第126話 たくさんの"好き"を貴方に
年末年始の更新について、近況ノートに纏めました。是非ご一読をよろしくお願いいたします。
◇◆◇◆
ひんやりとした夜の空気とは相反して、顔に触れているラトリアの手は熱かった。互いの吐く息が触れそうなほどの距離を保ったまま、ラトリアは口を開く。
「……確かに、ちょっとびっくりした。でも、それは……嫌だったからとかじゃ、ない。全然、ない……むしろその、逆というか」
「逆?」
「ん……」
こくりと頷いたラトリアは、すっと両手を外す。俺が名残惜しさを感じたのは、きっと気の所為ではないだろう。
「ムサシは……何でラトリアが、いきなりこんな事を聞きに来たか……分かる?」
ベッドの上で正座になったラトリアが、真剣な眼差しでこちらを見詰める。自然と俺も靴を脱いで胡坐をかき、正面から向き合った。
「そりゃあ、リーリエ達に言われた事が気になったからだろ? 俺がラトリアの事を妹だと思ってるとかなんとか」
「ん……」
小さく頷いてから、ラトリアは少しだけ視線を下げてぽつぽつと語り出した。
「……普通なら、気にするほどの事じゃないと思う。でも、その時のラトリアは……どうしても、確かめずにはいられなかった。それも、明日とかじゃなくて……今すぐに」
「そりゃまた、どうして」
ラトリアの膝の上に置かれていた小さな手がきゅっと握られる。それはまるでラトリアのある種不安の様な心情を現している様だった。
「嫌だった、の……ムサシの目に、ラトリアの姿がそういう風に映ってたらって思ったら……嫌だなって」
「……な、なんかスマン」
「!? ち、違う! 責めてる訳じゃない」
妙な罪悪感を感じて俺が頭を下げると、ラトリアは慌てて首を振った。
「その、ね? 妹とかだと、結局はその……どれだけこの先ラトリアがムサシと仲良くなっても、結局は
そこ止まり、という事は。ラトリアは疑似家族ではなく、何というかこう……もっと先の関係を望んでいた、という事だろうか。
「どうして、そんな痛みを感じたのか……自分でも、分からなかった。分からなかったから、ムサシと直接話せば……その正体が、分かると思った」
「だから、ずっとここで待ってたのか」
「ん……」
ラトリアの行動は理に適っている。未知とは好奇心を誘う魅力的な物でもあるが、同時に不安を掻き立てる恐怖でもある。
それを一刻も早く晴らしたいと思うのは自然な事だが……何故だろう。俺にはどうしても、ラトリアを動かした感情がただ恐れを払拭する為だけの物とは思えなかった。
「それで、ね? 今やっと、ラトリアはその痛みの正体が……分かった」
「……聞かせて貰っても、いいか?」
俺の問いに、ラトリアはこくりと頷く。下がっていた視線は再び俺の顔に注がれ、薄紅色に染まっていた頬は更に赤みを増していた。
「ラトリアはね……ムサシの事が――好きなの。仲間とか、恩人としてじゃなくて……一人の、男の人として」
しん、と空気が静まり返る。聞こえるのは互いの息遣いだけで、まるで世界には俺とラトリアしかいない様に感じられた。
「妹じゃ、嫌。ラトリアは、リーリエ達みたいに……ムサシと、恋人になりたい」
すっとラトリアは体を寄せて、俺の心臓に耳を当てる。両手は胸にそっと添えられて、微かな震えと熱いくらいの熱量が服越しに伝わって来た。
「一人ぼっちだったラトリアに手を差し伸べてくれたムサシが、好き。大きな手で頭を撫でてくれるムサシが、好き」
静かに湧き出る感情は、次第に勢いを増していく。清流は濁流となり、一度そうなってしまえばもう誰にも止められない。俺にも、ラトリア自身にも。
「小さな事でもラトリアを気に掛けてくれるムサシが、好き。美味しそうにご飯を食べるムサシが、好き」
紡がれる一つ一つの想いが、次々と心に入り込んでくる。そこに不快さは無く、ただただ染み渡るような温かさと甘美さを俺に齎した。
「ラトリアを守ってくれるムサシの大きな背中が、好き。ラトリアの為に怒ってくれるムサシが、好き。ラトリアと正面から向き合ってくれたムサシが、好き」
「わ、分かった。もう十分、十分だから……!」
このままではこちらが恥ずかしさで死にそうだと、俺は自分の顔を抑えながら制止しようとする。しかし、ラトリアは止まらない。
「好き、好き、好き……こんなに好きだから、さっきムサシがラトリアの事を“一人の女の子として大切に思ってる”って言ってくれた時、すごく安心したし……すごく、嬉しかった」
胸に置かれていた手が、包み込むように背中へと回る。当然ラトリアの体格では俺を完全に抱き締める事は叶わないが、それでも精一杯腕を伸ばすその姿が――たまらなく、愛おしく感じた。
「だから、ね。ラトリアは……ムサシの、特別になりたい……だめ?」
ぐりっと頭をずらして、ラトリアは俺を上目遣いで見る。その瞳には微かな不安と共にうっすらと涙が浮かんでいた。
ふぅーっと息を吐き、俺は覚悟を決める。ラトリアの肩に左腕を回し、密着していた体を更に引き寄せた。
「……俺は、ラトリアが思ってるほど立派な人間じゃない」
「ん……」
「ガサツだし、無駄に大食いだし、脳筋だ。それで失敗した事だってある」
「うん」
「それとな、凄ぇ強欲だ。何せ周りに彼女が三人もいるからな、傍から見たらただのクソ野郎かもしれん」
「うん……でも、リーリエもアリアもコトハも、ムサシの事をそんな風には思ってない」
「ああ、有難い事にな。でまぁそんな感じだから……ラトリア一人を、特別には出来ない。優劣なんか絶対につけねぇけど、ラトリアだけをって訳にはいかないんだ……それでも、いいのか?」
言うなれば、これは最後通牒。もしラトリアがのめば、もうこっちとしても遠慮するつもりは無い。俺の決心は、とうの昔に決まっている。
「……良いよ。勿論ムサシの事は好きだけど、ラトリアはリーリエ達の事も……同じくらい、好きだから。みんな一緒が、いい」
「そうか……どうにもこう、俺の周りの女性は懐が深い奴ばっかりだな。頭が上がらねぇ」
「わっ!」
左腕で肩を抱えたまま、俺は素早く右腕を動かしてラトリアの体を完全に抱き上げる。そのまま組んでいた脚の上にポンとラトリアを置き、ほぼ零距離からラトリアの瞳を見詰めた。
「言い忘れてたが、俺は独占欲が強いんだ……もう離さねぇぞ。俺以外の誰にも、ラトリアは渡さない。今更後悔したって遅いからな」
「……後悔なんか、しない。ラトリアの事を、離さないで……ずっと、ずっと!」
ここで遂に、俺達の想いは繋がった。ラトリアの瞳に溜まっていた涙が防波堤を超えて溢れ出し、静かに俺の胸を濡らす。
俺は黙って、その小さな背中をさすった。言葉はいらない、今すべき事はただ只管にラトリアを受け止める事だから。
暫しの間、室内には無音が広がっていた。しかしその内、規則正しいラトリアの息遣いが聞こえてくる。少し腕を緩めれば、そこには涙に濡れたままの瞳を閉じたラトリアの姿があった。
「……おやすみ、ラトリア。明日からまた、よろしくな」
ついっと指で涙を拭ってやると、ラトリアはくすぐったそうに身を捩る。自然と口元が緩むのを感じたが、そこで俺はとある事を思い出した。
「よっ、と」
ラトリアを起こさない様にしながら、俺はそっと片腕を解いてベッドの下に置いてあった自分の靴へと手を伸ばす。そして手に取った靴を、ぽーんと部屋のドアの方へと放った。すると……
――ガタッ、ガタタッ!――
靴が床に落ちると同時に、廊下から聞こえた慌ただしい足音。ぴったり四人分のそれは、脱兎の如くドアから離れていった。
「ったく、野次馬根性逞しすぎだろあいつ等。てかアリーシャさんまで何やってんだよ……」
恐らく今までのやり取りを全て聞いていたであろうリーリエ達に向けて、俺は盛大に溜息を吐く。まぁでも、説明の手間が省けそうだからいいか。
「……このまま寝よ。もう色々と疲れた」
どっと体に押し寄せた疲労感に、俺は思考を放棄した。ラトリアを抱えたままボフンとベッドに転がって、静かに目を閉じる。
胸の上に確かに感じるラトリアの重み。安堵と共に、俺の意識は深い水底へと沈んでいった。
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