5 魔法少女1

 私はあの後すぐに、家に戻る時間も惜しんでおじいさんの屋敷を訪れていた。

 ちょうど六狼さんが来ていたので、宝威さんも交えておじいさんに報告と説得をしようと意気込んでいたのだけれど……。


「ほう、眷属のお誘いか。ショウくんがやりたいならやってみなさい」

「さすがは坊っちゃん。魔法使い様に認められるってのは名誉なことらしいんで……ま、命の扱いだけは慎重になさることです」

「ショウさんが望むならやってみるのもいいでしょう。ただし戦場に出るということは命をかけるということです。それだけは忘れないで下さい」

「兄貴ィ、そいつぁ今俺が言ったのと同じことですぜ?」

「……大事なことだ。二回言ったっていいだろ」


 反対されるかもしれないと身構えていたのが馬鹿らしくなるほどあっさりと、全会一致で魔法使い様の眷属になることが承認されてしまった。


「一応……書類とか見ないんですか? 色々と説明があるみたいですけど……」

「それを見てわしがやっぱり反対だと言ったとしたとしても、絶対にうんと言わせてみせるぞと思っとるじゃろ?」

「はい」

「ほっほ! 素直じゃのう、この目を使うまでもない。それにな、そもそもわしはその中身を読む必要がないのよ」

「どういういことです?」

「そこに何が書いてあるか知っているということじゃ。のう、二人とも?」


 そう言って、なぜかおじいさんは六狼さんと宝威さんに目配めくばせをした。


「へへ、まあそういうことですねェ」

「……親父の言う通りです」


 二人とも面白そうに頷く。

 状況がさっぱりわからない私は、六狼さんが笑みを浮かべているのはレアだな……などと、どうでもいいことを考えながらポカンと口を開けていた。


「わからんかね。この二人も眷属なんじゃよ」

「えっ、そうなんですか!?」

「まあちょいとワケアリですがねェ」

「……俺たちはそれぞれ別の魔法使い様の眷属だったんですが、理由わけあって今はその庇護ひごから離れているんです」


 全然気付かなかった……。まあ確かに契約書にも『みだりに眷属であることを吹聴ふいちょうしないこと』という注意書きがあったから当然と言えば当然か。ということは、案外身近なところにも眷属の人がいたりするのかもしれない。

 その後、無事おじいさんから署名をもらい、私もその場で署名をして押印おういんした。

 ついでに夕食を御馳走になり、例のごとく肉のフルコースでお腹を膨らませてから、ようやく帰途についた。


 一人、静かな部屋の中で改めて書類に目を通す。

 ついに願いが叶う日が来たのだ。

 代償は命がけの戦場に身を差し出すこと。実に分かりやすい。

 心の中に恐れはなく、闘志だけが静かに燃える。

 興奮して眠れないかもしれないと思いつつ布団に入った所で、ふと気がついた。

 ……この書類、どこに持っていけばいいんだろう?


 次の日、全ての授業を上の空で過ごした私は、帰りにあのビルに寄ってみることにした。

 というか他に何も手がかりがない状況では、もう一度魔法使い様と出会った場所に行くしか選択肢がなかった。


「今日はちょっと寄る所があるから、一人で帰るね」

「そうか」

「あら珍しい。まあ私も今日は用事があるから先に帰……あーっ、せっかく片角くんと二人っきりで帰れるチャンスだったのに!」


 後半は私にだけ聞こえるように絶叫するという器用な真似をして、りりのは走り去っていった。どうせ元一と二人で帰っても何も話せないだろうに……。


 二日連続で一人で帰るのは初めてだった。会話をする相手がいないと、取り留めのない考えばかりが次々と浮かんでしまう。

 このまま昨日のビルに行ったところで、実際問題として魔法使い様に会える可能性はあるのだろうか。なにせ全く何も約束をしていないのだ、下手をすると夜まで待っても会えないかもしれない。せめて連絡先くらい教えておいてくれても良かったのに。もしくはこの書類の中に郵送先を書いておくとかさ……。何一つ手がかりがないっておかしいでしょ……。

 それに昨日だって、魔法使い様がどこかへ行ってしまった後、私は延々と非常階段を降りるハメになったのだ。なぜ魔法で降ろしてくれなかったのか。どうもあの魔法使い様はどこか抜けているような気がする。こちとら人生をかけて願いを叶えようとしているのだから、無駄に不安にさせないでほしい。

 などと頭の中で愚痴をこぼしながら歩いていたら、例のビルが見えてきた。


 ビルの屋上を見上げた瞬間、浮遊感が全身を襲い、視界が回転した。

 昨日味わったのと全く同じ感覚だ。ここに来て正解だったという安堵感と、一声かけてから運んでくれという気持ちを同時に抱きつつ、私は空高く舞い上がっていった。


「いや~、申し訳なかったっす」


 昨日と同じようにビルの屋上に着地すると、まるでデジャヴのように同じ調子で声をかけられた。振り返れば、当然そこには昨日と同じ格好の少女がいる。白い道着にジャージのハーフパンツ。頭の後ろで結んだ短めの髪がチャーミングな空手の魔法使い様だ。

 私は何と返事をすればいいかわからなかったので、とりあえず鞄から封筒を取り出して、彼女に手渡した。


「書いた後どこに持って行けばいいか言ってなかったっすもんね……面目ないっす……いやーしかしここに来てくれて良かったっす。ナイス機転きてん


 彼女は封筒を受け取りながら、軽い調子で言う。


「……うん、大丈夫っすね。それじゃ早速契約しちゃいましょう」


 書類にざっと目を通した魔法使い様はそれを懐にしまうと、ちょっとコンビニ行きましょう的なノリでそう言った。


「えっ、今ここでですか?」

「そうっす。実はこのビル誰も入ってないんすよ。この辺りは空き家が多い地区でして……そうそう、四ツ足の害獣なんかが街中に現れたら普通はタダじゃ済まないんすけど、昨日は幸い誰もいなくてよかったっすねえ。これまでは人型ばかりだったけど気を引き締めていかないとっすね……」

「……はあ」


 なんだか話が途中から明後日の方向に飛んでいった気がするが……私はまだちょっとふらつく視界を持て余しつつ、フェンス越しにぼんやりと地上を見下ろした。

 確かに全くと言っていいほど人気ひとけがない。昨日はよくあれだけの野次馬が集まったものだ……。


「あっ、また話が逸れてしまったっすね。えーと、つまりこのビルには人はいないし、この辺りは他に高い建物もないので、見られる心配がなくて契約の儀式にはちょうどいいということっす」

「わかりました」


 わかったので早くやってくれという気持ちを言外に込めつつ、素直に頷く。


「ちょっと怒ってるっすか?」

「いいから早くやってください」


 結局言っちゃったよ。偉大なる魔法使い様には最大限の敬意を表さなければならないのだろうけど、どうもこの人と話していると自分の中のツッコミ属性が顔を出してしまう。


「了解っす。それじゃ……おーい【幻想】、ちょっと鏡と椅子出して下さいっす!」


 魔法使い様は私の無礼な言葉を気にした様子もなく、虚空に呼びかけた。

 すると何もない空間から椅子と鏡がポーンと飛び出して、魔法使い様の頭に直撃する。


「痛い! なにするんすか!」


 椅子は保健室にあるような背もたれのない丸い椅子で、鏡はお店にあるような全身が映る縦長たてながのタイプだ。どちらも頭に直撃したら痛いでは済まないはずなのに、魔法使い様には怪我ひとつないらしい。


「……便利な道具みたいに使わないでよ」


 どこからともなく声が聞こえた。女の人の声……空手の魔法使い様より少し年上のような声だ。


「その椅子と鏡はどこから……っていうか今の声誰ですか?」

「あー、彼女は【幻想】っす。自分らマブダチなんすよ」

「あなたが私を勝手に利用しているだけでしょ……」


 また聞こえた。声は届くが姿は見えない。

 【幻想】というのは恐らく、二つ名のことだろう。【幻想の魔法使い】様……聞いたことのない名前だったが、たった今起きた超常現象を見れば、彼女が本物の魔法使い様であることを疑う余地はなさそうだ。


「それじゃ、ショウさん。とりあえずこの椅子に座って目を閉じるっす。いいっすか、魔法の力は願いの力っすよ。自分の願いを強く持つっす」


 色々と気になることはあったが、空手の魔法使い様は儀式を優先してくれるようなので、わざわざ自分から水を差すことはないだろう。

 指示されるまま、小さな丸い椅子に腰掛けて目を閉じる。

 するとひたいにそっと指が触れた。


「開…………今こそ……力を……」


 空手の魔法使い様が小声で呟く声が途切れ途切れに聞こえてくる。

 呪文の詠唱だろうか。なんだかいかにも魔法っぽい演出にワクワクしてくる。

 ほんのりと額が暖かくなってきたかと思うと、突然曼荼羅まんだらのような模様が視界いっぱいに広がった。

 それらの模様を形作る線の一本一本は絶えず動き続けており、目まぐるしく形を変え、ぐるぐると回転していく。

 まるで巨大な万華鏡の中に閉じ込められたかのように、色と形に飲み込まれそうになる。

 私の自意識は大海に漂う発泡スチロールのように何度も何度も沈んでは浮かび、気を抜くと無意味な思考の洪水が何もかもを押し流してしまいそうだ。

 制御できない言葉の奔流ほんりゅうに溺れそうになりながら、息継ぎのように少しずつ思考をまとめ、ようやく私は一つの真理を得た。

 これまで私自身が絶対的に信じていた『私』というものは、この肉体を生かすために脳が作ったシステムの一つに過ぎず、それは気を抜けば簡単に壊れ、また必要であれば新たに作り直されてしまう。私とはただその程度のものでしかないのだ。

 私は脆く、可変で、どこまでも自由だ。

 なればこそ、今ここで魔法の力でもって『私』を確定し、因果の流れに逆らい、『私』自身が肉体を作り直す。


『魔法の力は願いの力』

『魔法の強さは願いの強さ』

『あなたの願いは何?』


 私の願いは――





 気が付けば、思考の洪水も、曼荼羅の万華鏡も消えていた。

 通り過ぎていく風の音が心地よく聞こえる。肌を暖める陽の光の角度を感じる。

 目を閉じていてもたくさんのことが分かる。

 手を伸ばせば届く距離に空手の魔法使い様が立っている。いや、今ちょうど一歩、もう一歩下がった。私をじっと見ている。

 あらゆる感覚が鋭敏えいびんになり、心身のあらゆる不調は消え、全てが安定している。


「さあ、目を開けるっす」


 目を開ける。

 空手の魔法使い様の隣に、彼女の身長よりも大きな鏡が置かれている。

 その中には見知らぬ少女が座っていた。

 いや、私はこの少女をよく知っていた。

 私が立ち上がると、鏡の中の少女も立ち上がる。

 ああ、やっと出会えた。


「はじめまして」


 私はこの日、魔法少女になった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る