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人間というものは自分勝手である。日本人も例外ではない。
おもてなしや助け合いなど、誠実なイメージをする人も多いだろうが、私が思う日本人という民族は、他の人種と引けをとらない位、自己本位・内向性が強い民族のように思う。
例えば、日常の1シーンから考えてみる。老人が顔を少ししかめながら荷物を手に下げ歩いている。杖を突いている。さて、周りの人は助けているだろうか。自分は助けに行くだろうか。
私は助けに行ったこともあれば声をかけられなかったこともあった。手を貸そうとする際に勇気が伴っているのだ。これは甚だおかしな話に思えるが私は妙なプレッシャーを感じたのだ。癇癪を起されたらどうしようとか、普通に断られてもショックだし…と考えているのである。要は取り越し苦労である。無論、声をかけられなかった時の気持ちは今も覚えている。
ありがとうと言われたら嬉しくなる、というとても悪く言えば打算的な人(動機としては何らやましいものではないと個人的には思う)もいれば、興味すらない、目も向けられないほど忙しい人もいると思う。だがそれって、自分のことしか考えていないのと同意ではないだろうか。自分が忙しいから困った人を見ようともしていない訳だ。極論かもしれないが、美しい国日本でもこんなもんなのだ。助け合いなぞいくつかの美談が取り上げられるにすぎない。日常は残酷なまでに他人から避けたがっている人で溢れている。喧嘩をツイッターで撮っている人と言えばわかってくれるだろうか。この例えの方がよかったかもしれないな。
ではなぜ日本人は優しい、礼儀正しい、真面目な存在とまことしやかに語られているのだろうか。
皆が皆そうでないといけない訳ではないが、真の意味でそう、胸を張って言えそうな人はいるのだろうか。
私は、「自分に自信を持てない・持つことができない」意識があるからと思う。面倒ごとと思った瞬間、その空間から去ろうとするのである。そうやって不干渉でいることで、その場では自己が安定するから。別にそういう意識が悪い訳ではない。集団的にそうあるが故に、つながりは薄れ、思いやりが消えていく。無意識に他者のことを慮れなくなる。「空気を読む」なんて言葉もあるが、逆にKYな人の方が多いと思う。遠慮ばかりするのがKYという意味で。
簡単に行動に移せる民族性を持ち合わせていないのは、不幸というほかないが、歴史に名を残してきた人はみな行動している。これが、間違いこそあれ、行動することの正当性を示しているのではないかと思う。勇気を振り絞り、一歩ずつ、自分から他人に向けて行動していけば、真の意味で日本を、日本人を誇れるようになるような、そんな気がする。
…ここまでさんざん自分も属する民族を批判してみたが、あまりいい気持ちではない。だが、認めることは必要なのではないかと思い、書いてみることにした。滅茶苦茶な文かもしれないが、まとまらなくても一発で書ききることにしている。ずっと思ってきたことを言葉にすることは難しいから、書きたいと思った時に一気にやってしまうのだ。賛否はあって当たり前。だから書いて、少しでも多くの人に見てもらって、考えてもらえると自分も成長出来るような、そんな気がする。
当たり前だと思っていたことでも考えてみると違った世界が開けるかもしれない。私はそう信じている。
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