第21話 管理人、エンターザ・フレイ
代理戦争の管理者、月影と名乗る男は確かにそう言った。季節はようやく桜が散る間際と言った春頃だというのに、服装を黒一色の色彩で纏っておきながらその上にロングコートまで羽織っていた男の姿は、やや時期を外している様に見える。
同時に、その風変わりな名前を耳にした俺の脳裏を霞めたのは、ここ数日の間に見ていた『奇妙な夢』の話だった。あの夢にも登場していた全身を黒服で纏った装いが、こうして目の前に出現している。あれは、現実の話だったとでも言うのか。
「……お前がこのふざけた戦いの元凶か」
考えるよりも先に、そんな悪態を口にしていた。俺が昨日までに経験した苦労や苦悩を思い起こすと、どうしてもこれだけは言っておきたかったからだ。しかし月影の反応はまるで取るに足らない事を話題にされたかのように、俺の言葉を一笑に付した。
「そう思うのは、お前が『この世界』のみしか認識していないからだ。自らの認識している尺度だけでしか物事を考えられないから、ふざけた戦いなどと安直な言葉で纏めようとする」
「何だと……」
「それに、私はあくまでも管理者であって代理戦争を運営するための役割を持った一人の人間に過ぎないのだよ。代理戦争によって私個人が得になるような事は何も無い。政府の飼い犬のような物だ」
人間、という言葉がやや強調された語気に聴こえた。……まるでお前と私は根本的に違う存在だと言われているかのようで不快な気分になる。
「お前自身が得をしないなら、どうして手を貸しているんだ」
「そのような個人の事情を他人に話す理由は見当たらんな。強いて言えば、これが私の生き方という事だろう」
月影の言葉はどこか要領を得ない。何を聞かれようが真実を語ろうとはしない、そんな意思表示を感じられる。淡々と話している口元はやや緩んでいる様に見えたが、瞳の奥はとても冷え切っていた。その表情は、以前に俺を襲って来た銀髪の少年を想起させて、こちらを鋭く威圧している。
「……一体、何の用だ」
「本来ならば、管理者である私が代理戦争に直接的な介入をする機会は無い……だが、
異常事態。その単語を耳にして、胸の内がざわめいた。
「既に感づいているはずだ。榊原修という『ただのNPC』の中に、ある代行者の人格が混在してしまった件についてだ。その混在が原因となって、先日お前は他の代行者から襲われる事となった。しかしその後、戦いに介入した冷泉瑠華の
……管理者と名乗るだけあってか、月影は先日の少年との一件やそれに冷泉が関わった事、俺の抱えている状況を一息に全て説明してみせた。既に冷泉から聞かされていた内容とほぼ合致していた事もあってか、話自体に然程驚く事は無かったが……少なくとも、只者じゃないと思える情報収集力だ。
「……原因は分かったのか」
「目下調査中だ。本来ならあり得ない状況だけに、時間を要するのは避けられまい。全ての代行者がこの世界に転移して来た日付を中心に、解析を進めてはいるがな」
あくまでも冷静に、淡々と答える月影。管理者という立場からすれば、これは失態と言っていい程度の問題が発生しているはずなのだが……。不意に浮かんだ俺の疑問を他所に、目の前の男は表情を一切崩す事無く話を続ける。
「しかし……この状況で榊原修が殺された場合、私がどう言った判断を下すか。それをお前に伝えておく必要があった。NPCの殺害は代理戦争において禁じられた『違反行為』だ、それを盾に安心して貰っていては困る」
「……何」
ちょっと待て、今重要な情報を口にしなかったか。
NPCの殺害は禁止されているだと……?
「ほう、その表情を見るからに冷泉瑠華から何も知らされていなかったようだな。所詮あの娘も代行者の一人、余計な手助けはしないという考えか」
「……冷泉がいなかったら、俺は既に命を落としている。お前の憶測で勝手な事を言うな」
「ふっ、そうだったな」
月影は、相変わらずこちらを小馬鹿にしているのか見下しているのか、何処か不快に感じられる物言いだ。出来ることなら関わりたく無い人間、俺の中でそんな印象を持ち始めていた瞬間。月影は恐らく当初から伝える予定だったであろう本題を一気に
「私にはあの状況でお前を助けた理由など見当も付かないが、はっきりと言っておこう。今この場で榊原修、お前を正式に代理戦争に参加した代行者の一人として認める事とする。たとえ『もう一人の人格』が現れようがいまいが、NPCのお前が命を落とす事をこの代理戦争のルールで問題に挙げる事はしない。……つまり、遅かれ早かれお前と冷泉瑠華は戦う定めになるという事だ。もっとも、戦う前にお前が命を落とす可能性の方が高いかもしれないがな」
「……分かった」
既に一度命を狙われた以上、この戦いから逃げ出す事は無理かもしれない。そうやって、最悪の場合を心の片隅で考えていた。違反行為の件には驚かされたが、例えルール上禁止されていようと勘違いで他の代行者から狙われる可能性が無かった訳じゃない。
確かに、戦う覚悟は決め切れていなかった。
参加認定を受けてしまった現在もそれは変わらない。
しかし……逃げるつもりも無かった。
代理戦争の戦いから目を背けない事が、
だが……それでも実際に現実を突き付けられた俺の頭の中に、『わだかまり』に近い一つの感情がチラついているのもまた事実だった。
――どうして、俺なんだ。
NPCがこの戦いに関係が無いのなら、どうして俺は戦わなければいけない。代行者が何人居るかなんて話は知らないが、それでも大半の人達が安全地帯に居るはずだというのに、どうして彼らと同じ存在のはずの俺はその中に入れなかったんだ。
「……その様子では、どうやら覚悟を決め切れていなかったようだな。NPCとは言え、一人の人間として同情しよう」
「NPCだって……この世界では人間だ。意思がある」
こちらの身を案じているかのような台詞を月影は吐いていたが、先程からの引っかかる言い回しも含めると、この男にとってNPCという存在が取るに足らないような存在にか見えていない事は否応無く伝わって来る。
「無論、そう思うのはお前の自由だ。確かにこの世界の住人は、それぞれが一つの意思を持っている。それは『人間のような』存在と表現して問題はあるまい。だがお前がそのような考えを持つのと同じで、現実世界に住む私から見れば、やはりお前達NPCは作られた存在としか思えないのだよ。この考え方の違いは差別のような物だ。決して、相まみえる事はあるまい」
「それなら、一々口に出す必要は無いだろう」
意図的かは知らないが、挑発的な言動には聞き飽きた所だ。
「ふっ、これは失礼した。だがお前に一ついい事を教えてやろう。我々は先程からNPCという言葉を当たり前のように口を出しているが、これは本来のNPCとの会話からすれば不可能な行為なのだよ」
「……どういう事だ」
そういえば……銀髪の少年から初めてNPCという言葉を聞かされた時。頭が割れそうな激しい頭痛を感じた事を覚えている。しかし翌日の冷泉との会話では、NPCに関する話をしていても頭痛は起こらなかった。
「それはNPCの人格データに仕込まれた思考、この代理戦争に巻き込まれないための予防措置と言った所だ。本来ならこの言葉は現実世界で自然に使われている物なのだが、この仮想現実では言葉自体が存在しない事になっている。禁止ワードとされている言葉は他にも複数存在するが、頭痛を感じた原因はそれだろう。運が良かったな、その状況で禁止ワードを延々と聞かされていれば最悪命を落としていたかもしれん。これも、代行者がNPCを殺害する事を防ぐ為だ」
「……冗談じゃない」
それはつまり、代行者は言葉一つだけでNPCを傷付けられるという意味だ。戦う手段を持たないNPCにとっては、恐ろしい話でしか無い。事実、俺は少年から何度も禁止ワードの単語を聞かされたのだから。
「大体、そこまでしてNPCの殺害を禁止する理由は何だ」
「それについては説明すると長くなる。ルールはルールとしてお前が把握しておけば済む話だ……自らの手で友人を傷付けたくはあるまい?」
「――お前っ!!」
思わず激情に駆られた俺の言葉を意に介さない様子で、月影は話を纏めた。
「今重要な事は、NPCであるはずの榊原修が禁止ワードを問題無く口に出来ているという事実だ。おそらくは、代行者である『もう一人の人格』の覚醒が影響を及ぼしていると考えられるが、管理者の私としても中々興味の湧くデータだ。お前の存在基盤は確かにNPCだが、同時に紛れもない代行者の一人と名乗っていい条件も満たしている。いや、もはや一介のNPCとは呼べない存在になった。私個人からすれば現実世界の人間に近付いたのだよ、お前は」
癪に障る言動に加えて、饒舌な男だと思った。確かに、夢の中の月影もこんな
「そんな事を言われようが、嬉しくとも何とも無い」
「少なくとも、私は楽しんでいるがな。お前のような不明確な存在が代理戦争をどう生き抜いていくか、多いに興味を惹かれる」
「お前のために戦うつもりは、更々御免だ」
少しだけ冷静になった俺は、他に隠しているルールが無いか月影に尋ねる事にした。代理戦争に関するルールの話なら、管理者として教えざるを得ないだろう。おそらく、冷泉を始めとした代行者達は一通りの内容を把握しているはずだ。俺も正式に代行者として認定されてしまった以上、少しでも代理戦争について知らなければならない。
「隠しているつもりは無い、ルールとして定められている事なら答えられるつもりだ。だがいかんせん数が膨大だ。それらを全てこの場で説明するというのは、骨が折れる。それに、既にもう一人の人格の方は理解している話だ。奴が戦うのであれば、お前自身が些細なルールを気にする必要などあるまい」
……実際には、もう一人の人格とまともに意思疎通すら出来ていない状況だったが、そんな事を話しても意味は無いと感じて黙っておいた。
「元々私がここを訪れたのは、お前に今の立場を分からせるためだ。何か疑問があれば、お前自身が頼りとしている冷泉瑠華に聞くとよかろう。あの娘は隠し事こそあっても嘘を付くような人間ではない」
「……冷泉の事、詳しいんだな」
「私とて、付き合いはお前と比べても短い。だが、わざわざお前を助けるような真似をしたお人好しだ。そういった人間の思考はある程度読める」
冷泉が何を思って俺を助けてくれたのか、それは今でも分からない。しかし彼女がお人好しだ、という月影の見解には同意してしまう。あの時俺が彼女の立場だったなら……敵かもしれない人間を助けようとは思わないだろう。彼女と戦う機会がいつか訪れるかもしれない、それも分かっている。
だが……余計なお世話だ。
「俺は、
「まあよかろう、私はこれで失礼する。今回の異常事態の原因が究明出来次第、再び姿を現そう。せめて、その時までには生きてもらわねば困るがな」
月影はそう語りながら俺の視界から外れるように通り過ぎると、振り返った時には忽然と姿を消していた。こうして俺は束の間の日常を経た一日の終わりに、正式な非日常の中に生きる住人となってしまったのだと再認識した。
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