第76話 残された者、征く者達
◇◆◇◆
立った今しがた、ムサシ達は≪ミーティン≫を発った。最後の馬車の一団が出る直前に、残っていた人々から聞かれた事には、監視の役を仰せつかったと表向きは答えて。
「……これで、良かったのでしょうか」
「む、何がでござるか?」
「いえ、ワタシだけ、その……」
あっという間に遠ざかるストラトス号に小さく手を振りながら、アリアは小さな声で呟く。その表情には、微かに影が落ちていた。
当初、アリアはムサシ達に同行するつもりだった。引退したとはいえ元赤等級スレイヤー、まだまだ戦える。アリアもそのつもりで、避難の際に運び出した弓を持ち出してきていた。
しかし、実際は着いて行かなかった。否、行けなかったのだ。他ならぬムサシ達が、アリアが残る事を望んだから。
「問題は無いでござろう。彼等はアリア殿に言っていたではござらぬか、“自分達の帰りを、いつもの様に迎えて欲しい”と。決して、足手纏いとして置いて行ったのではないでござるよ」
「それは、そうかもしれませんが……」
「……これは某の予想でござるが、恐らくムサシ殿は某を説得出来なかった時に、アリア殿を連れて行くつもりだったのでござろう。謀反とも取れる行動を取ったパーティーの専属受付嬢を一人残していくのは、気が気でない筈……しかし、ムサシ殿は某を説得する事に成功したでござる。故に、自分達の
「……!」
「お分かりかな? アリア殿は、ムサシ殿達にとってかけがえのない
ふっとシンゲンは小さく笑い、腕を組んでアリアの顔を見る。
「前に出るだけが、戦いではない……元スレイヤーであるならば、ご理解なされよ。ああそれと、
「えっ?」
ポンと手を打ったシンゲンは、懐からある物を取り出して手渡す。それは、ムサシがシンゲンに預けたアリアの胸章だった。
「生憎と、内務については人手不足でしてな。ギルドとしては、優秀な職員を遊ばせておく訳にはいかないのでござるよ」
「し、しかし」
「筋が通らない? はっはっ、気になされずとも結構。そもそもの話、こんな大事の対価が身分の返上だけで賄える訳が無いのでござる」
「え……で、では何故ムサシさんの話を聞き入れたのです?」
受け取った胸章を手に持ったまま困惑するアリアに、シンゲンは暫し思案した後に答えた。
「あの時、某はムサシ殿を前にしてただただ圧倒されていたでござる。どんな凶悪なドラゴンを前にしても、あの様な心境には成り得なんだ。ただ、これは決してムサシ殿を悪く言っている訳では無いのでござる。寧ろその逆で……“この御仁なら、やれるかもしれない”と思ってしまったのでござるよ」
「だから、話を呑んだと?」
「うむ。一度認めてしまえば、もう自分に嘘は吐けないのでござる。だから、
ふっとそこで瞳を閉じ、シンゲンは
――この時、シンゲンは意図せずムサシと言う男が持つ本質の一つに近付いていた。それは即ち“普通は無理でも、この男なら出来てしまう”と思わせる、ムサシの
歴戦の紫等級たるシンゲンにさえ、そう錯覚させてしまう程の怪物染みた個性。つまり、シンゲンは無意識下で確信してしまっていたのだ――『この男と、男の信頼を得る仲間であれば
故に、シンゲンは本来跳ねのけるべきムサシ達の無謀な試みを承諾した。しかし、そうなるに至った
「さて、見送りはこの辺にして某達も街を出るでござる。某はこのまま護衛の任に就く故、アリア殿は他の職員が乗っている馬車へ」
「あ……畏まりました。シンゲン様も、どうかお気をつけて」
「うむ! いやはやしかし、アリア殿達の様なご婦人に慕われるムサシ殿が羨ましいでござるよ!」
シンゲンの余りにも不器用な話題の変え方に、アリアは思わず苦笑する。しかし、お陰で緊張感は取れた。
「ふふっ。そんな事を仰っていると、奥様に怒られますよ?」
「うぐっ!? い、今のは言葉の綾でござるよ……その、くれぐれも内密に。どこから耳に入るか分からない故」
「承知しました。と言っても、愛妻家で知られるシンゲン様の事であれば、この程度の小話が噂で流れても一笑に付されそうな気もしますが」
「い、いや。家内はあれでいて中々に嫉妬深い一面が……ああ、呼ばれている! と、兎に角頼むでござるよ!?」
わたわたとそう言い残して、シンゲンは遠くで手を振って声を上げているスレイヤー達の下へと向かった。アリアは苦笑を浮かべたままそれを見送ると、ふと表情を戻してムサシ達が消えていった方角を見据える。
「ワタシは、ワタシに出来る事をしなければいけませんね……大丈夫。必ず、帰って来る」
アリアは自分に小さく言い聞かせると、手に持っていた胸章をぎゅっと握り締める。その顔に、もう影は落ちていない……アリアは最後にムサシ達の向かった方角を一瞥し、くるりと踵を返した。
◇◆◇◆
真上を少し通り過ぎた太陽が照らす丘陵地帯を、俺はストラトス号を牽引しながら爆走する。最初から街道は通らず、最短距離で遠くに霞む
「どうだラトリアぁ、凄いだろォ!?」
「すごい、はやい、すごい!!」
土煙を上げて風を切り裂きながら大地を掛けるストラトス号から身を乗り出し、目を輝かせるラトリアを見れて、俺は大満足だ。
しかし……その後ろからは、青褪めた表情のリーリエが必死の形相でラトリアの体にしがみ付いていた。
「らっ、ラトリアちゃん危ないから! ちゃんと、座って!」
「う……ごめん、リーリエ」
「大丈夫だってリーリエ、もし転げ落ちても余裕でキャッチ――」
「ムサシさんはちゃんと前を見て下さいッッ!!」
「!? は、ハイぃッ!!」
鬼の様な剣幕でどやされた俺は、バッと前を向き直して運転に集中する。こ、怖ぇ……脇見運転は良くないな、うん!
「まぁまぁ、リーリエはん落ち着いて。ラトリアはんも初めての事なんやから、舞い上がってしもたんやろ」
「こ、コトハさん随分と落ち着いてますね」
「怖くはあらへんし、ラトリアはんが落ちそうになっても直ぐに動けるようにしとったから……ムサシはん、そのまま聞いて欲しいんやけど!」
「何かなぁ!?」
「あとどの位で着きそう?」
「そーだなー、ぶっちゃけ分からん! ただそんなには掛かんねぇ!」
前を向いたまま、俺は何の参考にもならない返答を返す。いやだって、途中に何あるか分からないし、あの野郎蜃気楼みたくなってる所為でイマイチ距離測り辛いんだもの。
「一先ずは、ヤツにある程度近寄った所で停める。そっからは、状況を見ながら行動するぞ!」
「はい! えっと……今日中に戦闘は始めない予定なんですよね?」
「おう! 不測の事態が起きない様に、出来るだけ情報を手に入れてからやるつもり!」
「分かりました!」
これからのプランを再確認した所で、会話は一旦途切れた。
シンゲンさんが懸念していた“予期せぬ事態”を、想定していない訳じゃない。俺等が起こしたアクションの所為で、他の場所に住む人達が危機に晒される何て事にならない様にする為には、入念な事前準備が必要だ。
備えあれば憂いなし。出来る限りの情報を得ていれば、何かあった時に即座に動いてそれを潰せる。前例無しなのに何故そこまで言い切れるのかって話だが、そりゃ俺の勘が“やれる”と断言しているからだ。
ここまで来て勘頼みってふざけてんのかって言われそうだが、生憎伝家の宝刀である俺の勘は外れない。ならば、疑う事など何も無いのだ。
「“自分自身を信じてみるだけでいい。きっと、生きる道が見えてくる”ってな!」
受け取った想いも、背負った物もある。ならば、それを託された俺達はやり遂げなければならない。
この一世一代の大勝負、絶対モノにしてやる……目指すは唯一つ、笑って終われる大団円だ。
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