第112話 断ち切られる過去

「……博士」

試製01号プロト・ワン……」


 病衣のまま立つラトリアを、カシマがゆらゆらと視線だけで捉える。

 果たしてまともに会話が出来るのかと疑問に思ったが、そんな俺の杞憂を跳ね返してカシマの顔に生気が戻った。


試製01号プロト・ワン試製01号プロト・ワン! ああ良かった、ボクの元に戻って来てくれるんだね!?」


 ガバッと立ち上がったカシマの瞳は、血走っていた。どう考えても見当違いな発言だが、息を吹き返した狂気がそこへの言及を許さない。


(つーか、立てんのかよ……)


 つい今しがたまで血反吐とゲロを撒き散らしていた人間とは思えない生き生きとした声音と活力溢れる態度に、俺は小さく舌打ちをした。

 手加減をしたとは言え、人一人の体が宙を舞うくらいの力で蹴り上げたのだ。肉体へのダメージは決して低くなく、事実カシマは床に伏して蹲って動けなくなっていた。

 だがラトリアが現れた途端、瞬時に息を吹き返した。爛々と輝く両目から噴き出す生気を見るに意識は完全に覚醒している。


(狂気が頭やら体の損耗を全部打ち消したか)


 あまり考えたくは無いが、そうとしか考えられない。となると俺としては余りラトリアと長くは会話させたくないというのが正直な所だ。

 今のカシマにとってラトリアは、極上の餌だ。それを前にして大人しく対話を続けるとは到底思えない。

 だから、俺は淀み無く二人の様子を観察する。カシマが僅かでも妙な動きをしたら、即座に動ける様に。


「さぁ、帰ろう試製01号プロト・ワン。こんなバカ共は置いて、ボク達の魔法科学研究部いえに!」


 足を震わせながら手を指し伸ばすカシマ。しかしラトリアはそれを握らず、静かに首を横に振った。


「……それは、出来ない。あそこは、ラトリアにとって……家と呼べる場所じゃ、ない」


 ラトリアの返答に、カシマの顔から笑みが消える。こめかみがヒクヒクとしているのを見るに、ありゃ切れかけてるな。


「ああ、うん。例えだよ例え、そこは別にどうでもいいんだ……でも口答えは良くないな試製01号プロト・ワン、キミはボクの――」

「ねぇ、博士。ラトリアに、聞かせて欲しい」


 相も変わらずと言った感じで話し掛けようとしたカシマを、ラトリアはぴしゃりと遮る。

 相対しているのはトラウマの塊と言って差し支えない相手。しかしラトリアは臆さず怯まず、真っ直ぐに問う。


「博士……あなたにとって、人間って何・・・・・?」

「は? 何を言っているんだ試製01号プロト・ワン、いいから早く――」


 途中まで言いかけて、カシマは口を閉じた。暫く逡巡した後、注意深く答える。


「……愛しい存在だよ、人間は。生態系の頂点に君臨するドラゴンと隣り合わせの生活を送りながら、絶滅する事無くこうして優れた文明圏を築いている。力で劣っても、知識と技術を振り絞って上位者である彼等と渡り合っているんだ」


 一つ一つ言葉を紡ぐカシマ。パッと見、真っ当な事を言っている様にも見える。

 だが、違う。まともに見えるのは表面だけで、腹の内では如何にラトリアを繋ぎ止めて自分側に引き込むか、ただそれだけを考えてロジックを組み上げている。

 息遣い、声のトーン、喋り方、視線の動き、言葉の選び方。常人では気付かないだろうが、俺はそれらの微かな所作から漏れ出ているカシマという人間の黒さ・・を見ていた。


「ボクは、人間は可能性の塊だと思っている。だから興味が尽きないし、その可能性の先を見たいと思う。その為にはラトリア・・・・、キミの存在が必要なんだ……今まで誰も成し得なかった六属性を一つに出来る素質のある、キミが」


 そう言って、カシマはにこりと笑った。


(こいつ、このタイミングでラトリアの名前を呼ぶか)


 尤もらしい言葉を理路整然と並べ、最後は人間とは切っても切り離せない感情に訴えかける。鮮やかで、狡猾だ。

 キシリと腕に力が入りそうになったが、俺は止まった。目の前で黙って話を聞いていたラトリアが、カシマの説得に微塵も揺らいでいなかったからだ。


「……博士が言った事は、すごく立派な事だとラトリアは思う」

「そうだろう? だから――」

「でも」


 ラトリアの目が細く研ぎ澄まされたのと、ピリッと空気が引き締まるのは同時だった。



「その“可能性の先にあるもの”は……一体、誰の為のもの・・・・・・なの?」



 それは、敷き詰められたカシマの理論にある穴を貫く問いだった。


「博士は、さっきの話で……一度も、誰かの為に・・・・・可能性を切り拓くとは、言わなかった。それは結局、全部自分の為・・・・・・だから」

「――! 違う、それは言葉が足りなかっただけだ!」

「ううん……違わない。きれいな言葉で取り繕っても……内側にある、“自分の知的好奇心を満たす為”っていう本音が……全然、かくせてない」


 カシマが、愕然とした。当然だ、巧妙に偽装した筈の己の本質を、今まで道具としか見ていなかった相手にあっさりと見抜かれたのだから。


「決して、自分本位じゃないのなら……もっと違う事が、言える。さっきムサシ達にやった事も……絶対に、出来ない。少しでも、他人を思いやれるなら」

「違う、違うぞラトリアッ! ボクは何も間違った事何て言っていない、キミには分からないかもしれないが――」

「ほら、また」


 カシマの顔に貼り付いた仮面が、音を立てて剥がれ落ちていく。裏にある狂人としてのは、もう隠せない。


「どうして、そこで……自分以外を、否定するの? どうして……少しでも歩み寄ろうと、しないの?」

「決まっている、ボクが正しくてキミが間違っているからだ」

「……自分に、少しでも否があるとは……思わないんだ、ね」

「当たり前だろう、ボクは今まで間違えた事なんて無い」


 敢然と言い放ったカシマを見て、ラトリアは目を伏せる。瞳の奥に浮かんでいるのは、落胆と哀れみだった。


「じゃあ、ラトリアが言ってあげる……博士は、間違ってる・・・・・

「……は?」


 ビキリと、カシマの表情が引き攣った。こめかみに浮かんだ青筋は今にも切れそうで、纏う空気に怒気が混ざる。


 しかし、ラトリアは一歩も退かなかった。


「博士は……人間を“愛しい存在”って、言った。でも、それは……人間が、自分の欲求を満たすのに丁度いい存在だって、思ってるから。そんな歪な“愛”を向けられた相手は……すごく、傷つく。ラトリアみたいに」

「だが、その“愛”のお陰でキミは本来持ち得なかった“力”を得た! 地岳巨竜アドヴェルーサだって、ボクが与えた力のお陰で討伐出来たんだろう!?」


 カシマの叫びに、俺はギョッとする。まさかそこまで知っているとは思わなかったからだ。だが、どうやってそれに気付いた?


「遠くからでも見えたよ。キミが第二拘束式セカンドリミットを外して行使した【六華六葬六獄カタストロフィー】が! 予想通りの、美しい光だった……本来なら、ボクの許可無しで解除出来る様な術式じゃなかった筈だけど、そんな事はどうでもいい。キミが、キミ達がボクのお陰であのバケモノを討伐出来た事に変わりはないんだからね!」


 勝ち誇ったような笑みを浮かべるカシマだが、そこには誤り・・がある。ラトリアも、気付いている様だった。


「確かに、博士が作り上げたラトリアが……地岳巨竜アドヴェルーサ討伐のカギになったのは、事実。でも……それだけじゃ、地岳巨竜アドヴェルーサは倒せなかった。限界まで力を解放しても、博士がラトリアに与えた力だけじゃ……到底、敵わない」

「……!?」

「それでも、地岳巨竜アドヴェルーサを倒せたのは……ムサシ達が、一緒だったから。そして、一緒に戦った中で……ラトリアが、自分自身の意思で一歩先に……進めたから」


 そう言って、ラトリアは徐に掌を広げる。一つ深呼吸をすると、そこに六つの光が綺麗に溶け合った魔力の塊が出来た。


「それ、は」

「六つの属性が、一つになった……ラトリアの、新しい“力”。博士が、どうしても辿り着けなかった先に……ラトリアは、行き着いた」


 そこまで言って、ラトリアはしゅっと手を閉じる。主の意思に従い、魔力はたちまち体内へと引っ込んでいった。


「……自分の一番深い場所まで潜ったから、分かる。これは、どれだけ博士が手を尽くしても……絶対に、手に入れられなかった物」

「……っ」

「あのまま、学院で過ごしていたら……ラトリアは、この力を手に入れる前に……死んでいた。でも、そうなっても博士は……止まらなかった、よね? もしラトリアが駄目になっても……次のラトリア・・・・・・を探して、研究を続けるつもりだったんだから」


 立て続けに刃を突き立てられ、遂にカシマは押し黙ってしまう。それを見て、ラトリアはぎゅっと拳を握り締めた。


「ラトリアは、ずっと……苦しんで、きた。痛いと言っても、もう嫌だと言っても続く……あの、地獄で」


 ラトリアの声は、震えていた。だが、それとは裏腹に体からは覇気が溢れ出て来ていた。


「……感謝なんか、しない。ラトリアは頼んでもいない物を……苦痛と一緒に、押し付けられたんだから。最後まで、ラトリアを人間として見ていなかった博士が……今更、結果論を振りかざして、恩着せがましい事……言わないで」


 ひゅっと、ラトリアが息を吸う。収束する怒気を見て、俺は小さく口角を上げた。



「与えられた魔力ものも、手に入れた魔力ものも、掴んだ人生みらいも……全部、ラトリアの物。もう、ラトリアは博士あなたの為にある、首肯くだけの玩具じゃ、ない。だから、もう二度と……ラトリア達に、近付かないでっ!!!!」



 小さな体から発せられた、空気を震わせる一喝。一人の少女が、己の過去を断ち切った瞬間だった。

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