第2話 出会い、ボーイミーツガール
「……よく寝たな」
俺が目を覚ましたのは、学校へと向かう通学路の途中にある河川敷の原っぱの上だった。四月上旬、桜咲く季節である春の晴天の日差しはとても心地よく、まだ夢見がちな身体をそっと起こすように出迎えてくれた。
それにしても、凄まじく深い眠りについていた気がする。泥のように眠るなんて言葉があるとすれば、それに近い感覚だったかもしれない。
……実際には海の底ではあったが。
「修ちゃん、早く行こ? 遅刻しちゃうよ」
物思いにふけっていた思考をかき消すように、
「人が気持ちよく寝てた所をよくも起こしてくれたな、結衣」
「ごめんね。でも、そのままにしてたらずっと寝ちゃってそうだったし」
「その気遣いが、時にはお節介ってやつになるかもしれないんだぞ」
「お節介が出来るのは、修ちゃんだけだから大丈夫だよ」
「それはそれで寂しい話じゃないか。他にはいないのか」
結衣はうーんと軽く首を上げて考え込んでみたようだった。しかし、すぐにこちらの顔を見直すと笑顔でこう返した。
「もしかするとこれから増えるのかもしれないけど、それが出来る付き合いの長い友達って、今のところ修ちゃんだけだから」
どうやらそういうことらしい。
確かに、なりふり構わずに友人の寝てる所を起こそうとする同級生がいたら迷惑に違いない。自分が付き合いの長い友達でよかったと思う。観念した俺は立ち上がりながら、身体にこびり付いていた草を払った。
「ま、いいか。確かにあのまま寝てたら遅刻確定だ。ありがとな、結衣」
「どういたしまして。修ちゃんいこ?」
そう言って、返事を待たずに結衣は学校の方へ歩き始めた。俺はいつかあの心地よい夢の続きが見れたらいいな、と思いつつ後を追いかけた。
体型は小柄で顔立ちは子供のように幼く、つぶらな丸っこい瞳をしており、髪型は昔から一貫として黒髪のショートという、初対面の人が見ればとても最近高校三年生を迎えたとは思えないだろう。女性という表現よりは、少女という名詞がしっくりと来る。
では何故、そんなクラスメートがわざわざ通学中の時間を割いてこうも親しげにお節介を焼いてくれるのかと聞かれると、彼女と俺がいわゆる幼馴染の関係でもあったからだ。修ちゃんなんて、気恥ずかしいあだ名を付けてくれた張本人でもある。
初めて出会ったのは、小学1年生の頃だった。特別家が近いという訳でもなかったが、小学校から遡ること12年間、いずれも同じ学校で同じクラス。誰が仕組んだか知らないが、奇妙な縁が続いている。
彼女と仲良くなったきっかけには、これと言って特別な出来事があったわけでもないと思う。『気が付けば』幼馴染だったような感じだ。
昨今ではどうか知らないが、当時の小学一年生というのは、名前も知らない相手でも近隣の公園で出会えば普通に遊べてしまうぐらいにパーソナルスペースという概念が存在していない年頃だったのだ。だから気が付けば、集団の輪に知らない子供が混じっていることも日常茶飯事だった。
勿論そこから学年が上がっていくにつれ、遊ぶ相手の住み分けがされていくのが自然な流れ……男の子は男の子の友達と、女の子はやはり女の子の友達と遊ぶことが増えるようになるのが普通だ。
しかし、結衣はそういう意味で普通では無かったらしい。
彼女は学年が上がってからも、周囲が始めた住み分けなどを気にせずに昔からの友達と接しようとしていた。中には女の子と遊ぶなんて恥ずかしい、そう考えて距離を置く男の子もいたようだったが、俺は残念ながら元々そこまで友達が多いわけでも無かったので特に気にせずに交流を続けていた。
そんなある日のこと。
「さかきばらくん、これからはあだ名で呼んでもいい?」
「あだ名? 変なのじゃなかったら別にいいけど」
「やった! それじゃあ……これからは修ちゃんって呼ぶね!」
……この時、あだ名を受け入れてしまった自分のパーソナルスペースの無さに関しては擁護し切れないところがあるかもしれない。今更文句を言うつもりはないが。
そんな結衣とは、普段わざわざ時間を決めて待ち合わせをする事はない。ただ今回みたいに通学中の彼女から起こされるのがいつもの習慣で、結果的に一緒に登校することが俺の日常になっていた。
「修ちゃん、今日は何時からあそこで寝てたの?」
「ん、何時からだったかな。新聞配達の時間ぐらいは過ぎてたと思う」
「その頃私まだ夢の中にいたよ……早起きはいい事だと思うけど、風邪引いちゃうよ?」
「早起きは三文の徳。結衣が起こしてくれたから、残りの二文に期待するよ」
「結局また寝てるのに、徳、あるのかな?」
二人肩を並べて学校へ向かいながら、俺達は他愛も無い雑談を繰り返している。
元々早起きをする事に抵抗はない、ただ睡眠を取ることが好きだった。人間の脳のメカニズムには夢という神秘的な概念が存在する。ふたを開けるまでどんな内容かは誰にも分からない面白さ、俺はそんな夢の世界に浸ることが好きだった。
どうせなら学校へと登校する直前までは夢の中に居たい、そんな経緯で俺は、肌寒い早朝からお気に入りのあの場所で眠っていることが多かった。
とは言え、最近では身体が多めの睡眠を取ることを求めるようになってしまったのか、授業の合間の休み時間ですら睡魔が押し寄せて来る。このままでは授業中にさしつかえるかもしれないと不安だ。
俺自身そこそこ真面目に勉学に取り組んでいるつもりではあったが、人間の三大欲求のひとつには逆らえないかもしれない。もっとも勉強が好きという訳でもなかった。
ただ『やらないといけない』事だからやっている、それだけの話だ。
ちなみに俺には、結衣の言っている風邪というものを引いた経験が無い。いや、幼い頃は引いた事もあったかもしれないが、その覚えが無かった。幸運にも健康に恵まれた自分の身体を褒め称えようじゃないか。
まだまだ半分近く夢の中にいるような感覚ではあったが、そんな事を思いつつ俺達はいつもの学び舎へと向かった。
『創世学園』と名前の書かれたプレートの前を横切って、自分達が普段通っている校舎の中へと歩を進める。ここは特別お嬢様学校や進学校などに該当する事もない、ごく普通の公立の学校だ。
ちなみに、創世学園なんて大層な名前の由来についてだが…残念ながらよくは知らない。もし気になる時が来たら調べてみよう、と入学当時は考えていた気がする。しかし三年の春を迎えて未だ、その気になる時は訪れていない。
わざわざそんなことを調べた人間が、そうそう周りに存在する訳もなかった。友達の名前の由来をわざわざ聞いたりしないのと一緒だ。興味を持たない事には首を突っ込みたくない、俺はそういう人間なのだ。
さて、先程も説明したように俺と結衣は同じクラスなので、そこまでは一緒の道を辿る事になる。しかし、教室の扉を開けてからは特に言葉を交わさない。まるで、"たまたま"同じタイミングで入ってきたかのように、それぞれの机に座るのだが……
「今日も夫婦で登校か、修」
「"たまたま"な。あと、夫婦はやめろよ」
「お前の言う、"たまたま"を俺はこれまでに何回見て来たことやら」
「別に、幼馴染だからってだけだよ」
自分の席に着いたところで、一つ前の椅子の背もたれから顔を覗かせるように
結衣ほどの付き合いではないが、中学からの同級生で腐れ縁の一人だ。元々人付き合いが上手ではない俺にとっては、親友? と評するに差し支えない存在だと思っている。
「お前な、青山さん結構人気あるんだぞ? だったら、しっかりガードしてやらないと駄目じゃないか」
「そうなのか?」
結衣が男子生徒の人気を集めているという事実を知らされて、少し驚いた。確かに彼女には愛嬌があり、昔のクラスメートからは愛玩動物のように可愛がられていた印象だった。
しかし同時に、どうして実際には色恋沙汰の話が聞こえてこないのか。その根拠もなんとなく想像がついてしまった。
「心配ご無用だよ。俺たちはそういう仲じゃないから」
「やれやれ、俺だったらほっとかないんだけどな」
「三年前に玉砕した奴が何を言ってるんだか」
「お前な、新学期早々から嫌な事を思い出させるなよ……」
その根拠というのが、目の前にいる親友との『ある一件』だった。
龍二は昔からバスケットが趣味で、今では我が学園バスケ部のキャプテンを務めている。運動神経抜群で、女子からの人気も高い(らしい)。
そんな彼は遡る事三年前の夏、中学のバスケット大会で見事全国大会への出場を果たした。そして知らせを聞いた生徒達の注目を集めながら学校へ戻って来て早々に。
「これから青山さんに告白する」
などと、驚天動地なことを言い始めた。周囲の人間からは硬派な男子生徒として認識されていた親友。しかし彼も甘酸っぱい青春を求める一人の男の子だったのだと、その時に初めて知る事になった。
当時の俺は、その告白を陰ながら見守っていたのだが。
「ごめんなさい!!」
結衣は、そんなスポーツマンとしておそらく最盛期の時を迎えていたかもしれない男からの告白を、悩む事なくあっさりと断わってしまったのだった。
おそらくその一件以来、彼女に告白しようとする猛者はひとりも居なくなってしまったのではないだろうか。これ以上に学校中から注目されるような経験をする機会もそうそうないだろう。
当のスポーツマンにはそんな裏事情など想像もついていないはずだ。結衣と同じで自分が密かに女生徒から人気を博している事を認識してないのだから。だがそれは敢えて口にしないでおこうと思う。
当時の龍二の落ち込み具合を見ている自分からすれば、結衣の話題をこちらから持ち出すのは未だに躊躇われる所がある。今回のように、龍二の方から出してきた時は別としてもだ。
「絶対青山さん、お前の事が好きなんだと思う」
「だから、なんでそうなるんだよ……」
「だってさ、彼女帰宅部だし、殆ど男子と会話しないだろ」
「それは……異性に興味が無いんじゃないか?」
実際には、昔の結衣がそうでは無かったことを他の誰でもない俺自身が知っている。しかし小学生の頃ならともかく、高校生にもなると流石にある程度は異性の友人を作る意味合いの違いがわかってきたのだろう。現在の結衣の交友関係は、俺の存在を除けば女子だけのはずだ。
「自分のことを棚に上げるのは関心しないな、覚悟はいいか?」
龍二は右拳を握って殴りかかろうする素振りを見せた。
「龍二、バスケ部のキャプテンが暴力はまずいんじゃないか?」
「大丈夫だ、多少のファウルで即退場とはならないからな」
「暴力と反則行為を一緒くたにするのはどうなんだ、それ」
そんな冗談交じりの会話を出会い頭に繰り広げていた。
それにしても、結衣が俺の事を好き、か……。
俺はチラッと、彼女が座っている席の方向を眺めた。
「青山さん。また――?」
「た、たまたまだよ」
「――、ごちそうさま」
「もう、――」
「――、ちょっと憧れるよね」
「修ちゃんは、――」
結衣は席の近くにいる女子二人と会話していた。三年生に進級したことでクラス替えがあり、あの二人とは初めてクラスが一緒になったはずだ。結衣は手探りながらも、親睦を深めようとしている様子だった。
彼女の席と俺の席は離れているから、会話の中身はよく聞こえてこない。断片的に聞こえてきた内容から察するに、今日も"たまたま”一緒に登校してきた男子生徒の話題をしていたのかもしれないな。
ただ正直な所、俺は結衣に対して『そういった』感情を抱いた事は今まで一度もなかった。いや、確かに天真爛漫と言えばいいのか見てて癒される所はあるし、あいつと一緒に居ると心が落ち着くという自覚もあった。
でも、三年前に龍二が結衣に告白すると宣言して、俺に付き添いを要求してきた時。俺はその出来事に対して、特別な感情を抱くことはなかった。
焦りの感情、「成功してしまったらどうしよう」などといった不安も一切無かった。別に、俺が龍二より男性として劣ってるから、結衣には俺より相応しい人間がいるから、なんて女々しい事を考えていた訳じゃない。
急に異性として意識する、そんな漫画のような話もあるが、あの出来事を経てもそうならなかった時点で俺の気持ちは明白なんだろうと思われる。
ただ……俺と結衣はずっと一緒に居たから、もうそうである事が当たり前に感じているだけなのかもしれない。仮に俺達の関係が変化するとすれば……それは、劇的な日常の変化って奴が必要なのだろうか。別段そんな変化が欲しいとは思わなかったが。
俺は今の平凡だけど、平和な日常が楽しかった。
結衣、お前はどうなんだ。長い付き合いになるが、お前の考えてる事は未だ俺には分からない。俺と同じで、そういう変化を求めてたりするのか?
あと一年もすれば卒業だ。お互いにどういう進路を迎えるのかは把握してないが、今までと違ってそういう道を違える機会が訪れた時。俺はお前に対して、奥底に眠る本心を捉える事が出来るんだろうか。少なくとも、今の俺にはそれが出来ない。
だから待とうと思う。
それまでは精一杯今の現実を、青春を謳歌しようじゃないか。そう、心に誓ったのだった。
「……え?」
そんな独りよがりに考えた男の決断なんて、ふとした出来事や切っ掛けで変化してしまったりする。人生の分岐点とは、案外あっさり訪れる物。訪れた瞬間には、中々その事に気が付かないものだ。
ただ後から自分の人生を振り返って見ると、今考えればあそこが分岐点だったんだと、後から気が付いて後悔したり、安堵したりする。
何気ない日常の一幕、教師が朝のホームルームを迎えるために教室の扉を開けて入ってくる。しかし今日ばかりは様子が違った、隣には見慣れない女生徒の姿があったからだ。
「新学期を迎えたばかりで突然だが、転校生を紹介したいと思う。では、挨拶を」
「はい。初めまして『
今考えると、俺にとっての人生の分岐点はこれだったのかもしれない。
将来、誰かと道を違える事が切っ掛けになるなら。当然、誰かと出会う事も切っ掛けになり得る。そんな単純な事に気が付かなかったなんて。今思えば、滑稽な話だと思う。
でも仕方無いじゃないか。何故なら、俺はまだ知らなかったから。これから俺の身に起こる出来事も。それに伴う痛みも、苦難も。
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