ツキモノ
ドングリムシ
序章 失った者、得たモノ
午後10時、月夜が街を照らす中、ある邸宅の裏口の扉が開く。現れたのは、20代ごろの女性。黒っぽい目の色からして、日本人だ。藍色の和服に、透けるような白い肌を包み、長い黒髪を後ろで結んでいる。
女性が扉を閉めたところで、「やあ、おかえり」と、どこか凛々しいようで間の抜けたような白衣の男性が出迎えた。茶髪にはパーマがかかっている。身長は女性と同等であり、丸メガネをかけた、パッと見温厚な顔つきだ。
「収穫お疲れ様。今日は早かったじゃないか、僕の見立てだと日付は越える気がしたんだけどね」
「"教授"……ええ、私もそのつもりでした」女が嘆く。
「おや。つまり、僕らの見当違いだった、というわけか。緊急性が高かったから、つい勘違いをしてしまったね」
でも、と、女性が呟く。
「……あのまま放置しておけば、危うく均衡を崩されるところでした」
「確かに、その懸念は僕も君も指摘したね。ここで叩くこと自体間違いではなかったはずなんだけどね……」
「少し、早すぎた気もします」
「ああ、そうだね、それは否めない。収穫は何も、早ければいいものじゃあない。収穫物をしばらく寝かせておくこともこれからは必要、ってことかな?」
「この時代にとっては、難しい判断になりますけれどね」
小さく笑った後、女性が大きく伸びをする。
「おや、楽と言いながらお疲れの様じゃあないか」
「どちらかというと昼の方が疲れました」
「確か昼間は……そうか、地域のボランティアだったね」
「はい、ざざっと2時間ほど、掃除に」
「うわあイヤだ、この部屋から出られない僕には縁のない話だが、想像するだけで背筋が凍る!」"教授"と呼ばれた白衣の男は、ぼりぼりと頭をかきながら、裏口の扉にカギをかける。
「さて……最近物騒だからね、戸締りはきちんとしておかないと」
「そう、ですね……じゃあ私はお風呂に入ってきますね」
「ああ、行ってらっしゃい」女性を見送ろうとした"教授"は、そこではっと何かを思い出した様で、「ああそれと」と女性を呼ぶ。
女性は、後ろを振り向かず、足を止める。
「……最近の収穫が上手くいっているから、おそらく『あっち』も躍起になってる頃だ。分かってると思うけど――」
「――ええ、問題ないわ」低く、さえぎるように、女性は口を開いた。
「全て、抜かりなく。私の役割、立場、何もかもを、忘れたことなんて一度もない。……忘れるものか……!」
俯き、絞り出すように叫ぶ。部屋の中を静寂が統べる。やがて、また女性が語り始める。
「……わかっているんですよ、"教授"。怨んだってもう取り返しはつかない。たとえあの日の出来事がなかったとしても、私は碌な道を選べない人生を、私以外のだれか、何かによって歩まされたでしょう。形を変えて、結局彼らと相容れない生活に進んでいたでしょう。そんな考えさえ持っています――だからこそ、私は私にしかできないことをやるんです。今置かれている状況も、役割も、立場も、今の私にしかできないこと。――ダメですね、収穫のあとは荒れてしまって」
30分後。入浴を終えた女性が自分の部屋にやってきた。
部屋は座敷であることもあって非常に質素だ。丸い窓の傍には机と座椅子がある。部屋の隅には敷布団が几帳面に畳まれていて、その傍には、ちいさなスタンドライトが置いてある。部屋に目立った装飾は施されていない。
ふう、と一息ついて、女性は椅子に座った。窓から、きれいな三日月が部屋を照らしている。
「……パパ、ママ……」
……。
「『は』隊、敵影確認出来ず」
「『ろ』隊、同じく確認出来ず」
「いかがしましょうか、隊長」
「ふむ……」
今は2003年、夜の"名東区"。まだ日が変わるまでに2時間ほど余裕がある頃合にも関わらず、この地区の街灯に明かりはない。月の光だけがあたりをぼんやりと照らしている。出歩いている者は皆違わず式服の様な衣装を纏い、明らかに昼間に出歩いている一般市民とは違う雰囲気と会話をしていた。
――この式服のような衣装を着た集団は「
「(おかしい)」先程『隊長』と呼ばれた、若髭の男はそう感じていた。
3日の間に、女が1人、子供が2人、喰い殺された。犯人の検討はついている。今夜必ず動きがある、という読みは、つい数時間前までは「正確である」という上層部からのお墨付きさえもらっていた。なのに。
「(奴が来るどころか何もいない)」
読み違えた? 否、この期に及んでそれはない。我々"呪封隊"の探知は正確だ。この自信に揺らぎはない。
……あと一つ、可能性があるならば……
「全隊員に連絡――」男は通信術式に手を添え、言った。
「――『ツキネコ』による介入の可能性あり」
程なくして、犯人だったものが公園の隅で発見された。それは、人と狼をかけあわせた――"人狼"の姿をしていた。力無く地面に臥しているそれには、背中に均等に並ぶ3つの刺し傷、首筋にもこれまた3つ、均等に並んだ引っ掻き傷があり、これらが致命傷となったようだ。また、片方の肩がまるで骨を砕かれたような歪な曲がり方をしていた。
「隊長、これは……」
「ああ、今回で連続5件目だ」若髭の男は、悔しそうに呟いた。
「おのれ、『ツキネコ』め……!」
……。
あの日を境に、すべての歯車は狂っていった。
1993年12月25日午後7時48分、名古屋市千種区に隕石が落下。死者は確認しただけで1100人に上り、未だ行方が分からない者もいる。千種区はこの事故以降半径1キロが崩壊、今も封鎖され続けている。
あの事故以来、千種区から遠く離れたこの街――"名東区"は一変した。
事件からわずか2日後、夜間に突如、異形の獣たちが出現。周囲の人間を食い殺し、街灯を破壊し、暴虐の限りを尽くした。彼らは夜の間だけ現れ、朝日が昇るとともに、そのすべてが雲か霧のように消え失せた。町は一夜で死臭にあふれ、人々はこの町を離れるか、夕刻から出かけることを生涯やめるかの選択を即座に迫られた。
名東区は、あの日から夜を失ったのである。
人々は団結した。『異形の獣』に対抗するべく、選ばれた住民が千種区のとある神社へ向かい、そこで「陰陽道」の力を得、それを名東区で広めたのである。その甲斐あってか、「夜の光源」である街灯は破壊されてしまうものの、『獣』が家屋に浸入することは無くなった。
さらに、その中でも特に「陰陽道」に長けた住人、或いは外部から招き入れた「本物」たちが陰陽道の組織――これが先ほどの「封呪隊」である――を形成。本格的に「『獣』掃討」のための活動が始まった。これに伴い、彼らは『獣』に名前――固有名詞――を設定した。それが、「月夜を得たモノ」から転じ、「ツキモノ」である。
これは、「ニンゲン」と「ツキモノ」の、夜をめぐる物語である。
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