クラウドウォッチ
ゆたなるい
Chapter00 再開と決別
#01 再開
「入りますよー」
先行する見た目30歳程度の男がのん気な調子でそう口にしながら、センサーで反応する自動ドアへ止まることなくズカズカと歩いていく。
男の鼻先がドアにぶつかるよりも早く、灰色の分厚いドアは機械的な音を発しながら左右へと割れ道を開ける。先にある赤い絨毯が敷かれた8畳ほどの一室へと歩みを進めた。
遠慮の一つも感じられない男の後ろには、十代後半ほどの少年と少女。少年の方は部屋の中から漂う高級な雰囲気に一瞬うろたえるが、二人も男の後に続き部屋の中へと踏み入った。
男が部屋の中央で立ち止まり、その前方へと視線を留める。そこには、大きなデスクの後ろで深々と椅子に腰掛ける長身の大男。
整えられたブロンズの髪に、鋭い碧眼。白いスーツを身に纏った激甚なオーラをヒシヒシと感じさせるその大男に対し、二人の前に立つ男は尚も軽い調子で口を開いた。
「新米二人、連れてきましたよ。ま、とりあえずは挨拶ってことで」
言いながら、男の視線は後方へと流れ、背後に立つ二人に留められる。彼は口元だけでニッと笑って見せると、二人の姿が大男にも見えるよう数歩左へ寄ってみせる。
「あー、自分は出てましょうか?」
「……いや、構わん。数分で済む」
「さいですか」
何気ないやり取りを挟んで、大男の鋭い眼光が二人の少年少女へと注がれた。
傍から見ればまるで獲物を狙う狼のようであると、誰もが思ったことであろう。
「彼からすでに聞かされているだろうが、私は本部長を務めるアリスタルフ・ゴールベフだ。同時に君達エージェントへ指令を出す総司令官でもある」
威厳を感じさせる重たい声色で、アリスタルフと名乗った男は言葉を紡ぐ。
「お互い些細な自己紹介などは必要ない。君達も自分の役目を分かった上で、ここに来たのだと私は認識している。……だが、これから共に戦う者として一つだけ聞いておきたいことがある」
猛獣のような碧眼が、先に少女の方へと固定された。
"先にお前から答えろ"。たったそれだけの意図。常人がその視線を受ければ一瞬にして震え上がるだろう眼光の力強さ。
だが少女は、ピクリとも動くことなく感情の見えない暗い瞳でその視線を受け止めていた。
「……君達は、何のために戦う道を選ぶ。辛く厳しい戦場へと赴くことを分かった上で尚、なぜ戦うのか。君達の意思を聞かせてほしい」
少女は動かない。塵ほどの感情も覗かせない無の表情で、じっと男の視線を捉える。
しばらくの沈黙の末に―――、少女の口が僅かに開いた。
「……私は」
響く声は、年相応の若々しい声質。だがそこに篭る感情は……一切感じられない。
彼女の言葉はまるで呪詛のようであった。
「今、私の中に残っているのは……血と肉が散乱する、あの血生臭い記憶だけ……」
だが、一言一言言葉を発する少女の口調から、極僅かに、少しずつ、何かの感情が漏れ始めた。
炎のような灼熱の意思を感じさせながらも、絶望で凍えきった氷のような冷たさも同時に兼ねて。
―――黒。
暗く、暗く、どこまでも暗い、真っ黒なその感情は、言葉と同時にジワジワと広がっていく。
「戦う理由なんてどうでもいい。生きる手段がほしいだけ。もし、今の私に他の何かがあるのだとすれば……、」
それは。
その感情は。
「……私の全てを奪った、あの男への憎悪だけ」
少女の瞳に―――確かな炎が宿った。
しかしその炎は、決して明るいものではない。
一切の光を拒絶し遮断する、漆黒の業火。
"殺意"。
ただそれだけにまみれた、憎しみという感情ただ一つであった。
―――時は、数日前に遡る。
*****
2517年。
技術の発達により、街の環境も、人々の生活も、その数多くが近代化されたこの時代。
極東の地。その辺境の一角にあるとある小さな村落は、近代化が進むこの時代においても尚、木造建築を中心とした和風の建造物が立ち並ぶ昔の街並みを留める数少ない場所のひとつ。
そんな中、村の中でも最も大きな屋敷。その正面玄関から勢いよく飛び出す一人の少女がいた。
約150半ばの平均的な身長。ショートボブの黒髪を風で揺らしながら、ノースリーブの白いシャツにホットパンツという動きやすい格好で風を切り、ザクザクと砂利の地面を踏みしめながら駆け抜ける。
―――アカバネ・サクラ。年齢は18歳。
はっ、はっ、と規則的な呼吸を続けながら、彼女は村の中央となる通りを元気よく進んでいた。
「おっ、サクラちゃん。朝から元気だねぇ」
駆けるサクラを呼び止めるように、少し小さめの建物の前で暖簾のれんを掛けている気のよさそうな男が声を掛けた。
サクラはその場で急ブレーキをかけて、一旦足を止める。活発な雰囲気を漂わせる瞳で彼のほうへと振り向き、小さく笑顔を浮かべて見せた。
「ゲンナイさん。おはよー」
「うん、おはよう。しっかしこんな早くからランニングなんて、サクラちゃんも精が出るねぇ」
え? と思わず聞き返すサクラだが、ふと動きやすい格好の自分を思い返し、確かにそういう風に見えなくもないかと納得する。
訂正するように、慌ててサクラは手を振った。
「ち、違うよ。ちょっと急いでるだけでさ」
「あれ、そうなのかい? ということは……あっ、もしかしてマキさんからお遣いでも頼まれてるのかい?」
「それも違……くはないんだけど、そっちは帰りにね。お母さんからお米買ってきてって頼まれてるから、いつもの20キロ分用意しといてくれる?」
「はいよ~」
村で米穀店を営むゲンナイは、サクラの言葉を聞くと懐からメモ帳とペンを取り出しスラスラと何かを書き記していく。考えるまでもなく開店準備中に忘れないようメモを取っているのだろう。
サクラは視線だけ村の入り口の方角へと向け、何だか少し焦っているような口ぶりで口を開いた。
「実は今日、ジン兄さんが久々に帰ってくるんだ」
「えぇ! そうなのかい? 確か仕事で北米の方に言ってるって話だったっけ?」
「うん。何の仕事かまったく教えてくれないんだけど……とにかく、連絡じゃ今日の朝には着くって言ってたから」
サクラの言葉の端々からはどうにも隠し切れない嬉しさがぴょこぴょこと滲み出してた。
アカバネ・ジン。サクラにとっては血の繋がった大切な兄妹。約半年振りの再会となるためか、隠したくても隠し切れないワクワクが言動から垣間見えている。
「ははっ、サクラちゃんはお兄さんのことが大好きだからねぇ。ジン君も可愛い妹が出迎えてくれたら嬉しいんじゃないかい?」
「なぁ!? わ、私は別に、兄さんのことがどうとかそういうんじゃなくて! あくまでも家族だからって!」
不意に図星を突かれて顔が真っ赤になるサクラ。この歳になっても未だお兄ちゃんっ子だなんて口が裂けても言えない……なんて思ってるサクラだが、他から見れば微笑ましいだけである。
するとサクラの慌てふためいた声を聞きつけたかのように、暖簾をくぐるようにして着物を着た女性が一人、奥から顔を出してきた。
街並みからすればその女性の格好はむしろ合致している姿だが、こんな村でも一応は時代の流れに合わせて人々の生活も変わっている。むしろ着物姿は珍しい方である。
『サクラさん。おはようございます。本日もいい天気ですね』
「あっ、ポーラ。おはよ」
サクラにポーラと呼ばれた着物の女性は、しかし見た目とは反対にまるでスピーカーでも介しているかのような機械的な響きの声で喋った。
とはいえサクラも、隣に立つゲンナイも特におかしいとは思わない。それが当たり前だと理解しているから。
「ポーラ。丁度いい。米20キロ、あとでサクラちゃんが取りに来るから用意しといてくれ。俺はこっちの準備しておくから」
『かしこまりました。メモリーに記録します』
言うと、ポーラの頭部辺りから『ピピッ』と妙な機械音が響いた。
これは別に、彼女がタイミングよく何かしらの音響装置を起動させたとかそういうものではない。
本当に、彼女の頭の中から発せられた音なのだ。
「まったく……ヒューマノイドは便利だねぇ。お前に仕事頼む度に人類の不便さをつくづく思い知らされるよ」
『ゲンナイさん。人特有の、データによる信号で物事を解決しようとしない、自らの体を動かすアナログ的な習性を、私は素晴らしいものと考えています。どうか落ち込まないでください』
「おいおい。落ち込むって、大げさだぞ」
『大げさ、ですか? ではそのようにAIを上書きします』
そう、どう見たって着物姿の英国美人にしか見えないポーラだが、実は人間ではない。
"ヒューマノイド"。
技術の進歩により生み出された自己学習性高性能AIを搭載した、人間に瓜二つの機械生命体。
まだ18歳のサクラが生まれるよりも前の時代。開発されたのはもう数十年以上前だ。今では全世界にヒューマノイドは普及し、多くの家庭や職場、様々な場所にその姿を見せる。ポーラも数あるその内の一つ、という訳だ。
『ところでサクラさん。先程のお話ですが』
「え? なに?」
『サクラちゃんはお兄さんのことが大好き、というゲンナイさんの言葉を否定していましたが、その際、突然の体温と心拍数の上昇を読み取りました。今までの記録から状況を推察すると、サクラさんの否定は嘘、という結論が算出され、ゲンナイさんの言葉通り、サクラさんは兄であるジンさんのことが大好きということになるのですが、果たして私の導いた結論は、』
「うーわーっ!! ポーラまで妙なこと言わないでー!!」
淡々とした口調でこっ恥ぱずかしいことを述べられて我慢ならず大声で静止するサクラ。顔は再び熱で赤くなってしまう。
ロボットとここまで自然な会話をできてしまうのは時代の進歩を喜ぶべきなのか憂うべきなのか、心底悩むサクラである。
『サクラさん。再び体温の上昇が見受けられました。やはり私の解析は正しい結果だったと結論付けても、』
「も、もうその話はいいから! とにかく! 兄さん迎えにいって帰りに寄るからよろしくね!」
ほとんど逃げるかのように、それだけ言い捨てると慌ててサクラは走り出した。後方から「ポーラ。あまりサクラちゃんをいじめたら駄目だぞ」『そのようなつもりはないのですが』などという会話が聞こえてくるが、とにかく今は意識の外に追いやることにする。
(もう、変に恥ずかしい思いしちゃったよ……)
足を動かしながら少し火照ってしまった顔を覚ますように頬をパンパンと軽く叩く。
聞かされている到着の時間まではもうすぐだ。気持ちを入れ替えなければならない。
サクラは意識しないながらも僅かに歩調からご機嫌な様子が露になりつつ、久々に兄に会えるという嬉しさを噛み締めながら立ち話しした遅れを取り戻すように村の入り口へ向けて駆け足で向かった。
村自体それほど広くないため、走ればものの2分程度で入り口までたどり着く。
入り口といっても大層な門などが構えているわけではない。ど田舎と言えば聞こえは悪いが、周囲のほとんどを雑木林で囲まれた場所ということもあって、しっかりと道として外と繋がっているのがそこ一つ、というだけである。
一応の目印として立っている小さな看板の元まで駆け寄ると、早まった呼吸を胸を撫で下ろしながら整えつつ周囲を見渡す。目的である兄は、まだ到着していないようだった。
(まだ、か……)
小さくため息を漏らしつつも、自分が年甲斐もなくはしゃいでいたのは事実。これではまた兄に子供扱いされてしまうと、心を落ち着かせるように空を見上げる。
気候としては、非常に過ごし易い春の季節。心地よい涼しげな風を肌で感じながら、少しずつ動いている空の積雲をぼーっと眺める。まるで日向ぼっこでもしているようで、サクラはこうしてぼんやりとすることが割と好きだった。
……どれぐらいの間そうしていたのか。
呆然と雲の数を数えていたサクラの耳に、ふと不思議な音が届いた。
ウィイイン、というまるで巨大なモーターでも稼動しているかのような機械音。響く前方へと改めて向き直ると、その先―――続く砂地の道の先から、一つ影がこちらへ向かってくるのを捉えた。
黒を基調とした、近未来的な造型のバイク。バイクといってもその本体にタイヤはなく、底に取り付けられた円盤状のパーツから不可思議な青い粒子を噴き出し、地面から30センチほど浮きつつこちらへ向かってくる。それには一人、黒髪の青年が跨っており―――見紛うこともなく、それはサクラの兄であるアカバネ・ジンその人であった。
兄の姿を捉えてつい大声で呼びそうになるサクラだが、ふと気がつき、慌てて口を塞ぐ。これだからいつも子供扱いされてしまうのだ。代わりに右手を少しだけ挙げて、自らの存在をアピールする。向こうも当然気づいたようで、段々と近づきながら片手を挙げて返してくれた。
周囲の景色からは一見浮きすぎている浮遊バイクだが、時代的には寧ろ間違っているのは前時代的な景色を今尚保っている村の方で、そんな乗り物に跨る兄は村の入り口に近寄るとゆっくりと速度を落とし、サクラの近くまで来ると道の脇へと寄せつつ停止させた。
底から出る青白い粒子は勢いを止め、代わりに支えとなる脚のパーツが飛び出して本体が転倒しないように地面に接触する。おそらくは仕事先の制服だろう、動きやすそうな装備を纏う兄、アカバネ・ジンはひょいっとバイクから跳び降りると、後部座席に固定していた荷物を肩に担いで、改めてサクラの方へと向き直った。
「サクラ。半年振りだな」
「兄さん……えっと、久しぶり」
ニッとわざとらしく笑う兄の姿に、サクラもはにかみながら挨拶を交わす。久々に再開した兄の姿につい嬉しさを露にしそうになりながらも、それを必死に我慢するサクラである。
「やー! しっかしサクラ! 前から髪切ったか? 雰囲気変わっていいじゃないか!」
「え? あ、えっと……動きやすいように、というか。いつもの稽古にも、ほら、邪魔になるし」
今でさえショートボブのふんわりとした髪型だが、つい数日前までは背筋ほどまで伸びていた黒髪を見つめられ、照れくさそうに笑いながら言い訳がましく言うサクラ。
別に兄が帰ってくる知らせを聞いてから、イメチェンするために慌てて床屋に切りに行ったとかそんなんではないと、必死に自分に言い聞かせてみる。
頬を赤くしながらモジモジとするサクラの頭に、ジンはポンと手を置くと優しい手つきで撫で始めた。
「もしかして背も伸びたんじゃないか? また一層うちの妹が可愛くなった気がするなぁ」
「わ、わっ……ちょっと! こ、子供扱いはしないでよ!」
慌ててその手を振り払い顔を赤くする。兄と久々に会うといつもこう。そろそろ憤慨したいところだが、いかんせん優しい笑顔で言われるとどうしても強く出れない自分が情けないと感じるサクラである。
「前から半年しか経ってないんだし、そう変わってないから。だ、大体、私だってもう18だよ? 立派な大人で……っ」
「はははっ、分かった分かった。兄さんが悪かったよ」
「むー、本当にそう思ってる? 兄さんってばいつもそうやって誤魔化そうとするし」
「あっ、バレたか! いやーサクラも成長したなぁ!」
「だからそれ! 子供扱いしないでってば!」
わーわー食ってかかるサクラとそれをやんわりといなすジンの姿は、傍から見れば完全にただの仲良し兄妹。
サクラ本人は他の村人には割りと隠しているつもりでいる辺りまだまだ子供なのだが、当然そこは自覚できていないお兄ちゃんっ子である。
「よーし、それじゃあ久々の我が家へ帰るかね。妹よ、案内頼むぞ」
「なに? その言い方……ていうか道分かってるでしょうに」
冗談交じりに行ってみせるジンに思わず呆れてしまうが、こういった掴みどころのない性格がジンらしくもあり、半年振りにこうしてやり取りをすると改めて兄が帰ってきたんだなと自覚するサクラ。
振り返って村の方へ歩き出そうとしていたところを、ふと思い立ち、改めてジンの方へと視線を送った。
「言い忘れてたんだけど……兄さん、おかえりなさい」
言いながらもつい照れくさくなり顔を背けてしまうが、チラリと兄の様子を伺うと、彼もまたニッコリとした明るい笑顔をサクラの方へと送った。
「ああ。ただいま、サクラ」
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