第72話 荷造り

 シンゲンさんの口から≪ミーティン≫を放棄すると聞いた次の日、街は大きく動いた。

 ギルドからの呼びかけで街の中心にある広場に大挙して集まった民衆に対して、シンゲンさんは演説を行い、これから自分達がどう動かなければならないかを滾々こんこんと説明した。

 当然、広場は大混乱である。しかし、怒号が飛び交う中でもシンゲンさんは一歩も引かなかった。威風堂々たる立ち姿で、地岳巨竜アドヴェルーサが如何に強大な存在で、これは皆の生命を守る為の苦肉の策なのだと言う事を伝えた。

 避難後の街の復興には、大陸中のギルド並びに商会・技術者が無償で援助を行う事を確約し、何とかその場を収めた。

 そのシンゲンさんはまだ広場に残り、中央から随伴して来たスレイヤーとギルドの職員と共に、まだまだ納得しきれていない市民達を相手に格闘を続けている。

 で、そんな最中に俺達が何をしているかと言えば……。


「アリーシャさん、この鍋の群れはどうします?」

「ああ、それはそっちの方に纏めといてくれ。後で纏めてマジックポーチに詰め込むから、その時はまた頼むよ。それより、あっちにあるテーブルの方を頼めるかい?」

「うーっす」


 腕の中に抱えていた多数の鍋を、床に敷いた布の上に下ろした俺は、その足で食堂内に設置されたままだったテーブルの元へと向かう。


 正式な避難計画の通達があった時点で、俺達は既に荷造りを始めていた。俺は持ち出す物なんてのは服と防具、金重かねしげとベッド位しかないので全部マジックポーチにぶち込んで終わったが、あっさり終わったが、他の女性陣はそうはいかない。

 特にアリーシャさんは復興後の≪月の兎亭≫の再建に備えて、料理道具やら何やら持ち出さなきゃいけない物がクソ多いから、俺は自分の事が終わった後にこうして手伝いに来ている。


 ……因みに、リーリエ達の荷造りもちょろっと手伝ったのだが。


『リーリエ、ベッドの下から際どい文字が書いてある雑誌が出てきたんだが……』

『わぁっ!? み、見ないで下さい!』

『アイタッ!?』


『アリア、シャワールームから芳醇な匂いのする生乾きのバスタオルが……』

『か、嗅がないで下さい!』

『イタイッシュ!!』


『コトハ、この細い砂時計みてーな形をしていてペタペタする布は一体……』

下穿きぱんてぃー。貼るタイプの』

『ホアッ!?』


『ラトリア、これはもしや……』

『ん……プリズム☆りりかの、第二巻。読む?』

『読みた……いや、今は荷造りに集中しよう、うん』


 とまぁ、ボロクソな結果だった。なので、今は二階から撤退してせっせこアリーシャさんの下で動いている訳だ。


「……今更、こんな事言うのもアレだけどさ」

「はい?」


 テーブルに手を掛けた時、背後からアリーシャさんが俺に話し掛けて来た。手を止めて独白の様な口調で吐き出されたその言葉に、俺は動きを止めて耳を傾ける。


「この店、アタシにとっては結構大切な場所なんだよね。旦那と死に別れてから、ずっと一人で切り盛りしてきて……段々と客足が増えて、常連も出来た。アンタ達も住み始めて、より一層賑やかになってさ。だから……かなり、

「……俺等にとっても、ここは大切な場所ですよ。住み慣れた場所を追われる事になって、ぶっちゃけ腸が煮えくり返る思いです」

「ははっ、そう言って貰えると嬉しいよ……ま、命あっての物種だ。店はまた建て直せるが、死んだらそれっきりだからね。ああでもアレだ、旦那の墓がある墓地が踏み荒らされたらたまったもんじゃないから、そこだけは上手く避けてくれないもんかねぇ」


 そうぼやきながらアリーシャさんは荷造りを再開する。声は聞こえず、カチャカチャと食器が触れる音だけが聞こえてくるようになった。


(……うん、やっぱだ。このまま終わるなんて、到底出来る話じゃねぇ)


 アリーシャさんの吐露を聞き、改めて自分がを確認した俺は、ふつふつと湧き上がる感情を制御しながらテーブルの傍に腰を下ろして作業を始める。

 そうして暫くしていたら、アリーシャさんの物では無い声が掛けられた。俺はパチリと思考を切り替えて、その声がする方へと向き直った。


「……ムサシ」

「お、ラトリアじゃないか。もう終わったのか?」

「ん……」


 手早くテーブルを解体バラし、後から組み立てやすい様にパーツ毎に分けていた俺の下へ、階段を降りたラトリアがパタパタと駆け寄って来た。


「ラトリアは、まだここに住んで浅いから……そんなに、荷物はなかった」

「そうか。リーリエ達の方は?」

「まだ……やってる。何か、手伝う事はある?」

「うーんとだな、ある。何をやるかはアリーシャさんに聞いてみな」

「ん……わかった」


 くるりと俺に背を向けて、ラトリアはパタパタとアリーシャさんの下へ行く。

 今のラトリアはあのフリフリな私服を着ているのだが、ああいう可愛いモーションが組み合わさると滅茶苦茶映えるなぁ。


「っと、よそ見してる場合じゃねえな。仕事仕事」


 ぼけーっとしていた頭を再稼働させ、俺は手を動かす。

 今は、こうして≪ミーティン≫から脱出する準備をやっている。一応と言うのは、俺達がこれからが万が一失敗した場合の事を想定してだ。


 ――即ち、地岳巨竜アドヴェルーサ、もしくは撃退である。


 具体的な内容までは決めていない。しかし、実行に移すタイミングは決めている。まだその時は来ていないので、今はこうやってやれる事をやるだけだ。


「ああ、そうだムサシ」

「はい?」


 フンフンと一人息巻いていた俺に、不意にアリーシャさんが声を掛けてきた。


「アンタ、もし手元に街の誰かから借りてる物とかあったら、今の内に返しときな。これからもっとバタバタするんだから」


 カウンターから身を乗り出したアリーシャさんは、それだけを言い残して再び厨房へと戻って行く。

 借りた物、何てあったか? 街の人から借り物をする機会なんて、今まで無かった気がするけど――。


「……あっ!」


 ガチャガチャと記憶の引き出しを漁っていた時、俺は不意に思い出した。ある、あるよ借りっ放しで返して無かった物が!


「しまった、司書さんにバスケット返して無ぇ!!」


 ガバッと立ち上がって手を叩いた俺に、アリーシャさんの「うるさいよバカタレ!」と言う怒号と共にジョッキが飛来し、パカーンと乾いた音が食堂内に響いた。


 ◇◆


「……それで、わざわざ此処まで?」

「まあ、そんな所っす」


 頭をポリポリと掻きながら、俺は丁寧に木を編んで作られたバスケットを司書さんに手渡す。


「すんません、ホントはもっと早く返せればよかったんすけど、ガッツリ忘れてまして……」

「いえ……お気になさらず」


 相変わらず目元は髪で隠れたままだが、司書さんはバスケットを受け取った時に小さく口元を緩めた。どうやら、怒ってはいない様だ。良かった。


「……やっぱ、てんやわんやになってますね」

「はい……全ての書物を、搬出しないといけないので」


 ぐるりと館内を見渡した俺の口から漏れた言葉に、司書さんは小さく頷く。

 地方にある街の図書館と言えど、その蔵書量は膨大である。この量を全部持ち出すとなれば、かなりになりながらやらないといけないだろうな。


「いや、マジですんません。このクソ忙しい時に手を止めさせちまって」

「大丈夫です……わたし達のグループは、丁度小休止に入っていましたから」


 ちらりと、司書さんは後ろへと視線を遣る。釣られて俺も目を移せば、スタッフルームの扉から半分程顔を覗かせた複数の人影が見えた。多分、司書さんの同僚だろう。

 彼等は、俺と目が合うと慌てて顔を引っ込める。何じゃそらと疑問に思っていると、目の前に居た司書さんが溜息を吐いた。


「あの……あれは一体」

「ただの野次馬です……所で、後ろにいらっしゃる方は?」


 視線を前に戻した司書さんは、そのまま俺の背後に隠れていた少女――ラトリアを見て首を傾げる。そりゃ、俺みたいな大男がラトリアみたいなちっこい子を連れてたら気になるだろう。


「ああ、最近うちのパーティーに入ったスレイヤーですよ。名前は……」

「ラトリア、です」


 俺が名前を教えるより前に、ラトリアがひょっこりと後ろから出て、司書さんに頭を下げた。

≪月の兎亭≫で俺が自分のミスに気付いた後、アリーシャさんに断りを入れて飛び出した訳だが、その中で俺の口から“図書館”と言う単語が出た時、ラトリアがぴくりと反応した。

 アリーシャさんは、それを見逃さなかった。「少し外の空気を吸ってきな」と言って、俺達を二人纏めて送り出してくれたのだ。

 なので、喧騒が響く街中を抜けてこうして二人で図書館まで赴いたのだ。


「成程、そうだったんですね……初めまして、ラトリアさん」


 スッと姿勢を正し、ぴしっと美しく頭を下げた司書さんだが、当のラトリアは礼を返した後にきょろきょろと視線を泳がせている。何か、気になっている?


「……本が、お好きですか?」

「あ……はい」


 ラトリアの興味が何に向けられているかを察した司書さんは、柔らかく微笑んでラトリアの視線を追った。

 漫画を読み、それに関して嬉々と語る位だからな。この反応を見るに、恐らく漫画に関わらず“本”と言う物が好きなんだろう。


(……本くらいしか、娯楽が無かったのかもしれんな)


 ふとラトリアが置かれていた環境を思い出し、一瞬暗い気持ちになったが、俺は直ぐにそれを振り払う。

 ラトリアは本が好きで、こうして沢山の本に囲まれている光景に、胸を躍らせている。取り敢えずは、それでいい。


「今は立て込んでいるので、残念ながら利用は出来ませんが……全てが終わって、街の再建が成されたのなら、是非もう一度足を運んで下さい。司書一同、お待ちしています」


 優しい声音でそう言った司書さんに、ラトリアは大きく頷く事で返した。それを見て満足そうに口元を緩めた司書さんだが、ふとその口角を下げて館内を見回す。


「でも……この建物が無くなるのは、とても寂しいですね。沢山の本の匂いがしみ込んでいる、良い場所なのに」


 寂しそうにポツリと漏らした司書さんに、俺もラトリアも押し黙るしかなかった。

 アリーシャさんや、司書さんだけじゃない。この街に住んでいる人間で、同じ様にやり切れない感情を抱えながら街を追われる人間は大勢居るのだ。


 ――であるならば。そんな人達が泣かずに済む様にするのが、俺達スレイヤーの仕事でしょ。

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