#05 地獄への夜帳

「はぁ……」


 ポツポツと星の光が確認できる夜空を見上げながら、そっと息を吐く。

 昼間はポカポカとした陽気で過ごしやすいとはいえ、さすがにこの時間となると大分肌寒くなる。薄手の物ではあるが上からカーディガンを羽織って出てきたのは正解だったなとつくづく感じるサクラ。

 だが……正直なところ、気分はかなり消沈していた。

 原因は明白である。


(来ないじゃん……)


 眉間にしわを寄せながら、左手首に撒いた腕時計を見て現在時刻を確認する。

 針が示すのは『0時32分』。

 待ち合わせの時間をとっくに30分以上オーバーしていた。


(確かに父さん、日付変わる頃って言ってたよね? はぁ、相手の人はどんだけ時間にルーズなのよ……)


 思わず深いため息が口から漏れる。

 別にサクラ自体、若者であるため夜遅くまで起きているのは慣れている。外で夜風を浴びていれば尚更眠気なんて来ないため、サクラ自身のスタミナとしては何分何十分遅れようが問題ないのだが。

 父の話に寄れば、この後その客人とやらを向かえて村のお偉いさん達で秘密の会合をするらしい。あの口ぶりではきっと大事な話し合いなのだろう。なのに、重要な一員である出席者が遅刻ともなれば、会合そのものの時間を遅らせ、案内役を任された父の責任にも繋がっていき……考えただけで胃が痛くなる。


 サクラは自身の隣に設置された、所々が焦げ茶色に錆付いたバス停の時刻表立て看板に視線を配る。父が言っていた待ち合わせ場所というのも、おそらくここで間違いない。というか、村周辺のバス停などここしかないため間違えようがないはず。

 もしサクラがどこかで記憶違いでもしてなければ、こちらの手違いというのはないと断言できる。


 となるとやはり、客側が勝手に遅刻しているという線がかなり濃厚であった。


(ったく、普通人と待ち合わせしてたら遅くても時間の5分前には来るでしょうに。何よ30分遅刻って)


 考えれば考えるほど、顔も知らないその誰かに段々とイライラが募ってくるサクラ。いっそ顔を合わせたら挨拶の前に一言文句でも言ってやろうかと思うほどだ。

 しかし、完全に悪者と決め付けるのも早計ではある。

 相手にだって何か事情があるという可能性だって捨て切れないからだ。


(もしかするとどこかで迷子になってたり……この辺一帯雑木林だから、方角分かってないと確かに分かりにくいし……)


 まったくあり得ない話ではない。

 もしそうだとすればサクラはどう行動するのが正解なのか。こちらからもう少し外まで捜しに行くべきか、でももし入れ違いなったら面倒だし……などと、悶々として結論はなかなか出ない。


 うーん、と唸りながら考え込むサクラ。

 その間もできるだけ周囲に意識を張り巡らせ、近くを誰かが通らないか注意深く気配を探ってはいるが、感じるのは風に揺れる草木の音ぐらいなもの。

 しばらく腕組みしながら考えて……とりあえず現状の結論を出した。


(……30分。あと30分待ってみて、それでも来なかったら1時間以上遅刻してるってことだし。さすがに道中なにかあったのかもしれないから、一旦村に戻って父さんに相談してみよう)


 今のサクラに出せる最善の答えはこれだった。

 いかんせん、自分が一人で突っ走ってしまう癖は他でもない自分がよく分かっている。ここは冷静になり、村の周辺をグルグルと突っ走ってこちらから捜しに行きたい衝動を押さえ込んだ。

 そうと決まれば、今は黙って待つしかない。

 腰の後ろに携えた、父から貰った刀の柄を手慰めに触りながら、サクラはじっとその場で佇み続けた。




 ……しかし、ある程度予想はしていたが。

 30分経っても結局待ち人は現れず。

 サクラは肩をガックシと落としながら、村への帰り道をトボトボと歩いていた。

 果たして自分はこの1時間なにをしていたのか……心に突き刺さる疑問だけが悶々と脳内を駆け巡る。


(まあ、仕方ないか……とりあえず家まで戻って、父さんに相談して……次のことはそれからだね)


 唯一幸いなのは、あの使われなくなったバス停から村まで大した距離がないということ。歩いても3分程度の短い道のりだ。

 ぼんやりとこれからのことを考えながら歩いているうちに、あっという間に村の入り口に到着した。目印というわけではないが、今朝兄が乗ってきた近未来的な黒いボディの一人乗り用バイクが今もそこに停まっている。


 その横を通り過ぎながら、村の中央通りをトコトコと歩き抜けていく。

 当然だが、朝方や昼間と比べて村の中は随分と静かだ。いつもはワイワイ賑やかな光景しか見ていないため、どうにも不思議な気分である。


(ま、深夜だからね……普段こんな時間まで起きてても、家の外には出ないし)


 地面の砂利を踏みしめる自身の足音だけが静かに響く。

 まるで別世界でも歩いてる気分だ、なんて。慣れた街並みだというのに、妙な新鮮味を味わうサクラである。

 ―――だが、てっきり自分以外は外に出ていないと勝手に思い込んでいたからか。

 意識せずとも、視界に映りこんだそれに思わずサクラは気を取られた。


「あれ……米穀店、開いてる?」


 一人呟いたサクラの視線の先には、こんな夜更けにも関わらずなぜか正面の引き戸が開け放たれた米穀店の佇まいがあった。

 もしかすると何か事情でもあって夜中に玄関掃除でもしてるのか、なんて考えながら足を止めずに店の方へ視線を留め続けるが……どうもそんな風には感じられない。


 開け放たれたドア。ゲンナイさんや、ゲンナイさんの奥さん、ヒューマノイドのポーラでさえ近くにはおらず、まさか入り口を閉め忘れて寝てしまったのかと。そんな間抜けなことあるのかと怪訝に思いながらも心配は募っていく。


 気付けばサクラの足取りは、僅かに方向を変えて米穀店の方へと向いていた。

 こんな時間に正面の入り口を開けっ放しだなんて、この村に限ってあり得ないことではあると思うが、万が一泥棒でも入ったら好きに盗んでくださいと言っているようなものである。

 加えて、米穀店。米や大豆だってちゃんとした食材である。虫でも入ったら大変だ。


 開けられた引き戸の手前まで歩み寄ったサクラは、とりあえず店主のゲンナイを呼ぼうと中へ向けて声を張り上げようとした。

 ……が、店内の空気を吸った途端、思わずぐっと声を引っ込めてしまう。

 店内からは、とても米屋とは思えない異臭が漂ってきたからだ。


(な、なにこの臭い……? 鉄臭い感じ……)


 刺激臭……とはまではいかないが、どこか鼻に纏わりつくような、お世辞にも良い匂いとは言いがたい鉄臭さが店の中を薄っすらと充満している。

 香水や芳香剤といった類のものでないことは確か。原因が何のかは分からないが、もしかするとこの異臭を換気するために店を開けっぱにしていたのかも、とサクラは推測する。

 とはいえ大通りに面してる正面を全開放しておくのはどうかと思う。やはりここは一度ゲンナイさんを呼ぼうと、店の中に踏み入った。


「ゲンナイさーん、起きてるー? 私。サクラだけど―――、」


 できるだけ近所迷惑にはならない程度のボリュームで声を張り上げ、数歩店の中へと踏み入っていく。

 正直暗すぎて視界のほとんどが何も見えないのだが、ゲンナイか、せめてヒューマノイドのポーラでも反応してくれたらすぐに電気を付けてくれるだろう。

 だが。

 ピチャ、と。

 3歩ほど踏み出した時に、足元から妙な音が響いた。


「……?」


 まるで水溜りでも踏んだような。

 よーく視界を凝らせば、確かに。サクラの足元に何かの液体が大きな水溜りを作っていた。暗くてよく見えないが、すぐ目の前のカウンター裏から広がっているように思える。

 雨漏りか、それともこの液体が臭いの原因なのかと勘繰って、つい好奇心が湧いたサクラは身を屈めて広がる液体に指先をそっと付ける。軽く掬うようにして目の前まで持ち上げ、指先についたそれの正体を確認した。


「………え?」


 一瞬、頭が真っ白になった。

 その液体は、どこか少しねっとりとしていて、指先で触っただけでも分かる生温かさが感じられ。

 色は、真っ暗闇な室内で遠目に見ても判断し難かったが、目の前で確認してようやく理解する。

 ―――赤。少し黒で濁ったような、赤。

 そして。

 今も鼻に纏わりつく鉄臭い異臭。

 視覚と嗅覚による情報が、そこで合致する。

 つまり。

 この液体は。


「血……?」


 呟いた声が僅かに震えているのは、自分でもよく分かった。

 どうしてゲンナイさんの店の何血が流れているのか。その理由がまったくもって理解できず―――、しかし視線は真実を求めるように、店の奥へとフラフラと移動していく。

 正確には……レジが置かれたカウンターの裏。

 床に広がる大量の血液は、明からにそこから流れ出ている。


 ―――まさか。

 自分でもおかしな考えを働かせて、"そこ"にあるものをなぜか想像してしまう。

 あり得ない。そんなこと、あり得る筈が無い。

 サクラは邪推を振り払うように首を大きく横に振って、慌ててカウンターの裏へと回り込んだ。

 そして。

 そこに、見たものは。


 たっぷりと地面一杯に広がる、赤黒い鮮血の血溜りと。

 その中央に横たわり、今も尚、ドクドクと血液を垂れ流し続ける二つの物体。

 正確には、元はもの。

 右肩から左の脇腹までを、何かで真一文字に両断された―――人間だったもの。

 それは。

 サクラも見知った顔で。

 ついこの間、楽しげに話したばかりの男性。


 アカバネ・ゲンナイ―――その人の、死体だった。


「ぁ……っ、え……?」


 何も言えず、目の前の光景が一切理解できず。

 必死に頭を回転させても、本能のどこかで情報を理解することを拒んでしまい。

 ただ、意味が分からない。

 なぜ今サクラの目の前に、ゲンナイの死体があるのか。

 そもそもこれは、死体なのか。

 なぜ死んでいるのか。

 断続的な疑問ばかりが頭の中でフラッシュバックを起こし、正常に脳が働かない。


「……ゲンナイ、さん……?」


 問いかけても、当然返事が返って来ることはない。

 いつも顔を合わせるたびに人の良さそうな笑顔を浮かべてきたその顔は……全体に血を浴びて真っ赤に染まり、白目を剥いてる。

 綺麗に切断されている肩から脇腹にかけての断面。そこからは今も止まることなく血が流れ出し、体内の様々な臓器が肉と骨に埋もれるようにして―――、


「ぅう、ぇ……!」


 そこまで視界が情報を得た瞬間、猛烈な吐き気が胃の底から這い上がってきた。

 ゲンナイの死体に背を向けるようにして蹲り、我慢ならず吐瀉物を吐き出す。嘔吐感は二度三度と繰り返し、胃の中身が空っぽになるまで続いた。


「はぁ……っ! はぁ……っ!」


 全身から嫌な汗を流し、尚も嗅覚に刺さる血と肉の臭いに加え、嘔吐直後の口中に残る独特の酸味に余計気分が悪くなる。しかし吐けるものは全て吐いてしまったのか、これ以上喉の奥からせり上がってくる感覚はなく、荒い呼吸だけが口から漏れる。


(な……なんで……! どうして……っ!?)


 最悪の不快感が腹の中に残るサクラだが、逆に嘔吐のおかげか現状を見つめなおす冷静さが僅かに戻り、混乱した頭の中でも必死に情報を整理しようとする。

 肩越しにチラリと背後へ視線を送る。当然そこには、変わらず横たわるゲンナイの無残な死体。


(なんで、ゲンナイさんが……、こんなっ……!)


 長い間見つめることもできず、涙ぐんだ視線を逸らしながら歯を食いしばる。

 まったく現状が理解できない。

 どうしてこんなことになってるのか、一切理解が及ばない。

 だが一つ、確信できることは。

 先ほど体の断面を見た限り、『切れ味が鋭く刃渡りの長い何か』でゲンナイは体を両断され、絶命したということ。こんな無残な死に方、自殺では到底あり得ない。

 つまり―――他殺であるということだけは、ハッキリしている。


(……そ、そうだ。ポーラや奥さんは……!)


 ここに住んでいるのはゲンナイさんだけでないことを思い出す。

 他でもないゲンナイさんの奥さんや、二人の手伝いをしているヒューマノイドのポーラもここにいるはず。奥の部屋か二階かは分からないが、一刻も早く知らせた方がいいのは確か。


 とはいえ……この暗闇。まずは電気を付けなければ話にならない。

 サクラはフラフラとした足取りで何とか立ち上がると、証明のスイッチを探すべく壁に手をついて―――ハッと気付く。偶然にも、手を置いたすぐそこにスイッチを見つけた。慌てて切り替える。

 カチッと音を立て、真っ暗だった室内に明かりが灯る。

 しかし目の前に広がった光景は―――あまいにも悲惨なものだった。


「っ!?」


 思わずを息を呑む。

 部屋が暗くて今まで気付かなかっただけで、室内はその所々が飛び散った鮮血とその血飛沫で赤く染まっていた。

 壁も、天井も、並べられている商品にも。

 そして何より―――、入り口からカウンターまでのルートとは僅かに逸れた室内の一角。

 そこにある、もう一つの赤黒い塊。その正体は、考えなくても自ずと理解してしまう。


「あ、あぁ……!」


 サクラも顔を合わせた事があるゲンナイの妻が、全身を血塗れにしてダラダラと血液を垂れ流しながら転がっていた。

 さらに。

 その真上に覆いかぶさるようにして倒れる、見覚えのある背中。

 ヒューマノイドのポーラ。

 彼女もまた、血は流していなくとも手足から首、胴体を全てズタズタに引き裂かれ、機械的な断面から大量の配線や基盤を飛び散らせている。後頭部には刃物を突っ込んで抉り抜いたようなひしゃげた大穴。

 完全に機能を停止している彼女の脇には、記憶中枢となるメモリーリップがバラバラに踏み砕かれて残骸となっていた。


「なん、で……なんでっ……!?」


 震える声で、血塗れの光景を前に正気が狂いそうになるサクラ。

 ギュッと目を瞑り、できるだけ視界から情報が入らないようにする。これ以上直視していては頭がおかしくなってしまいそうだった。

 思い切って走り出し、入ってきた正面の入り口から外へ出る。

 中に比べ幾分も新鮮な空気だが、鼻にはまだあの悪臭が纏わりついており、息をしてそれを感じ取るたびに3人の無残な死体が脳内をフラッシュバックする。

 それら全てを振り払うように、サクラは一度思い切り息を吸い込むと、


「誰かーーーーーーッ!!」


 誰でもいい。

 とにかく人を呼ぶために、持てる全力の大声で助けを呼んだ。

 ……だが。


「はぁ……はぁ……っ、」


 ギリギリと歯を食いしばる。

 このおかしな状況に、怒りさえも沸々と湧いてくる。


(なんで誰も反応しないの!? こんな時間とはいえ、若い人の一人や二人、起きてたっておかしくないのに!)


 サクラの大声に反して、周囲一帯は静寂に包まれるばかり。誰一人としてサクラの助けに応えるものは現れない。


「……ああ、もう!!」


 こんな大変な状況で、チンタラしている訳にもいかないサクラは即座に走りだし、すぐ隣の民家へと駆け寄った。

 玄関の前で急ブレーキをかけて、チャイムを押す余裕もなくバンバンと玄関のドアを拳で叩く。


「すみません!! 誰か起きてますか!? 本家のアカバネ・サクラです! 大変なんです! 隣の米穀店で人が……ッ!!」


 ほとんど怒鳴りつけるような声色で、仮に寝ていようが叩き起こすぐらいの勢いを乗せて叫び続ける。

 ―――それでも反応はない。

 いい加減限界なサクラは力ずくでも入り口をこじ開けてやろうかと玄関の引き戸に手を掛けて―――気付く。鍵が開いていた。

 これは好都合とばかりに、ピシャン! と思いっきり開け放ち中へ入ろうとした……その瞬間だった。

 ぐらり、と。

 人形のように力の抜けた女性の体が、中から外へ倒れ込んできた。


「うわっ!?」


 慌てて受け止めて、崩れかけたバランスをギリギリで支える。


「ちょ、ちょっと! 一体なにを……―――、っ!?」


 食って掛かろうとしたサクラだが……支えた女性の姿を見て、一瞬にして喉が引きつった。

 女性は―――頭の半分がなかった。

 耳から、頬の中央辺りへ。綺麗サッパリなくなっている。

 断面からはドバドバと血を噴出し、切断された肉と頭蓋骨が血液に塗れて覗かせていた。


「ひっ―――、いやぁああ!?」


 手の中の死体を確認し、全身が強張ったサクラは慌てて女性の体を投げ捨てながら真後ろへと尻餅をついた。

 サクラの目の前で、グシャッ、とその死体は横たわり、さきほど米穀店の中で見たのと同じように、流れ出る血液が地面に血溜りを作っていく。

 まるで悪い夢でも見ているようだと―――、サクラは死体から目を逸らすようその場で蹲り頭を抱えた。


「ぐ、うぅ……、」


 どうしてこんなことに。

 ただ父に頼まれて村の外へ行き、帰ってきたらこの状況。

 ついこの間まで笑い合っていた村の仲間が、こんなにも残酷な殺され方をして……もし本当に夢ならすぐにでも覚めて欲しいと、神にでも願いたい。

 だがサクラの思いとは裏腹に、肌に感じる夜風の冷たさも、目の前から感じる血生臭い肉の臭いも、鮮明に思い出せてしまう悲惨な光景も、何もかもが現実味を帯びたリアルさで。


 混乱と恐怖で体が震える。まともに立ち上がることさえままならない。

 サクラは恐慌した状態のまま、何とか顔を持ち上げ周囲へと視線を流す。……相変わらず辺りは静寂。サクラ以外、誰一人として外に見える人影はない。


 まさか、と思った。

 これまで考えてきた予想を更に上回る、最低最悪の状況が頭に浮かびあがる。


「そん、なの……違う。絶対、違う……っ」


 否定しなければならない。

 それだけは、何としてでも杞憂であらなければならない。

 奥歯を食いしばり、震える全身に鞭を打って、フラフラとした足取りながらも再び立ち上がるサクラ。

 誰一人としてこの状況に気付かないのは、ただ寝ているとか、そういった単純な話ではなく。


 もし―――もしもの話、村にいるほぼ全員の住人が、同じ目に合っているとしたら―――。


「くっ……!」


 サクラは一目散にその場から走り出した。

 たった一人だ。たった一人でも生きている誰かを見つけたら、その不安は杞憂に終わる。

 転びそうになりながらも、ただ全力で走り、サクラは手当たり次第に民家の中を確認して回る。

 玄関の鍵が開いていたら、問答無用で開き土足で踏み込んで。

 閉まっていたなら、所詮は古臭い時代の引き戸。力ずくで体当たりをかまして開け放ち。

 一つ一つの民家、店、関係なくしらみ潰しに部屋の中を全力で確認していく。


 ―――だが。

 扉を開けても開けても。

 その先に見える光景は……どれもこれも鮮血に染まった景色。

 死体。

 死体。

 死体。


 ある者は首をねられ。

 ある者は四肢を切り落とされ、心臓を一突き。

 ある者は頭頂部から股までを真っ二つに両断され。

 ある者はお腹にいる赤子ごと腹部をグチャグチャに引き裂かれ。


 もしこの世に地獄があるとすれば。

 まさしく今この時こそが、血の沼が煮えくり返った本物の地獄なのではないかと。

 一つ一つ、扉を開けるごとにサクラの心が絶望で締め付けられる。


 ―――やがてサクラは……アルバイト先である定食屋の前に来ていた。

 そこにはおそらく、慣れ親しんだ友人であるアカバネ・マチエがいる。

 引き戸に手を掛けた。僅かに右へ力を加えると―――動いた。ここもなぜか、鍵が開いている。

 これを全て開け切れば、マチエの生死が分かるはずだ。


 恐怖で手が震える。これまでどこの家を覗いたって、生きている者はいなかった。マチエだけ奇跡的に生きている……そんなこと、ありえるのだろうか?

 だが……今のサクラは、藁にも縋る思いだった。

 僅かな可能性を信じるしかない。この扉を開けたら、きっとマチエがいつもの調子で夜遅くに突然やってきたサクラに文句の一つでも言ってくるに違いない。

 それを信じて、ガラッと勢い良く引き戸を開け放つ。


 そして。


 そして。


 マチエと目が合った。


 カウンターの上に転がる、マチエの生首と。



「―――ぁぁあああああああああああああああああああああッ!!」





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