鬼住う山
京正載
第1話 安息の地
街道から少し離れた、山間の小さな村。
田畑は広大で、多くの作物を実らせている。
青空を映す水田を見ていると、時間が過ぎるのも忘れるほどに、のどかな田舎の景色がそこにはあった。
少し離れた場所では今も、戦により多くの武人の命が散っているというのが嘘のよう思えてくる。
だが、それが一時の平和であることを、この村に住む誰もが知っていた。
いつまたあのような、惨劇が起こらないとも限らないのだ。
こんな平和が、そう長く続くわけがない。
その事実を、村外れの多くの墓標が物語っていた。
応仁の乱以降、諸国で幾つもの戦が繰り返される戦国の世となって、すでに十数年。
日々、血なまぐさい争いごとが日常のように起こっている。
それは、このような田舎でも同じであり、つい先日も、山一つ向こうで大きな戦があったばかりであった。
その折、逃げてきた落武者が数人、村人を襲ったのも記憶に新しい。
早くこんな恐ろしい世の中が終わらないものかと、誰もが思っていた。
戦場から逃げ出し、落ち武者となって実家があるこの村に帰ってきていた柳本厳馬も、そう願う一人である。
歳は三十歳過ぎと若いが、今までに何度も白刃の下をくぐり抜け、この世の地獄を何度も見てきた彼は、この人の世に絶望していた。
曽祖父がとある大名に仕えていた関係で、彼も戦に参加はしたが、元々が大人しい性格であったこともあり、今回の帰郷を機に、彼は刀を捨てるつもりであった。
「あんな恐ろしい場所になど、戻ってなるものか…………………」
戦場においては、何も歴史に残るような勇ましい武勇談や、名勝負ばかりがあるわけではない。
むしろ、人に語れないような愚かな行為の方が多いものである。
人間の醜い一面を垣間見てしまうことも、そう珍しい事ではない。
自分は何故、あのような場所にいたんだろう?
何気なく見上げた空は、気持ちいいほどの快晴であった。
そんな青空が、今の彼にはとても眩しく見えてならなかった。
一部の者の間で、もう室町幕府は長くはない、戦国の世もそろそろ終わるだろうと囁かれてはいたが、戦に参加していた当時、まだ下級武士であった厳馬には、上の状況など分かろうはずがなかった。
ただ、その日その日の戦を生き残ることで精一杯だったのである。
とは言え、戦況に関しては、前線にいる者の方がよく分かるもので、自分の軍勢が不利となるや、いつの間にか逃げ出す者も後を絶たなかった。
仕えていた武将も、有能な男ではない。
負戦になるのは、誰の目から見ても明白であった。
「こんな戦、俺達がいくら戦っても何にもならない」
気がつくと、厳馬は仲間数人で前線を離れ、逃げ出していた。
そして、彼らがいた軍が敗退したという噂を耳にしたのは、その数日の後のことだった。
「それ見たことか。危うく無駄死にするところだったぜ」
近江と若狭(今の滋賀県と京都府北部)の国境にある、名もない峠の森の中。
厳馬達は逃亡中の身ということもあり、ここまで隠れるように逃げてきていた。
すでに目立つような戦の装備は外していたが、それでも無意識に人目を避けて来たのは、後ろめたさがあってのことだろう。
「あ、あと少しだ」
厳馬の郷里の丹波(京都府中部)まで逃げきれば何とかなるだろうと、彼らはそんな淡い期待を抱いていたが、どうしても不安な気持ちは残っていた。
人目を忍んでここまで来るのに、途中、何の問題もなかったわけではない。
身分を誤摩化すための着物や、食料の確保をしなければならない。
そのために、途中の村を襲ったり、夜中に田や畑に盗みに入ったこともあった。
金を得るため、山賊まがいのこともした。
戦と大して変わらぬ忌わしい罪を、それまで何度も犯してきたのである。
そのせいか、町中を歩いていても、疑心暗鬼にかられ、気が気ではなかった。
周りの人間が皆、追手に見えてくる。
隠し持っていた短刀で、見ず知らずの相手を切りつけそうになったことさえあった。
そのようなことを幾度か繰り返し、ようやく厳馬は郷里に帰ってきた。
そして…………………………
今日も厳馬の里は平和だった。
のどかな光景は、各地で起こっている現実を、否定しているかのようだった。
もしかしたら、あの戦は夢だったのではないだろうか?
この景色を見ていると、厳馬にはそう思えてならなかった。
だが、そう思うと同時に、脳裏に残る、その目で見てきた惨状が、それを否定していた。
人の心とは弱いものである。
そして戦場は、ときに人を狂わせる。
生き抜くために、人は鬼にも悪魔にもなる。
だが、だからといってそれが許されるわけはない。
きっといつか、神罰か仏罰が下るにちがいないと、気が気ではなかった。
厳馬もそういった一人でもある。
ならば、せめて今のこの一時を、穏やかに過ごしていたい。
そう思い、こののどかな郷里の景色を眺めていると、
「どうなさったのですか、厳馬様?」
村娘の一人が話しかけてきた。
名を確か、多恵といったか? 十六歳かそこらの、若い村娘である。
彼女は少し気恥ずかしそうにしていた。
厳馬は今、この里ではちょっとした英雄でもあった。
彼がこの郷里に帰って来たとき、別の戦場から逃げてきた落武者に村は襲われていたのである。
しかし、丁度帰郷して来た厳馬達の活躍で、村を救うことができたのだった。
それに彼は元々この里の出、ということもあり、村人達は彼らを落武者と知りながらも、受け入れたのである。
ただ、厳馬は落武者を倒した際に足を負傷してしまい、今は松葉杖なしでは歩くことができないでいたが。
ちなみに、厳馬と一緒に来た仲間は、この里で数日休んだあと、それぞれの故郷に帰って行き、残ったのは厳馬一人だけであった。
厳馬は肩をすくめて、多恵に苦笑いで、
「いやなに、このまま村が平和ならいいなと思ってな」
「…………………はい」
多恵は顔をさらに赤らめた。
年頃の娘である多恵には、彼が立派な男性に見えた。
厳馬も、彼女が自分に好意を抱いていることには気付いていた。
だが厳馬には、その気持ちが辛かった。
この里に逃げてくるまで、自分達もあの落武者同様に、他の村を襲ったことがある。
その際、多恵と同じくらいの年頃の娘を、欲に駆られて襲ったこともあった。
自分には、彼女の気持ちを受け入れられる資格がないことを、厳馬は自覚していた。
しかしそんなこととも知らず、多恵は厳馬を慕っている。
汚れを知らぬ乙女の想いが、厳馬の胸を絞めつけた。
厳馬の悩みは他にもあった。
血なまぐさい武士をやめ、このまま農民になれば、少しは気が楽になるかも知れない。
しかし厳馬は、何故かいまだに刀を捨てられずにいた。
それは、先祖代々続く、侍の家系だったからというわけではない。
これまでの悪行に、今度は自分が襲われる側になるのでは、という不安が、最後の決心を鈍らせていたのであった。
「昨夜………………………」
「はい?」
「いや、昨夜、戦の夢を見てしまってな」
「………………………………」
今までになく、神妙な面持ちで語る厳馬の様子に、多恵はいささか戸惑ったが、黙ってその話しの続きに、耳を傾けた。
「当時、仲間と共に、その日その日を必死に生き抜くことで、精一杯だった。そのため、戦で数えきれぬ程、人を殺してきた。今思い出しても、恐ろしい記憶だ」
「苦労なされたのですね」
「人殺しの私が恐くはないのか?」
「いいえ、そのようなことは………………」
「そうか…………私は恐いよ。私の中では、戦はまだ終わっていないのかもしれない。またいつ、刀を手にする日が来ないとも知れないと思うと、手が震えて止まらないのだ。おかげで、今も戦場にでもいるような気がしてならない。いつになったら私にも、平穏が訪れるのだろうな?」
「…………………………………」
苦笑いで言う厳馬に、多恵にはかける言葉が思いつかなかった。
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