幕間 緊急会議

 古めかしい木組みの床。壁には大きな黒板。アナログの時計と四角いスピーカー。反対側の壁には小さなロッカーと掃除用具入れがある。

 今ではこの世のどこにも存在しない、とある小学校の教室である。

 学級会のように四角く並べられた席に座っている出席者たちは、年齢も性別もバラバラだった。彼らに共通しているのは、全員が魔法使いということだ。

 もう五月だというのに、窓の外にはしんしんと雪が降り積もっている。

 溶けない雪、そして燃えるような赤い空に踊るオーロラが、この世界全てが幻であることを証明していた。


「皆さん、忙しい中お集まり頂き感謝っす」


 議長席の【空手の魔法使い】が会議の始まりを告げた。

 彼女の右隣には、見るからにやる気のなさそうな【幻想の魔法使い】が座っている。左隣は空席である。


「いやマジで忙しいんだけど。オレ仕事中なんだけど」

「僕もこの後打ち合わせがあるから早めに終わらせて欲しいなあ」


 さっそく不満の声がいくつか上がるが、それも仕方のないことだった。なにせ、一ヶ月前に定例会議を行ったばかりだったのだ。

 魔法使いは基本的に多忙である。加えて、会議のために集まるとなると、一時的に全ての街から魔法使いが消えることになり、かなりのリスクを伴う。なので会議は最低限、半年に一度だけ。さらに本人は実際には移動せず、魔力による思念体を【幻想の魔法使い】が作った幻想の世界に送るという形をとっていた。


「じゃあサクッと本題行くっすよ。皆さん、二日前に自分の眷属たちが害獣の大群に襲われた件はご存知っすかね?」


 【空手】は、がやがやと騒がしい声をスルーして本題を切り出した。

 ぐるりと皆の顔を見回すと、既に知っているという顔、知らなかったという意外そうな顔など反応は様々だったが、ひとまずこちらの話を聞いてくれる姿勢はできたようだった。


「一応簡単に説明しておくとっすね、二日前の一七三○ヒトナナサンマル時、合計十三組のチームがほぼ同時に、人型・四ツ足混合の群れに襲われたっす。チームはそれぞれ数百メートル以上離れていたっす。自分はこれを人為的なものと断定し、今日皆さんにお話をうかがおうと考えた次第っす」

「人為的って……ンなことして何の意味があるんだ?」


 赤い髪が特徴的な魔法使いが突っかかる。


「理由は色々考えられるっすけど、恐らく反魔法使い的思想を持った眷属……あるいはかつて眷属だった者たちの仕業じゃないかと自分は思っているっす。なので、皆さんには当日自分の眷属がどこにいたか、何をしていたかをインタビューさせて欲しいっす」


 そう言って【空手】は一呼吸置いた。

 当然この説明はフェイクであり、ただの口実に過ぎない。

 魔法使いたちの中には何やら突っ込みたそうな顔をしている者も見えたが、それよりも早く終わらせて欲しいという気持ちのほうが強いらしく、特に反対意見は出なかった。


「それでは一人ずつ聞かせてもらうっす」


 ●【投擲の魔法使い】

 見た目の年齢は二十代前半。真っ赤に染めた髪を逆立てているが、その派手な頭とは対照的に、きっちりとしたダークスーツを着込んでいる。

 固有魔法は投擲の魔法。自分以外の様々なものを遠くに飛ばすことができる。

 その魔法の汎用性と精度はかなりのもので、魔法使いたちの中でも一、二を争う戦闘能力を誇るため、東京国の首都である市ヶ谷の管理者に任命されている。


「二日前の夕方だろ? シフトに入ってる眷属は全員出勤してたけど非番のヤツまでは知らねえな。新人は訓練中だった。教育係が張り切ってしごいてるのを見たぜ」

「【投擲】はその時間は何をしてたっすか?」

「ああ? 仕事だよ仕事。お偉方の集まりがあるってんでオレも現場で警護の指揮を取ってたっつーの。偉そうなやつ捕まえて聞いてみろよ」

「なるほど……参考になったっす」

「なあ、オレもう戻っていいか? 今日中に仕上げねえとマズい書類があんだよ」

「あ、いいっすよ」


 ●【変異の魔法使い】

 見た目の年齢は三十代半ば。ゆるくウェーブのかかった髪と、ほんわかとした印象の顔、そして程よく丸みを帯びた体がどこか母性を感じさせる。

 食糧やエネルギーといった致命的な問題をことごとく解決し、更に未来を切り拓く可能性を秘めている彼女の魔法は、この国の人間にとって最も重要なものの一つである。

 しかしその魔法の特異さ故か、彼女の戦闘能力は他の魔法使いと比べていちじるしく低いため、常に護衛の魔法使いと共に生活している。


「私、眷属いないんですけど……」

「あー、それじゃあ当日何をしていたかだけ教えて下さいっす」

「おとといの五時頃は……そうね、お夕飯の準備をしていたかな。彼も一緒に手伝ってくれてたの」


 ●【除湿の魔法使い】

 サーファーのような風貌の自称二十九歳。実年齢はもう少し上だったに違いないと他の魔法使いたちからは噂されているが、今となっては確かめようがない。

 じめじめした夏を快適に過ごしたいという願い(本人談)から生み出された除湿魔法は、任意の範囲内に存在する水分を己の固有領域に転送することができる。

 蒲田農場の管理者であり、悪天候が続く時期は除湿魔法によって農場上空の雲を消して安定した日照時間を供給するという重要な役割を担っている。

 この魔法は戦闘にも使える上に非常に強力なため、【変異】の護衛として長い間一緒に暮らしている。

 普段はお調子者。


「【除湿】が夕飯の準備っすか? アンタそんなキャラじゃなかったっすよね?」

あなどるなよ、俺だってたまには気を利かせるんだぜ」

「たまにはって、自慢になってないっすけど……ええと、農場周りで何か変わったことはなかったっすか?」

「変わったことねえ……そういや三日くらい前かな。ウチの眷属が壁の外で幽霊を見たっつって騒いだことがあってさ。夜中に白い人影が走ってたんだと」

「それ、実際に何か確かめたっすか?」

「もちろん。そいつが見たって言う辺りを昼間に調べたらさ、なんと白いビニール袋が落ちてんの。もうガックリ来たぜ」

「……ふーん、そっすか。じゃあ次――」

「おい俺が滑ったみたいな感じにするなよ!」


 ●【光の魔法使い】

 見た目の年齢は高校生くらいで、実際に市ヶ谷にある高校の制服を着ている。

 ベリーショートの金髪に、耳にはずらりと並ぶピアス。失われつつあるロックの魂を持った魔法使いだが、腰にはその外見に似合わぬ日本刀を下げている。

 千駄ヶ谷農場の管理を任されており、天気が悪い時期にはそのやたらとピカピカ光る魔法で農場に光を当てている。本人はもっと格好いい舞台に立ちたがっているが、いかんせん他に替えがきかない魔法なので今後も異動の予定はないらしい。

 他の魔法使いたちからは『ヒカリ』と呼ばれている。


「あたしはいつも通り、一日中害獣のヤロウをぶっ飛ばしてたよ。眷属はみんなヒューの所にやってるから知らね」

「何か変わったことはなかったっすか?」

「別にぃ? 数も強さもいつも通り、ちょっと減ってもすぐ元に戻るし、別に強くもならねーし。あたしゃもう退屈で死にそうだよ」


 ●魔法使い ヒューア・メロード

 彼は唯一、二つ名を持っていない魔法使いであり、さらに唯一の白色人種である。

 見た目の年齢は五十代前半。ブラウンの髪と黒い瞳。銀縁の眼鏡をかけており、半袖の白衣を着ている。【幻想】が着ているようなコート型ではなく、いわゆる町のお医者さんが着ているようなタイプの白衣だ。

 彼は固有魔法を持たない代わりに魔法使いなら誰でも使える五行の魔法を徹底的に鍛え、それぞれの属性魔法を固有魔法と見紛うほどのレベルにまで高めたという例外だらけの魔法使いである。

 元々外科医だったため魔法使いとなった今でも医療機関で働く傍ら、眷属による眷属を取り締まるための特殊組織も取り仕切っている。さらに高井戸の管理者でもある。

 人間からも魔法使いからも頼りにされている、最も多忙な魔法使いである。

 ちなみにヒューア・メロードというのは本名ではなく、本人が夢のお告げで聞いたという謎の言葉。


「一昨日のその時間は会議だったよ。昨日はミーティング、今日はこの後打ち合わせだ。明日も会議がある。オーケー? 眷属のほとんどは警察に預けてるからそっちに聞いて」

「オーケー、忙しい中ありがとうっす、ヒュー」

「どういたしまして」


 ●【時の魔法使い】

 御年八十二歳にして厄災を生き延びた、最高齢の魔法使い。

 上品に整えられた短い髪は綺麗な白髪で、スッと背筋を伸ばした姿からは気品がにじみ出ている。

 彼女の固有魔法は日本標準時を正確に刻むという魔法。といっても、これは厳密な標準時ではなく、厄災の日以前に最後の時報を彼女が聞いた瞬間から刻まれているものである。

 最も害獣の力が弱いとされる青砥の管理者。魔法使いたちからは親しみを込めて『トキさん』と呼ばれている。


「わたくしが力になれることなんてあるかしらねえ」

「トキさんもそのくらいの時間は駆除っすか?」

「そうね、眷属の皆さんと一緒に街の周りをぐるっと一周していたわ。欠席した子はいませんでしたよ」

「何かいつもと変わったことはなかったっすか?」

「これと言って特に……害獣の数もそれほど多くなかったわねえ」

「そうっすか……じゃあ次は――」


 ●【撃滅の魔法使い】

 身長二メートルを超える年齢不詳の大男。漆黒の長髪を背中で結び、灰色の着物を着流しにしている。目が細く、常に笑っているように見える。

 彼が使う固有魔法は、どれだけ硬いものでも必ず貫くことができるという撃滅の魔法。貫けるものの厚さは彼の目で文字が読める程度の距離まで。つまり、大抵のものは貫ける。

 また、懐に短刀を一本忍ばせている。これは名付きと呼ばれる変異種から採取した未知の鉱物で作られたもので、【光の魔法使い】が持っている刀と対になっている。

 荒川貯水池の管理者だが、武者修行と称してしばしば遠出してしまう癖がある。


「異常なし」

「はい。えーあと残っているのは……【予言】は今日は欠席っすから……ん?」


 ふと【空手】の前にどこからともなく黒電話が現れ、けたたましくベルを鳴らし始めた。

 隣の【幻想】を見ると、電話に出て、というジェスチャーをしている。

 なんだかよく分からないまま、【空手】は受話器を手に取った。


「もしもし?」

「もしもォーし! こんにちはァー、【予言の魔法使い】でェす! さっそくですがお名前を教えて下さァい!」

「……空手っすけど」

「オーケー! 聞きましたか皆さん! というわけで、本日のシークレットゲストォ! 【空手の魔法使い】さんとお電話が繋がっちゃってまァーす!」


 受話器から聞こえる音は、【幻想】の計らいによって壁のスピーカーから全員に聞こえるように設定されていた。

 やけに良く通るバリトンボイスの後ろには軽快な音楽が小さく流れている。そう、ラジオである。このラジオ番組、『予言の魔法使いのショータイム・オールデイ』のパーソナリティこそが【予言の魔法使い】だった。

 彼は天気を予測する魔法を使い、それを東京国の国民に広く伝えるためにラジオパーソナリティとなった。当初は天気予報を伝えるだけだったが、その親しみやすいキャラクターやトークが好評を博し、今ではほぼ一日中ラジオで喋っている。悩み相談のコーナーが人気。

 江古田の管理者であり、害獣の駆除もきちんとやっている。一度、駆除の様子を中継しようという企画が持ち上がったことがあるが、試しに録音してみたところ色々とヤバいということでお蔵入りになった。


「いやー、久しぶりでもないか、一ヶ月ぶりだねえ。今日はなんでも緊急で聞きたいことがあるんだって?」

「えーと……一昨日の夕方五時頃は何してたっすか……?」

「おおっとォ、この質問が出るということはァ、【空手】ちゃーん、僕のラジオ聞いてくれてないね?」

「ハハ……」

「そう、夕方五時からはァ、天気予報を挟んでェ、リスナーと直接電話しちゃうお悩み相談のコーナーがあるんですよ~! 知ってた?」

「知らなかったっすねぇ」

「んー残念。今日もあるから、もし良かったら聞いてみて下さいねェ。あ、そうだ、そこにヒューはいるかな? またゲストに来て欲しいなァ」

「ヒューはもう帰ったっす」

「オー、バッドタイミン!」

「……もう切るっすよ」

「オーケーシーユー! 今度はぜひスタジオに遊びに来て下さいねー!」

「……」


 チン……という黒電話の受話器が置かれる音とともに、スピーカーからの放送もプツッと音を立てて途絶えた。

 何とも言えない空気が流れる。


「……何で電話繋いだんすか?」


 隣の【幻想】に黒電話を返しつつ、【空手】は無機質な声で質問した。


「気がきいてるでしょ」


 【幻想】は何食わぬ顔で答えるが、【予言】がラジオの生放送で会議を欠席することは、この場にいる全員が知っていた。その上であえて、普段から便利に使われているささやかな仕返しとして生電話を繋いだのである。

 悪戯いたずらであることは確かだが、気を利かせたと言われればその通りでもあるため、文句を言う訳にもいかない。むっつりと押し黙る【空手】を見て、【幻想】はほんの少し溜飲を下げるのだった。

 

「えー……では最後」


 ●【シールの魔法使い】

 黒のギンガムチェックのワンピースに、胸の前に垂れた二本のゆるい三つ編み。小学校低学年にしか見えない彼女の姿は、この教室に一番馴染んでいた。

 あるいは【空手】の意見を聞いた【幻想】が、それとなく意味を込めてセッティングした結果なのかも知れない。


「おとといは……大森のちかくで害獣を狩ってた」


 やや舌っ足らずな言葉を聞いて、魔法使いたちの間に若干気まずい空気が流れる。

 大森の街は彼女のせいで滅んだようなものだ。そして彼女は自分がしてしまったことに大きなショックを受け、彼女なりの罪滅ぼしのために、しばしば大森の跡地を訪れて害獣を駆除しているのだった。その行為にどんな意味があるのかは分からなかったが、魔法使いたちはそれを黙認していた。

 だが、【空手】だけはそういった目とは違う眼差しを彼女に向けていた。


「何か変わったことはあったっすか?」

「ない」

「害獣の数は? 多かったっすか?」

「ふつう」

「そっすか」


 悪気はなかったとは言え、取り返しのつかない失敗を犯してしまった【シール】には、他の街の管理やそれに準ずる仕事を任せる訳にはいかなかった。

 かと言って、他に彼女の魔法を活かせる仕事などほとんどない。せいぜいスーパーの値札貼りがいいところだ。

 なので仕方なく、彼女にはそれぞれの街の間を自由に行き来してもらい、異常の早期発見と遊撃的な害獣駆除を担当してもらうことになった。簡単に言えば「適当に動いて適当に害獣を倒して適当に自分で仕事を見つけてくれ」ということだ。

 だからこそ、【空手】は【シール】を疑った。なにせ彼女には最初からアリバイがないのだ。彼女がいつどこで何をしていても、それを知る手段はほとんどない。


「それじゃあ、【シール】は今回の件、どう思うっすか。人為的なものか、それともただの偶然か」

「……偶然じゃないとおもう。ただ……」

「ただ?」

「眷属にできることじゃない。できるとしたら、魔法使いだけ」

「……なるほど。参考になったっす」


 【シール】の発言に内心で驚いていたのは【空手】だけではなかった。

 十三ものチームを同時に包囲するほどの害獣を動かすなど、それこそ国中の眷属が集まらなければできないような芸当であることを、魔法使いたちは承知していた。そしてそんな大規模な組織が動いているならば、誰も気付かないはずがない。つまり最初から――これが本当に人為的な事件であるならば――魔法使いが犯人である可能性が高いと誰もが心の底で思っていたのだ。


「……あ、一応【幻想】にも聞いておかないとっすかね」

「一応ってなに……私に眷属はいないし、第一私はその事件の真っ最中にあなたに付き合わされてたんだけど……」

「いやーその節はお世話になったっす。でも一応、【幻想】の魔法なら可能じゃないかなんて言い出す輩がいるかも知れないっすから」

「はぁ……私がそんな面倒なことするわけないでしょ……」

「ま、そうっすよねー」


 誰もが魔法使いの仕業ではないかと思いながらも、決してそれを口には出さないようにしていた。緊急会議まで開いたからには、【空手】には何か策があるのだろうと見込んでのことだったのだ。

 だから【シール】の発言は当然のように黙殺された。しかし、あえて言わずにおくべき推測を堂々と口に出してしまったことは、結果的に会議が終わった後も魔法使いたちの心の中に小さな疑念を残すこととなった。


「……さて、皆帰ったっすね」

「うん、間違いなく全員帰った……」

「……どうだったっすか?」


 と、【空手】が質問したのは、【幻想】に対してではなかった。【空手】の左隣、空席だったはずの場所からすうっと霧が晴れるようにして老人の姿が現れる。


「うーむ……嘘をついている方は、【空手】様以外にはいませんでしたな」


 立派な白髭をたくわえた禿頭とくとうの老人は、たっぷり五秒ほど瞑目めいもくしてから答えた。

 彼は魔法使いの眷属ではない。しかしその特殊な生まれのためか、生来せいらい嘘を見抜く能力を身につけており、この能力は魔法使いにも有効だった。

 今回【空手】は【幻想】に協力してもらい、あらかじめ彼を幻想の世界に連れてきていた。そして姿を消した状態で会議の様子を見てもらっていたのだ。

 いかに魔法使いと言えど、この幻想の世界の主によって隠された人間を事前情報なしに見つけることは困難を極める。


「【シール】も嘘をついていなかったということっすか?」

「左様。言われた通り注意して見ましたが、疑わしい色は全く出ませんでしたな」

「うーん……」

「ただ、【予言】様については顔が見えなかったのでなんとも……」

「まあ彼は最初からシロだと思っているので大丈夫っす。……今日はご協力感謝っすよ、元蔵」

「いやいや、【空手】様のお願いとあっては断る訳にはいかんのでね」

「それじゃ【幻想】も、今日はありがとうっす。自分は元蔵を送っていくので一緒に出るっす」

「……そう」


 教室の扉をくぐると、そこはもう元蔵の屋敷の前だった。

 二人はほとんど会話もないまま母屋に入り、足早に元蔵の私室へと入る。後ろ手に扉を閉めると、どちらともなく小さく息を吐いた。

 この元蔵の私室には限られた者しか入ることができない。当然、【幻想の魔法使い】は一度もこの部屋に入ったことがない。

 彼女の魔法は幻想の世界を作るのと同時に、その出入り口を自分が訪れた場所ならどこにでも自由に設定することができる。故に、【空手】と元蔵は【幻想】の耳が届かないこの部屋に入った。【幻想】の言葉に嘘の色が見えた場合は五秒間目を瞑るという、あらかじめ二人の間で決めてあったサインを彼が出したからだ。


「……【幻想】がクロっすか」

「いや、そこまではっきりとしたものではないが……彼女の言葉には微量の偽りが混じっとりました」

「具体的には」

「『そんな面倒なことをするわけがない』という言葉。これは嘘ではないが、何か別のことを隠すために言っているような……そんな色でしたな」

「はあ……彼女が一枚噛んでいる可能性を考慮して動く必要が出てきてしまったっすね……。しかし、今回の会議で犯人が一発で分かると思ったんすけど、そう上手くはいかなかったっすねえ」

「魔法使い様なら、何らかの手段で本心を完璧に隠してしまうことも可能かも知れませんからな……お役に立てず申し訳ない」

「いやいやそんなことないっすよ。元蔵のことはいつでも頼りにしてるっす」


 話が一段落した所でようやく、張り詰めていた空気が解けたようだった。


「そうだ、せっかくだから今日は一緒に夕食でもどうですかな。ウチの酒もちょうど新しいのが出始める時期でして」

「そうっすねえ……」

「ん? わしの顔に何か付いてますか?」

「いやー、ついこの間まで赤ちゃんだった元蔵が、すっかりおじいちゃんになってしまったんだなあと思って。何度経験しても寂しいものっすね、置いていかれるのは」

「ほっほ! こりゃまた贅沢な悩みだ。わしはあと百年は生きたいと思っとりますよ」

「……元蔵なら余裕っすよ。とても九十には見えないっすもん」

「あなたにそう言われると、まだまだ頑張れる気がしてきますな……」



 ◆



 暗い、穴蔵のような部屋の中に、青白く光る小さな水晶がいくつも浮かんでいた。

 【幻想】がその一つに軽く触れると、それは宙を滑るようにして他の水晶にぶつかり、そこから連鎖的にぶつかっていく水晶たちが神秘的な音色を部屋中に響かせる。

 その音に耳を傾けながら、少々面倒なことになったなと【幻想】は思った。

 簡単な解決方法はいくつかあるが、今はまだ動くには早過ぎる。

 何かきっかけがあれば……。

 一つの水晶を手に取り、指先に軽く力を込めただけで、それは儚い音色を奏でながら砕け散った。

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