第23話 冷泉宅、ディターマインド
放課後を迎え、クラスメートの掃除係がどこか気だるそうな表情で箒を持ちだした頃。俺は早々に荷物をまとめて学校を出ようと、玄関ホールに向かっていた。昼休みに本条先生から教えて貰った住所へと赴くためだ。龍二にはあの後、冷泉瑠華の住所を突き止めたので見舞いがてら行って来る旨を伝えたのだが……。
「……修、まさか本当に見舞いに行くのか?」
実状はさて置き、遅ればせながらようやく探偵業として一定の成果を上げた俺に対して、どこか不審な目を向けている親友の姿があった。
「お前がそうしろって言ったんだろ」
「いや、その通りなんだが。未だ彼女と大した会話も出来てないお前にしては、意外な行動だと思ったんだよ」
流石だな龍二、俺だってつい先日の『あまり良いとは言えなかった交流』を経ていなかったらこんな事はやっていない。真っ先に結衣辺りに見舞いの代わりをお願いしていたはずだ。しかし今の俺は、どうしても冷泉に会う必要性があった。そして龍二はその理由を知り得ないし、事情を伝える事は
俺が昨日出会った
「龍二、俺だって一人の男なんだ。冷泉さんのような美人な女の子が隣の席に座ってて、このまま会話も無いまま過ごしていくのは、何というか……ちょっと勿体無い気がした」
我ながら、かなり苦しい言い訳に聞こえた。冷泉からの尋問に答えていた時にも思ったが、俺は嘘を付く行為が相当に下手らしい。
「修、お前には青山さんがいるだろうが。全く……」
龍二は怒りを通り越して少々呆れ果ててる様子だ。おそらく俺が何かしらの事情を胸に秘めてる事も察しているのかもしれない。
「まあ、青山さんとお前が最終的にどういう関係に落ち着いたとしても俺はそれを咎めたりはしないさ。ただいたずらに彼女を泣かせるような真似だけは絶対しないでくれよ、親友からの頼みとして受け取ってくれ」
だから直後の発言をした時の親友の表情は、優しさに少々の怒り、というより警告の混じった複雑な物だった事も理解していた……分かってるさ。
「ああ。今すぐ答えは出せないだろうが、その時が来るのは遅くないと思う」
――多分、この代理戦争が終わるまでには。
親友との回想を終えると、俺は玄関ホールに到着した。ちなみに話題の人物になっている結衣の方はというと、今日は友人を数人伴なった形で下校したらしい。今朝の登校は相変わらず一緒だったが、放課後にも声を掛けられたらどうするか内心不安でもあった。無論、それは結衣を避けているのではなく俺自身の問題に巻き込んでしまいたくない一心だったのだが。
謎に包まれていた冷泉瑠華の住所は予想以上に俺の家の近所で、結衣の家に向かう道の途中に当たる場所だった。むしろ結衣の家の近所と例える方が近いかもしれない。
そこには4階建ての少々古びたマンションが建っており、先日俺と結衣が会話をした公園から徒歩数分と言った距離に存在していた。転校して来てから10日以上経つというのに、よく誰も気が付かなかったものだ。
「……多分、学校が終わってから色々と動いていたんだろうな。俺の家の場所を知っていたぐらいだし」
俺はそんな独り言を呟きながら、マンションの玄関内に停止していたエレベーターに乗り込む。特別にセキュリティの厳しいタイプのマンションでは無かったのか、何か数字を入力して開けるような扉は見当たらなかった。慎重そうな冷泉の性格からすれば意外とも思えたが、大して都会でも無いこの辺の地域にその様な高級マンションが存在するとも思えなかったので、気にしない事にする。
4階、つまりは最上階のフロアの一番最奥。名札もかかっていない一つの部屋の前に俺は辿り着いた。本条先生からの情報通りならば、間違いなく此処のはずだ。早速、扉横に備え付けされていたインターホンを押してみると……少々甲高く、楽器で言えば高音の鍵盤を一度だけ触ったような、古びたマンション特有の音声が鳴った。
「……はい」
数秒の間を置いて、耳にしたことのある声が聞こえて来る。相手は、冷泉瑠華で間違いない。代行者の仕事で外出している可能性もあっただけに、ありがたい展開だった。
「冷泉、榊原だ。急に訪ねて悪い、ちょっと話があったんで先生に頼んでここの住所を聞いてきたんだ」
「……今開けるわ」
今の間は何だろう、冷泉の返答からは少々歯切れの悪い物を感じられる。間も無く扉が開かれると、その理由が何となく掴めた気がした。
「榊原君……話なら学校ですれば良かったのに、どうしてわざわざ家まで来たのかしら」
当然と言うべきかもしれないが、冷泉は私服姿だった。ただし、昨日の華やかな服装とはまるで違う柄の地味目な部屋着だ。快活なイメージしか無かっただけに俺は意表を突かれたが、それ以前に彼女の表情はどこか怒りの感情を内包させている。昨日顔を合わせた時の、微かにでも温かみを感じられた眼差しとは雲泥の差だった。
「……怒ってるか、やっぱり」
「あら、そう見えるの?」
「まあ、な」
「だとすれば、私ももう少し無表情を鍛えた方がいいかもしれないわね。とりあえず中に入って、誰かに聞かれたら面倒になるから」
そう言われて、俺は彼女の部屋に足を踏み入れる事となった。
室内は予想通り、外観から見たマンション規模相応の広さだったと言ってもいい。二人並んで歩くのがやっとの狭く、短めな廊下を過ぎると居間に出た。
右手にはキッチンが、左手には未だ陽が昇っているというのにカーテンが引かれた窓らしき物が見られた。そう言えばと天井を見ると蛍光灯が付いている。正面奥には
部屋の概要はこんな所だろうか、しかし質素ながらよく整頓されてる印象を持った。冷泉らしくないと言えばらしくないし、らしいと言えばらしい。表裏一体な印象を受ける部屋だった。
「ここには私しか住んでいないわ。部屋を調べてみたんだけど、この世界で家族と言えるような人は余所の県に住んでいるみたいね。多分これは代行者達全員に当てはまるんじゃないかしら。最初から見知らぬ同居人が一緒だと、行動に支障が出る可能性があるから」
「……?」
唐突に冷泉はそんな推測を漏らしたが、俺は言葉の意味を計り兼ねてしまう。ここは彼女の自宅のはずなのだが……まるで他人の家について語っているかのような口振りだ。
「以前にも言ったでしょう。代行者は、元々この世界に存在していたNPCと置き換わってこの世界に組み込まれるって」
「……確かにそんな事を言っていたな」
「つまりはそういう事。私は元々存在していた一人の転校生の身体、いいえ存在ごと置き換わって現実世界からやって来たのよ」
そうか……今頃になって俺は、あの時の冷泉が口にした言葉の意味に気が付いた。本来、代行者の使命を持って現実世界からやって来たはずの彼女が、どうしてわざわざ俺の学校に転校して来たのかと疑問を感じてはいたが。
理由は、元々存在していたNPCの影響。
目の前に居る彼女が『置き換わる以前』の人物。
それが転校生の立場だった、という事だ。
「言ってしまえば、見ず知らずの他人の人生を借り受けたという形なのかしら」
「……さっきの家族と呼べるような人って、それはつまり」
「私が置き換わる以前の人物、その人の家族よ」
「…………」
「榊原君の言いたい事は分かるわ。ある意味、私は既に一人の人生を終わらせたようなものだって」
……その通りだった。冷泉がこの世界にやって来た結果、彼女が置き換わる以前の人物、その人格は文字通りの死を迎えたと言えるのだから。俺のようにNPCと代行者の人格が混在、都合良く言ってしまえば『共存』しているケースは、月影の言うところの『
「私が着ている今の服装や学校の制服……全ては彼女の遺産よ。見ず知らずの他人でしかない私が、こうして肌を通す度に申し訳無いと思ってる。でも……だからこそ私は負ける訳にはいかないのよ。私がこの世界で死を迎えてしまえば、一体何の為に彼女が犠牲になってしまったのか分からなくなる」
「確かに、な」
「……怒らないの? あなたに言わせれば、既にNPCの命を奪った人間に説得されたという意味なのに」
「言えないさ、冷泉に救われた事には違い無い」
事実を並べればそうだろう。でも冷泉は……『その事実』を重く受け止めてくれていた。相手がNPCだったからと言って、その命の存在を軽く捉えてなどいない。昨日の月影のような、真逆の考え方を持っている人間との会話を経た俺にとっては、今の彼女の言葉は嬉しく感じられたのだ。
「それで、要件は何かしら。まずはそれを聞かせて」
「ああ、実は……」
俺は月影が自宅を訪ねて来た時の話をなるべく詳細に説明した。正式に代行者の一人として認定されてしまった事、NPC達に設定されているらしい禁止ワードについて、そして何故か今現在の俺がその影響を受けていない件も含めて。
そして、代理戦争に関するルールを冷泉に尋ねるよう言われた事を。
「…………」
黙って俺の話を聞いていた冷泉は、どこか意外そうな表情をしていた。自身が聞く事になるであろう話題とは、まるで見当違いな話をされているような様子。そもそも月影が俺の前に現れたという冒頭の時点から、「あの男が……?」と訝しげな言葉を漏らしていた。説明を終えると、彼女は両腕を組んで目を瞑った。どうやら考えを纏めているらしい。
数分程そうしていると、突然口を開いた。
「事情は解ったわ。つまり……私と榊原君はこれで間違いなく敵同士という訳ね」
「……そうだな」
それは、正しい認識だった。同時に俺にとっては残酷な話とも言えたし、最悪冷泉の協力を得られない可能性すらありえる内容だったのだが。
「ルールを榊原君に教える事は構わない。ただ私が本当に真実をあなたに伝えるか、それを考えたりはしなかったの」
冷泉が虚偽のルールを伝える可能性、それは正直全然考えていなかった。月影に指摘された件は関係無く、俺にはその確信があった。
「お前はそんな人間じゃない、俺を嵌めるために嘘のルールを教えるような人間が助けてくれる訳が無いだろう」
「……勝手にしなさい」
冷泉は明後日の方を向きながらそう言った。声のトーンは何一つ変わってないフラットさを維持してはいたが、多分照れ隠しのような物な気がする。それを追求出来るほど俺は器用でも無かったから、彼女が隠した表情を前向きに捉える事にした。
「それにしても、NPCの禁止ワードについては私も知らなかった事よ。軽率に口にするべき事では無いと思ってはいたけど」
「知らなかった……?」
俺を除いた代行者達は全てのルールを把握していると考えていたが、実際は違うのか。
「NPCの殺害の禁止、もしくは結果的に死に至らしめる行為の禁止。この2つについては把握してたけど、そういったワードが存在してる事までは知らなかったわね。禁止行為を守っていれば必然と口にする機会は無くなると考えたのかしら」
……果たして本当にそうなのか。月影の考えなど理解したいとは思わなかったが、何の意味も無く禁止ワードの存在を教えなかったとも思えない。
「『結果的に』死へと至らしめる行為。ある意味、それが禁止ワードだったのは理解出来るけど……そう、そんな頭痛が発生するなんてね」
「ある意味ってどういう事だ」
「今の榊原君なら分かるはずよ」
俺の質問に、冷泉は短くそう返す。しばし考えてみると……成程と思った。まさに先日の俺の行動が、その意味を物語っていると言っても過言では無かった。自分がNPCだと知らされる事に頭痛を感じようがいまいが、精神的に追い込まれてしまったのは疑いようが無い。
中にはそのまま身を投げてしまうNPCが居たとしても不思議ではないだろう、冷泉や龍二、結衣の存在が今でも俺の心をこの世界に繋ぎ止めてくれてる事を忘れてはいけない。
「……じゃあ冷泉は、知ってて俺に話してくれたのか。俺の正体がNPCだって真実を」
違反行為を働いた代行者がどのような末路を迎えるかは知らされていないが、おそらく再び戦線に戻る事は不可能なレベルだと想像する。下手をすれば、そのまま運営側に消去されてしまうのかもしれない。そして冷泉は、そのリスクを承知の上で俺の真実を知りたいという要求に応えてくれたのだ。
「確かにリスクは承知の上だった。でも遅かれ早かれ、あなたを襲ってきた少年か誰かが真実を漏らしてしまう可能性だってあったはず。それなら、私の口から伝えた方が上手に説得出来ると思ったのよ。……一般人を巻き込むのは私の主義じゃないし、これ以上『彼女』のような犠牲を生むのは避けたかったから」
下手な言い訳だなと、俺は冷泉の言葉に苦笑を浮かべそうになった。一般人、つまりNPCを巻き込みたく無いという理由は本当の事だと思う。でも、それだけじゃ無かったはずだ。
冷泉瑠華という女の子が持っている純粋な優しさ。
それが全ての答えだった、俺はそう信じたい。
「榊原君、NPCという単語に対する耐性が付いた件だけど」
「あ、ああ」
決まりが悪くなったのか、冷泉は話題を別の物に変えて来た。
「他に何か変化は無いかしら。期間で言えば、日曜日から今日までの3日間の範囲でいいから」
その期間というのは、俺のもう一つの人格が目覚めた以降という事だろうか。しかし特に思い当たるような事は思い浮かばない。返答の無い事を俺の解答と受け取ったのか。
「そう。でもちょっと気になる話ね」
淡々と一人で自己完結した様子だった。
「さて、榊原君の話はとりあえず以上でいいのかしら。現時点のルールに関して思う事があれば、それは教えるけど」
「そうだな……無い訳じゃないがひと言で纏められる程ではないし、今は置いてもらって構わない」
「――そう」
その瞬間、唐突に室内の空気が重苦しく変化した気がした。それは、本日幾度か回想した『あの時』の空気に近い。近いというだけで、当時と同様の殺気を感じた訳では無かったが……それでも鈍感だったと自分を責めざるを得ない。
冷泉瑠華は、俺の想像していた以上に怒っていたのだから。
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