#03 血継の力

 サクラの住むお屋敷には備え付けの大きな道場がある。

 別に父であるアカバネ・カロクが弟子を取って道場を開いてるとかそんな事はないが、今でも毎日サクラによって使用されているため掃除などはしっかり行き届いてる現役の稽古部屋だ。


 広さは約100畳ほど。正面奥には『淦翅流』と達筆で記された掛け軸が垂れ下がっている。母曰く、『アカバネリュウ』と読むらしい。そんな掛け軸のすぐ真下には約90センチほどの一振りの太刀が鞘に収まり、刀掛台の上に設置されている。

 とはいえそんな物騒な獲物で毎日の稽古を行っているわけではなく、あれは昔父が扱っていたという『風切かぜきり』という名の業物らしい。西側の壁、壁掛けタイプの台に並べて置かれた計6本の木刀。そっちが稽古用である。


 普段はあの中から最もお気に入りである刀身50センチの小太刀タイプの木刀を握って父を相手に稽古を取っているわけだが、今日の相手は久々に帰ってきた兄のジンだ。いつも以上に気を引き締めて臨まなければならない。

 道場に赴いたサクラは上は白のTシャツ、下は短パンと非常に動きやすい格好に着替えており、ジンがやってくるのを30分ほどぼーっとしながら待っていた。

 その間、準備運動でも兼ねて素振りでもしていようかと悩んだりはしたが、全力で当たりたいため体力は少しでも温存しておきたい。それに準備運動だけだったら家に帰ってくるまでの道のりで十分できている。などと色々考えて、結局ジッと待つことにしたサクラである。


 そしてようやく、道場の入り口である飾りっ気のない木製の引き戸が外から開くときがきた。

 ガラッと音を鳴らしながらジンが顔をのぞかせ、サクラの姿を確認すると片手を挙げつつ道場に入ってくる。


「悪い。待たせたな」


「ううん」


 当然だがサクラもジンもお互い動きやすいように素足である。土足なんてもってのほか、靴下さえも道場に入る時は脱いでいなければならないというのが一家のルールなのだ。

 ジンはどこか呆れた様子で周囲を見渡し、傍まで歩み寄ってくる。


「しかしここはいつも変わらないなぁ」


「毎日稽古終わりに掃除してるもの。それに今は私と父さんしか使わないから大して汚れないし」


「はは、そういう意味でもな。……なんていうか、子供の頃から本当に変わらないよ、ここは」


「……?」


 まただ。

 ジンの言葉の端々からは懐かしさのようなしんみりとした感情が見て取れたが、その他にも口ではなかなか説明しがたい、妙な雰囲気をサクラは感じた。

 今朝からもう何度か、同じように兄の様子に違和感を覚える。とはいえそれを聞いてみようにも何と説明していいかも分からず、黙るしかないサクラである。


「ああ、そういえば。今日のお前の稽古、相手は俺が代わるって父上にさっき言っておいたから」


「え、本当? ごめん、言われるまで忘れてた。たはは……」


「サクラのおっちょこちょいなところも変わらないな~。はっはっは!」


「な、なによそれー!」


 聞き捨てならない兄の言葉に食って掛かるサクラだが、ジンは気にせずスルーするとそそくさと木刀が掛けられている壁の方へと歩いていってしまう。

 均一に等間隔で並べられているそれぞれ長さが違う木刀を値踏みでもするように見つめると、中でも中間的な長さ―――いわゆる打刀うちがたなと呼ばれるタイプを模倣して作られた木刀を手にする。


「こいつが丁度いいかな……。サクラ、お前はどれ使ってるんだ?」


「私? えっと……一番下から一つ上の、小太刀のやつ」


「ん、これか」


 サクラが指定したのは約50センチちょっとの他と比べると少々短めの木刀。ジンはそれを空いた方の手で掴むと、ヒョイっとこちらに放り投げてきた。サクラは慌てて立ち上がりこちらへ飛んできたそれを丁寧に受け取る。


「もー、渡すならもうちょっと丁寧にしてよー」


「ぶん投げるのが基本のアカバネ流派やってる奴に言えることじゃないだろ~?」


「そ、それはそうだけど」


 ヘラヘラ笑いながら、ジンは手元の木刀を器用にクルクルと回転させながら、道場のスペースを広く取るようにサクラとは10メートルほど離れた位置へと移動する。

 乱暴に操っていた木刀を改めてパシッと握り締めると、肩に担ぐようにしてこちらを見据えた。


「さぁ、サクラ。母さんが朝食作り終わるまで残り40分ほど。あまり時間もないし、さっさと始めるか」


「う、うん!」


 言われてみればそう。兄との稽古とはしゃいではいたが、大した時間が用意されているわけではない。

 サクラは午後から稽古同様毎日続けている村の定食屋でのバイトがあり、ジンもあの口ぶりでは午後も予定が詰まっているのだろう。

 サクラは改めて気を引き締めると、受け取った短めの木刀を右手にしっかりと握り締める―――のではなく、クルッと180度切っ先の角度を変えてから握り締める。

 その様子を見てジンが少し驚いた。


「お前……しばらく見ないうちに、逆手にしたのか?」


「ふふん、私だって色々考えてるんだよ? 一杯試して、結果これに落ち着いたってわけ」


 ジンの言った通り、サクラは順手で木刀を構えるのではなく逆手持ちにして、体の後ろへ刃を隠すようにして腕を構えた。腰を小さく落とし、いつでも飛び出せるような体勢へ移行する。

 それを見たジンも肩に担いでいた木刀の切っ先を下ろし、片手で眼前に構える。思わずといった感じで、口角を上げるようにジンが笑った。


「こうして道場で向かい合うのは懐かしいなぁ。たまに帰ってきてもなかなかお前の相手ができなかったし……一緒の稽古は二年ぶりか?」


「そうだね。その時は私、そもそも筋力とか足りないのに無理に大太刀サイズの木刀振ろうとして失敗してたかな」


「ははっ、思い出した。そういえばそうだったな」


 何気ない昔話を交わしながらも、互いの放つ雰囲気はただならない使い手のそれへと変貌していく。

 特にサクラから見るジンは、普段の少しお茶らけたような兄とは打って変わり、まるで歴戦を潜り抜けた達人のような威圧感さえも感じさせる。


「とはいえ、サクラもあの頃とは違うんだろう? 俺はお前の本気を知りたいからな、全力でぶつかってこい。覚えたての"血継"もバシバシ使っていいぞ」


「いいの? そんなこと言って。もし私に一本取られてもあとで言い訳とかしないでよ?」


「ああ。取れたら、な」


 お互い準備は万端。

 両者ともそれを察し、会話はそこで途切れて二人の間に沈黙が走った。

 互いの視線がぶつかり合い、ジリジリとした雰囲気が場の空間を支配する。

 どちらかが大胆に動き出せば、それが開始の合図となる。

 ―――だがサクラは分かっている。こういった稽古でジンが相手をしてくれる時、彼はいつもわざとなのか後手に回る。ジンと稽古をする度に長い時間が空くので、もしかするとサクラが以前と比べてどういう風に変わったのか、そういった点を見てくれているのかもしれない。

 おそらく今回もジンの方からは仕掛けてこないはず。つまり逆を言えば、サクラの方から先手を仕掛けなければならない。


(兄さんが相手だと、正攻法で正面から打ち合ったってこっちの分が悪いだけ。兄さんが予想できないような捻りを入れて攻めないと)


 初手は特に大事な一手だ。これの結果次第でその後の展開が大きく変わるといっても過言ではない。


(……まあ、どの道。久々の兄さんとの稽古なんだ。私の全力で、)


 サクラは心の中で気合を入れなおすと、左足を一歩前へ、力強く踏み出す。


(ぶつかるだけ!!)


 それと同時、木刀を逆手に持つ右腕をさらに命一杯後方へと引き、僅かな時間で狙いを絞る。

 サクラの動きに対し、ジンも僅かに目つきが鋭くなる。

 その気迫に気圧されることなく、サクラは独特なモーションで木刀を―――ぶん投げた・・・・・


「!」


 サクラの手から放たれた木刀は、まるで一本の長い矢のようにして真っ直ぐとジンの方向へと飛ぶ。

 反して、ジンの対処は冷静だった。眼前に構えていた木刀を下段へ落とすと、スッと素早い動きで逆袈裟に刀身を振りぬく。

 木刀同士がぶつかる心地の良い音が道場に響き、サクラが投げ放った木刀はジンに命中することなくその後方へと弾き飛ばされた。

 クルクルと回転しながら舞い上がる一振り。

 だが決して―――サクラは何の考えもなしに武器を投擲した訳ではない。

 投げ放ったあとの動きから、伸ばす右手に全意識を集中させる。弾かれた木刀を再び求めるかのように、まるでスローモーションのように感じられる僅か一瞬の時間の中で、体中の全神経を集約させる。


「……ッ!!」


 歯を食いしばった、直後。

 バンッ! というグレネードでも炸裂したかのようなピリピリとした衝撃音が響き渡り、それと同時。


 サクラの姿が一切の跡形もなくその場から消滅した。

 青い火花のような粒子を散らして。


「!!」


 ジンの両目が驚愕に見開かれる。

 しかし、サクラは決して道場から姿を消したわけではない。

 ―――背後・・

 サクラが投槍のようにぶん投げ、ジンが弾き飛ばした木刀とほぼ同じ位置に。

 再び木刀の柄を握り締めて、移動していた・・・・・・


「はぁっ!」


 気力を込めて、体の落下と同時にジンの頭上から後頭部目掛けて木刀を振り下ろす。

 衝撃的な音と粒子を散らしながら10メートルという距離を一瞬で縮め、背後から繰り出す全力の一撃を―――しかしジンは、驚異的な速さで反応する。

 まるでサクラの動きが最初から分かっていたかのように迷わず後ろへ振り返り、その動作と合わせるようにして木刀が振り抜かれる。サクラの空中からの強襲にピッタリ重ねるようにして木刀の刃が正面から受け止めた。


「なるほど。サクラがアカバネの"血継"を使うところは初めて見るけど、良い具合まで使いこなせてるみたいじゃないか」


「っ……!」


 "血継"。

 その名の通り、遺伝によって受け継がれる潜在的な血の力。

 サクラやジン―――そして、この村に住まう全ての住人・・・・・は、この"血継"を元来より引き継いできた血族。

 住民全ての姓にも現れる通り、これが"アカバネ一族"。血継はその本質だった。


「ただ……投げた時点でそう来ることは分かってたけど、な!」


 ジンは力任せに木刀を押し切り、サクラの体ごと反対へと弾き飛ばす。

 軽く宙を舞ったサクラは二の足で綺麗に着地してみせると―――間髪入れずに正面へと飛び出した。

 今度は木刀を投げるなんてことはなく、低めの姿勢で走り出し一息にジンとの距離を詰める。


「ふっ!」


 浅い吐息と共に、勢いに任せ水平に薙ぎ払われる木刀の一撃。

 当然ジンに届く前にその木刀で受け流されるが、手を休めることなく、続けざまに怒涛の連撃を叩き込んでいく。

 カンッカンッカンッ、と木刀同士が衝突する音が幾度となく道場の中に響き渡る。


「いいぞサクラ! 剣術も上達してるじゃないか! 逆手のメリットは懐に入ってからの超近接での打ち合いの強さだ! 自分のリーチをしっかり把握しろよ!」


 サクラが猛攻を仕掛けているのにも関わらず、ジンはその悉くを弾き、流し、打ち落としながら、余裕の表情で言葉まで掛けてくる。

 やはり兄は強い。

 このまま続けたところで、スタミナの違いから先にこちらがバテてしまうのは明白だ。

 瞬時に判断を下したサクラは、刃を切り返しながら後方へと宙返り。僅かばかりの距離を離しつつ、床への着地と同時、ジンの顔面目掛けて再び木刀を投擲する。

 対するジンの反応も早い。顔の真横へと木刀を軽く添えるよう動かす最低限の動作だけで、投げられた木刀を弾き飛ばす。再びサクラの木刀が宙を舞う。

 ―――ジンの視線が一瞬、その木刀へと移された。当然それは、再度サクラが血継を用いてジンの背後に回ってくるのではないのかと、そう警戒したため。

 だが。

 サクラの取った行動は至極単純。


 無手のまま、ジンの懐へと踏み込んだ。


「なに!?」


 さすがのジンもサクラの思わぬ行動に僅かに反応が遅れる。

 その隙を突くべく、空気を食い破るような一心の突き―――掌を突き立てる掌底打ちを、顎先目掛けて全力で繰り出した。


「なるほど……ッ!」


 間違いなく不意を突いた掌底だが、ジンは常人ではまずあり得ない速度で反応し、首を僅かに左へ。惜しくも数センチ横をサクラの腕が掠めていく。


「考えたな、サクラ!」


 どこか嬉しそうにするジン。とは言いながらも、決着はついていない。ジンの持つ木刀が、武器を持たず防御手段がないサクラへと素早く振り抜かれる。

 無論サクラも今の一撃で決まるとは思ってはいなかった。体勢を崩すことなく、上体を捻りながら刃をやり過ごす。回避行動を取りながらも両腕は流れるように次の攻撃態勢へ移り、再び鳩尾や顎を狙って次々と掌底が繰り出される。


「中国拳法の柔拳か。独学か?」


 数々と繰り出される打撃をすんででかわしながら、尚も問い掛けてくるジン。正直サクラにはそんな余裕もないため返答はできない。

 とはいえサクラが不利かというとそうでもない。武器を持つジンと手放しているサクラでは一見ジンの方が有利に見えなくもないが、先程ジンも言っていた通り、自分自身のリーチの把握が重要なのだ。

 戦い方にはそれぞれ得意とする距離感がある。近距離であれば他より確実に強いように思える刀剣の類でも、肌が触れるかどうかという超至近距離にもなればより小回りの効く徒手空拳や短いナイフのような武器の方が優位に立ててしまう。

 先の不意打ちにより懐へ潜り込んだサクラには、今まさに絶好の距離感ということだ。

 当然ジンもそれは理解しているため、サクラの攻撃を回避しつつも距離を取ろうと後ろへ後退し続けている。が、それを許すわけにはいかない。合わせるようにサクラは前へ前へと踏み込みながら、確実な一撃を叩き込むべく次々と掌底を繰り出す。

 互いに油断が許されない攻防の中、ジンの口元が僅かに笑みを浮かべた。


「少し甘く見てたかもな。サクラ、俺も使わせてもらうぞ」


 それだけ言い切った直後。

 ジンは突如として握っていた木刀を自身の後方へと投げ捨てた。その行動の意味をサクラは一瞬理解できなかったが、


「!!」


 更なる連撃を繰り出すべくサクラがさらに前方へ踏み込んだその時、バンッ! という炸裂音と共に青白い粒子を散らしながら、眼前にいたジンとの距離が一気に遠退いた。

 正確には、先程のサクラ同様に"血継"を使い、木刀を放り投げたほんの2メートル程度後方へと瞬間的に移動したのだ。


「しまっ……!」


 今度は逆に不意を疲れたサクラは、勢いを殺しきれず、逆に自分から木刀にとっての絶好のリーチへと踏み込む形に。その時すでに、ジンは刃を振り上げて―――、

 反射的に脳が反応した。

 木刀が振り抜かれるとほぼ同時、再びサクラの体が粒子を振り撒いてその場から消える。瞬きのような一瞬のホワイトフラッシュが視界全体を覆ったかと思えば、サクラは先程自分が投げてジンに弾かれてから、床に横たわっていた小太刀の木刀の元へと体を転移させていた。

 結果、ジンの一撃は空を斬る。

 それを横目で確認しながら、再び自身の木刀をギュッと握り締めたサクラ。姿勢を落とし刃を構えながら一気にジンの元へと走り抜ける。迎え撃つジンもサクラが迫る方向へと迷わず視線を移して、


「えっ!?」


 なぜか、こちらを視界に捉えた途端素っ頓狂な声を上げて硬直した。

 サクラにもその意図はよく分からないが、何にせよあのジンが見せた大胆な隙。そこを狙わない理由はない。

 数メートルの距離を1秒足らずで詰め、逆手に持つ木刀を横一文字に抜き払った。

 風を裂くような一閃。それはジンの持つ木刀に阻まれることもなく突き進み―――、彼の喉元僅か手前で、ピタリと停止した。


「……」


「……」


 お互い、僅かな沈黙。

 それを思わずといった感じで破ったのは、嬉しそうに声を上げるサクラだった。


「か、勝った……? 私、兄さんに勝った!? ね! これ私の勝ちだよね!?」


「え? あ、ああ。そう、だな……」


「いやったー!」


 なぜか歯切れが悪そうなジンだが、実際に一本取ったのはどう見たってサクラである。思わずその場で子供らしく飛び跳ねてしまうサクラ。

 なにせ、小さい頃から何度も兄と稽古をつけて、一対一の勝負でしっかりと勝利を収めたのはこれが初めてである。当然ジンは今回も手加減してくれていたのだろうが、今までは手加減したジンにでさえ軽くあしらわれていたぐらいだ。

 サクラにとって、これほどの僥倖ぎょうこうは他にない。


「これで私もようやく一人前だよね! 兄さん、次やる時は全力でやってね!」


「あ、ああ……」


「私も成長してるんだから、今まで通りにはいかないってことよ! ……って、さっきからどうしたの?」


 嬉しさで胸が一杯なサクラであったが、変な様子のジンに対し流石に疑問を覚えてくる。

 どうにもに負けた事で呆然としてるのとはちょっと違うように思える。それに何だかサクラのことを見ずらそうに、チラチラと視線を逸らしている。

 怪訝そうにジンのことを見ていると、彼は意を決したように、なぜか自身の真横……というより、その床の方へと空いた手で指を差した。


「? なにを…………、え?」


 釣られるようにして示される先に視線を移動して―――、ピタリとサクラの動きが停止した。ついでに思考も停止した。

 あったのは―――間違いなくサクラが着ていたはずの、Tシャツと短パン。そしてなぜか、薄い桃色のブラジャーとショーツ。どれも若干汗が滲んだ状態で、乱雑に脱ぎ捨てたようにしてそこにまとまっている。言うまでもないが、下着のデザインもサクラが着用していたものと全くの同一である。

 なぜ自分が着ているものと同じものが、と考える前に、妙に全身がスースーしていることにようやく気付いたサクラは……運動によるものとは明らかに違う大量の冷や汗を流しつつ、恐る恐る視線を真下へ。己の全身を確認する。


「…………」


 ―――全裸だった。

 比喩でも何でもなく、一糸纏わぬ全裸だった。

 正面に立つジンは僅かに顔を赤くしながら視線を逸らしつつ、コホンとわざとらしく咳払いをする。


「う、うん……あれだ。いい反応だったと思うぞ? うん。咄嗟の判断でよく血継が使えたと……ま、まああれだ。最初の頃はよくあるんだよ。しっかり集中できずに血継使って服だけ置き去りにしちゃうやつ」


「…………」


「お、俺もほら、動揺しちゃったし。防御も回避も忘れちゃって、結果的に……うん、サクラの勝ちだと思うぞ? あ、あれだ! いっそこれを極めるってどうだ? 必殺のお色気戦法! ……なんつって」


「…………」


 ガタンッ、と手にしていた木刀が床に落下する。

 全身がプルプルと震えだし、あまりの恥ずかしさに顔が見る見るうちに真っ赤に染まっていく。


「……ぁ、ぁあ……!」


「し、しっかしサクラも女として綺麗に成長したもんだな! 昔はあんなにちんちくりんだったのに! あ、ああ! でも心配するなよ! 兄さんは妹の裸を見て欲情してしまうような変態じゃないからな! いつかサクラの旦那さんになる奴は幸せものだなーっなんて!」


「いやぁぁぁああああああああああああっ!!」


 ついに羞恥心に耐え切れなくなったサクラによって繰り出される、これまでのどんな一撃よりもきっと重たいであろう平手打ち。

 バッチーン! と強烈な打撃音を響かせて、ジンの体がコークスクリューのように宙を舞った。

 結果的に勝利なのだが、どこをどう妥協したところで自分では納得できず、初勝利のカウントとして数えるのは意地でも納得できないまだまだ乙女なサクラであった。






*****






 ……なんて話を、アルバイト先である定食屋で口を滑らせたところ。

 それはもう激しく笑いものにされた。


「ぶっはっはっは! そりゃ傑作だね! ひーっ!」


「ちょ、ちょっと! そんな笑わなくてもいいじゃん!」


 お昼の忙しいピーク時間を過ぎて、いわゆるアイドルタイムと呼ばれる暇な時間帯。

 ここの店主である、暗い茶髪を小さなポニーテールにしている20代半ばの女性、アカバネ・マチエはサクラの話しを聞き終わってからというものの、ゲラゲラとカウンターのテーブルを叩きながら大笑いしていた。

 顔を赤くするサクラは、ぐぬぬぬ…! と歯を食いしばるばかりである。


「だ、だから言いたくなかったのに……!」


「ぷっ、くく……! 店入ってからずっと変な様子の自分が悪いんでしょ~? いやまさか、血継にミスってジン君に全裸見られたとか、ぷくくっ、そんな間抜けな話だとは思わなかったけど……!」


「わぁーーー!! うるさいうるさい!」


 笑われると同時にその時の記憶までも鮮明に頭に思い浮かんでしまい、耳をふさいでブンブンと首を振るサクラ。

 マチエは一通り笑いきったのか、満足げに大きな息を吐き出しつつ―――とはいえまだ名残があるのか、口元は微妙にニヤつきながら手前に置いていたマグカップにそっと手をやった。

 反対の手で近くのコーヒーメーカーからポッドを取り出し、湯気を立たせながらコーヒーを注いでいく。


「いやぁ笑った笑った。あんた今日は珍しくミス多かったけど、話が面白かったから許してあげるわ」


「ぐうぅぅ……! 褒められてるのか貶されてるのか分からない……!」


「まあ気を取り直しなさい。ほれコーヒー」


 マチエはコーヒーを注いだマグカップをカウンターのテーブル上で滑らせてくる。サクラは慌ててそれを受け止めた。


「ちょ、ちょっと! これ危ないからやめてって言ってるじゃん! たまにカウンターに座ったお客さんにもやってるよね?」


「いやぁ、なんかバーみたいでカッコよくない? 割と評判よ?」


「ここ定食屋だから! お食事処だから!」


 ついツッコミが過剰になるサクラだが、マチエはヘラヘラと笑いながら適当にスルーしてしまう。このお気楽な性格こそ彼女らしいのだが、いかんせんマチエ相手ではどうあってもペースが飲まれてしまうサクラである。

 しかしこんな人とはいえ、料理の腕は確かだ。小さな村でピークの時間帯にはしっかりと繁盛できてるだけあって、そう思うのはサクラだけではないのだろう。このコーヒー一つとってもなんだか他よりおいしく感じられてしまうぐらいだ。


 ズズッとマグカップに注がれたコーヒーを僅かにすすり、まろやかな苦味を味わいながらほっと一息。改めて隣を見ると、マチエは自分の分のコーヒーを注いでるところだった。


「しかしあんたも大変よね。今も毎日続けてるんでしょ? 家でのお稽古」


「別に大変だなんて思ったことはないよ。私のやりたいことでもあるから」


 サクラの陰りない回答に、マチエは少し呆れたように小さく笑った。


「でも……少しは羨ましいと思わない? 村にいる他の若い女の子とか」


「どうして?」


「みんな同じ姓のアカバネ一族なのに、あんたは本家の血筋で、彼女達……というか、あんたやジン君以外のみんなは分家。たったそれだけの違いで、あんたの家だけは今も古臭い生き方に習わなきゃいけない。稽古だってそう。他から見たら、やっぱり本家の生活は大分変わってるわよ」


「……」


 当然サクラも、それはよく理解していた。

 この村に住まう住人は皆、アカバネの血を受け継ぐ血族ではあるが、その全てがサクラのようにアカバネ流剣術の稽古を受けていたり、"血継"を扱えるわけでもない。

 正確には、本家と呼ばれるアカバネの血を最も濃く受け継ぐ家系と、そこから枝分かれした薄く血を継ぐ分家に別れ、サクラやジンの本家のみが"血継"を代々引き継がせなければならない使命がある。


 よってサクラが毎日続けていることは、自分の意思でどうこうという以前に、サクラ自身のやらねばならない義務であり、課せられた使命でもある。10歳までに一般教養の学問を全て終わらせ、それ以降を修行と鍛錬に注ぎ込む。それがアカバネ一族本家のやり方なのだ。


 当然、分家であるマチエからしてみればおかしく映るのかもしれない。

 しかしサクラは笑顔で首を振った。


「確かに私だって普通の学校とか通ってみたかったし、本音を言うならもっと村の外に遊びに行ったりしたいけど……"血継"は一族にとっての家宝でもあるし、剣術も同じ。それを後世に継がせるっていう大事な役目を任されることは、とてもありがたいことだなぁって私は思うの」


 しみじみと語ったサクラに、マチエはより呆れたようにため息を吐いた。


「それが年頃の女の子の言うことかいな……まあ、あんたが満足ならそれでいいけど。ほんと真面目というかバカ正直というか」


「バカ? 今バカって言った?」


「気のせいよ~」


 チビチビとコーヒーを飲むサクラと反して、まるでスポーツ飲料でも飲むみたいな勢いでゴッキュゴッキュとコーヒーを飲み干したマチエは、ぷはぁっ! と満足げに息を吐く。熱くないのだろうかと疑問に感じてしまう。


「そういえばジン君の調子はどう? 帰ってくるのは半年振りよね?」


「いつも通りの兄さんだよ。相変わらず掴みどころがない感じ」


「はは、ジン君らしいわねぇ。暇があったらうちにもおいでって伝えといて」


「うん」


 正確には外出する際に一言、昼食に時間が合ったらマチエさんの店に顔出してとすでに言ってはいたのだが、今の時間帯になっても姿を現さないということは多忙でそんな暇もないということだろう。


「今日は村の偉い人達に色々挨拶周りしなきゃって言ってたから、もし来るなら明日かも」


「そうなの? 彼も大変ねぇ」


 素っ気無い言葉とは裏腹に、どこかつまらなそうな調子のマチエ。

 それを見たサクラはふっと疑問が湧いた。


「……確かマチエさんって、兄さんと同い年の25歳だよね?」


「んー? そうよ。あいつも昔はあんたみたいに村で毎日生活してたのに、北米の方だっけ? 9年前に仕事で遠出するようになってからは途端に大人らしくなったわね」


 サクラの問いにマチエはスラスラと口を動かした。

 彼女が言ったとおり、マチエとジンは同い年。家族として同じ屋根の下で暮らしていたサクラほどではないが、マチエもジンの人となりに関してはよく知っている方である。


(そっか……兄さんが村を出てもう9年か……)


 人から言われて思い出したように気付くサクラ。

 当時のジンの年齢は16歳。その頃にはもう"血継"だけでなく剣術も父・カロクと渡り合うか、それ以上を超えていたという話を聞く。成人すらしていないのに父に任され大事な仕事にだって就くはずだ。

 大して今のサクラはというと18歳。単純な家系ではないためそれぞれの役目というものがあり、そう簡単な話ではないというのは分かるが……なんだか物凄く負けているような気がして気分が消沈してしまうサクラである。


「ま、あのお兄さんの背中追ってたら、あんたが夢中で稽古頑張るのも分かる気がするわ」


 サクラの気持ちを察したのか、のん気に笑いながら肩をポンポンと叩いてくるマチエ。

 ぷくっと頬を膨らませるサクラは、その時つい勢いでそれを口に出してしまった。


「……マチエさん、もしかして兄さんのこと好きなの?」


「ぶふぅっ!?」


 飲んだばかりのコーヒーを丸ごと吐き出したんじゃないかという勢いで咳き込むマチエ。

 その様子を見て、さっきのお返しとばかりにニヤリとサクラの口角が上がった。


「今日兄さんに会えないって分かった途端随分とつまらなそうにしたし? 兄さんのことはやたらと持ち上げるし? 怪しいなぁ~~」


「ごほっ、ごほっ! あ、あんたねぇ! いきなり何言い出すかと思えば! そ、そんなわけないでしょう!」


「ええ~~? それにしては動揺してない? 顔もさっきより赤いし、信じられないなぁ」


「こ、この……!」


 さっきは散々人のことを笑ってくれた仕返しである。ニマニマと意地汚い笑いを浮かべるサクラに対し、顔を赤くし抗議しようとするマチエ。

 だが、彼女はハッと思いついたように一瞬動きを止めると、なぜかニヤァと負けず劣らず嫌な笑顔を浮かべて見せた。


「あ、あんたこそいつまでもそんなんでいいわけ?」


「?」


「あんたがブラコンすぎて他に仲の良い男が全然いないから、あんたの親父さんとかお偉いさんが婚約者を決めかねてるってずっと噂になってるわよ?」


「なあっ!? ぶ、ブラ……!?」


 衝撃の言葉に、まるで全身に雷が落ちたかのように硬直するサクラ。完全なるカウンターを受けて一瞬にして顔の熱がある。

 すぐに否定したいところではあるが、何せ事実である。割と自覚もある。プルプルと震えるだけで反撃の言葉がなかなか引っ張り出せない。


「あら? どうしたのかしらブラコンのサクラお嬢様? まあ?自分より数倍も強い上に生粋のブラコン女がいい物好きな男なんてそうそういないからね~?」


「ぐ、ぐぅぅうう! ぶ、ブラコンじゃないし! 仲良い男の人だっているもん!」


「へぇ? 例えば?」


「……米穀店のゲンナイさんとか、雑貨屋のトミタさんとか。あとラーメン屋のタカさんとか……」


「それ全部既婚者のおっさんでしょうが!」


 綺麗にツッコミを入れられ返す言葉もない。がっくしと項垂れるサクラである。


「まったく、突然変なこと言って……大体、ジン君はあたしなんて見ちゃいないと思うわよ」


「……その言い方はやっぱり兄さんのこと好きなんじゃ、」


「うるせぇぞブラコン」


 バチバチを視線の衝突で火花を散らす女二人。どっち道、彼氏などという存在が生まれてこの方一度もできたことがないという点に置いてはどちらも大して変わらない訳で、完全にどんぐりの背比べ状態であることに気付かない乙女達である。

 やがてマチエが諦めたように視線を外し、面倒そうに小さいため息をついた。


「ジン君はきっとまだあの子……ヒバリちゃんのことを想ってるんじゃないかな」


「……ヒバリさん、か」


 その名前を聞いて、サクラはつい押し黙る。

 知っている名前であった。というより、アカバネ一族は村中の人々全員の名前を覚えているといっても過言ではないため、知らない者はほとんどいないのではないだろうか。


 アカバネ・ヒバリ。

 もっと言うと、アカバネ・ジンの婚約者……だった人。

 2年前にジンが久々に村へ帰ってきた際にその関係は結ばれた。婚約という時点で政略的なものでもあるのだが、そもそも同い年、元から友好関係があった二人はそこそこ上手く付き合えていたらしい。サクラも二人が仲良く並んで歩いているところを見たことがある。


 だが、それから一年経ったある日。

 彼女は突然、村から姿を消した。いわゆる……失踪。行方不明となった。

 前日までは何のことなく自宅にいたにも関わらず、一切の痕跡すら残さずにいなくなったらしい。

 今も生きているのか死んでいるのかも分からず―――、サクラはこの話をジンに直接聞いたことはないが、彼の心情を思うとなかなか苦しいところがある。


「……と、辛気臭い話振っちゃったわね。今のは忘れて頂戴」


「あ……うん」


 マチエは申し訳なさそうに胸の前で手を振ると、空になった自分のマグカップを洗い場の方へと持っていった。

 その背中を見て、きっと彼女もまだヒバリのことを引きずっているのだろうとサクラは思う。

 サクラがここでアルバイトを始めるようになったのは5年ほど前。その頃から、ヒバリはちょくちょく店に顔を出してはマチエと談笑していたものだ。きっと仲が良かったのだろう。


(兄さんもきっと……でも、私が何か言えることでもない、か)


 ヒバリが行方不明になったのはつい一年前の出来事。記憶に新しいこともあって、話に出るとどうしても深く考えてしまう。

 しかし考え込んでしまう前に、首を振って気持ちを切り替える。さっきまでかなりどうでもいい会話をしていた上に、中途半端な時間ということもってお客さんはゼロ。そのせいでバイトの最中だという事をうっかり忘れるところだったが、一応はまだ仕事中である。気を引き締めなければ。

 マチエに習って少しだけぬるくなったコーヒーを一気に飲み干し、ふぅと一息。

 同じタイミングで奥からマチエの声が飛んできた。


「サクラー、悪いけど洗い場片付けておいてー」


「はーい……って、あれ? マチエさんは?」


 問い返すと、なぜか沈黙。

 その数秒後、何気ない調子で返答が返ってきた。


「あたしは疲れたから奥でプリン食ってるー」


「おい!!」




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