前章エピローグ

 豪華な調度品が並ぶマンションの一室。

 黒いスーツの上に白衣という奇妙な出で立ちの女が、一人の男と面会していた。

 女は【幻想の魔法使い】。男は非合法な活動を生業なりわいとしている組織のトップである片角一充かたずみかずみつだった。

 革張りのソファに座る二人の間には重厚な石のテーブルがあり、その上に紫色の布が広げられている。

 【幻想】はこの世ならざる空間から一つの箱を取り出し、その布の上に置いた。


「……これが証拠だって?」


 一充はいかにも胡散臭そうに言った。

 彼は魔法使い全般を毛嫌いしている。この街、いや、この世界においても珍しい部類の人間だ。

 【幻想】は答えず、黙って箱の中からいくつかの白い布に包まれたものを取り出した。そして対面の一充に、開けてみろ、と目で促す。

 一充は後ろに控えていた部下に命じて、それを開けさせた。用心深いと言えば聞こえはいいが、それは彼の本質である小心な内面を物語っているようだった。

 布の中からは、黒いゴムの切れ端、同じく黒い布の切れ端、毛髪の束、何本かの人間の歯が出てきた。


「彼が身につけていた靴、服、そして頭髪、歯です。指紋や歯の治療痕を照合すれば間違いないと分かるはずです」

「こんなもの、アンタたち魔法使いならいくらでも作れるんだろう」


 猜疑心さいぎしんの塊のような一充の言葉を受けて、【幻想】は愚かな子供を見るような表情でため息をつき、静かに頭を振ってから、再び幻想の空間より何かを取り出した。

 どん、どん、とまるで食器でも置いていくかのように無造作に並べられる、人間の下顎、先端のない足首、潰れた目玉、どこのものとも知れない肉片、手の指が数本、血のしたたはらわた……。


「ま、待て! 分かった、もういい!」


 次々と陳列されていく人体のパーツを前に、一充はとうとう観念したように叫んだ。


「……この足首の手術痕は覚えている。あいつが小学校に上る前に骨折した時のものだ」


 それまでの威勢はどこに行ったのか、一充は突きつけられた現実を受け入れたらしく、力なく呟いた。


「御遺族のお気持ちを逆撫でするような真似をしてしまい、申し訳ありません」


 【幻想】は感情のこもっていない声で謝罪した。


「元一が……俺に黙って眷属になっていたとはな……クソ……もっと厳しくしつけるべきだった……」


 一体誰のせいでそうなったのか……この父親は、永遠に己の過ちに気付くことはないのだろう。

 試験管の中で無為に動き回る虫を見るような目で【幻想】は一充を見つめ、それから頃合いを見計らったように切り出した。


「……彼自身が直接、害獣のテロに加担していたという証拠はありません。しかし【空手の魔法使い】は自らの眷属に命じ、彼を殺害させました。彼を殺したのは……武敷むしきショウ、という少年です。あなたもよくご存知かと思いますが……」


 武敷という名前を聞いた途端、しおれていた植物がぶわっと蘇るかのように、一充の目が見開かれて、そこにどす黒い炎が宿った。


「武敷……武敷だと……? あのじじいの孫が、俺のたった一人の息子を殺したっていうのか……? 俺の……俺の後を継ぐはずだった……一体どれだけの手間と金をかけたと思ってやがる……」


 悪魔に取り憑かれたかのようにブツブツと独り言を繰り返す一充を見下ろして、【幻想】は珍しく微笑を浮かべた。


「御遺体は調査が終わり次第、荼毘だびに付してお返し致します。この度はご愁傷さまでした……」


 心にもないお決まりの文句を添えながら、【幻想】はどこからともなく現れた古い引き戸を開けて、その中に消えていった。



 ◆



 追悼式の日に起きた害獣によるテロは、外部からの応援で来た眷属が一名死亡したものの、一般人の死傷者はゼロだった。

 あれほどの大事件にもかかわらず、道路や建物への被害も軽微だったのは、奇跡的としか言いようがなかった。


 あの後、私が目を覚ましてから十分もしないうちに、空手様が私たちのいる洪水調節水槽(街に大雨が降った際に水没を防ぐために作られた地下空間をそう呼ぶということを、後で宝威さんに教えてもらった)に駆けつけてくれた。

 空手様は破壊された床や柱をざっと眺めると、「後は自分に任せるっす」とだけ言って、私たちを追い出してしまった。

 その後、私は何度か空手様から事件当日の聞き取りをされたが、肝心な部分を忘れてしまっている私の証言はあまり役に立ちそうになかった。


 夏休みが終わり、新学期を迎えた最初の日、私とりりのは中庭で揃って放心していた。

 始業式が始まる前にクラスの担任から、元一が夏休みのうちに他の街の学校に転校してしまったというむねを告げられたのだ。

 二時間の短い授業とホームルームを終えた後、中庭で馬鹿みたいに口を開けて寝転がっている私を見たりりのは、「何やってんのよ……あれ、元一くんは?」などといつも通りの調子で話しかけてきたのだが、私が担任に聞いたことを話すと、彼女もまた私と同じように口を開けて、ころんと横に転がってしまった。

 お互い何も話さずに、どれだけそうしていただろうか。

 突然ガバっとりりのが跳ね起きて、何やら決意みなぎる瞳で私を見た。


「元一くんの家に行って、話を聞こう」

「え……今から?」

「そうだよ! だって家族全員が引っ越したって訳じゃなくて、元一くん一人だけが別の街に行くなんて、明らかにおかしいでしょ!?」

「そりゃまあ……」


 そうなのだ。私が担任にしつこく詰め寄った結果、家族はまだこの街にいるが、何故か元一だけが他の街で一人暮らしをすることになったということを聞き出した。

 どうしてなのかと聞いても、担任は家族からそう説明されただけで、詳しいことは何も分からないということだった。

 元一の特殊な家庭事情をかんがみれば、そういうこともあるかも知れない……と思っていたのだが、りりのはどうしても納得がいかないようだった。


「わかった。私も一緒に行くよ」


 しかし、結論から言うと、門前払いだった。

 元一のマンションは確かにそのままだった。ところが、入り口の管理人室にいる強面こわもてのおじいさんに、元一の家族と話がしたいといくら頼んでも、頑として聞き入れて貰えなかったのだ。

 元一さんは他の街の学校に転校した。どの街か、どこの学校かは教えられない。家族は忙しいので話をする時間はない。……何を聞いてもそれだけだった。

 帰り道、私たちの足取りは重かった。

 まるで世界から色が一つ消えてしまったかのようだった。

 元一は一緒に歩いていてもほとんど話さなかったのに、こうして本当にいなくなると、ひどく静かになってしまったような気がした。


「……決めた。私、旅に出る」


 突然、りりのが言った。


「他の街に行って、全部の高校を回るの。聞き込みでもなんでもして、元一くんを探し出す」

「それは……りりの……」

「だって! ……まだ私……さよならを言ってない。元一くんと、もっと話をしたい。元一くんの声が聞きたい。元一くんの顔が見たい。転校の理由を教えてくれなくてもいい。ただ私は、もっともっと、元一くんと一緒にいたいんだよ……!」


 それは悲痛な叫びだった。

 りりのがやろうとしていることは、この狭い世界でならば、時間はかかるが恐らく不可能ではないことなのだろう。

 ただし、それは何のしがらみもない、普通の人間であればの話だ。

 私たちは眷属だ。この戸越街を守る義務がある。

 長期間この街を離れることを、空手様が許してくれるかどうか……いや、そもそも学校だって辞めることになるかも知れないし、そんなことは家族が許さないだろう。

 でも、それでも。

 手の中に持っている全てを投げ出してでも、りりのは行ってしまいそうな気がした。

 ……ああ、きっとこれが恋なのだ。

 私の中には、こんなにも熱くくすぶる火種はない。

 私はそれが無性に悲しくて、りりのが流すものとは全く違う涙を、一つぶだけ流したのだった。

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