思議に、再度病院にて受診。
『これは、違う病気が疑われますね。明日、もう一度血液検査に来て下さい。』
担当医師の言葉に不安を覚えながら、当日は帰宅。
翌日、午後からの出勤前に病院に向かった。
『私が考えている病気は、球脊髄性筋萎縮症という病気です。』
初めて聞く病名、何が何だかわからないまま、採血の部屋に行った。
『検査の結果なんですが、遺伝子の検査がありますので、約1週間程度かかります。』
担当医師の説明を、夢うつつで聞いていた。
遺伝子検査とか、ただ事ではない。
球脊髄性筋萎縮症って、どんな病気だ?
職場で、先輩社員や上司に相談しながら、病気を、グーグルで調べると。
良いことは、書いてない。
どんどん不安や悲しみが増してくる。
しかし、まだ病名が確定したわけではない。
癌の告知でも、かなりの気を使うみたいですが。
難病の告知でも、気をつけてほしいとは思いますね。
癌の場合、病名が即死亡を、イメージさせますが。
難病の場合、大多数の人は大事の意識が持てないでしょう。
それほど簡単に、軽傷であるかのように告げられるのです。
重ねて申し上げますが。
球脊髄性筋萎縮症は、ALS等と同じ神経難病。
原因不明で治療法がまだない、いわゆる不治の病。
いったん発病してしまえば、絶対に治ることのない、筋肉が萎縮(つまりは、筋肉が痩せて動けなくなる)ことが確定する病気です。しかも数十年におよぶ闘病で寝たきりになる病気です。
そう、人生の一番重要な時期に、動けなくなるという事実を突き付けられるのです。
もちろん、その不安と悲しさ、悔しさは計り知れないものがあります。
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