第20話 相談事、エクスペクテイション
「あなたのこれまでの人生をひと言で、なんて簡単に書ける質問じゃないと思いますよ」
俺は率直に感じた意見をそのまま本条先生に対して伝えた。先生は体育座りの格好をしながら、生徒からの言葉を微笑み混じりに耳を傾けているようだった。
「そうね、これが授業ならもう少し時間を取らせてあげたかったんだけど。でもあれは私個人で勝手に用意したものだったし、あの短い時間で書いてもらう事に意味があったと思ってるの」
「意味……ですか」
「心理テストのようなもの、私はそう言ったよね。それは本当の事で、あの質問をする事で生徒の一人ひとりが、今現在に何か問題を抱えていないかを簡易的に判断する事が出来るのよ」
本条先生の話を、俺は半信半疑な心境で聞いていた。
表情に出てしまっていたのか、先生は更に説明を付け加える。
「疑ってるかな、でも直接的に悩みはない? って質問するより余程効果的な方法だと思うの。あなた達のような年頃の子は感情を内に秘めたまま吐き出したがらない傾向が強いから、ああいうシンプルな質問をした方が悩みをこぼしてくれると考えたの」
「それは……そうですけど」
「それに、自分の文章で『楽しい人生でした』って嘘を書くのは辛い事だと思わない?」
本条先生曰く、どうやらあの質問は間接的な悩み相談をクラスメート全員にするための手法だったらしい。
仮に、それまでの人生に対して何かしらの不満を抱いている生徒が居たとする。理由は昔の出来事に対してかもしれないし、今の学校生活に関する物かもしれない。
自分の気持ちに嘘をついてしまう事を憚られた生徒は、それとなく自分にしか分からないような言い回しの解答をする。しかし『楽しい人生でした』と書いていない以上、その解答は今後の様子を観察する材料にはなり得るかもしれない……という意味だろう。
「馬鹿馬鹿しいやり方と捉える人もいるかもしれない、でもストレスを抱えてる人間はどこかしらでSOSを発信してる。これは私のような大人にも共通してる話かな」
言われてみれば、俺の解答も分かりづらい内容ではあったにせよ、ここ数日の出来事を経て抱いた心境を如実に反映させた物になっていた。つまり、先生の目論見通りだったという話だ。
しかし……この方法に穴が無いわけではないと思う。
「でも先生、中にはそのまま嘘を書く生徒も居るかもしれませんよ」
「そうね、流石にこれだけで生徒達の内情を把握するのは難しいと思う。でも、嘘を書いてる生徒にも一定の特長があるの。『楽しい人生でした』と書いてあっても、それに感嘆符の記号が付いているかどうかとか。心にも無い事を書いてる人は、わざわざ『楽しい人生でした!!』とは書かないもの」
勿論、これも正確な分析材料にはならないだろうけどね。先生はそう語った。実際の効果はどうであれ、あのプリント一枚にそんな意図が秘められていたのかと俺は少々驚いた。
しかし……心理テストの意味をここまで詳しく話して貰って大丈夫なんだろうか。
「もう書いてしまった以上は隠しようがないでしょ。それに、私自身も生徒達と向き合うなら騙すようなやり方を取った事は謝らないとね。だから、ごめんね」
先生は俺に対して軽く頭を下げた。中にはこういったやり口を嫌う生徒もいるかもしれないが……俺は不思議と不快な気分にはならなかった。
その理由には先生の真摯な態度や言葉遣い、色んな要素が含まれていた気がする。そして俺は、ようやく先生がわざわざ俺の事を探していた理由に行き当った。
「それは……『俺の解答』が先生には気になる内容だったという意味ですか」
そうでなければ、こうして昼休みの時間を割いてまで声を掛けてきたりはしないだろう。一応は前向きな解答をしたつもりではあったが、先生の琴線に触れる文章だったのだろうか。
「榊原君が過去、もしくは現在にどんな出来事を経験したのか。それは分からないけど、今は立ち直って進んでいこうとする意思があるというのは感じたかな。だからこそ、心配になったと言えるんだけど」
「……? どういう意味ですか」
「今、あなたがわざわざこの場所にまで足を運んだのは何か理由があったんじゃない? 私の勘違いだったら謝るけど、今のあなたは自分で出した答えに無理矢理従おうとしてる風に思えるの。それは本当にあなたの『やりたい』事なのかな」
「それは…………」
やりたい事か、そう面と向かって尋ねられると答えに窮する。『やらないといけない』事かと聞かれれば、俺は躊躇い無く首を縦に振ったのだが。そうか……これが今の自分が割り切れていない理由だったのかと、俺は先生の言葉を聞いてようやく気が付いた。
「……事情は話せませんが、自分でもまだ整理が付いていないんです。やりたい事かって聞かれれば間違いなく違うと思いますが」
「そう。ごめんね、問い詰めるような真似をしちゃって」
本条先生は先程よりも申し訳ないという表情をしながら再び頭を下げた。先生の問い詰めに屈したつもりではなかったが、俺はつい自分の本音を吐露してしまったらしい。
「無理に事情を聞こうとは思わない。でも辛くなったら相談に乗るから、その時は遠慮なく話し掛けてね」
「……考えておきます」
そう言って、お互いに話す事が無くなったのか少々気まずい時間が数秒ほど流れた。先生は、そんな俺の感情を察したのか唐突に立ち上がると。
「さてと、もう昼休みも終わりかな。じゃあ私はもう戻るから、榊原君も授業に遅れないようにね」
そう言い残すと、学校の方向へ向かって歩き出した……と、思いきや数歩ほど歩いた途中で「そういえば」と再びこちらの方を振り返った。
「榊原君、さっき誰か女の人と話してたみたいだけど彼女? 顔まではよく見えなかったけど、私服姿だったから大学生かな」
「あぁ、それは――」
つい冷泉の事を話してしまいそうになったが、済んでの所で止めた。クラスメートのあいつが登校すれば、当然先生と顔を合わせる事になってしまう。それなら、ここは黙っていた方がいいだろう。
「榊原君?」
「いや、通りすがりの人ですよ。道を聞かれただけです」
「ふぅん。ま、そういう事にしておいてあげる。あまり変な付き合いはしないようにね」
そう言い残して、今度は振り返る事なくこの場を立ち去った。
既に充分変な付き合いになっているとは、流石に言えなかった。
本日の授業を終えると、俺は早々に下校する事にした。下校中、いつも通りというか予定調和の如く合流した結衣を引き連れての返り道。
「冷泉さん、お休みってどうしたんだろうね。修ちゃん」
「さあ。転校で環境が変わったんだし、色々疲れてたのかもしれないな」
結局冷泉は最後まで学校に姿を見せる事もなく、堂々とズル休みをした。その事情については昼休みの時間、本人の口から断片的に聞いてはいるので、隣に並んで歩いている幼馴染ほどの心配はしていない。
「修ちゃんは冷泉さんの事調べてたんだよね、何かわかったのかな?」
「ああ……そういえば結衣には相談してたな。別に何もだよ、俺からすればこのまま依頼の件を龍二達が忘れてしまう事を願うばかりだ」
実際に俺が入手した、その情報量はとてつもない程ではあった。しかし、それを教える事は結衣にはできない。結衣だからこそ、絶対に話せない事情だ。
「ふうん、そうなんだ」
「……今朝もそうだったけど、その疑ってる視線はどうしたんだよ」
「だって……もういいよ、この話は」
「……?」
今の俺にとっては、結衣が考えている事の方がよっぽど謎めいている。そんな疑問を胸の内に秘めたまま、俺達は他愛もない会話をしながら帰路についた。
いつもの調子で家の鍵を取りだすと、俺はしっかり鍵が掛っていた事を確認してから自宅の中へと入った。これでも自分なりの用心のつもりだったのだが、まさか家の中に代行者が入り込んでいるとは思えなかったので、実際のところ警戒は殆どしていなかったと言っていい。
だから、リビングにまで足を運んで驚愕した。
そこには見知らぬ男がソファの上に座っていたのだから。
「…………」
「――驚かせてしまったようだな。待っていたぞ」
思わず、息を飲んだ。同時に背中から冷や汗が流れているのを感じる。この場に冷泉は居ない、先日のような助けは期待出来なかった。
「……アンタ、代行者か」
遠回しな聞き方をする必要はないだろう。俺は単刀直入に『あちら側』の人間にしか分からない言葉を使って尋ねると、見知らぬ男はこう答えた。
「もしそうであれば、油断していたであろうお前の命はとうに断たれている。つまり……私は代行者ではないという事だ」
男はこちらの事を小馬鹿にした様子で俺の質問を否定する。油断していたのは認めざるを得なかったが、その態度に少し腹が立った。じゃあ何者だと言うんだ。見知らぬ男は遠まわしにこちらを一瞥してから立ち上がると、その素性を告げた。
「私の名前は『月影』という、代理戦争の管理人を務めている者だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます