第30話 見舞い、リアリティ
国吉先生が入院している状況なのは、「何らかの事件」に巻き込まれた為。
本条先生との、第三者の視点から見れば微笑ましい光景と映ったかもしれない押し問答の末に得られたその情報を手掛かりに、もとい足掛かりとして、俺はこの青山第3総合病院を訪れた。
その時点では、少なくとも幼馴染の結衣や彼女の父親と対面した時点では、国吉先生に降りかかったとされる災難に対して同情はしたとしても、心の底から身を案じていると呼べる段階にまでは考えを巡らせていなかったと言えるのかもしれない。
心のどこかで、楽観的に物事を考えていた。
家族から面会を拒否されているという、既にどこかきな臭さを感じられる事実を今朝の時点で耳にしていたのにも関わらず、俺がそんな世迷い言を胸の内に秘めていた理由は他でもない。
この事件には、代行者の存在が絡んでいるから。
冷泉との会話で得られた「代行者の接近を許したかもしれない」情報に基づいた極めて高い可能性、それと「何らかの事件」というキーワードの両者を踏まえて考慮した結果、導き出された理由だった。
字面だけを追えば危険に危険を掛け合わせたかのような緊迫した状況ではあったものの、俺の脳裏によぎったのはそれだけでは無い。
安全装置、その存在もまた先日に知識として得ていた。
代行者は、NPCの殺害禁止という明確なルールによって縛られている。ルールを破った者に対する処罰は未だに明らかにされてはいないが、少なくとも容易く受け入れられる程度のペナルティで済まされない事実は疑いようが無かった。
そうでなければ、管理者を名乗った月影がわざわざ俺のような異分子に近い存在に対して忠告してくるはずが無い。あの男は当初の段階でこそ、俺がそのルールを盾にしてくる可能性を危惧していたようだったが、それだけ基本的なルールであり原則なのだと考えられる。冷泉に確認を取った際も、彼女自身全てのルールを把握していなくとも原則の存在に関してだけは確かに認めていた。
全ての代行者が定められたそれらを全て遵守する優等生揃いだとは……銀髪の少年のような気性の荒い参考例と遭遇した立場としてはとても言えないのだが、この原則に限ってはシンプルな内容だからこそ抜け穴に近い概念も見つけ出しにくいと感じた。
NPCを殺すか、殺さないか。
行動に起こす分には凶悪のひと言だが、理性的に動く分にはまず間違いは犯すまい。ましてやNPCを手に掛けるメリットが無いのだから、代行者が今回の「何らかの事件」に関与していたとしても、国吉先生が危機的と呼べるような状況を迎えてるとは思えなかった。
今思えば、なんて馬鹿げた思考だったのだろう。
NPCを殺してはいけないという事は――殺す手前なら何をしてもいいという言葉に言い換えられると、特別病棟なる特殊な場所に連れて来られた時点で俺は、早々に気が付いて然るべきだったというのに。
「せ、先生……」
病院長である結衣の父親が開けた扉の先に、ただ一人患者の姿があった。備え付けのベッドに横たわった国吉先生。彼の両目は文字通り――生気を失っていた。
重病人患者ならば特別な病院器具に繋がれたりもするのだろうが、ベッドの周辺にそのような精密機器は見受けられない。ましてや全身包帯でぐるぐる巻きになって吊されているような状況という訳でも無い。
布団を被っているから見えていないだけかもしれないが……先生の開かれた両目に光が全く宿っていない、その一点のみが異様であって、彼の身に起きた「何らかの事件」に関する凄惨さを物語っているかのように感じられた。
「お父さん……せ、先生に何があった、の?」
俺の背後に引っ付くような姿勢で立っていた結衣が、絞り出したに近い小さな声でそう尋ねた。今更ながら後悔の念が湧き上がる、どうして彼女の同行を俺は許してしまったのか。強引にでも、病室の前で待機してもらうべきだった。
国吉先生の患者姿は一見すれば綺麗と呼べるものではあったが、俺と違って何の事情も知らされずについてきた彼女の立場からすれば、トラウマを残してもおかしくない変貌振りを見せていた。
「よっこいしょっと」
結衣の父親はベッドの左脇に置かれていた丸椅子に腰掛けると、娘の質問に返答するかのように、国吉先生の容態について淡々と説明を開始した。
「見ての通り、と言っても説明にはならないか。国吉忠治さん、彼の症状はいわゆる認知症患者の末期症状に近い。身体的に問題を抱えている訳では無く、精神的に問題を抱えているという状態だ。無論、彼のようなまだまだ働き盛りの四十代にとっては通常考えられない症状と言えるがね。彼は今から三日前の午前十時頃、病院に緊急搬送されてきた。発見したのは通りがかりの主婦で、当時からご覧の状態だったらしい。外傷が何も無かったせいか最初はこちらも困惑したものだったが、検査を進めていく中で――精神的に強いストレスを受けた事による自我の崩壊、そんな特殊な診断結果を私は最終的に出す事になった」
「自我の……崩壊」
普通ならばあり得ない症状だろう。しかし俺は……知っている。そのあり得ない非日常さを、端的にではあったが経験していたからこそ、国吉先生の身に起こったであろう可能性を見出だすまでに時間は然程掛からなかった。
禁止ワード。
おそらく代行者は、大量の禁止ワードを国吉先生に対して浴びせたのだろうと推測した。禁止ワードを聞かされたNPCは強烈な頭痛、つまりは精神的なストレスを被る事になる。その結果、最悪命を落としてしまう可能性があると月影の奴は語っていた。という事は……自我の崩壊という国吉先生の症状は、その死亡一歩手前の段階に突入した結果なのではないか、と。
思わず、全身が震えそうになった。
一歩間違えれば、俺も先生と同様の結末を迎えていたのかもしれない。今目にしている光景は他人事じゃない、実際にあり得たかもしれない可能性をまざまざと見せつけられているような、錯覚に囚われてしまいそうだった。
「患者が発見当時に所持していた荷物からすると、君たちが通っている創世学園に向かう途中だったようだ。あの日は日曜日で、手荷物の中にジャージ類の衣服が発見された事から部活の顧問として用事があったと考えられるだろうね。もっとも、これは病院に来た警察からの受け売りだが」
「け、警察って、先生は誰かに襲われたって、こと?」
父親が別の公的機関の存在を匂わせた事で、結衣の動揺は更に強まったように見えた。俺とてその可能性を頭から外していた訳では無かったが。
「突発的な発作と考えるには説明の付かない点が多い。というより、どうやら今回のようなケースがここ一週間で何度か発生していたという話だった。対象は性別も年齢も問わずで、実際の話、突然として強烈な頭痛症状を引き起こして倒れた患者がこの病院にも何人か運ばれている。彼らの症状はいずれも軽微で国吉さんのそれと比べれば随分ましと言えたがね。しかしここまで似たような症例が続くと、警察も何らかの事件性を帯びていると見て捜査を進めているようだ」
「……犯人の目撃証言とかは、無かったんですか」
「私は警察では無いよ。もしかしたらあったのかもしれないし、無かったのかもしれない。医者として患者に対応するのが関の山という所だ」
結衣の父親からの返答は厳しかったが、立場上としては当然の話だろう。
……もしこれらの事件の全てが特定の代行者の仕業だとするならば、そいつはとんでもなく頭がいかれてるとしか思えなかった。NPCを、殺害禁止の原則をこれっぽっちも恐れていないかのように無差別に攻撃している。そもそも原則の存在すら知らされていないのでは無いだろうか。
辻褄が合わない、合理的な行動じゃない。
理性的な思考をしているとは思えない。
違う……俺はもっと早く気が付くべきだった。全ての代行者が冷泉のような人間だと思い込む事が間違いだったのだ。銀髪の少年と冷泉の二人の代行者と遭遇して、どうして前者の方を異端だと認識してしまったのか。彼らは敵を殺す為に代理戦争に参加している、人を傷つける行為に抵抗を感じているはずも無い。
穏健派のように見える冷泉にしたって、最終的な目標は彼らと同じなのだ。それは分かっていた事だ、しかし根本的な理解が及んでいなかった。
俺の住む世界、住む場所に、危険人物と黙されるであろう無法者達が辺りを彷徨いている。その事実が示す危険な現状を全く理解していなかった。
平和な日常は既に形骸化している、ここは既に戦場なのだと。
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