10 追悼式3

 そろそろ追悼式が終わる時間だ。

 とはいえ、最後の献花は参列者の数などによって終わるまでの時間が前後する。

 明確な終了時刻は決まっていないため、私たちは空手様からの指示があるまでは壁上の巡回を続けることになっていた。


「害獣、出たのかな……ここからだと全然分かんないけど……」


 りりのが少し不安げに言った。

 今日は元一も追悼式に参加しているはずなので、もしも害獣が現れていたらと思うと、心配せずにはいられないのだろう。


「空手様がいるんだから、家にいるより安全かもよ」


 気休めではなく、割と本気でそう思う。

 魔法使い様たちに宿る魔力は、眷属のそれとは比較にならない。量もそうだが質が違う。眷属から見れば、魔力を体から切り離して長期間維持できるという時点で常軌を逸している。この足元の壁に薄く広く通された魔力ですら、私たち眷属が破るのは困難を極めるだろう。

 だから私は何も心配していなかった。

 例え追悼式で何が起ころうとも、魔法使い様がいれば問題はない。

 ……ただし、それは魔法使い様の目と手が届く範囲に限った話だ。

 この壁の近くで何が起きたとしても、魔法使い様は助けに来てはくれない。私たちがミスをすれば、それだけで全てが無に帰す可能性がある。

 そんなことを考えていたせいだろうか。

 過敏になっていた私の目は、起きてはならないイレギュラーを捉えてしまった。


「りりの……あそこ、見える?」


 私は壁の外側を監視していたりりのを呼び寄せて、壁の内側、さびれた建物の近くを走る二つの人影を指差した。


「あれ、カラオさんじゃん。ペアの水野さんも一緒だ。どこ行くんだろ……っていうかカラオさんたちって私たちの二つくらい隣の担当だったよね?」


 そう、壁上を巡回しているはずのカラオくんペアが、何故か街の中を疾走していたのだ。

 見下ろす私たちには目もくれずに、ひたすらどこかを目指して走っている。


「りりの、あっちの方向に何か大きい建物とかあったっけ」

「えーと……あっちは確か浄水施設があったと思う。中学の時に見学に行ったことがあるんだけど」


 その答えを聞いて、私は即座に壁から飛び降りた。

 着地地点に首無しを生成して衝撃を緩和し、そのままカラオくんたちが走っていった方向へと駆け出す。

 相手はかなり速い。だが、これ以上距離が開くほどではない。


「ちょちょ、アンタなにやってんの!」


 槍を足場にすることで速度を得たのか、りりのもあっという間に私に追い付いてきた。


「りりのも来たんだ。まあいいや、一緒に行こう」

「いや、ていうか壁! 仕事! どうすんの!」

「仕事なら今やってるでしょ。空手様の言ってたこと忘れたの?」

「言ってたことって……え?」


 妙な動きをする眷属がいないか注意すること。

 持ち場を放棄して一目散に浄水施設を目指しているカラオくんたちの行動が、妙でないはずがない。


「何それ、どういう意味?」

「人をたくさん殺すのが目的なら、わざわざ壁なんか壊す必要はないってこと。街に害獣を侵入させるなんて大それたことをしなくても、例えば……水道水に毒を入れるとか、方法はいくらでもある」

「ちょっと……嘘でしょ? それ、カラオさんたちがやろうとしてるってこと?」

「まだ分かんないけど、いきなり妙な行動を取った理由を聞く必要はあると思う」

「だからってアタシたちまで持ち場を離れるのはヤバくない?」

「だから一人で行こうと思ってたんだけど……勝手についてきたのはりりのなんだけど……」

「そっ、そんなのアンタが勝手にどっか行くからでしょ! 心配になるじゃん!」

「……それは確かに。ごめん。ていうかさ、ぶっちゃけあの壁、普通の眷属に壊せると思う? 少なくとも私の武器じゃ無理。カラオくんが十人くらいいたら一時間もすれば穴くらいは開けられるかもしれないけど、そんなの絶対気付かれるし」

「ショウコちゃんの象なら壊せそうじゃん」

「象はまあ……あれは別。何か怖いからできるだけ使いたくないし」


 前の二人を追跡しながらのシリアスな場面にもかかわらず、何故かいつものように会話が脱線し始めた頃、浄水施設の敷地が見えてきた。

 周囲をぐるりとフェンスで囲まれた敷地の真ん中に、思っていたよりも小さな建物がポツンと一つだけ建っている。

 フェンスの入口は開いていた。破られたような感じではなく、元々ずっと開いたままなのかも知れない。

 その入口に、人が倒れていた。


「うわ……この人、応援で来てた投擲の魔法使い様の眷属だ。顔合わせの時に見た覚えがある」


 若干青ざめた顔でりりのが言った。

 私は全く覚えていなかったが、ここも街の外れとはいえ重要な施設には違いないので、一応警備に来ていたのだろう。

 私たちが倒れている彼に慌てて駆け寄ったり声をかけたりしなかったのは、既に手遅れであることが一目で分かったからだ。

 彼は鋭利な刃物で背中をばっさりと斬られていた。地面に広がる大量の血液が、その傷の深さを物語っている。

 周囲に争ったような破壊の痕跡はなかった。顔見知りの犯行か、あるいは完全に不意を突かれたか。


 建物に入ると、何故か人の気配が全くなかった。中は思っていたよりも狭く、味気あじけないオフィスと言った感じだ。

 カラオくんの魔力を探ると、地下に移動しているようだった。

 れるような思いでエレベーターを待ち、私たちも地下へと降りる。

 扉が開くと、そこは思いのほか天井が高く、遠くまで開けた空間だった。奥には水で満たされた巨大なプールのようなものがいくつも見える。

 他の部屋に通じる扉の近くに、見知った背中を見つけた。


「おや? どうしてお二人がこんな所にいるでやんすか?」

「カラオさんこそどうして……」


 私はりりのが話し終わる前に無言で彼女を押し退け、自分とカラオくんたちとの間に狐を生成した。


「ちょっ、ショウコちゃん!?」

「下がってて、りりの」

「……これは穏やかではないでやんすな」


 カラオくんも腰のナイフに手をかけた。隣の水野さんはあわあわしながら私とカラオくんを交互に見ている。彼女は無関係なのかも知れない。


「カラオくん、外にあった死体はどうしたの?」

それがしたちが来た時にはもうあの状態だったでやんすが……なるほど、何か勘違いをしているようでやんすな」

「ふーん……どうかな……」


 まさに一触即発といった雰囲気を、突然、スパーンという軽快な音が打ち破った。

 それはりりのが私の後頭部をぶっ叩いた音だった。


「なにやってんのよバカ! カラオさんがそんなことする訳ないでしょ!」

「じゃあ誰がやったって言うんだよう」

「あの……まずは某の話を聞いて欲しいのでやんすが……」


 剣呑けんのんな空気は一瞬でグダグダになってしまった。どうも私たちにはこういうのは向いていないらしい。

 カラオくんの話によると、彼らが壁上の巡回をしている時に、挙動不審な人物が壁に近付いてきたのだという。その人物はカラオくんたちに気付くとすぐに逃げ出してしまった。カラオくんは空手様の言いつけを最優先事項と考え、壁上の巡回を中止して不審人物の追跡を始めた。

 ちなみに水野さんは壁の上に残っていてくれと言われたのに、一人でいるのが心細かったので、カラオくんについて来てしまったのだという。……なんだかどこかで聞いたような話だ。

 逃走スピードから考えると、その不審人物はどこかの眷属と見て間違いないようだった。しかも魔法で気配と姿を消せるらしく、この建物に入った後は完全に足取りを見失ってしまったのだという。


「追跡している時も何度か姿を消されたでやんすが……時々姿を現してくれたおかげで、ここまで追ってこれたでやんす。恐らく何らかの制限がある魔法で、ずっと姿を消し続けることは出来ないのでやんすな」

「だから入り口で殺されていた眷属は背中を斬られていたのか……姿を消した敵に不意打ちされて……」


 彼は敵に気付くこともなく、一撃でやられたのだ。だから争った形跡もなかった。

 訳も分からないまま死んでいくというのは、一体どんな気持ちなのだろうか。


「姿を消せるなら殺す必要ないじゃん……なんなの、そいつ」


 りりのは明らかに犯人に対して腹を立てていた。

 私も同じ気持ちだった。他の二人も、きっと。


「人を殺すことに躊躇ためらいがない、危険な相手でやんす。しかしここまで来てまた見失ってしまって……」

「それ、ショウコちゃんなら見つけられるんじゃない?」

「もうやってる……気付かなかったけど、確かに変なモヤモヤがいるね。姿を消せるって言ってたけど、魔力もここまで消せるのか……集中しないとすぐ見失いそう」

「えっ本当に分かるの? どこどこ?」

「けっこう奥……なんか広めの空間みたいな所で止まってる」

「ふうむ、止まってるということは待ち伏せか……あるいは罠の可能性が高いでやんすが……まあ行くしかないでやんすな」


 既に眷属が一人殺害されているという現状は、どう考えても非常事態だ。

 しかし、危険だからといって追跡を諦め、全てを空手様に丸投げするという選択肢はなかった。ここで相手に時間を与えてしまえば、もっと被害者が増えるかも知れないからだ。

 とはいえ、空手様への報告は必要だ。そこで私たちは公正な話し合いの結果、水野さんに報告に行ってもらうことにした。

 一人になるのが寂しくてここまで付いて来てしまっただけあって、最初のうちは「え、嫌ですけど……」と渋っていた水野さんだったが、カラオくんが説得するとあっさり了承してくれたのだった。


 広い池がいくつも見える通路を進み、巨大なタンクが立ち並ぶ部屋を通り抜ける。

 静かに機械が作動するような音が聞こえてくるが、ここに来るまでに施設の関係者らしき人を全く見かけなかった。元からそうなのか、犯人がそうしたのかは分からない。

 出口の扉を開けると、ちょっとした体育館のような広い空間に出た。


「いた! 奥にいる!」

「えっ、どこ?」


 奥の扉の前に、フード付きの黒いコートを着た男――性別までは分からないが、かなり背が高いので便宜上、男ということにしておいた――が立っていた。フードを目深に被っているため、顔は一切見えない。

 奇妙なことに、相手の姿をよく見ようとすればするほど、焦点がうまく合わなくなってしまう。


「……某には見えないでやんす」

「アタシも誰もいないように見えるけど、そこにいるの?」


 どうやら二人には男の姿すら見えていないようだった。

 固有領域を常に展開している私にはかろうじて見えているが、気を抜くとすぐに見失いそうになる。

 ゆらりと男の腕が動いたような気がした。

 次の瞬間、四ツ足の害獣が部屋を埋め尽くしていた。

 大小様々な個体が所狭しとうごめき、こちらに気付いたものから問答無用で襲いかかってくる。


「何これ!? 犯人がやったの!?」

「まさか害獣を呼び出す魔法とは……にわかには信じがたいでやんすが、こいつらは本物でやんす!」


 応戦を余儀なくされる私たちに背を向け、フードの男は奥の扉からするりと出ていってしまった。


「まずい、逃げられた!」

「ショウコちゃん、ここはアタシたちが食い止めるから、追って!」

「追うったって……この害獣の群れ……!」

「犯人の姿が見えるのはショウコ殿だけみたいでやんすからな。ならばここは某に任せるでやんす」


 カラオくんが腰から二本のナイフをずらりと引き抜くと、そのほとばしる魔力に圧倒されて周囲の四ツ足が一瞬ひるんだ。


「続くでやんす!」


 言うが早いか、カラオくんはあふれ出る魔力の尾を引きながら、弾丸のような勢いで害獣の群れに飛び込む。私とりりのも慌ててその後に続いた。

 まるで海を割る神話のように、彼の行く手をはばむあらゆる障害が吹き飛んでいく。

 駆け抜ける私たちの背後から、割れた海が元に戻るかのように害獣が殺到してきた。

 先に突き当たりまで辿り着いたカラオくんが扉を開けて、早く来いと身振りで伝えてくる。私は地面を転がるような勢いで扉の向こうへと飛び出すと、重い音を立てて扉が閉まる直前に、こちらに背を向ける彼らのかたわらに狐を生成した。

 私は一人離れても、二人と共に戦うことができる。

 この時ほど自分の武器を誇らしく思えたことはなかった。

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